〝HELLO WORLD〟上
夏休みに突入してしばらくした今日。
秋庭絢音はトランクケースに着替えや夏休みの宿題が入っているかの確認を行っていた。
「よし、準備は完璧」
荷物の確認を終えて「ま、取りに戻ればいいし」と苦笑いをしつつ戸締りの確認をする。
2階、1階と確認を終えた後、自分の部屋の隣にある部屋の前にいた。
「兄さん、之浬の所に行ってくるから。なにかあったらメッセ送るか電話して……」
応答がないのはいつものことだが、少しも物音がしないことには少し心配になる。ドアノブに手を掛けて開けようと捻るが、中から鍵が掛けられているため開かない。
まあ、それもいつものことなので少し声を大にして言う。
「昼ごはんは冷蔵庫にしまってあるから、インスタントじゃなくてそっちを食べてね。あ、でも、足りなかったらインスタントを食べてね。家事じゃなくて火事とかほんとシャレにならないから」
それだけ言うともう一度火の元、戸締りの確認をしてから家を発つ。
アスファルトで舗装された道路をトランクケースがガラガラと音を出しながら進んでいく。
肩を出した白い布地に所々に花の絵柄が入ったワンピースだけなのだが、この時期となると薄着だけでは暑くて熱い。
汗を流していると、元気な子供達の声が家々の中から聴こえてくる。こんな暑苦しい日に外で遊ぶような者は数少ない。親達は外で遊ばせて倒れるよりも冷房が効いた部屋でしっかりと水分補給させながら遊ばせる方が安心で安全。そのため、家遊びを推奨――いや、強要していると言っても過言ではない。
そんな理由で誰とも会うことはなく、それから十分程度の苦行を経てなんとか目的地に辿り着くことができた。
インターフォンのボタンを押してのんびり待とうとするが、汗を吸った服が体に張り付いて気持ち悪さが襲ってくる。ボタンをもう一度押そうと指を向けた。すると、ドタドタと階段を降りているのだろう音が聞こえて来た。
手を引いて扉が開かれるのを今か今かと待ち構える。
それから数秒もしない内に玄関の扉を勢いよく開け放たれた。開けたのは幼馴染みの大谷之浬。彼女の格好は絢音よりも大胆かつ少な着な格好――パーカーだけを着ている。
「おっそい! どうして来るのが昼なのさ!」
「家事をしてたら、ついね」
絢音は悪いとは少ししか思っていない。今日の午前中に行くと言っていたが、正午を迎えていない現在、遅刻をした訳ではない。とは言え、途中にあった避暑地でのんびりと立ち読みをしていたため少しの罪悪感はある、かもしれない。
「まあ、どうせ遅くなると思ったからキャラ作成とチュートリアルは終わらせたけどね」
時間は有限である。そして、配信開始時刻は刻一刻と差し迫っている。先達、攻略組、トッププレイヤーになるためには1秒たりとも無駄にはできない。
朝一番で来るとは思っていなかったため、先んじて行っていた。チュートリアル戦闘は何度もできるため、先ほどまでずっと続けていた。キャラ作成ができるようになった昨日のお昼から。
「はあ、そこまでの情熱をもっと他のことにはできない?」
せめて之浬が勉強面でもその半分――いや、一割でもやる気も持ってくれさえすれば、と絢音のみならず家族達からも思われている。
「ムリ! 将来のことなんてあとででいいの! それよりも! 出遅れると冷や飯を食うことになるからさっさと急ぐよ!」
絢音からトランクケースをひったくるように奪い取り、さっさと準備を整えるために腕を引っ張る。
「えー、まだ配信されてないでしょ? たしか……15時からじゃなかった?」
絢音はそんなことよりも優先して欲しいことがある。「それよりもシャワーを浴びたいんだけど」と続けようとするが、之浬が詰め寄る。
「そうだよ。それでも、『キャラ作成』と『チュートリアル』はできるから! それに、数人が公開したOSがウザったい。あたしがベータ版の時に手に入れた物が如何にスゴいのか教えたい! 自慢したい!」
子供みたいに言い寄って来る之浬からじりじりと後退りながら絢音は言えなかった願望を口にする。
「わ、わかったから。先にシャワーを。汗掻きすぎてそろそろ――」
