第九十話 こいつは誰なんだ?
晴れがましさは全くない。単に剣士団が巡回に出て帰って来た。ついでに馬車が入って来た。その程度の動きしか俺達の使節団は現していなかった。
「いや、俺はこれで問題ないと思うがね。」同じ馬車に乗っているカイアス隊長にそう話しかける。
「それにしても、この方は・・・・。」カイアス隊長は疑問に思っている様だ。
年配の黒ずくめの美女が目を閉じて横たわっている。少し異様な光景ではある。
「触れぬが吉だぞ。俺からの忠告は以上だな。」
「はい、わかりました。」彼は素直に頷いた。先代もカイアス隊長には何を話し掛けようともしない。
馬車の横の足場に出ると、ノースポートの城壁と、アリエルの住む魔術師の塔が遠くに見えていた。ようやく帰って来たのだ。ただ、いろいろと考える事は多い。
何よりも問題なのは、今やフレイアやアローラと言う恋人達ができてしまった事。これは大きい。
フレイアとアローラは俺とアリエルの間に入り込んで、今や絶望的な程に大きな壁を作り上げてしまっている。フレイアの意図とは反対に、彼女達はアリエルの最強の恋敵となってしまった。
世界の破滅を回避する為のやむを得ない”作業”だったとは言え・・・・。その後に俺自身が彼女達に嵌り切っていたのは間違いない。
アリエルに抱いていた淡い恋心をどうすれば良いのか。
決まっている、二股どころか三股の修羅場になる。だから諦めるべきなのだろうが、どうしてもあの世間知らずでありながら、芯の通った大司祭である姫君を忘れられない自分が腹立たしい。
そして、この奇妙な状況をどう整理すべきなのか。
正体不明の先代様と現在のカーリであるサリアベル姫。今のこの状況を予見していたと言うアリエル姫の父であるバルディーン。それらの繋がりがどうしても理解できない。
この様に、俺の周囲には最低でもこれだけの疑問と問題がある。
そして、多分、これらの問題は自分では何も理解できないし、解決できない問題なのだろうと言う事だ。いや、ぶん殴るだけで解決する問題なら、もちろん俺の出番なのだろうけど。
そんなこんなを考えている俺の横では、カイアス隊長が所在無げに座っている。
「ところで、剣士団の隊長に昇格したそうだな。おめでとう。」まあ、このくらいは常識的な挨拶だろう。
「レンジョウ様の引き立てあっての事です。無産階級の者が、こんな顕職に就任する等無かった事でしたから。」隊長は恐縮してそう言う。
「言ってなかったかな?俺も元はあんたと同じ無産階級みたいな身の上なんだ。けれど、普通に勇者とかやってるんだけど?」それに対する隊長の反応は・・・・。
こっちを見ながら、驚愕の表情なのか?アングリと口を開いて、パクパクと呼吸している。
「別に俺を馬鹿にしてる訳じゃないんだろうけど、そんな顔はしない方が良いぞ。」とだけ忠告して置いた。
「すみません、肝っ玉が据わってなくて。」
「別に良いけどな。そんなに驚いたのか?」と聞くと、「仰天してしまいました。」との答えだが・・・。
「私は諦めながら生きて来ました・・・。」カイアス隊長は小さく呟いた。
「身分も財産も足りない者には、一生温かい飯は運ばれて来ないのだと思っていました。」
「下働きに甘んじ、剣も与えられず、鎧を着る事も無い。ただ道を毎日作り、日銭を稼いで、家族を養うだけだと。」その呟きは、段々と小さな声から大きな声に変わって行った。
「今では、戦死する危険は増えましたが、それでも手柄を建てて成り上がれるのだと言う実感を掴んでいます。」
「エルフ達は長く生きるが、怖ろしい程に勇敢で無謀な種族だった。あんたは彼等より早く年老いて死ぬが、それまでの間に手柄を建てれば良い。後進はアマルとハルトみたいな連中がこれからは増えて行くだろう。そいつらを頑張って育てるんだ。」
俺も隊長とそれ程変わらない年齢だから、言葉は実感を伴っていただろうと思う。
「しごけばドンドン強くなる若い連中が羨ましいですよ。」隊長はそう言って笑った。
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その時、恐れていた事が起きた・・・・。
「お主、すぐに外に出るのじゃ。」先代様が突然口を開き始めた。
「なんだよ、もう少しだけ黙っていられないのか。」と言う俺の言葉を遮り、
「お主の大切な者が狙われておる。城門の上に行くのじゃ!」と言う突飛押しもない言葉。予言か?
