第九十一話 聖なる者達の対峙
「さあ、しっかり頼むぞよ。」先代様に腕を取られながら、俺はアリエルの方に歩んで行ったが・・・その最中にとんでもない事に気が付いた。
「あんた、稲妻の籠手を触っても平気なのか?」俺は立ち止まって、声に出してそう言ったが、「その籠手は、お主に危害を加えようとする何か以外には、何と言う不愉快すらも与えぬよ。お主、自覚してなかったろうが、あのエルフ娘も平気で籠手で触っておったろう。」と言い返された。
「まあ・・・そうだったかな?」俺は普段からの自分の不用心さに、思わず呆れてしまった。
「じゃが、その心掛けは嬉しいぞ。我の無事を案じてくれたのじゃからな。」澄ました顔の先代様にそう言われて、俺は憮然とした顔で前を向き直した。
「そうやって、普通の態度で接してくれていたら、俺としてもここまで身構えたりはしなかったんだがな。」
けれど、先代様はニヤリと一瞬笑うと、その後はアリエルの方を向いて、スタスタと進んで行ったのだ。
「これは、白の大司祭様。お噂はかねがね。」と先代様は10歩ほどの距離からアリエルに大きな声で呼び掛けた。
「はじめまして、黒の魔女様。貴方様はお噂とは随分違っていると見受けます。いずれにせよ、わたくしの塔にようこそ。」アリエルは平静な様子で答え、「それにしても、良くぞお帰り下さいました。勇者様。」と俺にも声を掛けて来た。
「これなる勇者は、稀にみる紳士であり、世に聞かぬ程の豪勇の持ち主にございますな。我も道中は全く心配せずに過ごせました。」と礼を述べ、「故あって名は名乗れませぬが、”皆様”のお役に立てる事もあるでしょう。ただ、我にはいろいろとしがらみがありますのでな。それに関わる秘密もたくさんあって、様々な事どもを正直に話す訳にもいかないのが残念でございますがの。」と大魔術師相手に堂々と言い放ったのだ。
騎馬の蹄鉄が石畳を軽やかに叩く音が聞こえる。後ろから、シーナと・・・あれはバラミルだろうか?見た事のある顔の兵隊を引き連れている。
「では、立ち話が長いのもよろしくないでしょう。中にお入り下さいませ。」アリエルがそう促して、我々は全員塔の中に入る事とした。
「バラミルも隊長になって、塔内に入れる様になったか。」これも俺には感慨深い。全てシーマの取り計らいなのだそうだが。
「そこらは、後日に皆で話しましょうや。」とバラミルは満更でもなさそうだ。そう言えば、あの権力嫌いの相棒だったマキアスはどうしているのだろう?
バラミルは階段上の巻き上げ機のところで配置に就き直した。先代様、アリエル、シーナ、俺だけが階上に登って行く。塔の中段下でザルドロンが待っていた。
「勇者殿、おかえりなさいませ。そして、はじめまして、お客人。」と言うとお辞儀をする。
「賢者殿、お初にお目に掛ります。今後はいろいろと語り合う事も多いでしょうな。」と、先代様はザルドロンには結構好意的だが・・・何故だろう?何某かの理由が無いとは思えないのだ。
「さて、こちらがお客人のお住まいとなるお部屋ですじゃ。以前の迎賓室の一つを改造しましたのじゃ。」ザルドロンは手で指し示した。
俺の宛がわれた部屋と良く似ているが、ずっと広い。入り口と四方の壁全部に見た事のある様な、白魔法の標識だか何だかが浮かんでいる。
「素晴らしいお手前です。室内の調度も、施術された魔法も。この上ない。」先代はそう言うが「しかし、何故この配置に?」と先代はアリエルに問い掛けた。
「母の文献は見つかりませんでしたが。多分、この配置で黒魔法の浸食を抑えるために、結界を使ったのだろうと想像はできました。貴方様の正体は察するしかありませんが、多分ですがわたくしが魔術で召喚できる存在よりもずっと高位のお方なのでしょう。御役目持ちの存在ではないかと思料しております。」アリエルは問いにそう答えた。
「あんたは、やはり魔法で召喚される様な存在と言う事か。」俺はそう言ったが、「左様じゃな。お主同様に魔法で召喚される様な存在と言う事じゃ。」と切り返された。
「・・・・・。」
「まあ、お主の同類と言う事で今後は納得するが良い。」と澄ましている。
「それにしても、長年横になっておったせいで、座って会話をするのが億劫なのじゃよ。無礼を咎めずに置いてくれたら嬉しいのじゃが。」と、先代は疲れた様子で寝台に腰掛けた。
「どうぞ、お好きに寛いで下さいまし。」アリエルは即座に横臥の許可を与えた。
「助かるよ。」と言うと、先代は横になり、「次の仕事を片付ける手伝いがどうやらできそうになったの・・・。」と続けた。
