92話 最後通知
相変わらず獣のような異臭を放つ女である。香水でごまかしてはいるが、甘ったるい香りと混ざって吐き気がする。
「あんた、フレデリック様に余計な事を言ったりしてないでしょうね」
エリザベートの鬼のような形相で僕を見下すその姿はアンバランスな体系と相まって、もはや人とは思えなかった。
「余計なことといいますと?」
「とぼけるんじゃないわよ! あんたとフレデリック様がかかわるようになってから、あからさまにフレデリック様のあたしへの態度が急変したわ! またあんたが余計なことを言ったんでしょう!」
エリザベートは唾をまき散らしながら、今にも僕を殴り飛ばさんといった風に怒鳴りつけてきた。しかし、それは完全なる八つ当たりである。僕が何もしなくてもフレデリック王子はお前に冷たく接しただろう。
「……心外ですね」
ため息をつき、僕がそうつぶやくと、エリザベートは一瞬硬直した。
きっと、僕に反論されだして毎度毎度いい結果に終わらないものだからもはや条件反射的に硬直してしまうのだろう。
しかし、安心しろ。今回はそんなにひどいことを言うつもりはない。そう心の中で思いながら僕は立ち上がり、エリザベートを見下した。
「な、なによ」
「エリザベート様。残念ですがそれはあなた様の思い過ごしでございます。私は何もエリザベート様に関して話した覚えはございません」
そう、あくまでフレデリック王子に話したのは僕がクラウディウス家に対して恩があるというこじつけだけであって、エリザベート自身のことについてはほとんど話していない。
「な、ならどうしてフレデリック様が冷たくなるのよ! あたしはフレデリック様の言う通りにしているわ!」
「……もう少し賢い方だと思っていたのですが、残念です。少しは現実を見るべきですね」
別にエリザベートが賢い人間だとは思っていない。ただ、そんなことも理解できない、あるいは直視できない人間だとまでは思っていなかった。
「あなたなんてことを……! 失礼でしょう!」
取り巻きの一人が口をはさむが僕はその人物がいないかのようにふるまった。会話をするだけ無駄なのだ。
エリザベートと好き好んで行動を共にするような人間など、それはもはやただの人格破綻者である。決定的に感性が一般常識からかけ離れているのだ。
ならばそんな人物とは会話をするだけ無駄というものである。
もし、唯一惜しむべき部分があるとすれば、それは彼女たちが年頃の見目麗しき貴族令嬢であるという点であろう。
さすがに原作段階からいるキャラクターだ。見た目は申し分ない。きっとこのゲームのイラストレーターは極端な化け物か、美男美女しか描けないのだろう。ゲームの説明書を見た限りでは、国王陛下ですら立ち絵はなかったはずだ。
ベストール・ウォレンだって、エリザベートに似たデブだるまだった。さすがに僕の生活習慣的にそんなことになるはずはないのだけれど。きっと、あれはエリザベートの悪影響を受けてああなったのだろう。
「エリザベート様、おそらく、これが最後になるかと思いますが、ひとつ忠告をさせていただきます」
「…………」
「私は今、フレデリック様に友人のように扱っていただいております。それはおそらく、考え方の一致や、私に興味を持っていただけた部分があったからでしょう。そして、エリザベート様と殿下を天秤にかけたとき、私がどのように行動するか、その意味、ゆめゆめお忘れなきよう」
「?」
エリザベートは僕が何を言っているのか、いまいち理解できていないようだった。まあ、理解させる気もないが。
しかし、理不尽にその時を待つというのもかわいそうな話である。だから僕は最後のチャンスのつもりでエリザベートにそう伝えた。
「これをもって、勝手ながらクラウディウス家への恩義は果たしたものとさせていただきます。それでは、ごきげんよう」
「ちょ、ちょっと、さっきのはどういう……」
呼び止めるエリザベートを無視し、僕は身をひるがえした。
「行きますよ。お嬢様」
「え、あの、いいの?」
「かまいません」
僕がそういうと、ニーナは少し戸惑ったようなそぶりを見せて、迷った挙句、エリザベートに一礼して、僕の後ろについてきた。
そして後に残るエリザベートたちはただ茫然とその場に訳も分からず立ち尽くすのみであった。
その姿も、来た道を曲がるとともに見えなくなった。
「ねえ、さっきの意味って……エリザベートに何かするつもりなの?」
しばらく歩いたところで不安げにニーナが尋ねてくる。淡々とした僕の態度に怒っているとでも思っているのだろうか。
それにしても、エリザベートには理解してもらえなかったようだが、僕の分かりにくい言葉でもわかる人間にはわかるんだなぁと思った。
「別に僕が何かするわけじゃないけど、たぶん、近いうちにわかると思う」
「……そう。ならまあ、あまり深くは聞かないでおいてあげるけど、あんまり悪いことは考えないほうがいいわよ。ベストールに悪役はたぶん向かないから」
「なんだよ、藪から棒に」
「ご主人様としての忠告ってやつかしら」
「僕の主人はグラハム様だけど」
「お父様も私も似たようなものでしょう? それよりも、よかったの?」
「何が?」
「最近……そうね、ちょうどフレデリック殿下とあなたがかかわり始めてからのエリザベートの行動は目に余るものがあるから、少しは釘を刺しておいたほうがよかったんじゃないかと思って。私じゃさすがに無理だけど、ベストールなら言えたんじゃない? 一応はフレデリック殿下の後ろ盾があるって脅しも効くんだし」
今のあいつはそんなにひどいのか……。もはや関係ないとはいえ、僕のやってきたことが何一つ意味をなしていないことに少しだけ辟易した。
「まあ、それも悪くはないんだけどな……」
「なによ?」
ニーナの考えには別におかしな部分はない。むしろ、エリザベートにもう少し可愛げがあったなら僕もそうしていたかもしれない。
ただ、今はもうそんなまどろっこしいことをするのも馬鹿らしいと思うようになっていた。だって無駄なのだから。
「後ろ盾ってのはもっとうまく使わないとな」
「フレデリック殿下を? 何をするつもり?」
「殿下は僕の事情をしってるだろう。だから少なくとも殿下はエリザベートのよからぬうわさから僕に飛び火してきてもかばってくれるだろうな。それに、フレデリック殿下と一緒にいると、必然的にガーラン殿下にも接触する機会はあったんだ」
ほんの数回しかちゃんと話してはいないが、それでもガーラン王子は話の通じない相手ではなかった。少なくとも、エリザベートのようなモンスターではない。
当然だ。彼は攻略対象の一人なのだから。
「ガーラン殿下に? まさかとは思うけど、ガーラン殿下にもあのこじつけを話したの?」
「まあな。というか、僕が言わなくてもフレデリック殿下の口から」
「……なるほどね。でも、そっか。それはちょっと寂しいわね」
少しだけ、ニーナは声のトーンを下げ、寂しげにうつむいた。僕の考えていることの全容を理解したのだ。
そして、今まで騒がしかった人間に対して、その存在が消えてしまうことに少しの寂しさを感じているのだ。
「お前はやさしいな。僕はもう、うんざりしてきてるってのに」
「まあ、おおむねベストールも似たようなものでしょう? むしろ、今までよく頑張ったほうなんじゃない?」
仕方のないことである、とでも言わんばかりにニーナはそう言って、それ以上、この話をしたがろうとはしなかった。
「今日はこの後どうするの?」
「図書館だな。肩の荷が下りた分、自分の教養を深めようかと」
「へぇ、感心ね。私は帰るわ。なんだか今日は疲れたもの」
「そうか。なら送るよ」
「ええ。そうして頂戴」
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