第七十九話 別離の日その2
「フルバートの皆様、ごきげんよろしゅう。伝え聞くところによると、昨晩大きな地震がフルバートを襲った由。真にお気の毒な事と、フレイアは心を痛めております。」
いきなりのスマッシュヒットに、俺は膝から力が抜けそうになった。
お前がやったんじゃないか?しかも、俺とヤッてる最中に・・・。心の中で大声で突っ込むが、これを口に出したのだとしても、フレイアなら「それが何か?」で済ましてしまうだろうとわかっている。
まあ、相手の方に大きな非がある訳だから、最後は「仕方ないな。」で終わりなんだが。それにしても酷い・・・。
「麗しき妖精族の女王陛下から、過分なまでの丁寧なお見舞いを頂戴し、心から感謝致します。」と舌禍を起こした張本人のブレイブ・フルバートが謝辞を述べる。ホント、こいつダメだとしか評価できない。
「妖精族との交流が成立する前日に、かような災害を被ったのは、掛かって我等の国の統治者であるアリエル姫の不徳によるところでございましょうか。」
いや、お前の口が災いを呼んだんだよと、一昼夜問い詰めて説教してやりたい。拳骨で鼻と前歯を全部叩き折った後でだが。
「さてもご丁寧な挨拶を捧げられて、フレイアは心が温まる思いにございまする。今後のフルバートとの交流による輝かしい未来を想像致しましても、やって来るのは両種族の夜明けであろうと存じまする。夜明け前の最も暗き時に、この様な地震が起きた事は不幸な事でした。しかしながら、その後の黎明にて差す光がいや増す事をも示しているものと、然様にフレイアは思うのでございます。」
「フルバートの賢明な指導者達が知恵を合わせ、領民達にお恵みを垂れ、我等に理解と慈悲を与えられるのなら、かような地揺れの被害など、あっと言う間に過去の事に成り果てるでありましょう。」
と機嫌よくフレイアが世辞を交えて笑っている。心の中ではどう思ってるかは謎だが。
とにかく、フレイアはその気になれば外面が驚く程良い。何しろ美人だし、清純な妖精の色香も備えており、弁舌も達者で、しかも根性が据わっている。
トラロックが女狐と呼んで嫌うのは、そう言うフレイアなのだろう。
彼は正直な人物が好きで、それ以外は嫌いなのだ。それをトラロック自身も知っていて、その上でどうにも我慢ができないのだろう。
しかし、フレイアを味方に付ければ、これ程頼りになる奴は男にも女にも滅多と居ないだろう。
”俺自身を所望している。”と最初に言われた時には、恐怖と嫌悪で鳥肌が立っていたのだが、腹を割って話し、フレイアを誠心誠意に援け、やがて心が触れ合った時には、俺達は最高の恋人同士になっていた。
その経緯を全部話す訳にはいかないだろうが、俺はこの成果についての概略をトラロックに報告しなければならないだろう。そう心に刻んだ。
”そして、こいつらはフレイアに完全に敵と見做されている・・・。”
フレイアに対して、追従とお世辞を口から吐きながらも、欲望にギラ付いた目を自制できない男は大袈裟なゼスチュアと歯の浮くような台詞を唾と共に噴出させている。
余裕たっぷりにそれらをフレイアは受け止め、自分の利益の方向に誘導して行く。
遅ればせながら、俺が気が付いた事がある。つまり、フレイアに取っては、人間は二種類に分かれていると言う事にだ。
フレイアの物差しは”騙して良い人間と、騙してはいけない人間。”で計られる。
この基準は”騙す人間と、騙さない人間”と言う基準とは大きく違う。
フレイアは、相手の人品を見て、それが一定以上ならば決して騙す事を考えないが、下品な人間を騙す時には嬉々として騙そうとするのだ。真剣に恐ろしい女である。
フレイアとは、言ってみれば断崖なのだ。彼女の隔てるところは、目が眩む程に高く、下には死だけが待つ崖のむこうと、緑滴る彼女が守護する楽園との間を隔てる断崖なのだ。
