表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/166

第七十六話 手に入らぬモノ

 マールティン・フルバート伯爵は肥満した体躯を輿に乗せて廊下を進んで行く。廊下には、議会に登庁して来た全ての議員が並び、職員の男女も序列に応じて見事に整列していた。

 感情の起伏それ自体が見えない瞳には、それでも仄見える異様なものがチロチロと露出し、迂闊に瞳を覗き込んだ者達を後悔させた。

 それは見る者が見れば、必ずそれと理解できる何かであったが、伯爵に追従する者達はそれを威厳だと思っていた。


 彼の外見をどう表現すれば良いのだろう。身体はドラム缶の様であり、首が異様に太い、確かに肥満はしているが、顎や頸がそれ程に弛んでいる訳ではないのだが、後ろから見た伯爵の頭は、大きな頭と大きな首が連なっている。太い腕と太い脚が同じくドラム缶の様な胴体から突き出ているが、それらは若き日から碌な力も発揮できなかった見せ掛けの飾りであり、特に脚は力を失い、数年後には歩行が完全に困難となるであろう。

 エルフの女を個人所有して、それを毎晩侍女と下男の介添えで何とか”使用”している伯爵であったが、回春の効果も捗々しくはない。そもそもの大元が弱体なので、少し位の時間を取り戻しても効果が見えないのだろう。しかし、傅く者は多く、権力の維持には困りはしない。とにかく、フルバートの中には怖いモノは何もないのである。


 そして、彼は議場に入り、入場して来てた者達を睥睨し、一斉に栄誉と健康を祈る叫びを耳にしながら着席する。と言うより、豪華極まりない輿そのものが彼の座る椅子であった。巨大な背もたれが据えられて、両脇からは侍女が甲斐甲斐しく世話を焼き始める。


 時間となった。議場の外に天馬が舞い降り、今や厳重に警備された評議会議場の建物の前の庭に、エルフの騎士団長サトゥルヌスが愛馬と共に舞い降りるのが見えた。

 程なく、騎士団の副団長ドラナーが露払いとして議事堂の扉を開き、武装こそしていないが、猛気が触れられる程に感じられる猛々しいエルフの男が入場して来た。

 彼こそエルフ騎士団長のサトゥルヌスであり、美々しく飾った鎧は、良く見れば方々が欠け落ち、作り直した跡が見える。つまり、それ程の激戦を行って来た証と言う事だ。


 その美しい顔立ちには、一切の妥協を許さぬ頑固さが伺え、甘いマスクが一種異様な険しさに彩られている。それもまた色気になる筈なのだが、そうでもない。

 と言うのは、その眼差しに深い憎悪と敵意と軽蔑がありありと現れ、何かの拍子に爆発的にそれが”行動”となって噴出する予感があるからだ。騎士団長のライナード男爵は、それを目の当たりにして以来、深刻なパニックに陥ってしまっている。


 パニックの原因は、絶対に適う訳もない相手に敵意を露わにされ、自分の弱さに癇癪を起してそれを否定できず、エルフと言う殺人を平気で行う危険な種族の本性を垣間見てしまったからだ。

 ライナードが嗜虐的な快感を追求するのは、その潜在的な無力感からの開放に、弱者の苦痛と悲鳴と死が必須だからなのである。ところが、そんな事では誤魔化せない相手が目の前に現れたが故に、ライナードは急には立ち直れないパニックに陥り、現在も自失寸前の体たらくで、辛うじて失墜を恐れて議場の席に座っているだけだ。

