第八十八話 使節団最後の夜
「では、我々はここまでで失礼致します。道中は後僅かですが、お気を付けて。」ドラナーはそう挨拶して去って行った。
また会いましょうと言わなかったのは、その場所が戦場である可能性を思い浮かべていたからだろう。
「本当に世話になった。あんたの事は忘れないよ。」と俺が丁寧に腰を折って挨拶すると、ドラナーは恐縮した様子だった。
「騎兵隊の諸君もありがとう!君達の無事と健康を祈っている!」俺は騎兵隊には、拳を振り上げて激励の挨拶を送った。
「レンジョウさん、お元気で。」彼等もそう挨拶して、馬首を回す時に手を振って来た。後は馬蹄の音と土埃が残るだけだ。
「あの人達、それなり以上に立派な人達だったよね。フルバートって言っても、全員が悪い連中じゃないんだ。あたしもちょっと考えを改めないとね。」馬車の中でアローラはそう俺に言ったものだ。
「そうだな、アローラは嫌いな連中には凄く暴力的なのが玉に瑕だな。」と少し意地悪をすると。
「あー!そんな事ないよ。改めるよ。」と俺の手を取って振り回して来る。
「ホンに仲が良いのぉ。ほほほほ。」
「寝てたんじゃ無かったのか?」都合の悪い時だけこいつは声を発して来る。
「面白そうな事があれば、神様でも引き籠った場所から出て来るのじゃろ?」
「それは俺の生れた国の神話伝承だな。ますます、お前は何者なんだ?」
「何度も言わせるな。いずれわかるのじゃと。」
「・・・・・。」こいつはマジで、俺の怒らせ方を熟知している。
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「もう季節は秋だね。」アローラはご機嫌に俺に話し掛けて来たが、そこにまた・・・。
「春は幼女、夏は少女、秋は婦人、冬は老婆。季節とは、一年毎に時が生れて死んで行く過程で表現される。エルフには幼女と少女は居て、婦人も居るが、老婆はおらぬのよな。」
「あたしは老婆とかお爺さんも好きなの。あのさ、ノースポートには賢者のお爺さんが居るの。優しくて、物知りで、深く物を考える素晴らしい人なのよ。」アローラは普通に先代に答えた。
「左様か。お主も見所があるの。なるほど、だからこそ、お主はレンジョウとお似合いなのやも知れぬな。」
「あんた、あたしに対して、初めて良い事言ったんじゃない?」とアローラは相手が何かを忘れて上機嫌になっている。
こいつ、あらゆる意味でチョロ過ぎる・・・・。
「アローラ、お前そいつに思いきり空気入れられてるの、わかってるか?」と俺は言ったが、
「いや、我は本気で言っておるのじゃよ。」とマジな顔で先代から見据えられて、俺は気圧されて参ったし、アローラは本気で真っ赤になっていた。
「まあ良いわ。お主等は見所がある。要約はそれで充分じゃろうよ。」何か、助けて貰った気分なのが癪だが、こいつにはそもそも勝てそうにないし・・・都合の悪い事は無視だ。
「お主の一番の見所と言えば何だと自分で思う?」先代は俺を見つめた。
「ご指名ありがとう。だがな、そんな事を自分でわかってる奴は少数だと思うし、それを口にする奴はナルシーな輩だけじゃないかと、俺は思うんだ。」
「あたし言ったよね。レンジョウは他人の為に一所懸命になるのが凄いって。エルフの兵隊達もあたしと同じ事を感じたから、レンジョウの事を認めたんだと思うよ。レンジョウは口で言わないけど、行動で示すんだよね。」
「ほう・・・。」
「おい、アローラ。こいつに要らない事を言うのはよせ。」
「うーん。でもさ。この人は何かを言いたいんだよ。それなのに、殊更に無視するのも良く無いんじゃないかな?いろいろな意味で・・・。例えば、もう一度、黒魔術を使い始めるとかされたら・・・。凄くマズくない?」
「・・・・・。ああ、それは困るな。」多分、今の俺は酸っぱいモノを食べた様な顔になってるんだろうな。
ニヤリと先代は笑った。こいつ、超悪趣味なやり口で、俺に教育を施してたんじゃないか?そう思うと、怒りと悔しさと悲しさが混じって身体が熱くなった。
「つまり、レンジョウは自分ではなく、他人が傷付けられるのが我慢ならんのじゃな。」
「・・・・・。」
「そうだと思うよ。あたしはそうだと信じてるよ。」
「立派な心根だと思うぞ。その心根を大切にするが良いぞ。」
「それと同じ事を言ってた爺さんが居たな。そいつは、あんたの事で俺達を丸め込んだんだ。次回は、そいつに今回のあんたの分も加算して付けを払わせて置くさ。」