時には、俺の様に騙されないだけではなく、至高の美と快楽の世界に招待される場合もあるのだろうが、それは例外中の例外の様だ。そして、今のフルバートには騙されずに済む者は一人も居ないと言う事なのだろう。
フレイアの調子良い話は続いている。
「そもそもでございますが、エルフ族は太古の昔より勇敢な人間と誼を結び、混血の子を設ける事も少なくなかったのです。」と胸の上に両手を交差させて置き、目を閉じて微笑む。
「我等の種族が袂を分かったのは、エルフ族の秘伝、人間には使える訳もない秘伝でございますが、それを人間が所望したからにございます。」そこで、フレイアは首を傾げて言う。
「元来、エルフとは女王を頭に結束する女の種族にございます。」これは完全に嘘で、単にフレイアの治世が長く、彼女が独身であるが故で、本来は夫婦で統治する場合は男が元首となる。
「男を元首と崇める男の種族である人間とは、それぞれが夫婦や恋人の関係として両立できる筈でした。我等エルフ族が、やむにやまれぬ成り行きで、周囲の人間の都市を破壊したのは不幸な事でありました。」と、徹底的にフルバートの馬鹿どもが喜ぶ様な話を創作しているのだ。
本日のフルバート評議会は、最前列に首脳部、中段付近に評議員が鈴なりに座り、最後列には富裕な商人や地主達がズラリと並んでいる。全員がフレイアの艶やかで清純な姿を見たがったからだろう。
と・・・、その時俺は気が付いた・・・・。
目の前が一瞬暗くなる。手振りでフレイアとアローラに注意を促して、大きく手招きをする。
「お待ち下さいませ。すぐに戻りますわ。」と水晶玉に語り掛け、布を被せて通信を遮断した後に、俺のところに二人は駆け寄って来る。
「すまん、俺が悪かったんだ。」と前置きをすると、アローラの太腿の内側をハンカチで拭き、慌てるアローラに下着を換える様に言い付けた。
「椿事ですわね。誰にも気が付かれていない事を祈りましょう。」フレイアの表情を見れば、言外に、フルバートの連中に気が付かれたからどうしたと言う意図が見えるのが怖い。いずれ消してしまうつもり満々なのである。
「当面、アローラ抜きで再開しましょう。」フレイアはそう言ってから、通信を再開した。
「お待たせ致しました。」と両目を閉じた状態で再び通信を再開し、微笑みながらゆっくりと目を開いて行く。悪敏い演出であり、それからは半眼の少し眠そうな表情で話し始める。口調は楽しそうにゆっくりと。
「もはや、我等の森付近にある人間の街はフルバートだけでございます。交易を行うにも、人的交流を行うにも、フルバートを抜いてはありえないのでございます。」
「ですが故に、フレイアが今回の勇者アローラの軽挙について釈明すると共に、フルバートへの接近も行おうと決意したのです。」
「”勿怪の幸い”と申しますか、フレイアに取っても、信頼する部下がかような行動に出るとは思っておりませんでした。皆様の記憶にも、エルフ族がフルバート市内で何かを行っていた。荒事をしでかしたと言う記憶は無いものと思います。」
「現に、その様な事実は存在しておりません。我等は完全に今まで百年に亘り、森に逼塞して孤立していたのです。」と、数十万のエルフを養っても全然余裕の自給自足が可能なヴァネスティ領域を孤立した辺鄙な場所と印象付け、フルバートの援助が必要であるかの様に思える様に誘導して行く。
「”雨降って地固まる”の喩えのとおり。フレイアは陳謝の証として、フルバートの皆様にエルフの秘伝を提供し、それらをまずは”少数の方々”に使い方を説明した上でお渡しする事と決めました。ただ、”長寿と健康の秘伝”を門外に出す事は、先祖代々の禁忌でございます故、大々的にとは参りません。その旨についてはご了解願います。」ここで議場は異様な雰囲気に包まれた。
