第八十二話 死の使者が手招く
朝に目を覚ました時、交代で寝ていたファルカンが、「おはようございます。」と小声で挨拶して来た。
テントではなく、ファルカンと俺は馬車の中で眠っていた。
騎兵団は外交使節の馬車と言う事で、臨検とかは一切しなかったが、中にヤバいモノがあるのは確かだった。
”大きな籠一杯のエルフのご馳走”と”小さな鎧櫃が二つ”と”杖の入った長い袋筒”、これらは決してバレてはいけないエルフ達から俺へのご褒美なのだ。
カオスノード討伐の最中に、大量に見つかった魔法の武具や道具の一部を持って帰って欲しいと渡されたのだった。
こんなもんが積まれているだけでも、俺達が軟禁された上に追放されたとか言うのは嘘だとわかるのだ。用心するに越した事はない・・・・。
「おはようございます。」と外から声が掛かった。出て見れば、騎兵団の団員で、既に鎧を着込んでいる。彼はもう一度頭を下げて挨拶してきた。
「朝食を作っています。席に案内しますので、どうぞ。」と焚火の近くのベンチを指さす。
そこでは、炙ったパンと串に刺したチーズがあり、温められた穀物のポタージュも木の椀に注がれているところだった。桶に入った水で顔を濯いでいる者も居る。
「おはようございます。今日は曇ってますが、雨にはならないみたいです。フルバートには昼過ぎには着けると思いますよ。」とドラナーは愛想良く挨拶して来た。
「おはよう!まあ、暑くならなくて良いかもな。」と答えると、「もうすぐ秋ですからね。そろそろ寒さの心配をした方が良いのでは?特に夜更けは。」と言って来たが、確かにそろそろ半袖だとキツイかも知れない。
チーズとパンの朝食をポタージュで流し込み、俺達は野営地を出発した。後片づけは、近くの農家に銀貨を1枚渡して引き受けて貰った。こう言う、庶民に対してもマトモな対応をするのが、ドラナーのポイント高い所だ。
俺は威張らない振る舞いにも、媚を売らない言動にも、さり気なく親切なところにも好感を持った。
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「あの男は、確かフルバートの評議会にも居た記憶がありますね。」
「レンジョウと話してる様子も、一緒にご飯食べてる時の顔も、全然悪い人に見えないのよ。」
「アローラ、良く覚えておきなさい。相手の勢力を滅ぼす時には、フルバート伯爵の長男の様な馬鹿な男をチヤホヤするの。そして、滅ぼした後はドラナーの様な男を登用するのよ。」
「うん。でもね、フレイア様。あんなにマトモで優しい人だと、フルバートが滅びる時に、頑張り過ぎて死んじゃったりしないの?」
「そうね・・・そこらも夜の剣士団と話し合ってみましょうか。」
「そうしようよ。レンジョウの役に立つ事なら、あたしなんでもするし。」
「ああ・・・・じゃあ、シュネッサに”コルク抜き”の技を伝授して貰える?彼女が報酬として是非にって言ってるのよ。」
「それは流石に嫌なのよ・・・・。」
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城門の上から、兵隊が敬礼して来る。俺達にじゃない、ドラナー達にだ。
「酷い有様だな・・・・。」俺はフレイアの仕業に思わず怖気が走った。
俺に抱かれて毎度可愛く恥じらっていたあの女の姿と、俺に抱かれている最中に瞬時に魔法を使ってこの有様を現出した女の仕業が全く一致しない。
意外と民家には被害は無い。けれど、まだまだ都市全体としては被害はほとんど復旧出来ていないし、特に公的施設への被害は全く甚大としか言えない有様だ。
俺は何をどう思っているのだろうか。この街が、敵対勢力の巣食う街だから”被害を受けてざまあみろ”なのか、そうではなく哀れに思っているのか・・・・。
ところが、そんな俺の様子を見ている者が居た。ドラナーと何騎かの彼の部下だったのだが。
「ここは俺達の故郷ですが、貴方に取っては敵の街でしょう?何故そんなに悲しそうな顔をして、周囲を見てるんですか?」と・・・。
「庶民たちが苦しんでいるのが悲しいんだ。俺もお前たちの言うところの無産階級の出身だからな。」と答えたが、それに奴等は驚いた。
「勇者が無産階級出身?それはどう言う事です?貴方は魔法で召喚された存在でしょうに?」とドラナーは驚いている。
「まあ、続きは夜に聞かせてやるさ。今は役目を果たせ。」俺はそう言って奴等を追い払った。
「ところで、ファルカン。お前無口になったな。」と言うと
「ようやく傷が癒えて来ましたが、まだまだ深手の状態です・・・・。」
「そうか・・・・。」
「後、もうしばらく、そっとしておいて下さいませ・・・。」ホント、元気ないな。まあ、仕方ないだろうけど。