痴女が詰め寄ってくるなど誰が喜ぶのか。今まで人は誰も通っていないが、何が起こるかはわからない。こんな姿を見られでもしたらあらぬ噂が蔓延するに違いない。
「んー、臭くは――臭くない、よ?」
クンクンと絢音に顔を近づけて匂いを嗅ぐ。納得がいかないのか深く空気を吸い込む。
「あ、でも――」少し間を空けて鼻息と動悸を落ち着けてから言う。「いい匂いだよ」
「え、ちょ――」
匂いを嗅いでくる幼馴染みに戸惑いながらも事態をどうやって収束させるべきか考える。ご近所さん方は外には出ていないが家の中には人がいるのは間違いない。ご近所で騒動が起きていれば野次馬魂が薄れて来た現代でも顔を覗かすことぐらいはする。
「すっごいいい匂い! ハァハァハァハァ」
服の隙間へとやって来た手を払い除け「やめい!」と頭頂部にチョップを喰らわす。流石にそれ以上――いや、嗅いでくる時点で我慢などできやしない。
怯んだ隙に之浬を引き剥がして服装の乱れを正す。
「絢音がこんなにも他人を魅了させる匂いを持つなんて……」
荒い息遣いを未だ収まらない幼馴染み。腰を低くするとパーカーが上に上がりその下に穿いているであろう物が見えて――こない。
その謎現象が気にはなったが、幼馴染みの目に意識が向いてそんなことはどうでもいいと斬り捨てた。飢えた獣が何をするのか。怖くて考えることはできない。
「ゲーム! ゲームをした方がいいんじゃない!? ほ、ほらっ、時間が足りなくなって直ぐに始めらないかもしれないし――ぃっ!?」
何が起きるかわからない。ダウンロードなどの時間にサーバーが混み合いすぐさま始めることができなくなる恐れがある。
「そんなこと――どうでもいい!」
絢音が懸命にも考えたことを之浬がバッサリと切り捨てる。
「そんなことよりも、いまこのときを逃すと一生後悔する気がする!」
彼女は『今』やりたいことを優先させる人間だ。そしてこんな絶好の機会を逃すような性格でもない。
◇
『ようこそ、「Arya」様』
『パーソナルデータを基に基礎アバターを生成します……完了』
『「ステータス作成」を開始します』
『初期職業を以下より選択してください。
兵士(期間限定) 戦士
武闘家 盗賊
魔術師 付与師
神官 採掘師
木こり 釣り人
料理人 鍛冶屋
大工 錬金師 etc.』
「職業は盗賊で」
《1stJobが『盗賊』になりました》
『初期スキルを以下より選択してください。
[戦闘系
剣術 刀術 弓術 槍術 盾術 鎧術 etc.]
[魔法系
魔法制御 魔法耐性 火属性 水属性 etc.]
[生産系
採取 鍛治 伐採 細工 木工 釣り etc.]
[補助系
五感強化 身体強化 硬質化 魔力視 etc.]
[種族系
人間語 器用貧乏 自動地図化 交流 etc.] 』
《スキルを取得しました》
《OSの設定が可能になりました》
《設定を行いますか? YES/NO》
「……? はい」
《所有スキル及び習得済みスキルから2つ選んでください。
『 弓術 暗殺 瞬足 』》
「えーっと、じゃあ【瞬足】と【暗殺】で」
《スキル【瞬足】とスキル【暗殺】、プレイヤー情報を基にOSの創造を開始します》
《……創造完了しました》
《OSが[空間跳躍]になりました》
『「キャラ作成」を再開します』
《BPを獲得しました》
『30BPを消費して能力値を上昇させましょう』
「9項目あって、3BP使って1段階上がるんだったよね。……まあ、こんなもんでいいかな? 序盤だし、方向性が決まってからしっかりとやればいっか」
『ステータスを閲覧しますか? YES/NO』
絢音が「YES」と言うとステータス覧が目の前に出現する。
【Arya / LV0】【BP / 0】
【種族 / LV0
人間 / LV0 】
【職業 / LV0
盗賊 / LV0 】
【H P / Y】【M P / Z】【S P / Z】
【STR / Z】【VIT / Z】【AGI / X】
【DEX / W】【INT / X】【LUC / X】
【スキル
弓術 暗殺 瞬足 】
【OS
[空間跳躍LV0] 】
【アーツ
[戦技]
[魔法] 】
【称号】
「……とりあえずスクショしておこ」
