第八十七話 蓮條主税を案じる者達
できましたら、やり甲斐増進の為に、評価の方をお願いします。
私達は居ても立っても居られない思いでした。
「はい、左様でございます。私共は蓮條主税の身内でございまして。」
「はい、主人が亡くなりまして、そのお通夜とお葬式に感けて、主税君が大変な事になっているのを知る事ができなかったのでございます。」お母さんは電話に向かってペコペコと頭を下げている。
「はい、一度そちら様に伺います。ご多忙とは存じますが。はい、私共はとても心配しております。」
「いえいえ、ご丁寧にどうもありがとうございました。では、今から娘とそちらに向かいます。」
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「どうだったの?主税君は本当に警察の留置場から逃げちゃったの?」
「わからないのよ。けど、警察の人も、電話では何を話そうともしないわ。」
「それは仕方ないと思うよ。」
「そうね、でも、このままじゃ、私達は主税君の為に何もできないし。警察に行って、事情を聴いて、彼の身元を引き受けてあげないと。」
「そうか、やっぱり、私達以外の親戚とも縁を切ってたんだ。」
「そうなるわよね。彼の責任じゃないのに。」母は涙を滲ませながら下を向いた。
「お母さん、これからでも主税君の為に何かできる様になるって。さあ、準備しましょう。」
「ええ、そうね。」だから主税君、無事で居てね・・・。
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「彼女達が動き始めたぞ。」
「蓮條は彼女達を助けられない・・・。だから・・・。」
椅子に座って本を読む男。そいつが険悪な光を浮かべる目をこちらに向けて来る。
「私に出向けと言うのかね?」
「一番適任だろう?」
「気は向かないが、異論はない。」
彼は立ち上がると、本をパチリと音を立てて閉じ、奥の扉に向かった。
「本当にやる気になってくれたわね。意外だわ・・・。」
「奴の目から見ても、今が分水嶺なのだと思えるのだろう。」
「彼は気まぐれな男ではない。むしろ、一本気で融通が利かない位だからな。」
「ひねくれ者だけどね。」
「それは違いないな。」
「だが、味方となれば、他の誰よりも頼りになる。」
全員、その言葉に異論や疑いはなかった。
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「出て来たぞ。」いや、違う。あれは男だ。しかし・・・・。
「あいつ、何もんだ?」俺は呟く。同業者?いや、あんなに洒落た服装の同業者は居ない。
「ホストかいな?」いや、それも違う。あんな殺気に満ちて、血の匂いがプンプンするホストなんか居ない。
「近付いて来やがる。」ただならぬ異様な雰囲気に、俺達は揃って車の外に出たが。
「あれ?」
「俺達、何でこんなところに居るんだ?」
「どうしてでしょう?」
怪訝な気持ちで俺達は首を捻りながら、再び車に乗る。そして、キツネにつままれた様な気持ちで車を発進させ、事務所に戻った。
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「ふん・・・。」
物陰から上下を革のスーツでビシッと決めた美形の男が出て来た。ネクタイは今どき流行らない紐ネクタイだが、その下のシャツも少し古風で、ネクタイには煌めく大きな黒い宝石が飾られている。
黄金の星が美麗に輝く、値段の付け様も無い程の大きさと厚みのブラックスターサファイアの留め具。夜にすら、この宝石は黄金に煌めく事だろう。
男の装束は、クラッシックな着こなしで一部の隙も無い美麗さを誇り、威厳に満ち溢れている。誰もが圧倒されてしまう程の印象深さが発散されているのだ。
そんな装束と美麗な外見の男であるのに、顔に刻まれた険と、発散される殺気、目と口元に顕れる苛々した表情が好印象を全く抱けない面相にしている。