 だから、彼はサトゥルヌスの方を見る事すらできない。ひたすらに、エルフの騎士が去ってくれる事を願うだけなのだ。


 そして、サトゥルヌスは水晶玉を経由して女王に呼び掛け始めた。やがて、水晶玉の光は増大し、空中に映像を結び始める・・・。


 ****


「騎士団の長からの連絡が入っております。そろそろ出番である様です。」

「そうか、じゃあ俺とアローラは反対側で待つ事にするよ。」

「フレイア様、いつもの羽毛とは違うけど、その服装も似合っているの!」とアローラが褒めてくれる。

「アローラの出番もあるのです。合図をすればこちらに来て下さい。」わかったの!と言う返事があった。

 そして、レンジョウ様と抱き合って、熱烈なキスを交わし、服装の乱れを少し正してから、水晶玉に手を置いて通信に応じる事にします。


 ****


 現れた映像に皆が息を呑んだ。そこには等身大の女王エルフの立像が現れたのだ。

 身長は百五十五センチ程か?小柄ではあるが、見事なプロポーションの肉体だ。胸も尻も大きさは控え目だが見事な形であり、手足は驚く程に細身で長いがヒョロヒョロはしていない。

 胴体はスラリとしており、形の良い臍が見え、男なら欲情せずにいられないだろう美麗な腹部の下にある腰は、見事に括れて尻に向かう美しい曲線を描いている。


 身に着けた衣服は、驚く程に扇情的な代物で、首元の黄金の飾り物は中央の宝石が青く脈動しながら輝く魔法の装飾品であり、緑色に燐光を放つ身体を隠しているのは、上半身が青と白の糸で飾られた少し大きめのフリルが付いたビキニ状の肌着、下半身は白い紐付きビキニで、これも若干の縫い取りはあっても人間目線では下着にしか見えない。


 人間達があっけに取られているのを後目に、女王エルフは若干頭を下げた様に見える位の会釈をした後に話を開始した。

「ヴァネスティの女王フレイアと申します。そこはなにがしかの議事堂かと見受けます。参集して下さいました方々の内、どなたがフレイアとお話をなさるのでしょうか?それとも、フレイアが一方的にお話をして終わりにすればよろしいでしょうか?如何に?」と呼ばわると、そのまま沈黙してしまった。

「我はフルバートの太守であるマールティン・フルバート伯爵である。フレイア女王には初にお目に掛る事となり、光栄に思う次第である。」それにはフレイアは何も答えませんでした。

「騎士団の長よ、この水晶を伯爵の前に据えるが良い。」そうとだけ騎士団の長に命じる。

「女王フレイアよ、ご命令のままに。」そう言うと、エルフの騎士は恭しく水晶玉を掲げ、台座を据えて水晶をその上に安置した。

「大儀であったな。騎士団の長よ、議場から退出するが良い。後はフレイアが引き受けようぞ。」

「ははっ!」と畏まった後、騎士団の長は踵を返して、議場から勝手に退出して行く。数分後には地上で待機していた者達と共に空中に舞い上がり、軍勢を引き連れてエルフの森に帰ってしまいさえした。


 ****


 目の前には、美しいと表現する事さえおろかな女が立っている。美しい金髪から、顔の中央を彩る緑色の宝石の様な両目、控え目ではあるが造作の中央にあって美しさを引き立てる鼻、小さい口と多少薄目の唇、時々浮かぶ笑窪。首飾り、布地に隠された胸元、腹部、腰部、秘部を隠す白い小さな布地、細くて長い脚、脚に絡まる蔓草の様な革の編み上げサンダル。身体の周囲で脈動する緑の燐光。


 それらが一体となって驚くべき美を構築している。

”これ程の美しい女王がエルフを治めているのか。”と誰もが驚く。少女の様でありながら、これは大人の女であると、誰もが確信するそんな女であった。まさしく、伝説の天女を思い浮かべる。そして、その美しい女は用件を一方的に物言い始めた。


「ありがとうございます、伯爵殿。今回の用向きですが、先日そちらの街で我が勇者が騒ぎを起こした件についてです。アローラ、いらっしゃい。」と女は誰かを手招きした。

 女の横に現れたのは、痩せぎすでくすんだ金髪と冷たい青の瞳を持つエルフの少女だった。着ているのは赤い板金鎧で弓を肩に掛けている。

 まるで弓兵の様な格好で、横に並ぶ女王とは美において比べられない程に貧相に見えた。背も女王より低く、これはエルフ族の内でもまだ子供の年齢であるだろうと思えた。

「あたしはアローラ、エルフ族の勇者よ。先日、とある男の依頼を受け、フルバートに出向きました。」

「男は用件を人助けだと言っていました。あたしも人助けならば手を貸せると考えて、行動を共にするとの誓いを立てる事となりました。実際は、その誓いのせいでフルバートの兵隊を殺傷する事となりました。」

