第七十八話 別離の日その1
「お!おおお!」
「いかがですか?ファルカン様・・・。」
「おおお!おおおお!」
「まだまだでございます。我慢致して下さい・・・。」
「流石・・・もう7分経過しておりますが・・・。」
「おおおお!」
「素晴らしいですわ。10分も持続なさるなんて。男の中の男ですわ!」
「アニタさん、素晴らしい・・・。」
「もう、最後の最後までアニタと呼び捨てにして頂けませんでしたわね。」
「それは夫婦の契りを結んでからだと決めております。」
「・・・・本気なのですか?ヴァネスティで暮らし、人間の世界から去るおつもりがあるのですか?」
「はい、アリエル様の国内統一を見て、ファルカンの後進を育てた後には。」
「それは前途多難な長い道のりとなるでしょうね。」
「覚悟の上です。」
なら、その日を一日でも早めないと。でも、それでも貴方とは一緒になれない。ごめんね、ファルカン。
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何か諦めの表情に似た雰囲気が二人のエルフには立ち込めている。特にフレイアの方が酷い。
最後の朝に俺が目を覚ました時、両側からジッと見つめられているのに気が付いて、俺は鳥肌が立ちそうになった。アローラは俺の腕を抱いて黙って泣いているし、フレイアは何か思い詰めている。
「フルバートに住まう方々には申し訳ないのですが、どの道、あれをやらずには置かれなかったでしょう。」そう、昨晩使った”大地の揺らぎ”の呪文の事だ。
大魔法使いであるフレイアを薬物で虜にして、支配しようと言う考えを口にしていたのは、それを察知されたのは、掛かって連中の落ち度であると言える。
しかし、その罰は手酷い被害を都市全域に無差別に与えていた。
城壁の一部、補強されたり、後に追加されたりした部分は全て倒壊していた。元来の城壁部分はしっかりしており、被害はほぼ無かったが。
魔術師ギルドと装甲兵士ギルド、新しく建造されていたギルドの家屋と塔屋は、街の中央を流れる川べりに建っており、その敷地は埋め立て地に位置していた。地震はそこを直撃し、無残に液状化させて足下を掬い、崩落させ、倒壊させた。
壮麗な評議会議事堂は上部の尖塔が倒れて屋根に大きな穴が開き、先日俺達が潜入した寺院の尖塔も倒れてしまっていた。
イラムラグと言う魔道士の言っていた”死の使者に人が死を与える事”と言う件は、”死の使者に大自然が偶然の死を賜る事”とは違うのだろうか?大自然の力は、おそらく先代のカーリを殺してしまったと思えるのだ。
尖塔がペシャンコになり、石と煉瓦との平たい堆積物を晒している有様を見るにつけて、イラムラグの懸念について考えてしまうのだ。
エルフ達が女神と慕い、その権威を認めるフレイア。
フルバートの者共はそんな事を露とも考えなかったのだろうが、古来から女神へのセクハラを伴う侮辱は、必ず本人とその周囲に対する死の制裁として振り返って来るものなのだ。
それを知らないのは本人の勝手だが、法を知らずに犯罪を犯していたのだとしても、法がその犯罪を知らなかったと言う理由で誰かを許す事は決してないのだ。
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フレイアは少し前に身体を清めに浴室に向かっていたが、アローラは最後の時まで俺に甘えて来た。
「あたしを呼んでね。貴方の隣に呼んでね、約束よ!約束よ!」と繰り返し訴えていた。
結局は黙って最後まで涙を我慢してと言う”大人”を演じる事など不可能だったと言う事だろう。アローラらしいと言えばアローラらしいが。
子気味良い連続音が聞こえる。その音は、レンジョウの一部がアローラの小さな身体を内側から磨く音だ。寝台のシーツを掴み、身体を震わせながら、少女の姿をした勇者は別れの向かう最後の時間を必死の思いで過ごすのだ。
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「市内の各建物の被害は以上です。」突然降り掛かって来た災難、恐るべき地震がフルバートを襲ったのだ。何と言う不幸であるか。
「せっかく、エルフどもとの交流の約束が取り付けられそうになった矢先に・・・。」
しかし、吾輩の指揮する騎兵団は損傷を負ったとは言え、回復は可能だ。問題は、魔術師ギルドの崩壊により、魔術師の補充が不可能になった事、筆頭魔術師のランサーズが行方不明の状況であり、再編成が難しい事であろうか。
「所詮は頼りがい無き、軟弱な者共であったと言う事よ。」日頃から、金の無心ばかりで、結局は最後まで物の役に立たなかった奴であった。
報告を行った副団長のにドラナーには礼の一つ、労いの言葉の片句も与えずにライナードは歩き去る。
そこに待っていた女騎士ファラに対しては、「エルフとの交流が始まるのは、ファラ卿にも嬉しい報せであっただろう。奴等ががもたらすだろう長寿と美しさにより、貴卿もその美貌を永く保つ事ができるだろうからな。」とライナードは大惨事の事などケロッと忘れて上機嫌に戻り、世辞を口にした。
ファラ卿は、専ら策略と政略に長けた騎士であり、武力武略については不得意とする、世間遊泳の達人であり、社交界の寵児であった人物だ。5年前の騎士叙任の際には求婚者が続出していたが、その後にフルバートの権力者が彼女を揃って寵愛した事から、詰まらない色恋沙汰が、本気の粛正を呼ぶと知り、誰もが求婚を取り下げた。