男が鼻を鳴らしたかと思うとフッとその姿が消えたのを、車に乗った男達も周囲の住民も誰もが目にする事はなかった。
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車に乗っていた男達の所属する反社会的な団体の事務所。
「停電だと?」大騒ぎする声が聞こえる。
「ライト持って来い!非常用のボックスの中にあるだろう!」怒鳴り声がする。
「ランタンあります。」気の利く男が、非常用のLEDランタンを机に貼り付けていたらしい。
「窓開けんかい!」と言う声に「ただいま!」と返事が返る。そして・・・・。
「手前誰じゃあ!」と大きな声が。
そこには、先程のクラッシックな格好の男が立っていた。
「どこのどいつじゃあ!」と唾を飛ばしながら、凶悪そのものの面相の男が怒鳴る。
が、クラッシックな格好の男は全く動じない。
「これが残りの全員か?先程の車が三匹、ここには六匹か。一匹足りぬではないか・・・。」
「まあ良い・・・・。」黙って悪意で凝り固まった様な視線を男達に向ける。
「良いか、今から三日間。坂野史江と坂野澄江の親子の事を忘れていろ。聞こえたか?」
「はい、坂野史江と坂野澄江の親子の事を今から三日間忘れます。」と一同が声を揃える。
「よろしい。以上だ。」男は再び消えた。
「なんだ?お前なんでそんな照明を持ってるんだ?」
「あれ?何ででしょう?」
「兄貴、俺達、何でこんな所に集まってるんでしょう?」
「訳がわかんねぇな。何でだ?」
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「では、蓮條主税さんのお身内で間違いありませんね。」
警察官の方に事情の聴取を受けていますが、こんな事は生まれで初めてです。緊張致します。
「こちらの戸籍謄本に妹の事が記載されております。お読み下さい。」
「はい、平成元年に主税さんのお父さんである蓮條豊喜さんと結婚なさった訳ですか。」
「左様でございます。」
主人の死亡証明を取りに行った時に、自分の戸籍謄本を市役所で頂いて来たのが、こんなところで役立つなんて。
「主税君が脱獄してしまったと報道で知りましたが、本当なのでしょうか・・・。」
「脱獄ではなく、逃走の疑いで手配が掛かっております。現在は行方不明と言う所でしょうか。」
警察官の方は礼儀正しく訂正して下さいましたが、私達は気が気ではありませんでした。
「込み入った事をお聞きしますが、彼は何故自分が天涯孤独だと、我々に申告していたのでしょうか?もしお答え頂けるならば、事情を伺いたいのですが。」
「はい。みんな主人が悪かったのです。主人は、妹の砂奈江の御主人の豊喜さんを騙して、その財産を取り上げたのです。」
「それは巧妙なやり方だった様でした。」
「蓮條家の方々は、経営していた会社を失う瀬戸際に追い詰められ、私の主人に懇願して、騙したお金を返すように願いました。けれど、主人はしらを切りとおし、最後の話し合いの帰り道で、妹と妹の御主人は交通事故で亡くなってしまったのです。」
「そ・・それは何とも。」
「主人はその事を晩年になって悔いる様になりました。自分の罹った死病も、蓮條家の人達を騙した天罰だと考える様になったのでしょう。日記に詳しい事を書き残し、最後はホスピスで”主税君に謝りたい。許してくれなくても、真実を話したい。”と申しておりました。」
横で澄江が嗚咽する声が聞こえて来ます。
「主税君は、高校時代まで学業の成績も良く、一年の時に既に空手のインターハイに個人戦で出場できる程のスポーツマンでした。それが、相続は放棄せざるを得ない状況で、保険金もご両親の負債返済に全て使ってしまい、学費も払えなくなる程の困窮に追い込まれていました。」
「私が彼に最後に会ったのは、主人の許に主税君が詰め寄り、”叔父さん、真実を話してくれ。”と涙を流しながら訴えている所に居合わせた時でした。」