「仕事とは、一体何の事ですか?」アリエルが皆を代表して聞いた。
「俺は、またフルバートに潜入する。そう言う事になったんだ。」俺はそう皆に告げた。
「理由は当然ある訳でしょう?説明お願い。」シーナが眼鏡を直しながら言う。強い興味を抱いた様子だ。
「彼女、俺達は”先代様”と呼んでいるがね。先代様は、フルバートにずっと封印されていたが、それは先代のカーリだった他に、フルバートにカーリが掛けた魔術を緩和する働きもしていたのだそうだ。それが今や封印の尖塔も消え、野放しになりかかっているらしい。」
「つまり、放置はできないのだろう。」
「少し詳しい説明をしよう。現在のフルバート市街全域の状況についてじゃ。」先代様は口を開いた。
俺達は誰もそれに口出しはしない。
「フルバートには、極自然と”闇の儀式”の魔術が掛けられている。それは、レンジョウには説明したが、フルバートがカーリの生まれ故郷だと言う事が大きく関係している。」
「アリエル姫の御両親は、その事を知っておったに違いない。あの尖塔は、最初からサリアベル姫をいずれ封じる場所と目して作られていたのだと、我は見ておる。」
「カーリは、サリアベル姫を最初から狙っておったのよ。我がカーリの寄生体として選ばれたのは、ほんの中継ぎに過ぎなかったと言う事。そして、我はカーリの支配にある程度抗う事ができたからの。奴としては、我は扱い難い困った身体でしかなかったのじゃ。しかし、サリアベル姫は違った。」
「彼女はフルバートの直系であり、かの街の支配者だった層の血を引き、カーリが発生した後の、あの街に漂う悪の瘴気が狙う恨みの焦点でもあった。アリエル姫には理解できるかな?」
「つまり、貴方様は故意にカーリに支配され、その目的を知ったと言う事ですか?」
”先代様”は、目を細めてアリエルを睨んだ。口元には僅かに不快を堪えるしわが見える。
「飛躍のし過ぎじゃ。我の問うておるのは、サリアベル姫の危険性と、現在のフルバートに巣食う危険の所在を理解できるのかと問うたのじゃ。あの街にはバルディーンの遺した二人の勇者が残留しており、二人ともが街の瘴気に冒されておる。」
「一人はスパイダー、死の恐怖と悪の誘惑に狂う者。もう一人は眠れる勇者であり、死の力を体現する半神である。それらを打倒せずには、フルバートの開放など不可能なのじゃよ。」
「あんたの願いは、俺がそいつらを打倒する事なのか?」
「それが必要な条件となるじゃろうな。あ奴等は、一人は悪を統括し、一人は死を統括しておる。それらの打倒は是非必要であろうよ。しかし、それだけではない。あの街と、死の力との接点を見出すのじゃ。」
「俺に魔法の素養なんか無い。知ってるだろう?」
「ほほ・・・・。何やら勘違いをしておるようじゃの、勇者殿・・・。」
「勘違いって何の事だ?」
「誰も魔法で何かをせよとは言っておらぬよ。お主は死を嫌う。何故じゃ?」
「・・・・あんた、俺の何を知っている?」
「それは言えぬな。しかしの、死を嫌う者と、死そのものの力と、お主等は争う様にできておるのじゃよ。」とそれはそれはニコやかに先代様は笑ったのだ。
「お主と、そこの大司祭様は真に似ておるのじゃ。己の無力さを知りながら、死に抗い、生ある者を助けずにおかれぬ身の上がな。」
と言って、俺とアリエルを交互に眺めながら、先代様は続けた。
「ここにおる者どもは皆、己の無力さを知りながら、運命や悲惨に抗わずにはおられぬ哀れな者共よ。」
室内の全員に先代様は視線を向ける。その迫力は到底人間のそれとは思えない。俺は冷や汗をかいているし、アリエルも同様だ。シーナやザルドロン等は呼吸すら変になって来て、時々喘いでいる。
「気後れ致すな。お主等のその悲しみも、無力でありながら足掻かずにおけぬ望みも、聞く者があると言う事じゃよ。」
「レンジョウ、我はお主の”〇〇〇”・・・。それをここで・・・う。ここに・・・・である。」
俺は強い精神的な衝撃を受けた。先代様の言葉が上手く聞き取れない。しかし・・・何かの変化が俺には宿った。
何かが、俺の理解できない部分に、理解できない変化を、誰かに加えられたと感じられる。
「あんたは・・・?」
「我は告げた。いずれ、その内容は腑に落ちる事だろう。我が”ここ”に居た事は、我の干渉の結果である。」
見れば、アリエルは両手を組みながら、わなわなと震えている。