善し悪しの判断がつかないため、之浬に投げることにした。適当に設定したのが鬼が出るか仏が出るかは未だ判断つくことはできない。
◇
『チュートリアルを開始します』
『武器を選択してください。
剣 短剣 刀 槍 弓矢 斧 杖 』
「武器を選択、か……」
キャラクリを終えたと思えば画面が変わり武器の文字と画像が正面に現れる。
「ふむ……チュートリアル中は矢は無限大っと……なら、弓矢かな」
弓矢を選択すると画面は再び変わり『和弓』『洋弓』となる。
「へー、和弓があるんだ。ARで使っていたし、これでいっかな」
選択完了のボタンを押すと画面は消え去り手元に弓矢が出現する。
とりあえず和弓を地面? に置いて矢筒から一本の矢を取り出す。
「ん? これ、何の羽だろ……」
矢尻は石。箆は竹。と何となく察することはできるのだが、矢羽はそう簡単にはいかない。素人目ではあるが、七面鳥や鷹、鷲のような鳥の羽。
一先ず射って感触くらいは確かめようかと思った矢先に世界が変革した。今まで黒一色の世界であったが、上には青く所々雲がある空。和弓が置かれている地面は地平線の彼方まで続く草原へとなった。
『愛兎が出現しました』
草原をピョンピョン跳ね飛ぶのは白い毛並みとつぶらな紅い瞳を持った兎――愛兎と呼ばれるモンスター。
「キュ?」
『愛兎が気付きました。戦闘が開始します』
「え?」
絢音――いや、アーヤが戸惑っている中、愛兎はピョンピョンと跳ねながら近づいてくる。
「まさか、倒せと? 討伐系って聞いてたけど」矢筒から木の矢を取り、右手を弦にかけて的を見る。「まあ、解体もするし、野菜も肉も食べるし」
そして、放たれた矢は跳ねていた愛兎の眉間に刺さった。HPが全損した愛兎は光の結晶となり消えた。
《LVが上がりました》
《BPを獲得しました》
インフォメーションの確認をしようとしたが、愛兎が現れた同じ場所に人の形をしたモンスターが現れた。
『小鬼が出現しました』
『小鬼のVITが高いため攻撃が通りません』
『戦技「パワー」を使いましょう』
『効果は十秒間STRが微小』
『これにより小鬼のVITを超えることが可能となります』
『慣れるまで音声認識で発動をしましょう』
「――戦技『パワー』」
薄い膜のような仄かな光が身体を纏う。それが戦技『パワー』のエフェクトである。
先ほどと同じように矢を放ったが、威力は高くなっており速く進む。
「ギャゥッ!?」
悲鳴に似た声が聞こえたが、矢を引き抜き行進を再開する。傷を与えることはできたが、死までは至らなかった。
『VITを超えることはできましたが、与えらるダメージ量が少なく決定打にはなりません』
『補助系ではなく攻撃系を使いましょう』
『戦技「パワーショット」が使えるようになりました』
『効果は力を溜めて矢に乗せて放つことができます』
「―― 戦技『パワーショット』」
弓を限界まで引き絞っていると身体を覆っていた光が矢に集約する。そして放たれた矢は真っ直ぐ飛び小鬼の頭を穿いた。
『小鬼を討伐しました』
《チュートリアルをクリアしました》
《BPを獲得しました》
◇
チュートリアルを終えた絢音はVR機器『DVORAK』を外して周囲を忙しなく見渡した後、深く息を吸う。
「ベタついてる……」
シャワーを浴びて汗の気持ち悪さから解放され冷房が効いた室内にいたというのに。はあとため息を漏らした後壁部屋の隅を見詰める。
「あ、早かったね」
物陰から現れた之浬は何事もなかったように装っている。
「そ、そんなに見詰められると……恥ずかしいよ」
頬を朱に染め照れる姿は何とも可愛らしいが、絢音にとってみれば恐怖そのものでしかない。嫌いという訳ではなく、純粋な恐れ。
「……はあ、怒ればいい? それともなに? 之浬のことが最近理解できない」
「照れ隠しヘタ――」
「照れてないから」
「もしかしてツンデレ? ツンデレ属性があるなんて知らなかったよ」
何を言われても自分の考えを変えない親友に対し呆れの感情が上回る。
これ以上話すのが黒歴史を作ることになると思った絢音は之浬が喰いつく話題に持っていく。
「OSやってみたんだけど……」
「え!? やっちゃったの!?」
