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第八十話 別離の日その3

「では、少しだけ休憩と致しましょう。次は正午から開始致します。」フレイアがそう宣言する。後30分程しかないが、打ち合わせの時間くらいはあるだろう。

 水晶玉の魔力を切り、布を被せた。


「お疲れ様、フレイア、アローラ。」

「あたしは何もしてないのよね。」

「少し喉が渇きましたわね。流石に喋りっぱなしですし。」森で採れた緑茶を四角い急須?で淹れて、小さめのボウルで飲み、小さいが長い舌で唇廻りを舐めている。

 アローラは椅子の上で脚をブラブラと振りながら、肉と脂肪のパテをたっぷり塗ったクラッカーを齧っている。

 俺も干した血液と脂肪のソーセージを齧っている。ハーブの味付けが絶妙で、そのままでも凄く美味しかった。


「カオスの国の勇者を追放して、あたし達はレンジョウを追放して、それでお相子な訳なのね。」アローラが呟く。

「取引ですからね。仕方ないですよ。」とフレイアも応じる。

「最後にレンジョウ様が勝ち、アリエル姫が自由になるなら、フレイアは何でもやります。」

 そんな会話をする内に、時間は経過して正午となった。

 全員が次第に元気なくなって行くのが感じられる。まあ、俺もなんだが・・・。


 ****


「フルバートの皆様、ご多忙の中、フレイアの為に時間を割いて頂いて、真に申し訳なく思っております。」徹底的に遜るフレイア。それにしても、最初の無関心な素振りを奴等は忘れてしまったのだろうか?

「いえいえ、エルフの女王陛下。そのご尊顔と美貌を拝見し、高貴な貴女に拝謁できる事こそが我等一同の喜びとするところ。如何様なりとも、御用をお言い付け下さいませ。」とブレイブ・フルバートが追従を始める。


「さて、このまま、皆様と歓談を続けたいところですが、本日はヴァネスティで一つの出来事がこれから待ち受けているのでございます。」フレイアは言葉を切った。


「どのような出来事なのでしょうかな?」とブレイブが怪訝な顔で伺うと、フレイアは顔を僅かに強張らせた。

「フレイアが娘とも妹とも思い愛する、勇者アローラを誑かしたノースポートの勇者レンジョウ。彼奴めを追放する儀にございます!」それを言い終わった時、フレイアの小さな口がカッと開き、怒りの表情を作った。


 怒った美人の顔もまた美しい。鬼女の顔に至らないならば、そこには確実に可愛らしさが感じられるものなのだ。その様にフルバート議場に詰め掛けた男達は思ったものだ。

 面倒臭い細君に悩む男達も多かったから、この様に可愛く怒る美女には好感が持てたし、尚更に手に入れたい欲望が募った。まあ、それは二の次で、相手は異種族の女王なのだから、今は高嶺の花と思っておくのが吉だ。

 それよりも、怒った美女に追従すれば、それだけで歓心を買えるのである。女が怒ると言うのは、多少ではあれ付入る隙ができると言う事でもあるのだ。


「その様な奴は、我等で誅してくれようぞ!直ちに、そ奴等をフルバートに送って下され!」と応じたのは、マールティン・フルバート本人だ。

 誅するも何も、お前だと剣を持っていても子猫ですらも追い掛けて殺す事はできないだろう。フレイアは内心でそんな風に思っているが、口に出すのは別の事。


「お待ち下さい、高貴なお方よ。フレイアは、ノースポートの勇者レンジョウに対して怒りや恨みを感じておりますが、それでも彼奴が、王家の正式な使節の一員である事は確かです。エルフの森に辿り着いて、その帰りの道中の無事が保証されなかったと言う事では、今後のフルバートとの交流においても、悪い前例を残す事でしょう。」と前置きし、

「素直なアローラも、この事で、世間には信じてはならない者共もいるのだと悟った事でしょうね。」と言いながら、アローラの頭を撫でて、その頬を自分の胸に抱きしめるのだった。


「はい、女王様。貴方様に仕える勇者として呼ばれながら、ご期待に背いてしまい、申し訳ありませんでした。」と女王の胸の中に抱かれながらアローラは可愛く儚げに謝罪するのだった。


