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72話 囁き


「あんた、誰だか知らないけどこんなことしてただで済むと思ってるの!」


 人気のない学園の裏庭にエリザベートを連れ込むと、開口一番そんなことをのたまった。


「あんたがどこの誰だろうと私はクラウディウス侯爵家の娘よ? 下級貴族の一人や二人どうとでもなるんだから!」


「昔から何一つ変わってないんだな」


「? 昔から……? あんたみたいなダッサイ眼鏡野郎なんて知らな……」


 エリザベートがそう言おうとした瞬間、僕は眼鏡をはずした。


「戦場帰りで少し人相が悪くなったらしいけど、面影ぐらいは残ってるだろう」


 僕がそういうとエリザベートは懐疑気な顔をして細目で僕を観察する。そして、気が付いたのか、はっと目を大きく見開いた。


「! まさか、ベストール……ウォレン……!!」


「久しぶりだな。エリザベート・クラウディウス」


「ふんっ! ずいぶん偉くなったものね! 敬語を使いなさい! 敬語を!」


 エリザベートは鼻息を荒くして威嚇するように僕をにらみつけた。しかし、エリザベートの見た目では家畜のそれのようで実に滑稽である。


「うっさい。お前は僕から敬われるような存在じゃないだろ。この贅肉ダルマが」


「ムキーッ! あいッ変わらず生意気な嫌な奴のままみたいね! もう怒ったわ! あんたなんかパパに言って処刑してやる!」


「ほう。できるもんならやってみろ」


 このバカめ。僕を処刑することがどういうことを引き起こすか何もわかってないな。


「……? どういうつもりよ。少しは悪あがきしてみなさいよ」


「お前、僕を処刑することの意味が分かってるんだろうな?」


「……意味?」


「僕は自慢じゃないが帝国を追い返した軍のトップだ。その僕が死ねばすぐにでも帝国はエインベルズ領を攻めに来るだろうな。そしてエインベルズが落とされれば次はクラウディウス領だ。お前らに連中と戦うだけの軍事力があるとは思えんがな」


「く……。卑怯者め!」


「おいおい。守ってやってるんだからもう少し感謝してくれてもいいと思うんだけど?」


 エリザベートは反論もできないようでそれ以上言葉にしはしなかったが、相も変わらず忌々し気に僕をにらみつけるのであった。


「まあ、そうカッカすんなよ」


「何のためにあたしをこんなとこに連れてきたのよ! ……まさか、いかがわしいこと考えてんじゃないでしょうね!! キャー! 痴漢! 変態! 私の体を好きにできても心までは支配できないわよ!」


「アホか。鏡見てから言え。ガキの頃のほうがもういくぶんかマシだったんじゃないか」


「なんですって!?」


「お前、本当に自分が連れてこられた理由がわからないか?」


「…………」


 僕がそういうとエリザベートは言葉を詰まらせ、唇をかみしめた。その様子を見て僕はさすがにそのくらいの分別はつくのかと思った。


「さすがにアレはやりすぎだ」


「あ、アレは、あの平民がフレデリック様にご迷惑を……」


「具体的には?」


「…………」


 僕がそういうとまたもエリザベートは言葉に詰まった。どうも自分に都合が悪いことに対しては黙り込む癖があるらしい。昔は癇癪の一つでも起こしていただろうが、さすがにそんなことはしないようだ。


 それとも、僕に何をしても仕方がないとわかっているから黙り込んでいるのか?


 噂では手の付けられないほどにひどい状況になっているとのことだったが、思いのほか会話が成立している。自分の立場を悪用できない人間には弱いのだろうか? だとしたら、僕の立場はある意味幸運だったかもしれないな。


「なあ、エリザベート。一応、本当に一応だが、僕はお前の父親のアルバート様には恩がある。あの人の推薦がなかったら今頃僕は騎士になっていなかっただろう。だからアルバート様の娘であるお前にはできる限りの手助けをしてやりたいと思ってるんだ」


 本当は恩など一ミリも感じていないが、エリザベートに自然な形で接触するための口実にはちょうどいい。


「あのままあの平民をイジメ続けてみろ。お前、たちどころに愛しのフレデリック殿下から敬遠されるようになるぞ」


「だ、だって、仕方ないじゃない! フレデリック様はあたしの婚約者なのよ! なのにあの平民はいかがわしい目でフレデリック様を見てるのよ! 黙っていろという方が無理よ!」


「つまり、お前はフレデリック殿下をあの平民に取られると思ってるんだな」


「そ、それは……」


 本来であれば平民と王族が結ばれることはまずありえない。そのうえ、それはつまるところ、フレデリック王子を疑っていると公言するようなものである。そんなことは口が裂けても言えないだろう。


「じゃあ、仮にこう考えてみろ。どうしてお前は不安なんだ?」


「…………」


 具体的には言葉に表せない。なんてことはないはずである。それでもエリザベートは黙り込んだ。


 理由がはっきりとし過ぎでいるから逆に黙りこんだのだ。


 はっきり言って、エリザベートがアリーシャに優っているものは家柄のみである。性格も悪ければスタイルも悪い。太りすぎて顔のパーツは点と線。これでは痩せたら美人になる、とか言われても信用できない。


 この女とアリーシャ。どちらを選ぶかと言われれば間違いなく後者である。いくら家柄がいいとはいえ、これではいやでも不安にもなるだろう。


「理由が言えないんなら別にいいけど、わかってるんならああいうことはやめといたほうがいい。意地の悪い人間だって周囲から思われるだけだぞ」


「そ、そんなこと、言われなくたってわかってるわよ……。でも、だったらどうしろっていうのよ……」


「知りたいか」


 ずいぶんとしおらしいセリフを吐くようになったものだと思いながら僕はそう告げた。まるで悪魔のささやきのようである。


 そしてエリザベートもまたその悪魔のささやきに食いつきを見せた。


「……知ってるの?」


「お前だってわかってるんだろう? 自分がどうすべきか。そしてどうあるべきかを」


「…………」


「お前にその気があるなら放課後、ここに来い」


 僕はそれだけ告げるとその場から離れ、教室に戻っていった。エリザベートは終始、悔し気に唇を噛んでいた。


 会話だけ聞いているとマジで悪魔の囁きだわ、これ。眼鏡をかけなおしながらそんな愚にもつかないことを思った。


ここまで読んでいただきありがとうございます!


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