第五十一話 カオスノードその1
あの緊張に満ちた演説の後、フレイアは軍団に動員を行う旨をエルフ族全員に告げた。驚いたのは、エルフ族の成人は全員が魔法の武器を保持していた事だ。
あの数、数十万人が全員戦士と言う事なら、手に手に石を持って襲い掛かっただけでも、フルバートの軍団は壊滅してしまうのではないだろうか。そう思ったりもするのだが。
そして、俺とフレイアは森の魔術を少しだけ解除する儀式に取り掛かった。と言っても、ヤル事は同じなのだが。ただ、これからは浴室ではできないと言う事だった。更には寝室にいろいろな柱みたいな物が置かれている。
「これって、やはり魔法の道具なのかな?」と聞かないでも良い様な事を聞いてしまった。
「ええ、そうですわ。」と言うフレイアの顔にも、僅かな緊張が見える。やはり聞かない方が良かったか。
「これって、ちょっとだけ危険な魔法の道具なんだろうか?」危険な雰囲気を漂わせる魔法の柱にチラ目を送る。なんか、凄く放電しそうな雰囲気で、作成者二コラ・テスラとか書いてありそうな代物だから。
フレイアが引き攣った笑顔で、「危険など寸分もございませんとも・・・」と目を泳がせながら顔を背ける。ああ・・・悪い予感的中。
半ギレのフレイアは「そのために大変な苦労をして貴方様に”再生能力”を仕込んだのですから。大丈夫!ダイジョウブですわ!」と声を多少荒げていたが、それ以後はアンアンと声をあげる以外は無口で通していた。
その後に起きたのは、全く俺の予感のとおりと言うか、予想の斜め上の出来事で・・・・お互いが高まって、手と手を取って絶頂に昇って行く間、魔法の柱はずっと力を蓄え続けていたらしい。
そして最後の瞬間に・・・予想のとおりに柱から放電なのか、魔力が噴き出たのか。怪しい光線が迸って、俺とフレイアは悲鳴をあげながらそれに打たれる事になった。
実際、それが何なのだか俺にはわからなかったが、確実な事は、それが信じられない快感を俺に与えた事で、フレイアも同様らしく俺の下敷きになったまま身体を海老反らせて痙攣していた。
多分、俺としてはその時出したのが、過去最高記録の量だったろう。その後、俺達二人はしばらく意識を回復しなかった。
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「緊急事態なのよ!フレイア様はどこ?」とアローラ様が迎賓館に訪ねてらっしゃいました。
「緊急事態なのですか?それは一体?」私は動転して、オウム返しにそう言ってしまいました。
「だから、既に森を護る魔術が一部解除されたらしくて、カオスの怪物たちに森が見える様になってしまったのよ!」アローラ様は焦れて半狂乱の有様でした。
「女王様はこちらにはおられません。勇者様とご一緒に住居におられますが・・・。」
「一刻を争うの!」と言ったまま、韋駄天走りで住居館に走っていかれました。
「きっと大変な事になるわね。何となく、私にはわかるの。」アニタさんが不吉な声で予言めいた事を口になさいました。いえ、私も同様の予感がしてはいたのですが・・・。
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「女王様!緊急事態なのよ!」と言いながら、私は寝室に入った。
そこには、素っ裸の女王様とレンジョウが居たの・・・。そして、ハッと正気に戻った様子の二人は離れようとしたのよ・・・。
スポって言う音がしたけど、何の音だったの?あ・・二人ともベッドの上でまたぶっ倒れてしまったの!
「女王様、大丈夫ですか!」と近寄って抱き上げたら、何なのこの顔?幸せそうな顔なの?
レンジョウの方を見てみると、力尽きたって顔で倒れてるの。でも、何なの、あれは?赤くて・・・怖いの!
「女王様、カオスの軍勢が迫っているの。女王様の援護が必要なのよ!」と頬をペチペチ叩くけど、起き上がる気配すらない。
「カオスの軍勢だと?」と言いながらレンジョウが立ち上がって来るけど、また・・・見えてしまったの。でも、今頼れるのはレンジョウだけだし。
「そうなの!凄い数なの。あれに援護なしに当たったら、エルフの軍勢も大変な被害を被るの。女王様の援護が必要なの。」と叫んでしまった。
ようやくその時になって、女王様が遂に身体を起こしたの。けど、何か間違ってるの!
