第九十五話 来訪者
そして朝が来て、稽古を再開する事にした。
レンジョウは、夕食の時も言葉少なめで、アリエル姫との会話の時も多少ぼんやりとしていた。
”ちょっと刺激し過ぎたかな。”と反省もしている。ちょっとだけね。
”けどまあ、本当に何しでかすかわからない奴よね。損な性格で、残念な所も多々あるけど、ここって時にはびっくりする様な成果を挙げる。でも、やっぱり基本は残念な奴だし。”
所在なげと言うより、魂が半分抜けている様なレンジョウの顔・・・。
”篭絡でもなんでも、できる事を全てやって、結果を出せたらねぇ・・・。”それはそれで立派なもんだし、褒められて当然の事なのに。
それを姫様への不義理や裏切りだと感じて、引け目やら後ろめたさやらを感じてしまう。
”もう、あらゆる意味で初心と言うか、擦れてないと言うか。極端に有能な唐変木ってこんな感じなんだろうか?”
真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐで、純粋で純情で多情多感。しかも、ひねくれ者の仮面を被り、時として気弱でもある。その姿に・・・
”それを可愛いと思ってしまうわたしは変わり者なんだろうか?”と考えて、ふっ・・・・と苦笑する。
「さあ、始めようか?」とレンジョウに呼び掛ける。発せられた声は自分でも意外なほどに溌剌としていて、そこにはとても強い精気が込められていた。
レンジョウも、ようやく気を取り直した様だ。「少し準備運動をする。」と言うと、ストレッチから始めて、彼が”シャドー”と呼ぶ型稽古までを手早く済ませた。
わたしの方でも、少しだけ準備運動をして、ハルバード訓練具を軽く使っておいた。
「待たせたな。」と、程なくレンジョウは運動を終えてわたしに合図を送って来た。
「じゃあ、始めるね。最初は反撃無しで行こうよ。」とわたしが呼び掛けたら、レンジョウは黙って頷いて身構えたのね。
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”これは・・・。”と思わず感心する。
「ほら、長柄にはこんな使い方もあるんだよ。」とシーナは下から斬り上げる攻撃と踝や足の甲を狙う仕掛けを連続して来た。
摺り足で逃げるのに限界が来た。俺は短距離を床に平行に飛んで逃げたが・・・。
「それは良く無いね!」と動作が終わってから言われたのだが、シーナはハルバードの柄を少しだけ余裕を持って使っていたのだ。
つまり、石突きの近くで手を添えていたのではなく、柄の尻から50センチ程も離れた場所に手があった。だから、瞬間に繰り出した片手振りは思ったよりずっと長く伸びて、危機を感じてから俺が床を蹴って本格的に逃げるまでの間に先端部分で俺の足首は見事に捉えられていた。
「踏み出そうとした瞬間に払われたんじゃ、それこそどうにもならないな。」俺は盛大に転倒してしまい、シーナに負けを認める事となった。
「初見の技ばかりだから、あんたは良く対応してる方だよ。」とシーナは言う。勝ち誇った様子は全くない。
武技に関しては、シーナは至って真面目だった。普段の冷笑的な態度や、皮肉屋な態度、口うるさい態度は全く見えない。つまりは、こいつも決闘者なのだ。
「次は猛攻で行くよ。途中で止められないから、当たったらそれなり以上に痛いね。あらかじめ言っておくけど・・・。」と言いながら矛先を下げて待ってくれている。
「いつでも良い。」と俺が言うと、シーナは矛先を上げて、捧げ筒の様に礼を行うと、そのまま旋風の様に襲い掛かって来た。
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「ちょっと・・・休憩しようか。」今日は流石に侍従のお仕着せではなく、稽古用の軽い胴着とズボンだったが、それでもかなり辛かった。
本人は余り自覚してないだろうけど、レンジョウの速度が根本的に人外のレベルなのが原因だ。
普通の人間相手の稽古なら数時間でも何とかなるが、彼相手だと歩幅も足の繰り出しも何割増しかで動かないといけない。振り回す武器も頻度マシマシ・・・それら全てが辛いのだ。
”弱音を吐く訳にはいかないけど、ちょっとキツイわ・・・。”
「わかった。」とレンジョウは短く呟くが、その言葉に感謝の響きが間違いなく含まれているのがわかる。とっても素直な態度じゃない?