「主人はそれでもしらを切りました。詐欺など行っていない。全ては不運だったのだと。」
「主税君は、主人を殴り、主人は顎を酷く骨折して入院し、彼は危うく少年院に入れられてしまう所でした。流石に主人も怖くなり、罪の意識も抱いたのでしょう。刑事告訴こそしませんでしたが、主税君は学校を退学し、どこともなく姿を消してしまったのです。」
「奥さん、しっかりなさって下さい。私でよければ、できる事はしっかり致します。彼の不運については少しなりと理解できた気がします。悪い様には決して致しません。彼から連絡があったら知らせて下さい。私どもで奥様方にお伝え出来る事があれば、必ず連絡致します。」
娘と二人で泣き崩れた私を、警察官の方が優しい言葉で慰めて下さいました。
「携帯電話かパソコンは使えますか?」
「私は大丈夫です。」澄江が手を挙げてくれました。
「蓮條さんの貴方がたと別れてからの足跡です。」
警察官の方は、まとめサイトと呼ばれるインターネットサイトのアドレスを教えて下さいました。
「彼なりに一所懸命に生きていたのですよ。」
そこには、成長して大人になった主税君の写真もありました。
土木作業員として生計を立て、最後に会った時よりも更に逞しく、精悍になったハンサムな男性の肖像が・・・。
日焼けして、頭をタオルで巻いた姿で、乱暴そうな顔付に変わってはいましたが。はにかむ様な表情と、生真面目そうな強い意志を秘めた眼差しは、あの時と変わらずそこにあったのです。私達の記憶の中に焼き付いていた蓮條主税君の姿が。
「主税君、君は今、どこにいるの?」目の前は既に涙で何も見えず、私は心の中で彼の無事を祈りました。
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「お前の宿敵が死んだ。」
「何だと?そいつは誰の事を言ってるんだ?」
「いずれわかるさ・・・。」
「お前、フルバート伯爵を殺したとか言うんじゃないだろうな?」俺は怪訝な気持ちで聞き返した。
「だから、言っておろう。いずれわかると。」
先代は、カーリの生まれ故郷がフルバートであるとは教えてくれたが、それ以上の事は何も話そうとしなかった。妙に頑固で、思わせぶりで。会話の相手としてはムカつく事この上ない。
「わかったわかった。それも秘密なんだろう?俺が行動して解き明かす秘密なんだと。」
「いや、それはいずれお前が重大な選択を正しく選べば、自動的に知る事となるだろうさ。」
「おい、お前。何をどこまで知っているんだ?」
「言ったであろう。死んだ者は我の管轄下にあるのだと。その者から直に聞いた事なのだがな。」
「で、俺の宿敵とやらをお前はどうするつもりなんだ?地獄に墜とすのか?」
「はは、天国も地獄も人の心の中にしかないだろう。その者の魂が地獄に向かうと信じるのならば、そいつは地獄に本当に堕ちる事だろう。そうでなければ、別のところに行くのではないか?」
「行くのではないか?って、死者の魂を管轄下に置いてるにしては、歯切れの悪い台詞に聞こえるのよ?」とアローラも突っ込んでいる。
「心の持ち様は、その世界を一変させる力があるのだよ。お前達は、自分がどんな生物であるのかも良く知らない、そんな無知な者共じゃからな。」
「そこだ、そう言う所だ。俺が釈然としなかったのは。」
「何がじゃ?」
「お前は遠回しではあるが、何度もそれらしい示唆を行っているんだ。つまり・・・。」
「うん、あんたは本当は人間じゃないってね。あたしもそう思ってたのよ。」
「ほほう?あはははははは!なるほどな。」
先代は”何時もとは違う笑い方”で、本当に快活な声で、愉快そうに笑った。
その時に理解できた。こいつはずっと演技をして、ずっと俺達に本性を隠していたのだと。狂人等ではそもそもなかったのだ。
「一体お前は何者だ?」
「それもいずれわかるさ。我の仲間達が、我を迎えに来た時にな。」