「真に申し訳ありませんが、あたし達エルフは誓いを立てたら用件の終了までは誓いに縛られる事となります。不用意な誓いを立てたあたしにも責任はありますが、それもこれも人間と言う代物が”平気で嘘を吐く”と言う事を、正直で清潔な人柄のエルフ達との生活の中でうっかり失念していた、そんなあたしの至らなさによるものです。ここに陳謝致したいと思います。すみませんでした。」と一気にまくしたてると、黙って例の置物状態になった。


 ****


「何か本件について、ご質問やご意見はございますでしょうか?」フレイアは穏やかに言う。

「人助けと言うが、具体的にはどなたを助けるつもりだったのかな?」フルバート伯爵が重々しく切り出す。

「知らないの。あたしは助けて欲しいと願われただけ。そして、借りを一つ返す為に同道しただけよ。」アローラは口だけを動かして瞬間的に答えて行く。

「借りとはどんな借りだったのですか?」伯爵の息子であるブレイブが問うが「あんた達にあたしのプライベートを告げるつもりは無いわ。」とこれも一言で終わり。


「アローラ殿は、確かにわが軍の兵士を殺したのかな?」と伯爵が問うが、「あんた達汚い人間風情にあたしの名前は呼ばせない。勇者殿と今後言いなさい。そして、殺したかどうかだけど、別に良いんじゃない?人間の兵隊が何人死のうが、どんな理由で死のうが。そうね、今回の件はあたしが殺した。一発の矢で二人が死んだわね。それってあたしの責任なのかしら?」と表情も変えない。例の殺し屋エルフに完全に戻っている。


「人を殺しておいて、別に良いで済ませられるものか!」とライナードが大声を挙げる。まあ、普段の自分の行為、特に今も殺害せずに、家族の目の前に晒す為に地下牢に取り置いている身体を毀損された少女の事は頭も過らない。

「別に良いのよ。あたしはそう思ってるし、今後もその考えは変わらない。それがどうかしたのかしら?」とにべもない。


「思うに、貴殿等は我々に宣戦布告をする為に通信して参ったのか?」とフルバート伯爵はイラつきを隠さずに言葉を発する。落ち窪んだ眼窩の中にある小さな丸い目が二人のエルフを睨む。五角形の顔が怒りに変形し、口がへの字になり、鼻腔が拡がって醜い顔の中央で自己主張をする。

「いえ、フレイアにはその様な下賤な意図はございませんわ。エルフの者共は常に平和を希求しております。戦争を仕掛け、臣民を拉致しようと企むのは、いつでも他の種族達ばかりでございましたの。」と真面目に答える。その顔に、喩え様も無い美しい笑みが広がり、可愛い笑窪が両頬に現れる。


 その表情と物腰には優雅さと色気が混在して腹部や腰、脚の位置、髪の毛を掻き上げる動作の際に見える脇の下にどうしても皆の目が向かってしまう。

 残念ながら、後ろの方の席の者にはその姿は見えたが、前の方の席に座っている者達にはフレイアの姿は見えず、眼福を味わえないままに終わってしまったが。


「では、その者が我等の手の者どもを殺傷したと言う事を引き合いに出したのは何故か?」フルバート伯爵が尋ねたところ、アローラが返答をした。

「つまり、それは今後人間どもがあたしが殺した兵隊の事をいろいろと難癖を付けて来る事を封じるためなのよ。」段々と元通りの口調に戻って来たアローラだが、それでも内容についてはキチンと押さえていた。

