第六十七話 塔の中の姫君その2
朝になって目を覚ました。アローラには身体を拭くために井戸水を汲んで来た。
そして、扉を開けて、桶を中に運び込んだ時・・・・。
そこに裸で横たわっていたのは、歳の頃は19か?20か?それくらいの、ハッと胸打たれる程に美しい金髪の女性だった。細身でも柔らかい曲線で、髪の毛も肩まで垂れている。
驚いて立ち竦んだ俺だったが、次の瞬間に目に映ったのは、見慣れた短髪で痩躯の少女で・・・・。
なんだったんだ、あれは?
見間違いかとも思ったが、いやにリアルだった。しかも、顔は多少ふっくらしていたが、やはりアローラの顔だった。
猫の様な造作と特徴的な鼻の形、それが僅かに年齢を重ねて、多少ふっくらしただけで、華の様に鮮やかで、心を震わせる程に美麗になるとは・・・。
そんな事を考えている間に、アローラは身じろぎし始めた。そして、ぱっちりと目を開くと、大きな欠伸をして、寝台の上で猫の様に伸びをした。
「おはよ、レンジョウ。ありがと、身体を拭く水を汲んで来てくれたんだね。」ニッコリと笑うと、アローラは手拭いを寝台の宮から取り、こちらに近付いて来た。
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「お昼にはここに着いておこうよ。それから、まずは偵察だからね。あたしが動く事にするわよ。」と、食卓で”ご馳走”を細かく口に入れて噛みながら、アローラは地図を示して作戦を立てて行く。
作戦の立案、そして事前の偵察はアローラのお家芸みたいなもので、フレイア直属の勇者である事からも、エルフ騎士団に命令する事も多々あるのだ。
夜の間にいろいろと話せて上機嫌になっていたが、それは目覚めた後も継続中である様だ。
そんなアローラの笑顔を眺めている内に・・・俺の目に映ったのは、6歳程なのか?小さな女の子の顔だった。満面の笑みで、俺の事を見ている。大きな目で・・・アイスブルーの瞳には、確かに俺の顔が映っているのが見える。
「どうしたの?レンジョウ?」ぽかんとした顔でアローラがこっちを見ている。再びそこには痩せた顔のエルフの少女がいた。
そうだ、何かがおかしいと思ったんだ・・・。俺には理解できた。先程の妙齢の美しい女性、美しい幼女、両方とも・・・エルフの尖った耳ではなく、柔らかそうな人間の耳の形をしていたんだと。
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二人で手を繋ぎ、再び駆け始めるの。流石に凄いのよ早い早い!途中からは実験も兼ねて、空中を走ったりもしたわ。やはり、地面とは違い、手が離れてしまいそうなので、地上にすぐに戻ってしまったけどね。
”こうやって、二人でずっと森を駆け回っていたいわ。日がな駆け回って森を巡回するの、邪悪や混沌の侵入を監視し、危険を察知するの。慎ましく暮らして、時々街が平和か確認しに戻り、また森を守護するのよ。”
そんな日々が将来来るのだろうか・・・。二人一緒にそうして暮らせたらどんなに幸せだろうか。
そんな事を考えながらも、周囲には絶対に警戒を怠らないの。アローラはそんな風にできているのよ。生まれた時から、消える時まで、絶対にそれは変わらないわ。
強く腕を引く、”止まって”と言う合図。レンジョウの手を掴み、指を最初に言ってた通りに折り曲げるの。近くに木製の柱があったので、それにレンジョウの手を掛けて、自分は偵察に出掛けると合図を送り、単独でそこを離れたの。
農奴が逃亡して廃棄された荘園、その一角にそいつらは居たわ。
”工兵隊だ・・・。”ツルハシとシャベルを担ぎ、土嚢袋を荷駄で引き、帆布らしき布を担架状にしているのだろう代物を高く掲げて担いでいる。他にも、地面を均す道具や、水準器と三脚のついた測量器具、随分本格的な部隊に見えるわ。そして結構な数がいるのに驚いたわよ。
”フルバートから北に道を引くつもりなんだ。”と理解できたの。もう、連中等にはそれを隠すつもりすらないのよね。自分達がカオスの国と手を結んでいるのだと言う事を。
だからと言って、別に悪い事をしている訳でもないし。ここで殺してしまうのも、後々を考えるとマズいかな。と考えてる最中、そこに奇妙な人物がいるのに目が留まったのよ。
微動だにしないその男は、身の丈2メートルを超えそうな体躯を真っ赤な鎧、鮮血の色の鎧に包んでいるの。雄牛の様な角飾りが印象的だったわ。
”あんな兜で、武器は上手く揮えないわよね?担ぐのにも振り上げるのにもあの角は不便だわよ。”と思うが、その男は別に武器で戦うつもりはないみたい。手に持っていたのは大きな杖だったからの。
しかも、魔力が杖の尖端から噴き出しているのが、遠目に陽炎の様に見える程の代物を手にしていたのよ。
”あのなりで魔法使いなの?”と驚く。とにかく、あれは正体不明だ。避けるに越した事はない。そんな事を考えていると、奴がこっちを見たの。あっちはあたしが見える筈がないのに、目が合ってしまったの!
