10話 ダイエットと手紙
マラソン開始から二週間。
「も、もう、無理……」
エリザベートは全身の毛穴という毛穴から汗をまき散らし、ベチャッっという音を立てて地面に倒れこんだ。
「まだ十分も経ってませんよ」
あの日以来、僕とエリザベートは毎朝マラソンを続けている。体系に変化はないが、それでも初日に比べれば進歩した部分は多い。
まず初めに僕への暴力が格段に減った。初日はことあるごとに僕を殴りつけてきていたエリザベートだが、最近は殴っても僕が辞めないことや、殴るだけ体力の無駄だと気づき、その量は格段に減ってきている。
とはいえ、完全になくなったわけではないため、今後も何かしらの対策を講じる必要がある。
次に、まともに会話ができるようになった。最初は人の話を聞かないエリザベートであったが、僕がしつこいことを理解したのか、文句は言うがそれでも人の話を聞くようになった。
「もうちょっと走ったら朝ごはんですよー。ほら、立ってください」
「ぐ、グヘェ」
うめき声をあげながらエリザベートは僕の体を支柱のようにしてヌルリと立ち上がった。その際、べったりとエリザベートの体液が僕に付着するのである。臭い。
「あら、ベストール、あなた臭いわよ」
立ち上がって開口一番、エリザベートは嘲笑しながらそう言った。貴族の娘でなければ殴り飛ばしてやりたい。
腹いせに一周多く走らせた。
「ガァァァァー……」
化け物のような大きなため息を吐きながらエリザベートは食堂に向かった。やっと朝食だというのに相も変わらずエリザベートの表情は明るいものではない。
「う、うう……」
出された朝食を前にエリザベートは顔をゆがめる。野菜中心の健康的な朝食。今まで肉ばかり、それも味付けが濃く、脂身が多いものばかりを口にしていたエリザベートには耐えがたい仕打ちであった。
鼻をつまみながら一口。苦い薬でも飲むかのように水で流し込む。涙目になりながら、息を切らしながらエリザベートは吐きそうになる。
「も~~~~~~~無理!」
突然エリザベートが天井に向かって雄たけびを上げ、席から立つ。
「朝昼晩ぜんっぶ野菜野菜野菜野菜! こんな生活続けてたらいつか死ぬわ! 肉を持ってきなさい!」
「わがまま言わないで食べてください。痩せれませんよ」
「知ったこっちゃないわよ! 私は肉が食べたいの!」
そう言ってエリザベートは僕に襲い掛かる。
「あんた、本当は隠し持ってるんでしょう⁉ さあ、出しなさいよ!」
「ちょ、おもっ。持ってないです! 持ってないから早くどいてください! 前も言いましたけど、お嬢様、汗かいた後ものすごい臭いですからね⁉」
軽く窒息死しそうになりながら抵抗するも、倍近い体重のエリザベートをひ弱なベストールが押しのけることができるはずもなく、野獣のような目でエリザベートは躊躇なく襲い掛かってくる。
「あらあら、相変わらず賑やかね」
僕とエリザベートがもみ合っていると食堂の扉が開く。奥方が入ってきたのだ。
相変わらずエリザベートは奥方に弱く、奥方の姿を見るなり我に返り渋々席に着く。命拾いした。
エリザベートはやはり野菜を口に入れることを躊躇し、涙ながらに僕と奥方を交互に見た。
しかし、奥方は笑うばかりで、僕は早く食べろと言わんばかりの視線を送る。そのため、エリザベートは鼻をつまみながらそれを胃袋に放り込むのであった。
これでもかなりの進歩である。初日は食べようとすらしなかった。まあ、結局空腹に耐えられずにその日の晩にはいやいやながらも口にしていたが。
「偉いわね。エリザベート」
目の前で食事をとる奥方はエリザベートに優しく微笑みかける。
エリザベートがダイエットを始めてからは奥方は毎日エリザベートと同じ時間に食事をとるようになった。
ちなみに、親バカの侯爵は「無理に嫌いなものを食べなくてもいい」とエリザベートを甘やかすため、奥方に怒鳴り散らされて食事の時間をずらしている。それでもたまに扉の隙間からエリザベートの様子をのぞき見している。
「エリザベート、これを読んでおきなさい」
そう言って奥方はエリザベートに一通の手紙を差し出した。
「これは?」
不思議に思いながらもエリザベートは手紙の内容を確認した。エリザベートの傍らで僕も手紙の内容を確認する。
内容は近々、遠方から伯爵家の一行が仕事でここ、クラウディウス家を訪れるというものだった。手紙の差し出し元はエインベルズ家。僕はその名に聞き覚えがあった。
作中には従順なふりをしてバカなエリザベートを陰から操り、主人公に嫌がらせをする腹黒悪役令嬢が存在する。その人物は伯爵令嬢、ニーナ・エインベルズ。
おそらくは今度来るエインベルズ家はその悪役令嬢の家だろう。
なるほど、このタイミングであの腹黒悪役令嬢とこの豚悪役令嬢は出会うのか。僕としてはできる限りこの人物とエリザベートの接触は避けたいのだが……。
「エインベルズ家にはあなたと同い年の女の子がいるわ。とてもかわいいくて、礼儀正しい子よ。エリザベート、あなたは同年代の女の子と話す機会が今までなかったからちょっと苦しいかもしれないけど、ママはそのこと友達になってほしいの」
やっぱりそう来るか。
奥方は本当の意味でエリザベートの幸せを願っている。エリザベートに友達がいないことも憂いていた。その人がわざわざこの機を逃す理由はない。
「わかりました! 母様!」
エリザベートはなぜか自信満々にそう答えた。こいつ、今の状態で友達ができると思ってんのか? その変に高いプライドをどうにかしてからものを言え。
とはいえ、エリザベートも八歳の子供である。子供とは無根拠に自分は物語の主人公のように当然のように人気者になれると勘違いしてしまうのだ。
こうなってしまった以上は仕方ない。何とかしてエリザベートとニーナが仲良くなるのを阻止しなくては。
幸い僕はお目付け役兼指導係だ。エリザベートの監視自体はそれほど難しくない。
「そういうわけだからベストール君、あなたはその日は非番とします」
「え」
思いもよらぬ奥方の言葉に思わず僕は声を上げる。いきなり計画が狂いだす。
「お、お言葉ですが、今のお嬢様では先方に粗相をしてしまうのではないかと……」
エリザベートの表情が一気に険しくなり、僕をにらみつけだす。
「なんですって⁉ ちょっと、あんた表に出なさい!」
うるせぇ、お前はちょっと黙ってろ! お前のために言ってやってんだよ!
「ベストール君。心配なのはわかるけど、友達作りまであなたに頼ってたらエリザベートのためにならないわ。こればっかりは自分で頑張らないといけないの。だからわかってちょうだい」
「う……ですが……」
「雇い主の命令よ。聞けないのかしら?」
「……承知いたしました」
僕が留飲を下げるとエリザベートは花が咲いたように顔色が変わり、不味いはずの朝食をさっさと食べきって風呂に向かった。
……どうしたもんかなぁ。
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