俺は両拳を打ち付けて言葉を吐き出した。八つ当たりだが、それが悪い事だとは全く思えなかった。
「ああ、あの矢を全部曲げてくれたお爺さんね。同じお爺さんでも、ザルドロンは好きだけど、あの人は嫌~ぁい!次に会ったら絶対仕返しするのよ!」
「哀れな奴もいたものよな。ところで、アローラ嬢ちゃんや、エルフは死について真面目に考える方なのかな?」
アローラはちょっと考えて、「ううん。仲間も自分も死なないと思ってるエルフが多いわね。だから、誰かの死に直面すると凄く怒るし、悲しむし、無謀になるわ。ある種のパニックみたいな感じかな。」
「そうか、エルフのあの無謀さはある種のパニックなのか・・・。士気が崩壊すると、生命にしがみ付くんじゃなくて、無理にでも死に抗おうとする訳なんだな。」
「ほれ、見よれや。レンジョウは他人の死や痛みの事となると、普段の鈍感さは何処へやら。一気に敏感な男に早変わりじゃ。」
「ほっとけ!こいつ、マジで何処までムカつくんだよ!」
「だから、レンジョウ。そう言うとこが、先代さんからしたら揶揄い易いとこなんだわよ。」
「ほっほっほ。まあ、それは置いておこうさ。我の見るところ、お主は”死と戦い、抗う宿命”に生まれついておるのじゃよ。誰よりも辛酸を味わい、同様の辛酸が誰かを襲うのが我慢ならない。いやさ・・・それを目の当たりにする事こそが、お主の心と魂を傷付ける最大の恐怖なのじゃろうて。」
俺は、それを聞いて何も言えなかった。
「幸いな事に、お主には抗う意思と動機が有り余っておる。その力となり、加護となり得る運命の出会いも待っておる。心のままに生きて行く事じゃな。そして、決してこの地であった事を忘れぬ事じゃ。誰と出会い、その者がどの様な者であったのかをな。」
「それは・・・・。」「いずれわかる。」
先代は俺の言葉に被せて言い、疲れたから眠ると言って目を閉じた。
先代はもう”怨霊”を呼び出さなくなった。俺もその後すぐに目を閉じて眠った。済まない事だが、アローラはその間起きてくれている。
小さな手が、俺の髪を梳き、頬と顎を撫でている・・・のがその夜の最後の記憶だった。
****
ほぼ日中の全てを馬車は進み続ける。
「後2日で到着だね。」アローラが俺に話し掛ける。
「そうだな・・・。ようやくだ。」
俺はしみじみとそう答える。早足で駆け抜けたトラロックとの会見に比べて、エルフの森での出来事は恐るべき密度で・・・。
「実はね、あのマント、わかるよね?あれも、そっちの鎧櫃の中に入れてあるのよ。あれは、レンジョウが使えば良いんじゃないかな?」
アローラはそう言うが・・・。もしかして・・・。こいつ、フレイアにも黙ってマントを持ち出して無いか?
だって、マントの事は、目録の中に無いんだよ・・・。アリエルに渡す筈の目録の中に。
「なんでだ?」
「だって、チンタラ歩いてって事だと、レンジョウの行動範囲が狭くなるじゃないの。それは嫌なのよ。」アローラはモジモジしている。
「つまり、嬢ちゃんは、お主にそれを使って会いに来いと言っておるのじゃよ。そこは察するのが男じゃろうて。」と先代に突っ込まれた・・・。
稲妻の籠手の加速と加えれば、このマントの”飛翔””移動力向上”は、鎧の速度追加と加えて、恐るべきスピードを実現できる。
ノースポートからフルバートまでの400キロ程、フルバートからヴァネスティまでの300キロ程。その気になれば全速で9時間程なのか・・・。全速なんか出した事無いが。
「わかった。俺の物って事で、有効に使わせて貰おう。」
「うん、そうして!」アローラは大喜びしている。
「我もノースポートに到着したならば、いろいろとしなければならぬ事が多いの。」
「例えば、黒魔術を使うとか?怨霊を呼び出すとか?衛兵の魂の本性を暴いて半獣人に変えるとか?」
「まあ、それらは座興としては優れておるが、我の求めるモノとは程遠いのぉ。」
「ロクな事じゃないんだろうがな。アリエルには迷惑を掛ける事になるだろうさ。」
「お主、まだわかっておらぬのか?」先代は少し驚いてる。
「何をわかってないって言うんだ?」俺は何故か額が汗ばむのを感じた。
「うん、あたしもちょっと驚いてるね。この先代さんが、わざとあんなことをして、フルバートから厄介払いされたがってたの。本当に薄々でも気が付いてなかったの?」アローラにも驚かれてしまった。
