第八十六話 次に来る時は
それから程なくして出会う事になる、俺の後輩。そいつが前から言ってた言葉がある。
”さんち”と言う言葉だ。俺にはそれが何の意味か当初はわからなかった。
その言葉は正しく表記すれば”SAN値”と言うのだそうだ。人種差別が主題に横たわるモダンホラー小説をテーブルトークゲームとした代物で、世にも奇怪で恐ろしい何かに出会うと、このSAN値がゴリゴリと削られて、最後には発狂に至るらしい。
今の俺は、発狂には至らないが、滅多にない事として、目の前で横になっている女の髪を掴んで、往復ビンタをバシバシ決めている場面をさっきから何度も思い浮かべている訳だ。
「おおお!死の力の偉大にして、逆らう事能わぬを皆が知らぬ!そは不遜にして、無知!何よりも速き時の濁流に流されながら、人は皆死をもたらす恐ろしき滝壺に向けて進んで行く!」
「ひひひひ!我は世界を全て破壊する者、荒廃は我が足跡に過ぎず、最後は抗えぬ滅亡に皆が走り、死に抵抗して疲弊し、更に死に近付くのじゃわ!かかかかか!」
「姫様・・・。」
「以下略だ!」俺は現れた”怨霊”をぶちのめして消し去った。釘で馬車の中に刻み目を付ける。
現在二十回目・・・・。熱が出そうだ、寝込みそうだ。何回、この女を馬車から追い出して、ドラナーの所に蹴り込んでやろうと思った事か・・・・。
俺は自分が憎い!何故俺はこんなところが真面目にできているのだろう。頭を抱えながら、とことんマイペースな死の使者を睨み付ける・・・が、こいつと来たら、表情すら変えようとしない。
ああ、表情をちょっと変えた。俺の方を見て、何か嗤っている。
「お主はとことん真面目じゃのう。その努力に少しだけ感心しておるよ。」
「ああ、そうかい!」それ以外の言葉を交わす気にもなれない。
「今のは、何の邪心も交えぬ本心じゃ。そう言う一本気さに感じ入らぬ女などおらぬよ。」
その後、女はしばらく黙ってくれていた。
「ほら、来たぞ。あの娘じゃ。」先代は突然にそう言った。
「????」と思ったが、こいつがこんな風に口を開いたのは初めてじゃないか?
「何故わかる?」
「何故かな?わかるのは、お主の周囲に”見える”その模様に、あの娘が与える影響が加わって行く事だけじゃがな。」
「模様?何の事だ?」
「そうじゃ、お主には見えぬ。この世界にも潮の満ち干はあり、満潮の時に子供には生まれる兆しが与えられ、潮が退いた時に人々は死の兆しを刻まれる。大司祭たるアリエルのお膝元でもそれは同じ事じゃ。」
「我はそれを見る者である。死こそ、世界の主催者の一人であり、最後に残る主催者なのだ。」
「さあ、命溢れる者がやって来たぞ。お主の許にな。」コンコンとドアをノックする音がする。
「誰だ!」ついつい言葉が荒くなるが、こればかりは仕方が無い。
「アローラだよ。」声は確かにアローラの声だった。
何か、このシーンは、日本昔話だったかで、化け物が家族だか友人の名前を騙って、家の中に入って来る件を思い出した・・・が、その時はぶん殴るまでだ。だから、扉を開けた。
何と言うか・・・・。こんなに誰かの姿を目にして、嬉しくて泣きそうになったのは・・・久しぶりなのか、もしかして初めてなのか。
アローラは怪訝な顔をしているが、扉から中に入って来た。
「お話は上手く行ったよ。お姫様にもちゃんと用件を話したし、とっても良い話も聞けたよ。ノースポートの首脳部は良い人ばかりだね。」とアローラは上機嫌だ。
「で、この女の人はノースポートに連れて行って良い訳?」
「まだ結論は出ていないらしい。無理もない事だが。」
「満月よ。人を狂わせる恐るべき黒き月よ。その力もて、人の性に訴えよ。その深き闇を地上に垂れるが良い。獣どもよ目覚めよ・・・・。」
「あ!こいつ、もしかして何かの呪文を唱えたのか?」
「え?なんの呪文?わかんないけど、危ないの?」と言うや、馬車の外から何かの雄叫びが聞こえて来る。これは?