「もしかして、ダメだった?」
これから新しくスキルが手に入ることを考えればたった3つしか持っていないことを考えると今創るのは悪手としか言えない。
「あれはその人のパラメーターとスキルによって生み出される物なんだよ……てか、新しく取るには『黄金の果実』が必要だし解体には『叡者の燃えさし』が必要なんだよ」
その2つのアイテムはレイドボス––複数パーティーで戦うボス––の初回討伐報酬で極稀にドロップするアイテム。ベータ版で手に入った者は10人にも満たない。
そのため、当分の間手に入ると思わない方がいい。
「あー、ごめん?」
「まあ、いいよ……それでどうなったの?」
スクショした画像を之浬に見せる。OSのことで語り合うためにやったと思えば嬉しく思う。そう之浬は結論を出してSSを見る。
「ん? 『空間跳躍』って……踏み締めた分だけ移動することができる……」フレーバーテキストを見てどう反応すればいいのかと困ってしまう。「まあ、いいんじゃない? 戦闘系じゃないのって微妙なんだよね……」
「そうなの?」
「その道を進むならまだしも、戦闘するのに戦闘じゃないってのはね……まあ、OSには成長があるからね」
『OSG』はモンスターとの戦闘から『光の一族』を選べば『闇の一族』、『闇の一族』を選べば『光の一族』と争うことになる。ベータ版では両陣営で15万対5万という大規模戦争を行った。
だからこそ、OSという最大の武器が重要になってくる。まあ、どんなに弱く思えても悲観する必要はない。
OSは成長する。より使用者に合うように。そして『黄金の果実』を使えば進化することも可能。
「――あ、お昼なに?」
ゲームのことに集中し過ぎていて忘れていたが、昨日の夕食も今日の朝食も食べてはおらずお腹はペコペコだ。愛情に飢えたお腹を擦りながら期待に胸を、フクラマセル。
「……え?」
「お母さんには絢音が来るから作らなくていいって言っといた。あ、それと、夕飯作ってだってさ」
「はい?」
昼ご飯だけならまだしも、夕飯まで客人に作ってもらおうとは理解ができない。之浬は料理を作れないなんていうことはない。それに今時自動料理なり配達便がある。
人が作るよりも美味しく栄養満点な物が安く簡単に摂ることができる。
「冷蔵庫にある物なんでも使っていいからみんなの分よろしく!」
「……わかった」
嫌と言えないのは性と言うべきなのか。遺伝子の性とでも言うべきか、NOとは言うことができず、4人前を作ることとなった。
◇
今日はシャワーに多く浴びる日らしく三度目の着替えを終えた。絢音はキッチンで昼ご飯の準備をしていた。にんにくと唐辛子を薄くスライスにしたり、オリーブオイル、パスタそして塩の計量が終えいざ作ろうと思った時、リビングに之浬がやって来た。
「まだ、できないのぉー?」
ディスプレイと睨めこっこしている彼女はてっきり昼食は完成しているかと思っていた。
「十分少々」
パスタのゆで時間を考えればそれくらいが妥当な時間。
「早くしてー。15時まで時間はもう少ないよ。ハリーハリー」
熱烈な声援を受けながらパスタを皿に盛り付けその上ににんにくと唐辛子を乗せて乳化をさせた汁を全体に掛けてパセリを振りかければアーリオ・オリオ・ペペロンチーノが完成。
「ペペロンチーノ作ったのに」
それは何に対する言葉だったのか。之浬にはわからない。ただ、彼女が口にしていた言葉に対する言葉なのは間違いない。
「胃の中じゃ全部ごちゃ混ぜになるし」
之浬にとって料理その物よりも絢音が作ったということに価値がある。だがら、どんな盛り付け方でも味でも構わない。
「……は?」
「な、なんでもないよ? わ、わぉー、お、美味しい! 今まで食べた中で一番美味しいよ!」
冷えた声は今まで片手で数えれるほどしかなかった。そして、その結末は口にできるような内容にはならない。
「……今回は不問とする」
その言葉を聞いて胸を撫で下ろした。とは言え、安心し切ると痛い目に合うのは目に見えている。
昼食を終えた後、すぐさま準備に取り掛かる。
絢音と之浬はひとつベッドの上で『DVORAK』を装着して起動させる。
そして、15:00ぴったしにゲームを開始する。