俺は迷わなかった。マントを掴んで背中に掛け、首元を締めて透明になる。そして、空中に飛び上がる。
「勇者様!」とカイアス隊長の声が聞こえるが、それは無視した。
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城門まで後200メートル少しか?俺はその間を一気に駆け抜けた。
城門の上・・・・なんだ、あの数名の兵士は?
その兵士たちは、射撃戦用の大きな木の盾を立て掛けていた。重いクロスボウを装填する間、その陰に隠れる為の遮蔽物だ。
連中は、それを自分達の近くに立て掛けながら、城壁の内側をじっと見ているのだ。遠くから数騎の騎馬がやって来る。目立つのはストライプの入ったローブを着た女と思しき人影、もう一人は侍従のお仕着せを纏った剣士・・・多分シーナだろう。
俺は男達の声を聴いた。「来たぞ・・・・。」「準備は良いか?」二人がクロスボウを手に持って構え、もう二人は鉾槍を構えて左右を窺っている。
「外すなよ。」と小声で合図を掛け合っている。間違いないだろう。こいつらはシーナを暗殺しようとしているのだ。城壁の高さは15メートル程、最短の射距離は30メートル以下になるだろう。
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ガシャンと言う凄い音が聞こえた。見れば、城壁の上で眩い青い光が走り、甲冑姿の兵士の腕が気味悪い音を立ててへし折れるのが見える。
「あれは?」と声を挙げるが、それらの騒ぎはものの数秒で終わったが、その後は更に理解しがたい展開となった。
気絶した兵士の身体が、城壁の上から階段の上に浮かびながら、こちらに近付いて来るのだ・・・。
やがて、兵士は城壁の下に辿り着き、誰かに投げ出された様に地面に転がった。
「こいつはお前の事をクロスボウで狙っていたんだ。」と、どこかで聞いた様な声が聞こえ、マントを羽織った男が空中から姿を現す。
「レンジョウ?」と問い掛けるが、本当に間抜けな声しか出なかった。
「驚かせて済まないが、説明している暇が無かった。」何時もの様に面倒くさそうにレンジョウが口を開き、目も合わさずに兵士の方を顎で指し示した。
「まあ、あんたらしいと言うか。もう少しで良いから、他人の誤解を招かない行動を心がけて欲しいわね。」と常日頃からの努力も虚しく、勝手気ままな勇者についつい小言を言ってしまうのだ。
「すまないな。とにかく、事情はそう言う所だ。」
「心配してくれてありがとう。」と言いながら、アリエル姫謹製の装飾具を手でいじる。これには弓矢を防ぐ魔法が常時発動するように仕掛けが付されているのだが・・・・。
「とにかく、お帰りなさい。私はともかくも悪運強く生き延びてたわ。貴方もいろいろあったみたいだけど、無事帰って来たのね。」と言いながらレンジョウの顔を見たが・・・。
何かおかしい。違和感が半端じゃないのだ・・・・。こいつは誰?と思ってしまう程に違う。
「あんた、一体何があったの?本当にレンジョウなの?」とつい大声で聞いてしまう。
「俺がどうかしたのか?」とレンジョウは怪訝な顔付で聞き返すが。ついつい、その顔と表情と立ち姿に目が釘付けになってしまう。
それは、そこに居たのは。あの拗ね者で、どこか子供みたいな所があったゴロツキではなく。
ビックリする位に色気のある、落ち着いた佳い男だったのだ・・・。
前までのギラついた、威嚇的な雰囲気は何処へやら。良い意味で脂っ気の抜けた、実にサッパリした顔付で、それが元来の男前を何枚も上げている・・・。
つい、喉が音を鳴らしてしまう。
「城壁の上の連中とこいつは任せた。俺は馬車に戻る事にする。」そんな私の内心にレンジョウは全く気が付いていない様子で、それだけを言うと、また透明に戻って去って行った。様だ・・・。
「お姉ちゃん、どうしたの?ボーっとして?」とシーリスが聞いて来たが、私はしばらく馬の上で放心した様になっていた。
「ちょっと驚いただけよ。まさか、あんな風に変わって帰って来るなんて。思ってもみなかったわ。」頭がまだクラクラする。
まさか、あのガサツなレンジョウに見とれる日が来るなんて。そう思うと、自分の不覚に腹が立ってしまう。けれど、それ位に彼は変わっていたのだ。そう、素敵な方向に。
「ふーん。」シーリスはわかってない様で、何度も首を傾げている。「お前、ちょっとは男見る目を持ってないと、将来大変だよ。」とだけは言っておく。
「私は姉さん一筋だから、男は要らないの。」
そう言うシーリスに何か違うと感じてしまう。あれがわからなかったら、女なんかやってられない筈なのに。
けれど、シーリスは不思議な物でも見る様な表情で、私の困惑ぶりをスルーしていた。
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「片付けて来た。」俺はそれだけを言うと、マントを外して席に着いた。
「不要な事だったかも知れぬが、万が一もあるし、衛兵の中に紛れ込んでいる奴等は一人でも減っていた方が良いじゃろうからな。」先代はそう言うが、何故あいつらの事を知り得たのだろうか?