女王様は・・・・。ああ、頭がグルグル回ってしまうの。カプカプって音がするの。それが一段落した後で、女王様は「今から研究館に戻ります。貴方は先に行っていて。レンジョウもすぐに向かいます。」と私の顔も見ずに命令を下さったの。
「急ぎなさい!」と言う大きな女王様の声を聞いて、あたしは思わず駆け出したし、レンジョウも服を着始めたのよ。
「アローラ様!奴等、もう迷わずにこっちに来てます。射撃を開始します!」と配置された兵隊が叫んでいる。あちこちで樹が岩に当たって倒木になっている。
「射撃開始!剣士隊は動かないで。叩き合いになったとしても、奴等の剣や棍棒が動き難い森の中が有利なのよ!」と号令を掛ける。その時、森の中から飛び出て行く人影が見えたのよ。あれは・・・。
「レンジョウ!」と思わず叫んだ私の声を無視して、レンジョウは眼前の巨人たちに突進して行く。弓隊の長弓が唸りをたてる。あたしも弓を引いて近くの巨人の顔面を狙う。
その時に鳴り響いた音は、擬音化すれば”ピシ、ボキン!”だったと思う。耳を劈く悲鳴が響いて、巨人の脛当てがひん曲がって陥没し、あらぬ方向に曲がった脚が見えたの。だから叫んだ。「鉾槍隊突進!!倒れた巨人を殺すのよ!」と。剣士隊には残って貰わないと、弓隊が狙われ始めた時の盾がないから。
その時、レンジョウらしき人影が倒れた巨人の頭に向かって襲い掛かり、凄い勢いで拳骨を叩きつけたかと思うと、次はあたしが顔面を射た巨人に向かって突進し始めた。凄いわ、凄いわよ!
顔を押さえて膝を着いた巨人の膝に正面から正拳をぶつけて前のめりに倒し、倒れた巨人の後頭部に飛び上がって、次に拳を振り下ろす。痙攣する巨人を放置して、次の獲物にまた突き進んで行く。
エルフの剣士達がどよめき、歓声を発する。鉾槍隊も三々五々に森から突出して、蛮声を発しながら斧状の鋭利な鉄板で斬り付け、槍状のスパイクで突き刺し、人間と同じ急所を散々に刺突して巨人を殺して行く。
見ると、レンジョウは五人目の巨人に突撃している。それ以前に倒された二人は全部脚を狙われているのだ。動きの鈍い巨人は、強力ではあっても、所詮はレンジョウに取っては鈍重極まりない、間抜けな獲物でしかないのだろう。
見れば、レンジョウは前の様に返り血すら浴びていない。疲れた様子すらなく、巨人を打倒して行く。エルフの兵隊は口々に”ラサリアの勇者!”と叫びながら、その勇猛に感動している。
「あの勇者のお名前は何と言うのですか?アローラ様なら知っておいででしょう?」と剣士達が騒いでいる。
「彼はレンジョウと言うのよ。フレイア様も認める、世界を救いにやって来た異世界からの勇者なのよ!」と剣士達の熱狂が伝染してしまったあたしも叫んでしまう。
レンジョウが”炎の精霊”に真正面から躍り掛かり、真っ赤な炎の球体が、風船の様に破裂する様を見て、あたしの身体は抑えようもなく震え出してしまう。
もう、誰も制止できない何かが身体の中を駆け巡り、あたしも、剣士達も、言った事も聞いた事も忘れて、大声を発しながら森から出て、敵に向かって突貫を掛けてしまう。
最初に敵と遭遇した際には、炎の巨人が七体、炎の精霊が二十体以上もおり、対するエルフの軍勢は鉾槍隊が十名と、剣士隊が三十名、弓隊が二十名程だった。終わってみると、エルフには怪我人以上の損害はなく、怪物達は全てがあるいは消滅し、あるいは躯を晒していた。
「こんな筈ないのよ・・・。」と思わず呟いてしまう。が、結果は信じられない圧勝だ。
そして、圧勝の立役者は、疲れた風もなく、スタスタと歩いており、怒涛の様なエルフ達の歓声に戸惑いながらも手を振り返していた。
そんな彼と、フレイア様のあの時の姿を思い出して、赤面したままで、あたしは顔を上げる事さえできなくなった。
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「やはりマズかったな。アローラは目も合わせてくれなくなった。」フレイアとの打ち合わせの為に、再び住居館に戻った後。俺はテーブルを挟んでフレイアと話をしていた。
「フレイアも正気を失ってましたもので、アローラにあらぬ姿を見せてしまいました。汗顔の至りにございまする。」と額に手を当てて困った顔をしたものだ。
「それにしましても、此度の前哨戦では圧勝の勢いでございましたね。水晶玉で見ておりましたが、以前とは比較になりませぬ。」とお褒めの言葉を貰ったが、それはフレイアの与えてくれた力が大きい。
「体力のペース配分を考えないで良いからな。今回は最初から全開でぶん回して、最後まで大丈夫だった。けど、悪い方向の副作用とかは本当にないのか?」と俺は幾分心配になって尋ねた。
「あるとしたら、問題は空腹でしょうか。」空腹?