その後、ファラは巧みに政界と貴族社交の間を渡り切り、それなり以上の地位と人脈を手に入れて来た。
まあ、自尊心と身体の切り売りについては避けられないし、中にはとんでもない変態も居て、それなりに苦痛ではあるが、それなりに楽しく、それなりに世間に一般的ではない快感も味わい、それなりに羞恥心と言うものが理解できなくなる様な経験はして来たのだが、自分の値段をありえない位に高く付けられた事は収穫だったと思っている。
そんな彼女であるから、若さと美貌の維持については興味の範疇を超えて、是非にもそれを達成したいと思っている、切望している、熱望している、渇望している。
中でもファラに興味を抱かせた話だが、伝え聞くエルフの女の道具の耐久力は、何百年もの使用に耐える様に、著しい再生能力と耐久力を兼備した逸品なのだと言う。
どんな器具を使っても、どんな過酷な遊戯を仕掛けても、何人の相手を一晩に熟しても、エルフの女の秘部は型崩れしないのだそうだ。延びもせず、弛みもせず、淡い色を保ったままなのだそうな。
ファラとしてはそれに羨望するしかない。昨日来、あのフレイア女王の姿を見た事もあり、あの若さを保てるのならば、それが10年そこらの事であっても、構わない。
女が回春を望む気持ちは男以上に切実で深刻なのだ。特に、自分の使い込んだ道具にはミョウバンの水溶液を幾ら塗り込んだとしても、全く形も色も元に戻らないと言う現実に直面して、今も打ちのめされている最中なのだから尚更だ。
顔の美貌は誤魔化しが効く。だが、身体はスタイル以外は誤魔化しは効かない。中身も外見も。ライナードはまだ相手にしてくれるが、ファラに飽きたブレイブなどは、もう彼女への興味を完全に失っていた。
”絶対に手に入れて見せる。私の身体を蘇らせて、権力者達に私を見直させ、権力を更に増大させるのだ。”そうファラは強く誓った。
そのためには、貴族達の力を存分に使うしかない。
その貴族の内で、最も彼女を引き立ててくれて、最も扱い易いとわかったのがライナードである。
劣等感の塊には、優越感を与えれば良い。そう、劣等感と優越感は絶対値においても、その本質においても同一の何かであるからだ。
完全に御里が知れてしまった輩に対して、彼女としては多くを与えるつもりはない。徹底的に無料で使い尽くせる範囲を使い尽くす。それ以外の意識はない。
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ショートヘアの淡い金髪が水滴で濡れている。アローラを浴室で洗ってあげながら、これが最後なのだとエルフの森での様々な事について思い出す。
「レンジョウに、こうして大事にして貰ったの。ずっと嬉しかったし、ずっと思い出にするし、ずっと忘れないの。」水滴に紛れて、涙が少しずつ流れている。
「エルフの人生は長いの。あたしも125年以上生きて来たよ。でも、この何週間程に幸せだった日は無かった。今までの125年間、レンジョウは居なかったから・・・・。」
二人とも目を閉じて、お互いの背中に手を延ばした。「レンジョウの心臓の音。凄く強い音よね。レンジョウは生きている。誰よりも確かに生きている。」小さな頭を掻き抱き、俺は浴室の床に立っていた。そのまましばらく二人で立っていた。
一緒に過ごした日々は短かった。最初にとげとげしい態度、次に理解が生じ、打ち解け、共に戦う様になり、お互いの素晴らしさを認め、恋に墜ちて、今から別れる事になる。
何故だろう・・・。それは”使命”があるからだ。
”使命”・・・そんなものは前の世界では考えた事も無かった。そこでは求めた平穏も平和も手に入らず、傷を背負って生きるだけだったのだから。
この世界では沢山の大切な何かができた。だから、俺はこの世界に自分なりに何とか応えたいと思っているのだ。アリエルやシーナやザルドロンの許に戻るのはその為なのだ。
”俺も少しは勇者らしくなったと言う事か・・・。”
そして、騎士道物語の主人公の様に、目の前で胸に顔を埋めている恋人と別れて、使命の達成の為に旅立つ事になる。
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その女は、汚い身なりで、泥と土に汚れながら街を素足で歩いていた。家を地震で失った難民なのか。
それを後ろから見ている者がいる。その者は、どこかに何かを報告している様である。
その後に、その女は何者かに保護され、靴を渡された後、一緒にどこかに去って行った。
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「もうすぐ午前10時です。今回の通信は早めに切り上げます。使節団の帰還は・・・午後2時出発を予定しております。」
「そうか・・・。」
「・・・・・・。」
「さあ、例の馬鹿げた衣装に着替える事に致しましょう。」フレイアも気持ちを切り替えた様だ。
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ドラナーは大事な報告をしている。それなのに、何故この男はその報告の重要性を認識すらできないのだろう?