「どうやってこの事を知ったんだ?」
「あ奴等は”不当な死”を他人に与えた。そう言う輩の所業は、我にはわかるのよ。」
返答を期待していなかったのだが、まともに聞こえる返事が返って来た。
「不当な死?」
「ああ、そうとも。寿命でも病でもなく、事故に遭ったのでも、捕食された訳でもない。お互いに武器を持って戦った結果の死でもない。そんな死は不当なのじゃよ。」
「つまり、虐待や遊びで人を殺したなら、あんたにはわかるって事か?」
「わかるさ。どんな世界であれ、そこに死が存在しているのならば、我はそれを司る者となるのよ。」
「このお方はどなたなのですか?」カイアス隊長は言い知れぬ不安を抱いている様だ。
「”知らぬが仏”と言う諺が俺の住んでいた世界にはあったがね。あんたも余計な事は知らない方が多分幸せだと思うぞ。」これは俺の心からの忠告だ。
隊長は無言で頷いた。
「ノースポートに入り込んでおっても、所詮はフルバートの者じゃからな。どうしても人殺しをしないではいられないのじゃろうよ。カーリの呪いはそれ程のものなのじゃ。」
「なんだって?」この女、聞き捨てならない事を口にした様な。
「”闇の儀式”と言うマナを産み出す魔術があるのよ。人や獣の苦痛や恐怖、無念などを収束させて魔力とする術じゃ。」
「フルバートの者共は、知らぬ間にその術に毒されておるのよ。そして、我が去った故に、今後は更に悲惨な事態が頻出する事であろうがな。」
「だから、俺に行けと言うのか?」
「そうじゃ。今は詳しくは言えぬがの。お主はまたしても、数日の間にノースポートを去る事になるじゃろうな。」
「・・・・・。」俺は黙って考え事に耽った。
情けない事に、俺はアリエルとの距離を保つためには、その方が良いのではないかと思い至ったのだ。
「ロクなもんじゃないな、俺って男は・・・。」小さく呟いて、俺は溜息を吐いた。
「さあ、門を潜り、都に入ろうぞ。魔術師の塔の中で、今後の詳しい打ち合わせもせねばならぬ。」
シーナの暗殺を企てていた兵士たちは連行されて見えなかったが、城門付近は未だに衛兵たちが集まって通行を止めており、俺達はしばらく経ってから迎えに来たシーナと共に壁の内部に入る事となった。
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”何と言う事だ!あのシーナめはピンピンしている!”
出迎えにシーナがやって来る事はわかっていた。
だからこそ、至近距離ならば”守護の風”を突破する可能性が高い強力な魔法のクロスボウを都の外から運び込んで配置した筈なのに。それをもって、一撃で殺害する段取りだったのに!!