「あんたとは、最初からこんな風に稽古から入っても良かったのよね。」と言うと「そうだったかも知れないが、何故そうしなかった?」と問われたので、「単にしごいて虐めてると思われるのが嫌だったのよ。」とわたしは返した。
「そんな風には思わないさ。俺も元の世界では、結構いろんな人たちにしごかれたんだ。それでへこたれていたら、今の俺は居ない。」レンジョウはそう言う。
「へぇ~!あんたをしごける様な強い人が、元の世界には沢山いた訳?ちょっと驚きよね。」と言ったら、「あんたが俺に苦労しているのは、この籠手のせいだ。生身だと、俺はあんたに軽く料理されてしまうよ。」と返事をされた・・・。
いつもながらだけど、本当に自己評価低いね、この男。
「あんた、謙虚なのは良いけど、それが過ぎると卑屈に見えるし、そんなあんたの態度が周囲の者達を困惑させるのよ。」と手厳しく決め付けてしまう。
「わたしも含めてね。でも、一番困るのは、何と言っても姫様なのよ?そこらはわかってる?」
最後はできるだけ優しく諭したつもりだったが、レンジョウは深く悩んだ顔をしていた。ああ、やんぬるかな・・・。
「わたしは、あんたに自分の行いについての正当な評価をして欲しいの。あんたの行動は、幾つかの点では驚異的で、ある意味では画期的で、見様によっては超人的な訳。それが誰にでもできる事です、偶然ですとか。そんな事を言われたら、わたしなんかゴミムシ以下のピーピー鳴いてる変な下等生物って事になるんだけどね。」気が付けば、わたしは自分の発する言葉にちょっと苛立っていた。
「ホント、あんた程の事ができていたなら、わたしは姫様の身柄を今までこんなに苦労して護る必要すらなかったと思うわ。わたしには、あんたみたいな渉外任務はできなかった。」
「ラナオンでもそうだったし、エルフ相手になんか鼻も引っ掛けて貰えなかったわよ。できたのは、議会で姫様が毎度吊るし上げられるのを何とかできただけ。糞みたいな連中が姫様を所望するのは傍観するしかなかった。けど、それすらもあんたが何とかしてしまった。」
「カオスの勇者達もそうよ。わたしに連中があしらえるとは到底思えないわよ。電光でローストされるのがオチよね。」そう、自分の無力や無能が悔しいのだ。だから、レンジョウに強く期待してしまうのだ。本人には迷惑なんだろうけど。
「つまりね、今のわたしにできるのは、あんたがフルバートに潜入して帰って来れるように、剣士対策を仕込む事だけなのよ。それが精々なの、悔しいけどね。」そう、悔しい。気が付くと、我知らず涙がこぼれていた。
「シーナ、済まない・・・。」レンジョウが謝って来た。けど、別に謝る必要があるのかなぁ。
「ホント、あんたって小心者よね。これが噓泣きだったらどうすんのさ?」と薄く笑ってみたが、「いや、その涙は本物だとわかっている。」とレンジョウは生真面目な顔で応えたのだ。
「・・・・・・。」わたしは絶句しながらレンジョウの顔を覗き込んだ。
「どうしたんだ?」とレンジョウは口籠る。
「あんた、本当に凄いわよね。天性のスケコマシな訳?」
「そんなつもりはない!」と大きな声を思わず出してしまう彼に、思わず微笑みがこぼれてしまう。
「そうでしょうとも。だから凄いんじゃないの?」と思わず嘆息してしまう。
その有様と、心の中に生じた感覚が共鳴して、思わず笑いが込み出て来るが、表面上は努めて真面目な顔を取り繕った。
「さ、休憩はここまで。次は”加速”あり、盾は無しで行こうか。本気で打ち込むから、怪我しても勘弁してよね。」
「わかった。」と短く返答したレンジョウの目にも顔付にも、真剣そのものの雰囲気が漂う。
鞘から長剣をスラリと抜いて、わたしはレンジョウに無言で、そして本気で斬り掛かった。