「酷い怪我を負った場合や、大量に出血した場合は、随分酷い空腹に苛まれます。それと、先程の戦いの様に、凄い勢いで動き回るとやはり空腹になります。予防方法としては、戦いの前にしっかりと食べておく事です。食べ過ぎ位で大丈夫・・・。私達は既に、幾ら食べても太らない身体になっていますので太りもしません。」
「・・・・。俺は人間をやめちゃった訳なのかな?」と少し悲し気な口調になった。
「それらしく人間の姿はしております故。余り困る事はないと思いますが。」フレイアはそう冗談めいた切り返しをして来た。
とにかく、物は考えようなのだろう。新たな意味が自分に加わったからと言って、前と完全に違う何かになる訳ではない。けれど、こんな便利な能力が備われば、その能力に引き摺られて暴走しかねない。
それだけは厳しく自分を戒めるべきなのだ。
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「部署されたのは現在で八千人程。もっと動員できますが、無秩序に全員で出て行っても被害が大きくなるでしょうし。当面は常備軍で対応できると思えます。」
「問題は、ノード内部に潜む怪物どもが、どんな規模と編成なのか。それは内部に入らないとわからないと言う事でしょうか。”魔力の精霊”とかを突入させて斥候にする案もありますが、手間と時間がかかります。」
「そして、最悪のクジを引いた場合は、中には”巨大悪竜”が何匹もいると言う事すらありえます。」
「参考までに聞いてみたい。”巨大悪竜”ってどんな奴なんだ?」
「ドレイクとは、人やエルフを襲う竜族の事です。本来の竜は、天地創造の際に世界をあるべき姿に変化させる手伝いをした種族の末裔なのですが、それらには知恵があり、自分達の生まれた理由も心得ております。それ故に、力ある原初の竜は、揃って今はこの世界を去り、元素の世界で暮らしています。その方が快適なのだそうで。」
「そして、過去に竜族の使った巨大な力の残滓は、各種の世界に満ちる魔力の中に残留し、元の竜族に似た下等な存在を産み出したと言う事です。それら下等の竜族は、総じて悪竜と呼ばれています。本来の竜族とは違い、知能が低い上に、自分達の力を無目的に使うところが困り物と申せましょう。」
「そんな連中に人間やエルフが太刀打ちできるのか?」との疑問にはできるとの答えが返って来た。
「所詮、竜族の似姿であっても、紛い物なのです。”空の悪竜”を除いて魔法は普通に通じますし、膨大な魔力を使って無理やりに空に浮いている様な無様な代物でございますから。」
「ただし、それは単体であった場合です。多数の”巨大悪竜”となると、魔法で地面に引き落として騎士団や鉾槍隊で刻み殺さねばならないでしょう。つまり、大きな被害が予想されるのです。」
「どちらかと言うと、剣士隊や鉾槍隊には”地獄猟犬”と戦うのが適当かと思えるのです。」またウンザリする様な単語が出て来た。
「”地獄猟犬”についての情報は?」と聞くと即答があった。「単に犬を思わせるだけの四つ足の魔法生物です。大型犬位の大きさで、四つ足で凄い速度の怪物です。体形は猫に似ていますが、頭は犬に確かに似ています。口吻は突き出して炎を吐き、加えて鋭い牙がございます。そして耳はなく、目は確かにそれらしいものが二つあります。」
「しかし、昼間に貴方様が倒してのけた”炎の精霊”と同じく、実体が希薄な風船玉同様の代物です。危険な事は”炎の精霊”よりも上ですし、素早いのですが、脆いと言う点は変わりません。」
そんな面倒な怪物の他にも、”炎の蛇”や”炎の魔族”、”石の悪魔”とか。聞くのもウンザリする様な化け物がいるとの事だ。
「そんなのが12個あるんだよな?」俺は恐々とした口調で確認してみた。
「はい、そのとおりでございます。」フレイアは迷いなく、そう答えた。
「明日は早めに起きて動こうと思う。」
「はい、そうなさるがよろしいかと。」
「それなら、今から休もう。あんたも今日ばかりはゆっくりした方が良いと思うぞ。」
俺達は例の薬草湯を飲んで、それからグッスリと眠った。
その夜、俺は夢を見た。アリエル達の夢を。