「え?」驚く俺を後目に、先代とアローラは顔を見合わせている。
「まあ良い。この男はそう言う男なのじゃよ。お主達女どもで支えてやらんとな。喧嘩騒ぎの強さと男気では無敵なんじゃが、それ以外は今一つと言う所かな。」先代がふふっと嗤う。
アローラも黙っている。
「もしかしてだが、お前はカオスの国の勇者達も俺と同じ様に揶揄っていたのか?」
ふと思い当たる事があって、そんな事を尋ねてみた。
「ああ、連中も同様じゃな。我が目を見開いて”死の使者に死を与えよ。”と叫んだら、その後に何が起きるのかをいろいろと考えてくれた様じゃし。頭が良すぎても、結局は誰かに操られる運命にあるのよな。つまり、素直が一番なのじゃよ。」と言いつつ、高笑いし始めた。
容赦ない言葉の暴力と悪敏過ぎる先代のやり口に、俺は凄く重たいものを肩の上に感じたのだった。
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とまあ、こんな感じで疲れる会話が繰り返された。
俺は途中で何度か驚いたが、アローラは実に敏く賢く、緻密に物事を考え併せる能力が高いのだ。
エルフの軍勢の指揮官でもあるのだから、馬鹿に務まる訳はないが、それにしても立派な思考能力と言える。幼い口調とは裏腹に、大人顔負けに物事を理解して、事象を把握しているのだ。
「さあ、お主が恋人の素晴らしさを再確認したところでだ・・・。」いや、待て・・・。
横を向くと、アローラは顔を赤らめている。前を見ると先代様が首を傾げている。
「お主ら、どうかしたのか?何か我は間違った事を言うたか?」
「・・・・・。」
「それだけ好き合っておって、他の誰かからわからぬ等と思うのかよ?他人様を馬鹿にし過ぎじゃな、お主ら二人とも。」先代に呆れられた。
「・・・・・。ほら、お前の言いたかった事はなんだ?」これが後1日半続くのか・・・。肩こりが凄い。
「ああ、そうするさ。知ってのとおり、我は基本的に不死身じゃが。」
「おい!そんな事知らないぞ。」
「うーん、尖塔があれだけ倒れて壊れてたのに、先代さんが無傷で街中を歩いてた時点であれ?って思ったけど。」
「お前、やはり、あの尖塔の残骸の下敷きになってたのか?」俺は目を丸くした。
「そうじゃよ。我も再生能力とその他諸々を普通に備えておると考えてくれれば良い。まあ、それ以上のモノではあるが、その程度の理解で良い。」
「そうだよな。服まで血も泥も付いてなかったもんな。単に再生能力じゃない訳だろうさ。」と俺も得心するところがあった。こいつに常識を当て嵌めても虚しいのだと。
「話の続きじゃ・・・。」はぁ・・と溜息を吐いてから「我の不死身の力が尽きた時、この世に死の禍が吹き荒れる事になる。」
「お前、とことん問題のある奴だな。そこらを何とか改善できないのか?」
「これでも改善されたのだがね。」
「それで改善されたのか?」
「実際、我の自意識と思考経路が、この肉体と乖離してしまってたのじゃよ。お主等との接触で、ようやく何とか自律的に行動できるまでに回復したのじゃ。つまりは、本能的に自分の力を揮わない様に自制が可能になったのじゃ。」
「俺達との接触で?」
「どう言う意味なのって、それもいずれわかる訳?」
「お嬢ちゃんの言う通りさ。」
「ただ、我の事を十分に理解するまでには、随分と遠回りもあるだろうし、時間も掛かるかも知れないね。」
「良くわからんが、ノースポートでは、アリエルに迷惑は掛けないと言う事か?」
「可能な限りはね。そうさ、努力してみるよ。で、本題だね。早く神聖な白魔法に基づいた結界の中に我は帰らねばならぬ。用意はできておるのか?」
「うーん、できてる筈だね。”浄化”の結界は瞬間で作れるし、”邪悪からの防御”も多分今頃できているかどうかって頃合いかな?」アローラの言葉に先代は大喜びした。
「よろしい。その中でなら、我も満足できるであろうよ。」
「聞いて良いか?」
「何か疑問でもあるのか?」
「何故お前が白魔法に基づく結界に戻りたがるのかだ。」
「それは先の楽しみにしておるが良い。今は我を・・・そうじゃな、幽閉する準備ができた事を喜べば良いのじゃ。」
「誰であろうと、女が長年拘束されたままだと可哀想と考えていた俺って、本当に道化者だな・・・。」
「いや・・・その心根は嬉しいし、ありがたいと思っておるよ。」