全員の目がギラギラと光り始めるのがわかる。
「ごめんね、気が付いてなかったの。ボーっとしてて。」アローラがすぐに帰って来た。ハグしてやると喜んでいる。「じゃ、戻るね。」と言って歩み去った。
アローラが戻ると、フレイアは何時もの様に、アローラを抱きしめて愛情を示し、髪の毛を撫でて二人で微笑み合った。その姿は”母としてのフレイア”であり、見る者に強い印象を与えた。すなわち、フレイアの説く様に”エルフは女の種族だ”と言う事を全員が強く信じた訳である。
後々に俺が説明を受けて理解した事だが、フルバートの指導者層の大半は男女の愛情について全く無関心であり、フレイアが”女”を強調すれば、それを支配しようと試みるだろう。そんな事前の予想が建てられていたのだ。
あるいはそれを利用し、消費しようと反射的に考えるだろうと。だから、フレイアは殊更に女を演じ、隙を故意に見せようとしている。
逆に、サッパリした強面の武闘派集団であるカオスの国の勇者達は”男”の最右翼みたいなものだろう。昨日の夜に寝物語で聞いた様に進むのならば、これからあの連中の事にも話が及ぶのだろう。
”妙に憎めない連中だった。敵同士だが、ある意味スポーツマン的な作法が悪くない。”連中は今どうしてるんだろうか?
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「ドラナー殿の連絡内容について考えるに、我等の立場は随分と悪化したと言う事でしょうか?」
「まあ、そうじゃろうの。折角、我等の街とフルバートを結ぶ道路建設が本格化したところであるのに。」
「その建設についても、費用と人員が全て我等持ちですからな。連中には何一つ悪い事は無い筈にも関わらず。なのにですか・・・。」
「浅ましいね、全く。誰様に対しても、こんな事をすれば罰が当たるっての。」
「間違いなく、フレイアめはいずれは掌を返して来ると思われますが。」
「じゃろうの、餌を撒いて、餌に食い付いてからの躾があるじゃろう。この街の者共はケダモノ並みの理性しか備えておらぬし。」
「我等の提供できる何かは、揃って地味なものですからな。エルフ達とは最初から勝負ができませんよ。」
「しかし、急に森から出て来ようとするなんて。何があったんだ、連中によ。」
「何にせよ、フレイアが演説をぶっている間に、我等は一度この街を出る事に致しましょう。長居すれば、きっと不愉快な事になるでしょうから。」
「そうじゃの。ドラナーめも同じくに考えよったのだろう。」
「彼の厚意を無駄にしてはなりません。今は退くが吉でしょうな。」
「じゃあ、馬車を準備して来るわ、少しだけ待っててくれ。」
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「我等は静穏と調和を重んじる生き物です。ただ、淡々と平和に暮らし、心許せる友人と慎ましやかに暮らす事で満足しておりました。しかし、周辺の情勢はそれを許してくれませぬ。女の種族であるエルフは、心の底では、常に助けを求めているのです。お分かり下さいませ。」
悪竜に槍で突撃を掛けて殺し、馬が死んでも炎の蛇を槍で突き、時に無謀なまでに誇り高い種族が”か弱い女”であると?知らぬが仏とは良く言ったものだ。
結構長くフレイアは演説していたと思ったが、実際には30分少しの事だった様だ。
「これにてフレイアの存念は語られたものと思う所です。フルバートの畏き指導者から、ヴァネスティとの友好を開始するにあたっての御懸念等がございましたら、フレイアは謙虚に承らせて頂こうと存じております。ささ、思うところをお伝え下さいませ。」と言い、決めポーズの髪の掻き上げを行い、姿勢を僅かに傾けながら形の良い上向きの胸と両脇を皆に披露した。