「無垢な娘を騙し、誑かし、我等の兵を殺害させた輩には、死をもって償わせるしかないと思いますが、女王様の面子もありましょうから、此度は我等も許すしかないと同意致します。」

 マールティン・フルバートはそう言ったが、アローラが無垢な娘とは思っていない者がこの場には一人だけ居た。

 女騎士ファラである。


 ****


 実のところ、ファラはアローラの太腿に垂れている液体を最初に見咎めた者であった。蓮條よりも少し早く気が付いていた程だ。

 ファラは驚いた。この勇者は、フルバート議会の満座の前に出る直前に男を咥え込んでいたのだ。そして、下半身の身嗜みを整える事も忘れていたのだろう。


 ファラにも覚えがある。余りに余韻が強くて、頭が朦朧としていた為に、身嗜みを忘れてしまったのだ。その後に甲冑の内側を自分自身で拭ったのだが、この小娘は魔法の胸当ての下は単なるスカートなのだから、下手をするとあの滴りは衆目に晒されてしまう所だった。


 もちろん、世間遊泳の達者であるファラは、余計な事は口にしない。そんな事をすれば、手に入る筈のエルフのご馳走すら不意にしてしまう可能性すらある。

 それよりも、フルバートにこの勇者が来た際には、可能な限り仲良くなろうとすら決意していたのだ。


 とにかく見事なのは、アローラと言う勇者が、加害者から見事に被害者に鞍替えしてしまった事であろうか。フレイア女王はなかなかの曲者だと思う。油断大敵だとも。


”けれど、男だろうが女だろうが、擦り寄って接近戦で絡めてしまうのが一番よ。”こればかりは、過去のファラの成功体験から導かれる、半ば本能の様な生き方の選択と言える。

 強く決意を固めたファラは、後戻りできない道を歩んで行く決意をした。


「ならば、勇者レンジョウ一行は、来た道と同じく国境までは我等が連行致しますが、その後はフルバートの手の者に引継ぎを行うと言う事でよろしいでしょうか?ヴァネスティでは、彼奴等をほとほと持て余していましたので。」とフレイア女王がフルバート伯に応じて、笑みと信頼の目線を送る。

「我等の手の者で、しっかりとノースポートとの境に送りだしまする。お任せ下さい!」と軒昂たる口調で息を荒げている。フレイア女王に貸しを作った気になって気分が良いのだろう。


 いろいろと参考になるが、要はファラのやっている事と大差ない骨子の仕組みである。逆に言えば、フレイア女王は仕掛けているのだとも理解できた。

”今後は理非曲直は二の次で、エルフ達を陰日向なく擁護する様に努めよう。”

 そう決めた。何しろ、やはり今までの経験で、陰日向なく擁護した者からの信頼を得た経験が何度もあったからだ。表向きだけでは駄目なのだとも悟っている。


 引き付けられて行く。映像としてのフレイア女王にも、利益としてのフレイア女王にも。


 ****


「お忙しい中、長々とフレイアのお話に応じて頂き感謝致します。」今やフレイアの表情は輝くような笑顔で、上機嫌のまま推移している。

「最後に、一番重要な取り決めがございます。もちろん、双方に利益がある取り決めでございます。」この瞬間から、キリリとした凛々しい表情と仕草のフレイアが出現する。


「それは、もちろん、安全保障に関するお話でございます。」

「エルフ族の住まう森を以前から狙っていたカオスの国の者共。彼等との手切れをお願いしたいのです。」そう前置いてから、今度は嫣然とした表情を作る。

「お伝え致しましたとおり。エルフ族は”女”の種族にございます。二股を掛けられる等、女の耐えうるところではございませぬ。一人だけを慈しんで欲しいのです。強い殿方を独占したいのです。」


「その点を如何にお考えでしょうか?」と・・・。まあ、完全に篭絡に掛かって行く。


 ****


 喉がカラカラに乾いて来た。手近のゴブレットに入った蜜入りの甘い葡萄酒を呷る。誰も注意しないが、それが更に喉を乾かせる。

 言いたい事は沢山あるのだが、あの妖精の女王の姿に見惚れて、自分は全然発言をしていない。何か良い所をあの女に見せられないだろうか?あの女の歓心を引けないだろうか?