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「物凄いものだな、剣士の技ってのは。」俺は素直に感心した。
「お粗末さま・・・。」シーナは床に両膝を突いて、喘ぎながら返事をしている。
シーナはやがて、両手でも自分の身体を支えられなくなり、訓練施設の床に突っ伏す事となった。頭、顎、頭皮の全てから汗が噴き出て、床に水溜まりを作って行く。胴着の下はどんな有様になっているのやら。
「そんな事はないさ。それよりも、桶一杯の水で良いんだ。お前の身体を冷やさないと、熱中症で大変な事になる。」
稽古前に”命の水”の在処を確認していなかったのは不覚だった。
「シーナ、水が必要だ。お前の身体を冷やさないと、マズい事になる。わかるか?」と呼び掛けても、返事はなく、段々と身体がグニャリと重くなって来る・・・。
確か、この秘密の練習場の入り口に更衣室と、その奥に部屋があった様な。しかも、更衣室はここの場合は男女の区別すらなかったと記憶している。俺達は時間差で利用していただけなのだ。
「レンジョウ・・・。生きて・・・帰って・・・きて。」熱に浮かされたシーナは、苦し気だがどこか虚ろな顔付で、何と俺の事を案じて来た。
「無理しやがって、馬鹿女!」と罵りながらも、シーナの身体を抱き抱えて入り口の方に走り出す。扉が幾つかあるが、構ってなんかいられない。施錠してある扉を蹴り壊して行く。
そして見つけた。何本かの細長い水甕に入った大した事のない量の水と、その奥にある薄暗い浴場とも言えない、汗を流すだけの場所が・・・。
間の悪い事に、タイル貼りの水浴び場には水が張られていなかった。だが、タイルは初秋の気温で冷たいし、ここはそもそも地下にある空間で更に気温は低い。
くぼみの中にシーナを横たえて、水甕の中の水を上からぶっかける。着衣があった方が身体全体としては冷えるだろう。
後は、シーナが溺れない様に気を付けるだけ、効果はてき面だったが、シーナを苛んでいるのは身体の過熱だけじゃない。稽古それ自体が相当な無理の連続だったのだろうから。
幸いな事に・・・シーナはしばらくして意識を取り戻した。くぼみに張った水は、ぬるま湯に変わっていたが、シーナを回復させる役には立った様だ。
「レンジョウ・・・・。」とかすれた声で俺に呼び掛けたシーナは、それに続いて「後ろの扉を壊したの?あんた、本当に滅茶苦茶ね。」と小言を言いながら弱弱しく笑ってみせた。
「小言が出る様なら、もう心配ないかな?」と俺も軽口で応じる。
「わたし、倒れちゃったんだね。結局あれから一発も入らなかったし。わたしじゃ役に立たなかったかな。」と自嘲するように笑う。
「そんな事はない。お前以外では誰も俺に稽古はつけられなかっただろう。」
「ふふ。そう言って貰えると嬉しいわ。でも、あんたには心配掛けちゃったね。ドアを壊す程に慌てた訳なの?」薄くシーナが笑う。
「ああ、俺の世界では、あんな状態の者は早急に身体を冷やさないと死んでしまうってのが常識だったからな。お前が死んだら、長く寝込んだら、誰がアリエルを守るんだ?」
「生真面目にそんな事を言わないでよ。本当に、ヴァネスティから帰って来てからこっち、あんたのやる事なす事、全部心臓に来るんだからね。」白くなった顔がまた赤くなる。
「そうか。」と言うと、俺はシーナの額に手を当てた。「随分冷えた様だな。」とだけ言ったのだが、シーナはまた赤くなった。
「だからさ・・・。わたしは他の諜者みたいに・・・。篭絡に乗らない訓練はしてないんだからね・・・。」と訳のわからない事を言う。一体なんなんだ?まだ熱の余波が残っているのか?