「街中で何か騒ぎが起きてるの?でも、今は夜中の三時くらいだよね?」
それからは大変だった様だ。俺は良く知らないが、街中に半獣人が突如出現したらしい。衛兵の一部が、突然吠え声をあげ、半獣人になって牙を剥き、爪を使って元仲間の衛兵を襲い、最後は出向いて来た魔術師に焼き殺されたらしい。ドラナーは朝食の際にそう言っていた。
「それも、あの女の仕業なんだと、評議会に言っておいた方が良くないか?このままだと、犠牲者が増えるばかりじゃないかな?」と話している最中に、アローラの悲鳴と「こいつ死んじゃえ!」と言う雄叫びが僅かに聞こえて、”怨霊”がまたまた現れたのがわかった。
「レンジョウ殿、随分やつれられましたね・・・。」と言うドラナーも目に隈が出ている。無理矢理にパンを口に押し込み、咀嚼してから白湯で流し込む。用便もその時に済ましたが、遠出はできないのだから、花を摘みに行くのも不便極まりないのである。
しかも、ここは城壁のすぐ外であり、そんな場所は随分遠いのだ。ピンチ、またピンチである。
「レンジョウ、またこの女が同じ呪文を唱えたのよ。」
「ドラナー、市内に警告しろ。もう朝だ、市民達も外に・・・。」
その時、きゃー!と言う悲鳴が聞こえた。
「ドラナー、俺と一緒に来い!」俺は城壁のすぐ近くに現れた怪人に向けて走った。
「再生能力まで持っている化け物だとは・・・。」殴り倒しても、何度でも立ち上がるある意味天晴な怪物を最後はドラナーが馬から降りて剣で斬り殺して、切り分けた死体をバラバラに分断した。
死体は何とか這ったり、転がったりして、お互いに元の姿に戻ろうと奮闘している。それを目撃した市民の一部は卒倒してしまっていた。
俺は不眠だった為、段々と思考能力が落ちて来ている。このままでは、遠からず限界が来る事だろう。
「どけ!町民ども!」と馬を飛ばしながら、魔術師が急行して来る。態度が悪い・・・・。が、炎の魔術がどうしても死なない気味悪い半獣人を焼き殺したのは認めざるを得ないだろう。
アローラが居ないのなら、この程度の連中にも頼るしかないのだ。
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評議会からの許可が出てのは、昼過ぎだった。ガタガタと進み始める馬車と、その周囲を固める騎馬隊。
「我々は、ノースポートとの境界線まで護衛を継続します。」ドラナーはそう言って、俺達の周囲を囲み、随伴した。
俺はその頃には、ほぼ限界になっており、アローラの太腿を枕にいびきをかいて寝始めたらしい。
それからは覚えていないが、起きたらアローラの太腿に涎を垂らしてたみたいだ・・・。
「おはよう、勇者殿。平和な眠りを満喫できたかな?」先代と目が合ったが、明らかに笑ってる。
「お前のおかげで、凄く深く眠れたさ。」と睨んではみたが、だからと言って、こいつが今更俺を怖がるとも思えない。何と言うか、この世界の女は手強すぎるのが揃ってないか?
「紳士じゃの、お主は・・・・。」女に褒められて、こんなに嬉しくなかったのは何時ぶりだろう?
