5話 奥方様
柱の陰で侯爵と女性が何を話したのかはわからないし、僕には知る由もない。
しかし、十分後、侯爵はげっそりとした表情をしておぼつかない足取りで女性に引っ張られて再びベストールの前に立った。
「ベストール君。私はエリザベートの母、エレノアよ。先ほどまでの君の話、こっそりと聞かせてもらってたわ」
奥方は侯爵のことなど気にも留めずに僕に話しかけてきた。
「……奥方様はお嬢様をどのように思われておりますか?」
僕はげっそりとうなだれる侯爵をしり目に奥方に尋ねた。
「大方、君が思ってる通り、かしらね」
奥方はあきれ半分にため息をつきながらそう言った。その目はどこか遠くを見るようで、苦労がしのばれるものである。
ああ、ようやくまともな人間と話ができる。
「奥方様はお嬢様をどうなさるおつもりですか?」
「できることならせめて、まともな感性を持った常識人に育てたいところね。でないと外に出すこともできないわ」
「あははは……ですよね」
「ええ、まったく、ね」
奥方と僕は乾いた声で静かに笑った。
「ベストール君、あなたに一つ、お願いをしたいのだけれど、いいかしら?」
「なんですか?」
「エリザベートの教育係になってほしいの。知っての通り、この人のせいで」
奥方は侯爵をにらみつける。そして侯爵は情けなく「ヒィ」と声を上げた。
「あの子はとんでもないわがまま娘になってしまったわ。もう私がお説教してもあの子は言うことを聞いてくれない。だから、少しつらい役割になるかもしれないのだけど、あなたには嫌われ役になってほしいの」
奥方の申し出は願ってもないことだった。エリザベートを矯正しない限りまともな未来を歩めない自分としてはその申し出を断る理由はない。
むしろ、親公認ということで、平民という身分を気にする必要もなくなる。まさに願ったりかなったりである。
しかし、ここで嬉しそうに、ハイ喜んで、と食いついてはさすがに怪しまれる。そう考え、僕は見かけ上、少しだけ怪訝な顔をする。
「僕なんかでよろしいのですか?」
「あなただからよ。大人じゃなくて、同年代の子供っていうのが重要なの。それに、全部分かったうえで、貴族を相手にあれだけスパスパものを言える子って、あなた以外にはいなさそうだもの」
「……わかりました。できる限りのことはさせていただきます」
「ええ。この人には私からしっかり言い聞かせておくわ。暴力はだめだけど、少しくらいだったらきついことをいっても咎めないから、あの子を頼むわね」
そう言って奥方は侯爵の襟首をつかんでその場から離れて行ってしまった。それを僕は見えなくなるまで頭を下げて見送った。
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