狙撃手達はどうしたのだ?捕まったか?あるいは警戒を恐れて暗殺を躊躇ったのか。
どちらにせよ、シーナは生きている。これは間違いない事だ。事前に計画が露見したのならば、自分の身柄も危険になるだろう。
しかし、今の体調では杖をついても、子供程度の移動速度でしか動けないのだ。
のしかかる様な不安を噛み殺しながら、アリンザは馬車に揺られて壁を潜った。
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「これは凄い代物ですよ・・・・・。」バラミル隊長が魔法のクロスボウを片手で差し上げた。
「どんな付与が為されているのかしら?」私は彼に聞いてみた。
「炎と稲妻の両方が付与されていて、威力はおそらく最大近くまで上げられているのではないでしょうか?命中に修正はない様ですが、近くを狙うなら十分に命中していたでしょうね。」との事。
「試し撃ちで、遠くの野原が凄い事になりました。」
「レンジョウが助けてくれなかったら、あるいは危険だったのかもね。」
「おう、遂に勇者様がご帰還ですが?どうせなら、パレードみたいに着飾って、馭者台の上で手を振るくらいの愛嬌が欲しいですね!」
「あの男が、そんな真似をし始めたら、本物かどうかを疑うべきよね。」
「虚飾や虚栄とは無縁なお方ですからね。晴れがましいのも大嫌いな印象があります。」
「あんたは人を見る目が達者よね。そのとおりよ、おまけに偏屈だしね。」と言いながら、レンジョウが民衆に手を振る様を想像して、思わず笑ってしまう。
「あれですね。うん?なんだ、かなりチグハグですね。色が塗られていない部分が何故あんなに多いんでしょうか?」
「元は塗ってあったのよ。また襲撃を受けたみたいね。そして、エルフ達がそれを修繕したけれど、エルフに木板を塗装する文化は無いから、剥き出しの板になってるんでしょうね。」
「メソ・ラナオンに向かう時に襲撃され、次はヴァネスティに行く途中に襲撃を受けたと。」
「御覧なさい、あの馭者の剣士達も随分と鎧が凹んだりしている様ね。」
「あれはファルカン坊やですね。良い顔つきになって帰って来たじゃないですか。」
なるほど、使節団の一人であるファルカンだが、これも別人の様な変わり様だ。なんとはなしに、レンジョウの変化と重なる何かが感じられた。
「しかし、なんでまた鎧戸を降ろしたまま街中を走ってるんでしょうね?」
「わからないけど、理由はそれなりにあるんでしょうね。」中に超弩級の危険人物が乗っているらしいとは、流石にバラミル隊長にも教えられない。
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「さあて、我も準備せねばならぬな。」と言うや、先代様は身体を起こした。鞄の中からブラシを取り出して、髪の毛を整えて行く。
驚くべき事が起きた。ブラシで梳かれた先代様の髪の毛は、眩いばかりに輝き・・・・。
一体こいつは誰なんだ?死の使者であり、死を司る者である。そう本人も言っていたし、実際にそう言う代物なんだろう。
だが・・・・。だが、そんな代物が、何故こんな輝きを放つのだ?
横に座るカイアス隊長等は、俺の服の袖を掴んで震えている。
服こそ黒ずくめの怪しい姿だが、あの頭の後ろに見える輝きは一体全体・・・・。
あんなのは、俺の知識の中にある限りでは・・・。
「余計な事を考えるではないわい。」
その言葉と共に、後光に似た何かはフッと弱まり、微弱な金と白の混じった光が先代の身体を包むだけになった。
その光に似た何かを俺は間近で見た事がある。そう、フレイアの纏っていた緑色の光と、色こそ違え、それは同一の何かだったのだ。
「さあ、これで白系統魔術の使い手と会見する準備はできたであろうよ。さあ、腕を出すのじゃ。」と先代様は俺に命じた。
「年配の女であっても、エスコートしない法はなかろう。」先代様に見つめられて、俺は言われるままに俺は馬車の中で立ち上がり、左腕を差し出した。
先代様は俺の腕を掴んで立ち上がる。その時、馬車は停止した。目的地に着いたのだ。
”こいつは誰なんだ?”その疑問は尽きない。しかし、それを詮索するよりも先に行うべき事があった。
「降りよう。」とカイアス隊長に声を掛け、扉を開いて貰う。濃厚な磯の香りが向かい風に乗って押し寄せて来る。
「帰って来た。」思わず呟くと、「そうじゃ、立派に使命を果たして帰って来たのじゃ。」と先代様が声を掛けて来た。
「ほら、お主を待っていたお方が現れたぞ。」と言うや、塔の基部の階段が降りて来て、やがて白い服の女性が姿を現す。先代様がギュッと俺の腕を握った。
「行きましょう。」丁寧に声を掛け、俺は彼女をエスコートして階段に向かって行く。
俺とアリエルはお互いにジッと相手を見つめた。
安堵、思慕、希望、羞恥、躊躇。様々な感情がその立ち姿と瞳に見え隠れする。
「ただいま帰りました。」俺は深く一礼して、先代様と共に彼女の方向に歩いて行った。