 強い殿方を独占したい?そうとも、俺こそは次代のフルバート伯爵。権力にも、家柄にも不足はない。

 あの女を独占したい、永遠に近い日々をあの美しさを保つ女、声美しく、表情豊かで諧謔も散りばめられた会話術もある。何よりもあの柔らかな雰囲気と穏やかさが良いのだ。

 だから、手を挙げて発言を求めた。誰もが余りの重大さに発言を尻込みする中、禁断の果実に手を延ばす軽挙をしでかしたのだ。


「ブレイブ・フルバートです。エルフ族の求めるところは、フルバートとの平和であり、交易であると女王陛下はおっしゃりました。フルバートがカオスの国と結託すれば、エルフの国のすぐ近くに危険な拠点ができる事をご心配なのでしょう。平和を愛するエルフ族であれば、その懸念は当然の事と存じます。」


 眺めれば、フレイア女王が得たりとばかりに笑顔を浮かべている。だから続けた。

「ですから、我等としては、エルフ族の信頼醸成の為に、フルバートの旗幟を明らかにすべきかと思うのです。現在は地震からの復興に全力を尽くすとして、将来の為に、ラサリアとヴァネスティの国境に新たな橋を架け、途中の道路も整備し、治安を正しく維持する事に努めるべきと思料致します。」


 フレイア女王が何度も頷き、賞賛の眼差しで見ているのがわかった。だから・・・。

「可能な限りの軍備を揃え、事ある時の為に備え、エルフ族の支援を視野に入れて計画し、行動すべきかと思われます。」それにはすぐさま反応が返って来た。


「素晴らしいお言葉を頂けて感謝に堪えませぬ。エルフ族は保護と理解を求めているのでございます。それ故に、森の軍隊は猜疑心が強く、うかうかとは人間を信じようとしない者ばかり。昨日そちらを訪問したサトゥルヌス等も、人間を全く信じようと考えない者の一人でありましたの。」と悲し気な表情。


 さては、思う通りにならぬ臣民と、言う事を聞かない軍隊の中で、この女は悩んでいるのではあるまいか?もしそうであるならば、俺が味方に付けば、この女は靡くのではないか?そんな打算を胸に抱く。

 ここが勝負時だ!そう思い、ブレイブ・フルバートは尚も言葉を続ける。


 ****


 もう、意味が分からなくなって来た。騎士団副長のドラナー・バルダースロワーはそう思った。

 伯爵家のご長男が意味不明の言葉を発している。

 軍備拡張については、厩舎を失い、装甲兵士ギルドを失い、魔術師ギルドも崩壊したのだから、随分な長期戦を覚悟する事になる。まずは厩舎の復旧から開始しなければならない。


 そもそも、アリエル姫の祝福が期待できない現状では、ノースポートにいずれ軍事的優位が移ってしまう事は確定事項だろう。

 なにしろ、ノースポートでは”聖騎士”が今後出現し始めるのだから。

 メソ・ラナオンに駐在武官として勤務していた時に、聖騎士の戦いぶりを見たが、正直な話、普通の騎兵で対抗できる代物ではないと理解できた。聖騎士とは、超人騎士団と言い換えて良い存在なのだ。

 そんなもんを敵に回せば大変な事になるだろう。


 いや、地震による被災の前から、ノースポート攻略にはフルバートとバーチの全軍を繰り出してでも危ないと図面演習での判定が出たからこそ、カオスの国と協定を敢えて結ぶ事としたのを忘れてしまったのだろうか?