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”いやはや、とんでもないお方だ。200人の完全武装の兵団に殴り込みを掛けて大暴れしたと言う豪傑なのに、話してみれば大人しく、どちらかと言うと陰鬱なタイプですし。”
そう、この男は真に奥ゆかしいのだ。口こそ多少は乱暴だが、実は謙虚。もしかすると世捨て人としても暮らしていけそうな位に社交性に乏しいが、陰気なのではない、人嫌いでもない。
多分だが、人を傷付け、人に傷付けられるのが我慢ならないタイプなのだろうか。
そんな自分を守るための牙があの拳であり、それを隠すための方法が乱暴な口調であり、今の彼が命に賭けて守るべき人がアリエル姫なのだろうと、そうあたりを付ける。
”完全に手負いの獣、しかも最低でも悪竜クラスの危険生物じゃないかぁ。”と思うが、それすらも過小評価なのを彼は知らない。
とにかく、この男に下手な手出しをするのは看過できる危険を通り越しているとだけはわかっている。
その理解こそが、レンジョウに対する礼儀と言う形で表出されたのだが、それこそがどんな事よりもこの場にいる全員の為に良い事だっただろう。
彼は本当に痛ましそうな目で、災害に見舞われた都市の内部を見ている。それは、この都市で生まれ育ったドラナーに取っては、どんな口先だけの見舞いよりも余程真実に迫る光景だった。
”強く優しく、とんでもなく猛々しい、手負いの獣の様に背水の陣を構える勇者か。全く、何でこんなのと戦う羽目になっているのやら。”
そう理解できる彼こそは真に知恵ある人であった。
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街中を工兵隊を伴いながら行進していると、騎兵に前後を囲まれた何台かの馬車に行き会った。
工兵隊を脇にどかせて、整列させる。通り過ぎる馬車に敬礼をさせる。
馬上からドラナー副団長が答礼して来て、そのまま通過して行く。
チラリと見えた馬車の中の男。何故か自分達の事を好意的な目で見ていた様に感じた。
ただ、その男の人相や風貌を数日前に見た人相書きに照らして思い浮かべて・・・間違いない。あれこそは寺院を警護していた長槍隊を”拳骨”で叩きのめした奴だと確信した。
”意外と佳い男だ。”瞬間的に算盤が頭の中で弾かれる。
大きくて知性を秘めた輝く瞳、髪の毛はまるで獅子の様に伸びているが不潔な感じではない。生真面目で頑固そうな表情だが、口元は柔らかく、どこか穏やかな雰囲気がある。
だが、それらはオマケでしかない。その噴き出す様な猛気の凄さには圧倒された。
魔法の素養がある者達が見ていると言う”オーラ”みたいな何か、凡人にすら見えるレベルの何かが見えるのだ。
”普通の人には近付けないタイプかな。けど、一部の女には絶大な人気を誇ってしまうかも?”
ファラの見立てはそんな感じだった。ただ、接近してみようと考えるには危険過ぎる相手だろうとは見定めた。
そして、あっと言う間に馬車は目の前を通過してしまい、彼女は職務に戻り、工兵達を再び瓦礫を撤去するために現場に向かわせるのだ。
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傍目から見るとほとんどストーカーと言った体で、フレイアは水晶玉を見つめる。
なるほど、こう言うタイプにはレンジョウは絶大な人気を誇るのだろう。
そう、彼女は嫉妬深い性格のエルフを代表する様な存在であり、レンジョウが行き会った女騎士ファラの美貌に即座に目を付けた。
そして、あの女は、確か評議会にも出入りしていたと記憶している。
シュネッサに彼女の事を調べさせよう。
もちろん、それは個人的な要望なのであるが、エルフ族の女王たるもの、その程度のワガママはありだろうと思っている。
実際、シュネッサは理由も聞かずに調査を即座に開始したものだった。
それにしても、今からこの調子のフレイアは、ノースポートに辿り着いた後にはどうなってしまうのか・・・。
安全装置の外れた最終兵器は、臨界に向けて刻々と時を刻んで行く。とにかく、この女はどこか病んでいるのである。
しかも、その病は常にレンジョウの見ていない所で発症しているのが更に痛い。
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工兵隊を率いる美しい女騎士に、俺はそこはかとなく好意を抱いた。
あんな”ナリ”で泥臭い仕事をするなんて、結構感心じゃないかと。まあ、その程度の好意だが。
それにしても、フレイアは怖いね・・・と実感してしまう。これが片手間の魔法の効果かと思うと、本気だとどうなるのだろうか?