「だからね、フルバートの議会や庶民にあたしの事で今後はいろいろと取り沙汰されない様にしたい。そう思ったので、フレイア様に相談した訳なの。わかる?」と露骨に馬鹿にした口調だった。


「下郎、お前ごとき小娘が、フルバート伯爵閣下に何と言う物言いか!」とライナードが怒鳴ったが、誰もそれに異議を挟まない。伯爵としては、ライナードの激昂は不愉快だが、馬鹿にされた自分を庇うライナードの忠勤を叱り付ける事もできないし、しない。エルフに弱みを見せるのは良くないのだ。


「だから、別に良いじゃない。所詮は伯爵でしょ?位から言えばバーチの侯爵の方がずっと上だし、それでもフレイア様とは釣り合わない。アリエル姫でも、きっとフレイア様にはあんた達よりもっと遜ると思うわ。けど、その場合はフレイア様も遜ってお言葉を発する事でしょうけどね。」

「わかる?あたしがこんな口をきくのは、所詮あんた達は一番上が伯爵程度の有象無象だからよ。もう一度言うわよ、わかる?」と言うや、口元を歪めて嘲笑の形を作った。


 俺はそのアローラの嘲笑を見て、心が疼いた・・・。アローラの目を見て、こちらに手招きする。

 フレイアにも目配せして、もう一度アローラを手招いた。

「しばらくお待ち下さいますよう。当方は本件についての陳謝の用意がございます。それを踏まえた上で、議会でお話の方向を取りまとめ下さいませ。では、時間は二十分後に会談を再開致しましょう。」


 ****


「アローラ、あれはやめろ・・・。」

「あれって何なの?レンジョウ、アローラに怒ってるの?」アローラはオロオロし始めた。目には見る見る涙が溜まって来ている。


「必要な事はわかっているが。お前が誰かを嘲笑する姿は見たくない。」俺はジッとアローラの目を見つめた。

「お前がそんな事をする姿を見たくはないんだ。」


 ****


”ああ・・・。”

 喜びがゲシュタルトに大きな波を立てる。輝く面と積層がそれぞれに変形し、変化する。

”わかるの。あたしにもわかるの。”

”おじ様に、こんな風に叱って貰えるなんて・・・。”

”レンジョウは、あたしが間違った事をしたから叱ったんだよね。”

”アローラ、おじ様はアローラが大好きで、今のままの素敵なアローラで居て欲しいから叱ったのよ。”

”レンジョウの気持ちが伝わって来るの、嬉しくて涙が出ちゃうのよ。”

”素晴らしいわ、夢の様だわ。”


 ****


 涙を零し始めたアローラの姿に、俺は動揺を抑える事ができなかった。俺にしがみついて、泣きじゃくっている。

 肩を抱いて、背中をさすると、小刻みに震えている。

「お前が嫌いだから叱ったんじゃないんだ。お前には、誰かを嘲笑する様な女になって欲しくない。それだけなんだ。」俺はそう諭した。


 アローラは素直に頷いて、「わかってるの。わかったから、嬉しくて泣いちゃったの。」と言葉を発する。まだ目から涙は流れ続けている。

 俺はアローラをお姫様抱っこすると、顔を近付けてキスをした。アローラはそれに応じて、俺の唇に吸い付き、舌を動かして喜びを表現した。


 ****


 熱いキスを交わす二人を見つめながら、フレイアは穏やかに微笑みながらも、実は思索に耽っていた。

 あの二人の間に通っている何かは、あのフルバートの下賤どもには永遠に手に入らない何かなのだ。


 そう、連中に見せつけてやるのだ。自分達の手に入らない何かを。

 そして、更に自分達がどうにもできない力の存在についても・・・。徹底的に教育してやる必要がある。

 無邪気なアローラとは違い、フレイアは内面の黒を絶対に面に出さない。それこそは手強さであり、それこそは積み重ねた年齢故の知恵でもある。


 さあ、次の幕までに、アローラの目の充血は収まっているのだろうか?それが今のフレイアの一番の懸念であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