「吾輩は騎士団長ライナード・ブレイブクレストである。麗しき女王陛下には、吾輩を新たな崇拝者として、足元に置いて下さる事を乞い願うものである。ところで、我等のフルバートが養う兵力については、統治者の力不足により、”聖騎士”の叙任が未だ行われておらぬのである。」
「まだ先々の事になるとは思うのだが、フルバートの大聖堂にて、フレイア女王陛下が祝福を垂れて下されば、新たな聖騎士が誕生し、ヴァネスティを護る強き力となるだろうと思うのであるが、女王陛下はその様な未来があるとして、それをどうお考えであろうか?」と物申して来た。
フレイアは、首を傾げて唇に人差し指を少し当てながら、夢見る様な表情を作って見せた。
「勇敢な騎士殿。貴方からの崇拝を受けるのは、エルフの貴婦人を代表するフレイアに取っても名誉であり、心嬉しき事と存じまする。」と花咲くような笑い顔。その後、難しそうな顔で続ける。
「さて、聖騎士の叙任についてですが、森を離れた事のない世間知らずには、それができるかどうかも知識が足りておりませぬ。加えて、フレイアを幼子の様に慕う臣民達が、危険な森の外にフレイアを外出させる許可を与えるものか。それも予想が付きませぬ。」
「まずは、森から数名の女どもと警護のための衛士を送り、エルフの秘伝を賞味して頂くところから始めましょう。その後にゆるりと時間を掛けて信頼を深めれば、フレイアがフルバートを訪問する時期が訪れる事と信じております。フレイアが今約束できるのはこれだけにございます。よろしいでしょうか?」と締め括った。
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ライナードが過剰な感激を申し述べた後、更に要望は続いた。
「エルフの伝説的な”ご馳走”ですが、それらを十分に多く供給して頂く訳には参りませんか?まずは少数との仰せでしたが、それを望まぬ人間などおらぬ。女王陛下には、それらはとおにお判りでしょう。なるだけ多くの供給を我等一同が待ち望んでおるのですよ。」
小腹が減った俺は、その”ご馳走”を摘んで、音を立てずに食べていた。とんでもない贅沢を毎日繰り返していたのだなと、本当に皆には申し訳ない思いがある。
実は、御機嫌取りも兼ねて、シーナの為に大量のご馳走を大きな籐の籠一杯に貰って来てある。今後予想される激務に対応して貰うためにも、彼女にはこれを渡そうと俺は決めていた。
「それに関しては、未だ友好が確立していない現状では確約はできませぬ。そもそも、売り物とする事それ自体が正しいのかどうかもわからないのです。折角に我等が森の外に目を向けたのに、また森に引き籠ろうと考え直す様な事になりかねませぬ。」と厳しいが威圧しない表情と口調で言った後に、
「思い出して下さいまし。この”ご馳走”を外に出す事は禁忌なのです。今できる事は、賦役における女王の取り分から、個人的に融通する事だけです。今はその様な状況なのでございます。」と締め括られた。
しかし、スラスラと、良くこんだけ約束を守るつもりもなく、利益をチラつかせるもんだとフレイアの手管には感心した。そして、相手がそれを信じてホイホイと乗って来る事にも呆れたものだ・・・。
シュネッサの言う通りなのだろう。
”嘘吐きとは、自分の嘘を本気で信じる、真実と真逆の世界に生きる愚か者なのです。だから他人を騙すけれど、自分も誰かから騙されるのです。論理性や一貫性なんか存在しないし、他人も自分も脳味噌で考えて行動すべきとかは考えない方々なのですわ。”と、彼女は言っていたが、こいつらは真実には一銭の価値もなく、虚偽にこそ価値がある、そんな世界にドップリと嵌っているのだろう。
まだ開始後1時間少し。フレイアは絶好調だし、アローラも落ち着いている。そして、奴等との交渉は、これからが正念場なのである。