「仲間って誰なのよ?今のカーリとか?」
「それもいずれわかる。今はその時ではない。」
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蓮條の親戚の母娘が帰り、俺は取調室に忘れ物をしていた事に唐突に気が付いて、そこに引き返した。
「あれ?俺はそもそも何をここに忘れたのだ?」忘れ物が何だったのか、それを全く思い出せない。
そして、唐突に気が付いた。広くもない殺風景な取調室の換気扇の前に、背の高い高級な革のスーツを着た人影がこちらを睨みながら立っている事に。
その険悪な瞳は、公安職を拝命してから長い俺に取っても、見た事すらない邪悪な視線を放ち、凶悪犯すら備えていない血も凍る様な危険な雰囲気が、その美麗な全身から立ち上っている。
「お前は誰だ!」と大声で怒鳴ったつもりが、掠れた声しか出ない。腹に全く力が入らないのだ。
「私の名を聞くのか?答えても良いが、その時は誓ってお前の命は無い。」淡々とした事実の羅列が更に俺を怯えさせる。
「お喋りはここまでだ。良いか、お前は先程の母娘の為にあらゆる便宜を図れ。お前が普段職務に精勤するために敢えて自制している良心、その全てが満足するまで便宜を図るのだ。」
「はい、その様に・・・・。」
軽く頷いて男は目を閉じ、その姿はまたもや空中に消えてしまう。
「あれ?俺は何でここに居るんだ?」
怪訝に思うが、独り言を空中に吐いたとしても、何の答えも返る筈はない。
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仏壇に手を合わせ、お父さんの遺影を拝む。
”お父さん、貴方は主税君に酷い事をしたわ。でも、私達が何とか彼の力になって見せるから。だから、安心してね。”
子供の頃から仲が良かった年下の従弟。その人生をお父さんは滅茶苦茶にして、その両親まで間接的に奪ってしまった。
母の言うには、最後に会った叔父様夫婦は、憔悴してフラフラだったそうだ。だから、危険を予測できなかったし、回避もできなかったのだろう。
お父さんは叔父様夫婦のお葬式に顔を見せなかった。私とお母さんは、恥を忍んでお葬式に参列したし、通夜の前にもお見舞いをした。しないではいられなかった。
あの時の事は覚えている。
滅茶苦茶に破損した御両親の遺体を、葬儀屋の人と一緒に主税君が包帯で巻いて何とか人間に見える形にしようと努力していた彼の姿を。
私達が手伝おうとした時には「酷い有様なんだ。叔母さん達にはこんなの見せられないよ。」と淡々と断りを入れた事も。
彼はそんな時でも涙を流さなかった。
インターハイで、一回戦の時に負傷し、三回戦では遂に戦えなくなっていても、それでも出場し、敗れた時も泣かなかった。
そんな彼が、その後にお父さんを問い詰めた時には泣いていた。どんなに悔しく、どんなに信用していた私のお父さんに裏切られて傷ついていたのだろうか。私程度の女には想像もできない。
そんな事を思いつつも、お父さんに母も逆らえず、私にしてもその後にお父さんに当てつけるために品行不良な事を繰り返しただけで、その結果恐ろしい男に引っ掛かり、生涯消えない汚辱を受ける羽目になった。
全ては自分が弱く愚かな事を曝け出しただけで、彼の為に何ができた訳でもない。
彼とは違って、私もお母さんも泣き虫だ。こんな私達で、どうやって彼を支えてあげたら良いのか。
その方法は一つしかない。彼をどこまでも信じる事だけだ。
坂野澄江はそんな心根を持った女性であり、心正しい人間であったのだ。
”ふん。身体は穢されても、心は尚も美しいままか。なるほどな、お前は真に価値ある人間だ。”
そんな誰かが心の中で呟いた声を、澄江が耳にする事は当然なかった。
転勤の後、ようやく空手を再開できる場所が見つかりました。
朝に稽古に行って来ましたが、やはり身体は動かしてナンボですね。