だから、急いで来た道を引き返したの。砂埃が上がらない様に空を飛んで。目的地の木製の柱のところで、レンジョウと落ち合い、今度は手が離れるかも知れないのを推して、お互いに空中を飛翔してその場を離れる事にしたの。
空に浮かびながらレンジョウと話をしたわ。「新手の勇者らしき何かを見たのよ。透明なままで様子を窺っていたけど、それでも相手はこちらに気が付いたみたい。」そう言うと、レンジョウは「透明と言っても油断大敵って事なんだな。なににせよ、カオスの国は本格的にフルバートに援助をするのだろう。もうなりふり構わない、構う必要もないって事だろう。」
あたしもそれに全く同感だったわ。それにしても、透明なままで良かったとも思った。
レンジョウがノースポートに早く帰らなければならない、その大きな理由が追加で判明してしまったのだと気が付いたから・・・。だから泣きそうになったの。
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「いたな、あそこに誰かが・・・。」口に出して呟く。
「ああ、その様じゃの。空を飛んで逃げおおせた様じゃ。」馬車の中から声がする。近くに侍った鎧の男ではなく、その背後の馬車の中から声は発せられている。
「こちらを目指していた様ですから、斥候に出ていたのでしょうな。おそらく、目的はフルバートに入るつもりでしょうか。さすれば、奴はエルフ族でしょうか?」次々と男は状況についての分析を連ねて行く。
「来た方向から見ると、そう言う事なんじゃろうな。してみると、やはりタキの申しておったとおり、奴等はカオスノードを全て平らげてしもうたと言う事じゃろうな。わざわざと儂ら二人が護衛についておった意味も既になくなっておったと言う事じゃろうよ。」
「左様、カオスノードからはぐれた暴走怪物への対処は最早必要なくなったと考えて間違いないのでしょう。どうなさいますか?」
「どうもこうも、離脱の命令は出ておらん。フルバートに奴等が赴いたとしても、レイヴィンドとタキがおる。任せても良いのではないかな。」
「左様ですな。そう致しましょう。」
「いずれにせよ、命令待ちなのは変わりないと言う事じゃよ。」それだけで会話は終わった。後は二人とも黙って待機するのみだった。
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結局、フルバートへの侵入経路は空からになった・・・。城壁を超え、目標の地図と”上空から比較しながら”目的の建物の屋上に飛来したのだ。目印として、屋上にはカラスの置物があったが、これは良いのだろうか?
なにしろカラスとは、他ならぬフレイア女王のトーテムであると、知っている者は知っているのだから。
「どなた?」と笑いを含んだ声が聞こえる。「あらら・・・残念ながら名乗る訳にはいかないのよ。」
「はい、ではどうぞ。」と相手が言うや、屋上の扉が開いた。
「あのさ、それって合い言葉だったのか?」と俺が問うと、「うん、そうだよ。」と当然でしょと言わんばかりの返事があった。
「ようこそ、ヴァネスティ第五列のフルバート潜伏アジトに。」ローブを掻き上げた細い腕も、ローブのフードから見える黒い肌の美しい顔もダークエルフと言う奴の特徴なのだろう。ヴァネスティのエルフの肌は皆白いか赤かったのだから。(いや、黄色もいなかったな。)
「ご用向きはわかっておりますが、サリアベル姫の幽閉されている尖塔に向かわれると言う事で間違いありませんか?」と念を押された。
「間違いない。」と俺が念を押すと、「事前情報をお伝え致します。あ、その前に、私はダークエルフ族のシュネッサと申します。元来は”夜行剣士団”の一員でしたが、フレイア女王の密命でフルバートの常駐工作員として働いております。」
「ううむ。あんたは別世界の住民だと聞いているが、何故この世界に来たんだ?」俺はそこに疑問があった。
「いえ、我々の一団は、ダークエルフ族の残酷な支配に以前から今に至るまで、かなり深刻な不満を持っておりましたので、アルカナス世界ならミロールよりもマシかなと思っておりましたもので。それである時に逃げて来た次第なのです。」とサラッとしたものだった。
「ごめんね、元来たところと大差なくて。でも、もうあたし達エルフ族も、人間の街を破壊したりはしないのよ。」とアローラの顔に縦線が入っていたが、シュネッサは笑いながら言った。