「ありがとう、と紳士として答えておくよ。社交辞令だから勘違いするなよ。」
それに対する、先代の笑い方と言えば・・・ニヤリ、ニタリ、ヌチャ、そんな擬音が似合う、もう嫌になりそうな嗤い顔で。よくもここまで人の不快を煽れる才能があるものよと、思わず褒め殺しをしてしまいそうになる気持ちが沸々と・・・・。
「ところで、忠告じゃ。お主、いくら何でもその娘の太腿に頬を押し当てながら凄もうとかな。お笑いでは済まぬぞ。わかるかや?」と真面目な顔で言われてしまった・・・。
しかし、そんな事を言われている俺としては、SAN値直葬の連打を受け続けながら、不眠でひたすらに耐えて来た後遺症で・・・。
「レンジョウ無理だよ。あんたヘトヘトだもん。」アローラが頭を撫でてくれている。
「しばらく眠っていようかね。これ以上、お主を揶揄うと、後々まで恨まれそうだもの。」と言って、こちらを向いたカーリの先代は・・・俺の目には・・・これは?俺は目を疑った。
「アローラ、あの女はお前からはどんな風に見えるんだ?」と俺は思わず聞いてしまった。
「レンジョウ、寝てなよ。」アローラがそう言ったかと思うと、彼女の指が俺の額に添えられ、次に俺の瞼を押し下げて・・・。
次の瞬間に俺はどうやら眠ってしまった・・・ようだ。
****
俺は目を覚ましたが・・・。凄い疲労は確かに収まっている。ただ、空腹が酷い。
「おはよ、レンジョウ。ほら、”ご馳走”と水だよ。」アローラの声が聞こえる。鎧戸を落としてはいるが、中は魔法の灯火で仄明るい。
身体がキチンと起きたので、背筋を伸ばして食べ始める。ドッと身体に活力が注ぎ込まれ、頭もはっきりして来た。
「ここはどの辺りだ?」と聞くと、フルバートからは約30キロ程離れた場所だと言う。
「そうか、フルバートともおさらばだな。次に来る時はフルバートを攻める時だ。」
「そうも行かんとは思うね。」先代様が呟く。
「何だと?」無性にその言葉に腹が立った。警句じみている上に、何故かその言葉が真実だと俺には感じられたからだ。
「これからいろいろと世話になるのじゃ。前払いで小さな情報位は与えてやるわい。」と言葉を切り、「こちらの利益にもなるのじゃからな。」と続けた。
印象としては、こんな煮ても焼いても食えない女の言う事を信じるのは危険だと思うのだが、こいつは核心に迫る何かを知っているとも思うのだ。
「あんた胡散臭さ過ぎるもん。レンジョウが苦手に思っても仕方ないわよ。」とアローラも呆れ顔で先代にジト目を送っている。
「ククク。これが性分なのでな。何ともなるまいよ。」と奴は全くこたえた様子がない。
「しかし、最初と比べて、随分会話が成立する様になったわね。」
「俺はその意見に賛成できないな。基本線で全く話になってないのは最初と同じだからな!」と声を荒げたが、それには答えず、先代はニヤニヤと嗤っている。
「一席ぶって良いかな?真面目に話すから・・・・。」聞き捨てならない事をこいつは言ったぞ。
「真面目とは何だ?今までは揶揄っていたと言うのか?」
「そうでもないぞ。あれは、そうしなければならぬから、そうしたまでの事よ。お前達にもわかる様にと言う意味じゃな。」
うん・・・こいつの顔はこんな感じだったっけ?そう言えば・・・なんだろう。思い出せない。何かをさっき、いや眠る前に見た様な気が・・・。
「良いぞ。言いたい事を言え。」半ギレ状態から段々落ち着いて来た。
「お主達はフルバートについて知らぬ事が多過ぎはせぬか?例えば、あの街の廃墟になった寺院に美女が幽閉されていると言う事も、お主達は重要視しておらんかったろう?」
「まあ、不細工とは到底言えないが、自分で美女とか言うか?」俺は呆れた。
「良いではないか。では、あの街にスパイダー以外の勇者が居ると言うのは知っておるのか?」
「スパイダーって言うと、あの盗賊ギルドの親玉か?お前はあいつの事を知っているのか?」俺は驚いた。