「それはどうかとして、服の予備はないのか?後は身体を拭くタオルか何かが必要だろう。今度は寒さで風邪を引くのを用心しないとな。」俺が言うと、「入り口近くの棚に服もタオルもあるよ。悪いけど取って来て。」との事だった。
言われた場所には籠が置いてあった。中を見ると、ちゃんと畳んだいつものメイド服と眼鏡、下着もあるがそれは見なかった事にする。
籠ごと運んで、シーナのところに帰ると、シーナは水浴び場のところで、石造りのくぼみの縁に座っていた。何も身に着けずに・・・・。
俺が顔を引き攣らせて棒立ちになっているところに、シーナが声を掛けて来る。
「何か見苦しいものでも見てる訳?」と生真面目な顔でこっちを睨んで来る。まあ、口元は笑っていたが。
「いや、そんな事は決してないが、驚いている。」と俺も生真面目にやり返した。薄暗い部屋の中で、立ち上がったシーナの身体は白く光る様に際立った。
「せっかく紳士らしい身嗜みを身に着けて帰って来たんだから。更に努力して、貴婦人たちがあんたを付け狙うくらいに男を磨いてよね。」と言うや、「その第一歩。ほら、私の身体を拭いてよ。紳士らしくね。」と続けて来たが、声が幾分震えてるのが・・・。
見てみると、やはり顔は真っ赤になってる。
「紳士なんだから、女の顔を覗き込むんじゃないわよ。」じゃあ、見るのは身体に集中すれば良いのかとも思うが、それも不作法だろうし。
あんまり悩むのもどうかと思ったので、覚悟を決めてバスタオル準拠の布で身体を手早く拭い、身体に巻き付けた。
「あのさ、わたしはあんたに今までキツく当たって来た。召喚からその後もあんたは勇者らしくもなかったし、振る舞いも感覚もこの世界の基準から言うとずれまくってからね。でも、今は違う。」布一枚以外裸だからこそ、シーナは今までの態度も脱ぎ捨てて、果てしなく素直になろうとしている。
「俺はそんなお前の態度を不愉快とは思ってなかったさ。」俺はシーナを抱え上げた。「ほら、首に手を回すんだ。俺だけじゃなくて、お前も淑女として女を磨けよ。」と言うと、シーナは目を丸くしたが、言われたとおりに首に手を回して来た。
「ぐっと来るわね、この抱かれ方って。”プリンセス・ホールド”だっけ?」シーナはクスリと笑う。
「それで間違ってないな。」俺も笑う。
「重くない訳?」とシーナは幾分心配そうに言うが、「女は花束だ。どんな花束でも、俺は重いと思った事はない。」と応えた。
「ホント、こんな時だけキザよね。普段の不愛想なあんたとは大違い。その落差と、ダンディな顔付でエルフの女王を篭絡したの?」と笑う。幾分、嫌味ではなく・・・・これは嫉妬なのか?そんな成分が言葉に含まれている。
「いや、エルフの女王には訳があったんだ。俺の”魔法免疫”が必要だったし、男としての俺そのものが必要だった。彼女の父母が仕込んだ大魔法を解除するのには、男と女が対となって性魔術を行使する必要があっただけだ。その後に俺達がお互いに嵌ったのはオマケみたいなものかな?」
「あんた、報告でそんな事言わなかったよね?」と首に掛る力がマシマシになるが・・・。
「こんな事素直に報告できるかよ!」と言う俺の叫びに、シーナはニヤリと笑う。
「後はさ・・・寝物語で聞かせてよ。」耳まで真っ赤になりながら、シーナは幾分怯えた様な表情で言う。口元が僅かにこわ張っている。
「わたしは素直な女じゃないけどね。こんな事をあれこれ考えて言ってる訳じゃない。あんたを心から案じている。だから、姫様だけじゃなくて、わたしもあんたがフルバートから帰って来て欲しいと願ってるの。姫様だけじゃないのよ。わたしのためにも帰って来て。」
こいつの目って、こんなに綺麗だったかな。近視の女は目が綺麗に見えるって言うけど・・・。色の薄いヘイゼルの瞳が俺を見つめる。豊かなブルネットが水滴に濡れてほのかに光を照り返している。
「シーナ、俺の言う事を信じてくれるか?」と俺はシーナの瞳を覗き込みながら言った。
「信じてくれるかって、何をよ?」と、シーナは幾分慌てた様子で聞き返した。
「俺は・・・最初に塔の中でお前と会った、その日から・・・・。ずっとお前に惹かれていた。」と言いながら、俺はシーナの身体を覆う布を外して行く。
「これからの事は、秘密だ。」と言いながら、俺はシーナの唇を奪い、シーナの瞳を覗き込む。
「うれしい・・・。」と言う涙声の言葉に胸がズシンと揺すぶられる。
そんな俺達二人の出来事とは他所に、その日、俺の元居た世界からの旅人が再びノースポートを訪問していた。そう、鹿子木が、ちょっと予定を早めてやって来ていたのだ。
しかし、俺とシーナは、二人だけの秘密を、二人だけの空間で満喫していたため、彼の来訪は次の日まで俺達の耳目に入らなかったのだった。