第五話 開眼の前
その日から、俺は朝食をアリエル姫と共にすることが日課となった。姫様は、引っ込み思案に見えて、意外と快活な性格だった。白い花のような美貌と、儚げな輪郭、今この瞬間を肖像画にすれば、後世までずっと彼女の美しさを称える一枚の絵ができあがる事だろう。
彼女が暇人ではないのは明白だった。シーナは一日に何度もワゴンに載せた書類をアリエル姫の執務室に運び込んでは、裁可を得ているようだった。
俺としては、無為徒食でいるのも気分が悪く、王城の市街地を歩き回って、自分自身で何かの役に立てる仕事を探し回っていた。結局、それでわかったのは自分が役に立ちそうなのは、水汲みや力仕事、後は兵隊の訓練場をひやかす事。そんなところだと言う事だ。
この世界は多分地球で言う所の15世紀あたりの技術水準で、最新の機械技術は簡単な水車を使えるレベルである事。俺の学習した機械技術は、精々がリレーを扱う電気技術や電話線工事の基礎くらいであり、この世界に何かの影響を与える代物ではなかった。
ただ、建築の現場を見て、驚きを覚える発見はあった。この世界のコンクリート技術は地球の主流とは違うと言う事がわかった。この世界の者たちは、大きな四角い岩を珪石を混ぜた水とセメントで固めて作り上げていた。セメントを焼く施設がどこにも見つからなかった事から、この世界のコンクリートは焼かないタイプのセメントで作り上げているのだと思えた。
世界と言う大きな何かを自分だけの力で改変するのは容易ではない。ましてや、ラノベの主人公のような便利な魔法も持たず、身につけた基礎知識は高校2年生で止まっており、大学で特殊な知識も習得しなかった俺。
アラサーと呼ばれる27歳までに力仕事しか経験してない男には、今ある世界を作り出したこの世界の先人と現代人の知恵と知識だけでも圧倒的な壁であり、素直に自分には世界を変革する何事もなしえないと認める以外なかった。
この世界にやって来て5日過ぎた朝食の席で、俺はアリエル姫に近隣の街との間に設置する道路建設部隊で働きたいと願い出た。
シラーっとした雰囲気が流れ、お茶を注いでいたシーナはいつものごとく、眉根を寄せて俺をなじり始めた。「家臣になって欲しいとは申しましたが、何も道路建設を志願なさる事はないのでは?貴方ほどの戦闘能力の持ち主が、何故ツルハシやシャベルを担ぐのです?何か間違っておられます。その事にご自分で気が付かれないのですか?」と容赦ない。
「レンジョー様はご存知ないのでしょうけど、道路建設部隊には、数多くの罪人が繰り込まれています。労働奉仕で刑期を代替しているのです。この世界では、僅かな銅貨を得るために、盗賊がナイフを揮うのです。例えどれ程活力のあるお方でも、寝込みを襲われては勝ち目がありません。かほどに危険な職場を選ぶのは賢明とは言えないと思います。」一番世間知らずそうなアリエル姫までが反対意見を述べた。
皆黙り込んでしまったが、そこでは変わらずチュクチュクという音が聞こえて来る。柑橘の分厚い皮を爪みたいな小さなナイフで切り刻んでいる賢者ザルドロン。思い切り顰蹙を買っているが、彼は我が道を行く。
「ここらで踏ん切りをつけるためにも、勇者殿には好きにさせてあげるべきではないでしょうか。」賢者はアリエル姫とシーナの二人にそう切り出した後、俺に語り掛けて来た。
「レンジョウ殿、貴方とは数日食事やお茶をご一緒しましたがな。心を全然打ち明けてくれない。どことも知らぬ平和な高度文明世界からやって来て、この世界との格差に圧倒されているのかも知れない。もしや元の世界に帰れないかも知れない事に悩んでおられるのかも知れない。しかし、いずれにせよ、貴殿は精一杯生きて、活路を拓いて行くだろう。その道しかないとすら思っている。」
「それは予言ですか、賢者殿?」俺はちょっとイラっとしながら聞き返した。
「予言ね。おこがましいかも知れないな。貴殿のその戦う力、儂には羨望しても決して得られない力じゃよ。」そう言って言葉を切ると、穏やかに言い添えた。
「その身に強い力を帯び、その強力な自分でも見知らぬ武具を携え、正しい心で強く助力を願うアリエル姫様のもとに貴殿は送り込まれた。それこそが運命としか思えないのじゃ。貴殿自身が我々の運命の導き手であり、姫様やこの国の民たちが貴殿を求め、その願いが叶った結果じゃと儂は確信しておる。」
「よって、儂は予言などしておらん。誰にでもわかる事を普通に口にしておるだけじゃ。」
その後、諦めていないシーナと、まだ心配そうなアリエル姫にこんこんと説得を受けた。
「賢者殿の言う通りにしてみたい。俺も今回の仕事をこなして、自分自身の有用性を証明し、納得してみたい。」そして、俺は譲らなかった。
いつもの様に怒り狂っているシーナの様子を見つめながら、俺は不思議な安心感を感じた。
「レンジョー様、何をお考えですか?」アリエル姫は怪訝な表情で俺に問いかけた。
「すまない。俺は自分の言ったとおりにする。できるだけ早く出発する道路建設部隊か、今も働いている部隊に俺を送り込んで欲しい。これは俺のワガママだ、けれど一度でいいからやり遂げたい。お願いだ。」そう言って俺は頭を下げた。
シーナは酸っぱいものを呑んだような顔になり、アリエル姫は真っ暗な顔になって下を向いてしまった。
「今回だけですぞ。それは忘れないでいただきたい。」ザルドロンはそう釘を刺した。止めても無駄だと理解しているのだろう。
「わかった・・・。」俺は賢者にそう答えて、幾分罪悪感を抱きながら、二人の女性に声を掛けた。
「好きになさい。」「どうしてもなのですね。」二人とも手を挙げてしまった。
「では、朝食を皆でやっつけてしまいましょう。その後は勇者殿の旅立ちの準備ですな。なにしろ、バーチの街との街道建設部隊は今日の昼に出発予定ですからな。」ザルドロンはそう言ってパンを千切り始めた。
「不安です。」「ろくな事ないわよ、間違いない。」女たちはまだ反対みたいだ。
「これは予言とは違いますぞ。ですが、儂は思うのですよ。この世界に貴殿がやって来たのは・・・存外貴殿自身の意思ではなかったのかと思うのです。」賢者の瞳は冷たく輝いた。
「この言葉を覚えておきなされ、勇者殿・・・。」