「いえいえ、部下が優し過ぎたりすると、不出来な者として徹底的に拷問と洗脳をされてしまうダークエルフの社会に比べれば、アルカナスのエルフは穏やかで良いですよ。そもそも、ダークエルフの使うドロウマジックですけど、事前に生贄を殺害して、その恨みを敵に転嫁すると言う外道な魔法ですからね。そんなのを種族ぐるみで使ってる時点でアウトですよ。」との前置きの後、一気に教えてくれたのだが。
「で、尖塔の事なんですが・・・・。多分、無駄足です。」と一刀両断だった。
「何故なの?」とアローラが問うが、「あの姫様については、以前から何かの政治的な利用価値があるのではと思い、一時期はしっかり見張っておりました。しかし、現在では姫様は生存しておられないと結論しておりますの・・・・。」
「続けてくれ。」と言うと、「根拠は簡単です。食糧を運び込んでいる形跡がない事と、監視のための兵隊が極少ない事です。つまり、尖塔の中には食事も差入れられず、外には見張りも置かれていないのです。」シュネッサはスラスラと答えた。
「・・・・・・。」俺は少し考えた。無駄足なら無駄足で構わない。しかし、何かが引っ掛かる。
「調査してみよう。できれば中を確認してみたい。何故サリアベル姫が未だに生存していると思われているのか。それがわからない。」
「そうですか。それならば、調査なさるのも悪くないかと。後、一つ気になる事はございますね。何故か、尖塔の基部には魔法の封印がなされております。しかも、我等の種族とは縁が遠い白系統魔術である様ですが。」
「それも併せて調査しよう。」
「ならば、シュネッサから最後の忠告がございます。」と、ニヤリと大きな薄い唇に縁取られた口を更に横に引き延ばしながらシュネッサが笑う。その笑い方は、どうにも意地悪な上に、好奇心で溢れている。
「・・・・・・。」
「いえ、お二人ともお盛んなのはよろしいのですが、特にアローラ様からは男の方の匂いがプンプン致しておられますね。ひひひ・・・・。」と言う答え・・・。
「お風呂を沸かしますので、どうかお使い下さいませ。故郷の地下世界を離れてから、男に日照っております年増女には真に毒な匂いでございます。」
その言葉に、アローラは真っ赤な顔で俯いた。「ばらしたら、世界の果てまで追い掛けるわよ。」と呟くが、妙齢の黒い肌の美女には恐れ入る様子は全くない。
「もちろん、お忍びの事とは存じております。他国の勇者と、文字の通りにお通じになっている等とは・・・。」クスクスと両目を輝かせて笑っている。
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興味深い。あの殺し屋の様な雰囲気だった森エルフの勇者が、すっかり人間らしくなっている。あの勇者が森の外に迎えに来た時は、真剣に地下も地上もエルフには変わりは無いのだと暗澹たる思いに苛まれた程だったが。
それが杞憂だと知った後にも、あの勇者の与えた印象は決して忘れられなかった。それがどうして・・・。
大人の雰囲気は未だに備えていないが、ガッつかず、サラリと側にいて、しかも清純な雰囲気を保ち続けているのは見事だ。
匂いの濃さから察するに、怖ろしく濃密な交わりだったのだろうに。その余韻を隠している訳ではなく、至極当たり前の事として全く面に出す事がない。それこそは見事な女の嗜みだと感心する。
彼女は他国の勇者との色事をどう捉えているのか?単なるスポーツなのか?真剣な恋愛の末なのか?間違いなく後者だろう。
シュネッサのかつての連れ合いは、まさにシュネッサへの熱烈で純粋な愛が原因で、女王に呼ばれ、直々に拷問を受けた末に、邪悪な別人に成り果てた。
それ故に、シュネッサは地下から、彼女を姉とも慕う者達を連れて脱出したのだ。彼等彼女等も、いずれは同じ目に遭い、別人に成り果てるのだと思うと、命の危険などどうでも良かった程に当時は思い詰めていたのだ。
今のシュネッサの目の前には、殺し屋から一転して豊かな心を備えるに至ったエルフの勇者がいる。その姿に、かつての愛しい男の残骸を目にして絶望の涙を流した過去の自分が浄化される様な心持ちを感じてしまうのだ。
そして、風呂を沸かして準備は万端。入る前に「ちゃんと中までお洗い下さいね。」と勇者に向かって忠告したのは、これは白のエルフにも共通したちょっとした悪戯心と言う訳だ。
本当に・・・この二人が羨ましい。過ぎてしまった過去とは言え、やはり忘れられない事はある。
今はともかく、この微笑ましい二人の任務をひたすらに支援するだけだ。それが何かの自分の過去への償いになる様な気がしたから。