「アリエルを除く、この場の全員が凡人でしかない。しかし、運命に導かれた凡人である。その事も後々に理解できるであろう。さあ、今日の会見はここまでである。ああ、それとな・・・。」
そう言ったかと思うと、先代様は寝台から起き上がって、アリエルに近付いて行く。
「汝にも・・・な。」先代様は・・・アリエルに顔を近付ける。その横で、シーナとザルドロンが緊張と疲労でくたばりかけている。
「欲しいか?抗う力が?」それだけを口にした先代様の目を見つめながら、口をパクパクと苦し気に開きながら、アリエルはそれでも決然と頷いた。
「勇者よ、お主に掛かっておる。」先代様は俺を見つめて言った。そして、寝台に戻り、「皆、お疲れであった。我は休む事にする。」と言い残して眠りに就いた。
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全員をレンジョウが先代様(仮称)の部屋から助け出してくれたのに、私もザルドロンも感謝するしかなかった。
「あのお方は、人の手にどうにかできるレベルの存在ではない様ですね。上手に隠蔽していたのでしょうが、ちょっと本気を出すと周囲の人間をその霊気で当ててしまうのです。」姫様はそう言っていた。
「儂はかなりキツい目に遭ったと思っていたが、事が終わってみると何事も無かったかの様じゃ。ほんに、不思議な事もあるもの。それにしても、あのお方の正体は何なのでしょうか?姫様には見当が付きますかな?」ザルドロンが言うが、姫様は黙って首を振った。
「あれは天使なのでは無いか?それも、アリエルの手にすら負えない様な大物の・・・。」とレンジョウが口にしたが、姫様は、それに対して普段では絶対にしない様な態度で応じた。
「レンジョウ様、それ以上はダメです!不敬なのです!」と、あろう事か、姫様が声を荒げたのだ。それには、レンジョウも驚いた様だったのか、それ以上は何も言わなかった。
「それよりも、これは土産物だ。エルフの森のな。」とレンジョウは告げ、大きな!大きな籠の中から、何かを取り出した・・・・。
「それがエルフのご馳走なの?」と私は震える声でレンジョウに問い掛けた。
「そうだ。ただ、これを最初に食べた日は、風呂に入らずには居られなくなる。理由はすぐにわかる。」との答えを得た。
「身体中の老廃物が徹底的に排出されるんだ。ちょっと汚いが、こればかりは仕方がない。」と言っていたが、食べてみない事には・・・。いや、すぐにわかった。
「これ、とっても美味しいですね!」とアリエル姫様が喜び、ザルドロンも美味を賞賛していた最中に・・・。
「この臭いは?」とザルドロンが言うや、私のお仕着せの服が何か所か皮膚から噴き出て来た毒物に汚され、生地がボロボロに腐食し始めているのに自分でも気が付く。
「ご心配なく。今までの戦いで相手に盛られた毒素です。」と返事をするが、皆の心配そうな顔は変わらない。多分、以前の刀傷の位置ばかりなので、間違いはないだろう。
しかし、止めに胸から肩全体に、怖ろしい臭気が沸き起こって来たのは・・・・。
「知らない間に、いろいろと毒を盛られていたんですね。」と諦めた様な声が自分の喉から出て来るのを抑えられない。
「これの残りはお前のものだ。明日以降の仕事の為に使うが良い。だが、今日は風呂に入って寝る事にしろよ。」とレンジョウが言ってくれた。「そうするわ。」と言い残して姫様に一礼して辞去する。
「・・・・・。」その時の姫様の表情が何とも堪えた。ほとんど泣きそうな顔でこちらを見ていたのだ。
「子供の頃から・・・なんだろうね。」そう、呟きながら考える。多分私は毒を盛られていたのだろう。
子供の頃から、誰かに少しずつ、気が付かないように。
家が没落して、使用人や家令、家宰、全員を解雇した。暇を取らせる際に、母の財産の一部をその者達に形見分けをしたが、あの人たちの中の誰かが、私を子供の頃から亡き者にしようと考えていたのだろうか。
”ここにおる者どもは皆、己の無力さを知りながら、運命や悲惨に抗わずにはおられぬ哀れな者共よ。”
自室に帰り、着替えを見繕い、風呂を目指す。これで全部過去の厄を落としたのだと前向きに考える事としよう。ドロドロのお仕着せの残骸を見ながら、そうひとりで納得する。
もう、これ以上は一歩も退かない・・・そう密かに決意しながら、酷い臭いを敢えて無視しながら、私は塔の中を進んで行く。結局風呂に入れたのは、それから30分ほども後の事になったが。
水も湯も、高い塔の上では急な調達が難しいものなのだから。