「お主と戦った事も知っておるよ。多くの盗賊をエルフ達が殺害した事も。」先代は何事でもないと言う風に嘯いた。「我は死の使いであり、死せる者と繋がる者でもある。」
「なるほどな。ところで、そんな事情通である事をひけらかす理由は何だ?あんたはそう言う事情を個人的に楽しむ方であって、俺達に善意で提供する様な手合いじゃないのは、先刻承知してるからな。」
「あたしも同感なの・・・。」ちょっとばかり、こいつの危険性を過小評価していたのではないかと、今更に実感した。
「そんなに身構えないでも良いのよ。言ったであろう、我の利益と望みの為だと。」
「その勇者の話に戻ろうかよ。かの者は剣士の勇者であり、位は”半神”に達しておる。滅多とはおらぬ強力な存在じゃな。持っておる武器もバルディーンが授けた難儀な代物じゃ。」
「あ奴を何とかせんと、ラサリア統一の大きな障害となりかねんじゃろうよ。」
「半神?それは、ほとんど不死身の存在と言う事か?」俺は余り耳にしない言葉に妙に引っ掛かる物を感じた。
「勇者が到達する究極の位相とも言えるな。お主も娘も指揮官や大官程度の道半ばの勇者じゃからな。あの伝説の剣士と向き合うのは困難であろう。また、あの街には他にも秘密がある。バルディーンが重視した理由があるのじゃ。」
「お前、何を知っているんだ?何故そんなに知っているんだ?」俺は胸騒ぎを抑えながら問うてみた。
「のう、カーリは何故にフルバートの姫を攫ったのじゃ?」やはり、先代は質問に質問を被せて来た。
「・・・・・。お前の質問の答えはわからないし、お前がそれを口にするとも思えない。そうだろう?」
俺の対応に、カーリの先代はニヤーーーっと嫌な嗤い顔を浮かべた。
「お主は察しが良い。そして、頭も良いのじゃな。ふふ・・・これを授けようぞ。」と言って、手に持った小さな八面体の黒曜石らしい石を差し出した。
「こんなものをどこに持っていたんだ?」と聞くと、「女にはいろいろと隠す場所があるのじゃよ。」との答えだったので、「要らん!」とついつい怒鳴ってしまった。
「ちょっとこの人、下品なのよ・・・。」とアローラも呆れている。
「妙な勘繰りをするでないわ。ほれ、ここにあったのじゃよ。」と言うと、額に石を当てると、それは額にめり込んで、体内に消えた。俺は、それを見て恐怖に震えた・・・・。
「余計に悪いわ!」と更に大声を挙げてしまった・・・。もう、良いようにおちょくられているとしか思えない。
「これは邪眼の石じゃよ。これなくしては、フルバートの秘密には迫れぬのじゃ。」先代はそう言うが・・・。
「お前の言っている事には、幾つかの変な点がある。何故、カーリがフルバートにそれ程関係して来る?そして、邪眼石と言う物が何故フルバートの謎に迫る鍵なんだ?」俺は頭が追い付かない。理解がついて来ない。
「時は抗えぬ濁流でありながらも静かに流れる。濁流は轟々と音を立てるのに、黙しておる。その流れは絶え間ないものであるのに、不動である。」先代はもう一度”邪眼石”を取り出した。
「答えを得ようとするならば、それが訪れるのを待つか・・・・。鍵を持って進んで行くかじゃな。お主はどちらを選ぶ方なのであるか?」掌の上には石が載っている。
「レンジョウ?」アローラのアーモンド型の瞳が心配そうな光を帯びている。
「次に来る時は、決戦に備えてのお忍びと言う事なんだな。」俺は震える手で石を先代の掌から取った。
「よろしい。保障しよう、それは我の手にある時以外は危険なものとはならぬ。汝は、その”鍵”を使い、フルバートの謎に迫るが良い。そして・・・一つだけお主の問いの答えを明かしてやろう。」
「これは進もうと決意したお主への褒美じゃ・・・。」
「これ程にカーリがフルバートと関係する理由じゃな。つまり、フルバートは、カーリの故郷なのじゃよ。それが理由なのじゃ。」