「結果として、”塔の住民”は瓦礫の下から遂に発見されませんでした。生死は全く不明です。」
「お前は何が言いたいのだ?さっぱりわからん。」ライナードは不機嫌に吐き捨てる。
「サリアベル姫の消息について報告しております。」ドラナーは怪訝な口調で確認をしてみる。
「今の吾輩は、フルバートの繁栄を賭けた大事業に思いを馳せる事に集中したいと思っておるのだがな。」と毎度の尊大で、見当外れな言葉の羅列を口にする。
「フルバート伯爵家の御息女が生死不明なままと言うのは、対外的によろしい事でしょうか。尖塔に幽閉したまま、災害で行方不明では、どさくさに紛れて殺害したと言う難癖もありえます。」ドラナーはそう口にするが、反応はと言うと、まさに暖簾に腕押しと言った感じだ。
「ノースポートの者達がサリアベル姫を現に確保に来た事をお忘れでしょうか?近くで訓練中だった長槍兵を急遽駆け付けさせて警備に就けたのは団長の指示でしたよね?」
「そうであるが、あれはカオスの者共が一報を入れて来た故に、その要請に応じただけの事。吾輩の本位でもなく、興味のある事でもなかったのである。」そう言って不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだ。
「それ程までに気になると言うのならば、貴殿の好き勝手に調べるがよかろう。吾輩は伯爵の御前にて、最後の打ち合わせを行う用事があるのだ。」それについては、ドラナーも同行せねばならぬ。ライナードに実務的な能力は全くない。
結局彼が付き従って、全ての雑事を熟さない限り、騎士団の運営も不可能。各勢力の書記が好き勝手に自分達の勢力の利権を得る為、でっちあげに近い報告や奏上の文書を上げて来る、その様な腐敗し切ったフルバートの行政状況の中で、官僚組織を運営する事の厳しさを、ドラナーは知悉している。
だから、ドラナーは部下の一人に、サリアベル姫を尖塔の下から掘り出す様命じると共に、それらしき人物が生存していなかったかどうか、もう一度調べる様に指示を出してから、ライナードの後を追った。
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「ハロット、マルセン、ロットー、ラザウェイ。この四人については、準備は万端なのですね?」シュネッサは部下達に報告を求める。
「全員で周辺を更に洗い出しております。」副官のリカートが報告する。
「ハロットの家族を監視しているらしい数名の人物を探り当てています。」
「マルセンも同様です。いつでも監視している連中を行方不明にできます。そこは間違いありません。」
「ロットーが私の担当部署ですが、彼の家族を監視している者の弱みを握りました。対処は簡単です。」
「ラザウェイ殿の家族については、何と妹様が先日に交際を開始したお方が監視者でした。妹様のお為にも、明日を境に事故死して頂く所存にございます。」
「よろしい。ところで女王陛下直々のお達しがあった。”ヴァネスティでは、夜の剣士達が森の安寧のために、夙に功績を挙げている事を喜び、その功績に鑑み、ダークエルフ族に領土の一部を封じ与うる事を決定したもの。女王フレイアの名においてその権利を保障するものなり。”」
「???」
「それって、この森の中に、ダークエルフが自由に住める場所を提供するって事でしょうか?」
「そうみたいね。故郷から、誰かを連れて、地上に住まわせる事もできると言う事よ。」
「はえぇぇぇ・・・。こりゃあ、一大事だ。」
「つまり、今後はもっと励めって事かな?」
「一人が、地下世界からリクルートする役に専従すべきかも知れないな。」
「嫁さんを貰って、子供作って、そいつに忍びの技を伝授するってのはありだよな。」
「ともかく、急ぎの仕事のその次にゆっくり皆で集まって考えようじゃないか。」
「そうだな。」「そうですね。」「ではまた。」「頑張ってね。」
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「いよいよだな。」
「いよいよですね。」フレイアが短く答える。
午前10時、遂に俺のヴァネスティでの滞在が終わる時が来た。そう言う事だ。
アローラの肩を抱いて、行っておいでと声を掛ける。
二人の後姿を見つめる俺は、寂寥感で胸が潰れそうだった・・・。