まあ、そんな事は知りたくもないが。
そして、それは唐突に現れたのだ。馬車が止まり、何事かを怒鳴る声が聞こえる。
マズいかなとは思ったが、外に出て確認してみた。馬車の前、騎兵が居るあたりで、何か揉めている様だ。
「何があった?」とアリンザに聞いたが「わかりません。」との答えだった。
そこには女が立っていた。見覚えは・・・・ある。長い金髪の巻き毛、豪華だが黒一色の獣の革のローブの様な衣装。先代のカーリに・・・・間違いない。
「何であいつがこんなところに?」と口に出してしまうが、それを聞いたアリンザに「お知り合いですか?」と問い掛けられてしまう始末だ。
どうする?決まっているか・・・。「彼女を保護する。ドラナーに掛け合う事にする。」
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「良いのですか?こんな放り出し方をして?」
「我々で保護していたとしても、悪い変数しか生じないだろう。それよりも、イレギュラーとは言え、蓮條が彼女を保護すれば、新しい道筋が生れる可能性は高い。」
「彼女は誰と対応しているのでしょうか?」
「死を司る者の”先代”と言う事なら、あの人と言う事になる。」
「それが自意識を失っている?」
「そうなる。」
「正気に戻るとお考えですか?」
「さあな・・・。なる様になってみないとわからないな。」
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「そんな訳で、ここでお別れだ。こいつは俺以外には扱えない。」ドラナーにそう言うが、彼はまだ納得していない。既に、俺達はフルバートを抜けて、外の停留所(隊商その他の臨検を待つ場所の事)に到達していた。ぶっちゃけ、大急ぎで街の外に出たのだ。
けれど、こいつがサリアベル姫の替え玉だったとは口にできないし、この替え玉をアリエルにどうにかして貰うにせよ、アリエルとの連絡の方法が存在しない。
そもそも、この女が危険な存在である事を俺は説明すらできない。それで女を連れて去るならば、それは拉致と変わらないのだ。
「詳しい説明はできないが、こいつは死の魔法を放つ、とんでもない爆弾の様な女だ。」
「爆弾?それはどんな物なのでしょうか?」
「こいつは、死の大魔法使いカーリと繋がっている。そんな奴が、飢饉や疫病を突然に撒き散らし始めたら恐ろしい事になる。そして、この女を殺せば、その時点で大規模な呪いが発動しかねない。」
「それは何とも物騒なお話ですが、何の証拠も無く、そのお話を信じろと言うのは酷な事です。」
「少なくとも、この街に迷惑が掛からない程度には離しておいた方が良い。」
「では、そこまでは我々も同行します。それと、書簡を書き記して、騎士団長にこの女性をノースポートに移送する案件についての可否を求めます。その間はいずれにせよ、この女性の身柄はお渡しできませんが、勇者様が保護なさると言う件については暫定的にでも反対致しません。」
「汝ら、死すべき運命の者共よ。我は全ての世界の破壊者なり。全ての生ある者を刈り取り、乾かし、火にくべて煙と成す者である。ひれ伏せ、カーリの前に。そして、その首筋に我の慈悲を受けるが良い。」
その後に、血も凍る様な哄笑が長々と続き、呪詛が始まる。
そして・・・また例の変なモノが馬車から出て来た。確か”怨霊”だったか?
「お嬢様、婆やは久々に食事にありつきたいのでございます。よろしいでしょうか?」と大声が響き、「どうぞ。」と言う返事が馬車の中から聞こえる。
その後の大騒ぎで、ドラナーも危険の一端には気が付いてくれた様だ。周囲の騎兵たちは真っ蒼な顔になっている者も居る。
しかし、このままでは、下手をすると、死の魔法を唱える危険な爆発物を隔離したまま、二人だけで離れて馬車を走らせる事にもなりかねない。
一番の心配事は、そうしたとして、馬が”先代様”の死の魔法に殺されて立ち往生しかねないと言う懸念だ。
ファルカンとアリンザを追い出した馬車の中に再び眠り始めた”先代様”を横たえてから、どうすべきかをしばらく考えてみた・・・。
サッパリ良い案が浮かばない。そもそもが唐突過ぎて、何をどうして良いのかの糸口すらない。
俺の周りには今までは常に”良くできる者達”が居て、俺にはどいつをぶん殴ってくれとか、どこそこに行って酷い目に遭って来いとかを指示してくれたのだった。
今になって、こんな訳のわからない事に陥って、初めて自分で判断する難しさに遭遇した訳だ。まあ、自業自得と言えばそれまでなのだが・・・・。
うむ・・・・。そう言えば、こいつはさっきまで立って歩いていた。
つまり、イラムラグの言っていた”暗黒の眠り”からは覚めたのだろうか?それとも、何度でも引き戻される眠りなのだろうか?
”試してみるか?”
「おい、カーリ。起きているのか?」俺は普通に話し掛けて見た。
そうなんだ、俺達を追い掛けて来たイラムラグの第一声は何だったか?”そいつに近寄るな”だった。
ウォーラクスは寝台の横に居たが、彼女には何もしなかった。
「起きておるぞ。何用であるか。」なるほど・・・。ここから言い包めは始まっていたか。
「お前を封じていた魔法は消えた。お前は自由に動ける、そうだな?」
「そうじゃ。カーリは自由に動けるのだ。」
「それで、これからどうする?どうしたい?」
「カーリは力を取り戻したい。そして、更なる力を手に入れたい。」
「どうすればお前の願いは適う?」
「まずは強い僕が必要だ。」と言うや、横たわったままに俺を手招いた。死の使者が手招く。