 ふと、あの渉外担当の勇者レイヴィンドの顔を思い浮かべる。

 頑固者で気難しい男だが、真面目で良く気が付き、何かあれば便宜を必ず講じてくれる男だ。彼には申し訳ない気持ちで一杯になる。


 そして、今後の軍事力の推移をザっと頭の中で考えてみるに、心細い未来しか浮かんで来ないのである。

 もちろん全力は尽くすが、全力を尽くしたのだとしても、戦略的な間違いを覆せる程の事は出来る筈もないのだが。


 ****


 マールティン・フルバート伯爵は、息子の言動に激しい怒りを感じていた。

 対外的には、ノースポート攻略については口にする事もできない。そもそも、他国の統治者に対して、うかうかと自分達は内乱勢力であると口にできる訳もない。

 カオスの国との協約についても、表沙汰では無いとは言え、反故にするのは危険過ぎる。

 だから皆黙っていたのだが、あ奴は平気の平左でフレイアに追従しておる。このまま頭を抱えるばかりでは、事態は危険な方向に向かいかねない。


「控えよ、ブレイブ。軍事について軽々しく発言するでない。」とまずは馬鹿息子を制止する。


「フレイア女王陛下、真に残念ながら、我等は国境を守る都市としての務めを果たすと言う義務があるのだ。おいそれと軍事協約について語る訳にもいかぬ。まずは信頼の醸成と言うところからであろう。より大切な事は後日に取り決めるとしようではないか。」と無難に取り纏める。


 フレイア女王の反応は、これはもう見事な位の失望の表情を浮かべ、眉根を寄せた。

 そして、囁く様な声で「決断しては頂けないのですね。もし、この場での果断な態度と決意があれば、もっとフレイアも”個人的”に協力できる場面があり得たと思いますのに。とても残念ですわ。」と悲し気に告げて来た。

 その瞳に映る無念と失望は、これまたエメラルドの表面に光が走ったが如き輝きに現れ、瞬時に消えた。まるで、儚い流れ星が走る様であり、池の底に石が落ちて行った様な様でもあった。


「では、永らくのお付き合いに感謝致します。使節団は明日の昼過ぎにはフルバートに到着する事でしょう。フレイアからの親書と、今回の騒ぎについて抗議を書き連ねた文を携えさせますので、それらがノースポートに到着する様、宜しくお計らい下さいませ。」

 そう言うと、目を閉じて頭を下げ、胸の上で両腕を交差させて腰を折って滑らかな動作で会釈した。

「ご機嫌よう。こちらからの使者は今月の末には到着すると思います。」最後に緑の瞳が、男を痺れさせる光を放ち、それを最後に映像は暗転して消えた。

 通信はそれで終わった。こちらの挨拶すら待たない間に。誰もが呆然として、光を失った水晶玉を見つめていた。


 ****


「お疲れ様、フレイア、アローラ。」魔力を切り、布で覆った水晶玉は、箱の中に仕舞われてしまう。

 今は午後1時10分。世界樹の下に集結させた馬車には後50分以内に着かないといけない。

「あたしは、またまた何もしなかったのよね。」とアローラが頭を掻いている。


「御名残惜しいですわ・・・。」いよいよ俺が去る時が来たのだ。

「寂しくなるの・・・。」口々に二人が言葉を掛けて来るが・・・。


「・・・・少し急ぐぞ。」と俺は二人に告げ、服を脱いで浴室に向かう。

「早くしろ。」と手を振ると、アローラの鎧をフレイアが手伝って脱がせて行く。アローラも大喜びしている。

 慌ただしい限りだが、最初にアローラ、次はフレイアの相手をした。本来はその何倍もの時間を掛けてあげたかったのだが。

「お前達の事は忘れない・・・・。」

「忘れないで下さい・・・。」

「あたしを何時か傍に呼んでね、約束よ。」

 すぐに30分なんか、飛んで過ぎて行った。


 ****


「全員揃っているか?」数週間ぶりに揃った使節団一行、俺を含めて総勢10名。

 後に判明した事だが、その内スパイが半数だったと・・・・。

 ところで、貴重なスパイではない人物とお墨付きのファルカンだけど、何か元気がない。

 まあ、馬車の中でいろいろと聞ける事だろう。


 俺達の前で、馭者役の剣士が丁寧にお辞儀をする。ああ、こいつか・・・・。

 父親の代からフルバートに内通し、今までの旅でずっと俺達の馬車の馭者を務めて来た男。

 見るからに大人しく、優しそうな男。アリンザ・リッツマン。

 シーナの遠縁だと言われる男。


 俺達のノースポートに向かう帰りの旅が遂に始まったのだ。

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