「そいつぁ、どうも!」どうしても冷笑的にしかなれない。そんな俺は、小さな男なんだろうか・・・。
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馬車が道から逸れて、脇に向かって進み始めた。そして、そこで停車する。
ノックする音が聞こえる。「勇者様、外に出て下さい。」ファルカンの声がする。
「どうした?」と返事をすると、向こうから走って来たラザウェイが「アリンザの容態が良く無いのです。凍傷で何本かの足の指を失っているのですが、先刻から熱が出始めて、一度停車して、薬草とかを探してみようと思うのですが?」と俺に許可を求めて来た。
「お主等・・・少し席を外せ、馬車から遠ざかるのじゃ。そして、勇者よ、近くに寄れ。」先代はそう言った。
「お前達は他の馬車の所に行ってろ。こいつの言う通りにしないとヤバいんだ。」二人とも頷いた。
「何だ?」
「怪我人の事じゃが、我が手を貸そうか?それとも、お嬢ちゃんに薬草とかを見つけて貰うか?」
「先代さんは、何か思うところがある様なの。あたしが薬を探しても良いけど、この近くだと耕作地しかないから、遠出する事になると思う。」
「あんたはどうやって、アリンザを治療するつもりだ?」
「治療ではないよ。一時的に身体を”非物質化”してしまえば、肉体の損傷は問題とならなくなるのさ。その前に、”憑依”して、精神を支配しておく必要があるだろうがね。」
「俺には良くわからんが、物騒な魔法なんじゃないか、それは?」
「”死”の領域の魔法に物騒でない代物などありはせんよ。いずれにせよ、それをどう使うかで魔法の領域に関わらず、魔術師の値打ちは決まると思うのじゃがな。」
「それは危険な後遺症は残らないんだな?」
俺はその魔法も魔術も、根本の原理を決して理解できないのだろうと諦めている。
「ああ、今の怪我以外に後遺症は残らないよ。誓っても良い。」
「あたしの知る限りでは、死の領域の魔法から派生した魔術を使って、完全に死霊や半獣人に変えられてしまえば、そこからの復古はできなかったと記憶しているの。」
アローラも懸念を口にする。
「”憑依”は一過性の精神支配だし、”死霊の形質”は人間の物質性を非物質に置き換える奥義の一つじゃな。決して、死霊そのものに変化させる訳ではないよ。」
「やってくれ。」
「良いの、レンジョウ?」
「この女が口で言う通りに、俺の信頼に応えられるかどうか。試してみよう。」
ダメだったとしても、被害を被るのはアリンザであり、奴はスパイだ・・・・。
「一つだけ、この魔術の難点を言っておくよ。」
「どんな難点がある?」
「この馬車の馭者も、他の馬車の馭者も、きっと嫌がるだろうね。そう、ヴィジュアル的にという点でね。」
「・・・・・。」
「お主も外を見ぬ事じゃな。この馬車は最後尾を進むと良い。我からの助言はここまでじゃな。」
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その後、憑依支配されたアリンザは、亡霊の様な姿で馬車の後ろをふわふわと空を飛びながら追尾して来る事となった。
馬車の中で、先代の発した紫の気味悪いオーラを浴びて、目も虚ろとなったアリンザは、馬車の屋根を通過して、俺達の馬車の後ろを飛んで来た訳だが・・・。
その外見の悪さと来た日には、ここが街の大道りだったら衛兵が走って来る騒ぎになったろうし、街道を行く行商人は、アリンザに気が付いて大きな悲鳴を挙げる者も居た。
もちろん、俺は自分の選択をすぐに、凄く後悔したものだが・・・。一つの利点が俺をして、先代の魔術を継続させる事となった。
その理由とは、この魔術を維持している最中は、先代が凄く静かにしてくれていた事だ。
アローラにはまた迷惑を掛けてしまうが、俺にはしばらくで良いから、静かな時間と深い眠りが必要だったんだ。俺は、昏々と昼の間はアローラの膝の上で眠り、夜になってアローラを俺の膝に横にならせた。
この夜が過ぎれば、あと少しで俺達はノースポートに到着する。
ところが、その喜びよりも、俺は道中の悲惨な事件、えげつない戦いの連続、今も続く苦悩ばかりを思い出し、かなり憂鬱になってしまった。
俺の太腿の上にはすやすやと寝息を立てるアローラが居る。それを見つめて、俺は心の中で何故か”ごめんな”と呟いていたのだった。