第四十六話 フレイアとの会見
俺は何か固い大きな物を飲み込んだ様な気分で浴室から出た。
あれがフレイア女王だった・・・。トラロックが言ったとおり、俺にどうだこうだと対抗できるような手合いでは無い。全くその通り、男として完敗の有様。
それにしても、あの女・・・。あれは俺が出会ったどんな女よりも手強く、どんな女よりも一枚上手で、見てくれは過去に会ったどんな女よりも清楚に見えたが、やらかして来た事はえげつないの一言だ。
おまけに、俺を所望しているだと?そして、思わず撫でた顎の感触に驚いた。いつの間に無精髭を誰に剃り落されたのだ?いや、あの女以外にはありえない。どこまで様々な事を知られていたのか。
俺は服を着るのも忘れて、しばらくの間を放心した様に立ち尽くすしかなかった。
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あの女と、明日の朝会見するのだと考えると、俺の想像以上の出来事が起こりそうで怖くて仕方ない。
この世界に来てから、怖ろしい戦いの最中、次の瞬間死ぬかも知れないと思い定めて、鋭利で毒の塗られた刃物を掻い潜って何とか生き延びてきたが、あの女と太刀打ちする場面では敗北以外を想像できない。
そしてなにより・・・俺はアリエルとシーナに今日の出来事をどう説明すれば良いのかと考えて、あらためて現状の大ピンチ出来を痛感するしかなかった。
無情にも一睡もできない内に朝が来て、俺たちはアローラ達の案内で世界樹の中のフレイアの館まで案内された。アローラは最初の頃の敵意や人種差別にも似た何かが薄まっている様に思える。少なくとも、俺にだけはそうだと思えるようになっていた。
それにしても、外交使節団の内で館に招かれたのは、俺以外にはファルカンだけだ。何故?と言うのを考えて、俺はフレイアが俺たち(特に俺は集中的に)の情報を入手していた事に気が付いた。
”つまり、ファルカンだけは俺に同道しても良いとフレイアは思っている。”と言う結論はすぐに出た。
一方的、余りにも一方的にフレイアは俺たちの手の内を知り抜いているのだ。
勝負とは戦う前に決まっているものだと言い放つ輩が居た。武道、武術だけではなく、戦術や戦略でそう口にする者もいる。
そりゃあ、勝った後や勝つ前には何とでも言えるだろうが、戦っている間にそんな戯言を口にできるのだろうか・・・。そう言う事を口にする者たちは、フレイア程に情報に通じているのか?
俺にはそうは思えない。そして、その情報を完全に征していると認めざるを得ない相手と俺は勝負しなければならない。
後戻りなど以ての外であるが、思えば盗賊ギルドとの決戦など、フレイア相手の一戦と比べれば児戯の様なものだとわかる。なにしろ、盗賊ギルドとの戦いにせよ、最後の最後はフレイアの介入で命拾いしたのは確定的な事実なのだ。
そんな訳なので、俺としては死刑台に引き出される囚人の気分をたっぷり味わっていた。状況を好転させる方法を全く思い付かない。と言う感じの後ろ向きの事をあれこれ考えている間にも、俺は足を進め、遂にはフレイアの館が大樹の枝の一つに載っているのを見上げる距離まで辿り着いた。
その館は、別段壮大な大きさを誇るものではなかった。しかし小さくもなかった。大きな枝の上に3つの館が別々に存在していたのだ。一番前から”迎賓””居住””研究”の用途の建物が手前から順番に並んでいる。
それらは手前から細かい装飾の付された白亜の迎賓館、庭園を挟んで蔓草に覆われた瀟洒な住居館、最後尾が輝く青銅で覆われた研究用の館なのだそうだ。それも遠くに見える。ズラリと巨大な木の枝に建物が並んでいるのだ。
「どう?フレイア様のお館は壮麗なものでしょう?大きくはないけれど、美麗さではどんな国の宮殿よりも優れていると思うの。」アローラがそう自慢しているが、その気持ちは俺にもわかる。エルフの価値観もそこには汲み取れるのだ。
建物とは、それを作った民族の価値観がモロに出て来る。例えば、日本人は木造の建物を好み、石の建造物を好まない。石垣は建築するが、石の建物は好まない。これは地震が多い国柄と、古代からの木造建築の方法を今に至るまで保持しているからだ。壊れても修繕すると言う考えもそこにはある。
その反対に、西洋では石造りの建物が好まれる。地震が少なく、その反対に戦乱が起きる時には極頻繁に長期的に続くから堅固な建物が好まれたからだ。建物の中に上の階から石を投げおとす仕掛けを備えた建物まで作られている。壊れず、焼き払われる事もない建物を好むのだ。
価値観と必要性がそれだけ違うと言う事だ。特にその価値観が理解しやすく表現された例が、現在では過去の遺物となったかつての海の女王であった巨大な戦艦には、民族の価値観が良く見えたのだと言う。
日本の戦艦は、あの大和や武蔵の艦橋を英語ではパゴダ・マストと表現したらしい。パゴダとは仏塔の事だ。イギリスの戦艦は中世の城の形の艦橋で、アメリカの戦艦は高層ビル、ドイツの戦艦はやはり中世の城の形をしていたと言う。
ついでに言うと、戦艦と言わず、巨大な船とは煎じ詰めれば巨大な橋梁であり、それらに様々なコンポーネントが付着した浮力ある”建築物”なのだそうだ。
エルフの建物に垣間見える価値観とは、自然に逆らわない、自然を自分達の保護者と考える、自然を自分達よりも上位の力として認める。そんな概念だろうと俺には思えた。
そして、形だけの美しい柵と蔓草の塀、美しく薔薇が絡みついた門の中央にはユニコーンが描かれた美しい飾り板が嵌っていた。
「アローラでございますよ。ご命令のとおり、ラサリアの使節代表をお館にお招き致しました。お館の美しい門を潜る許可を頂きたく、僭越ながらお声掛けを致しました。」
声としての返事はなく、門の薔薇が甘い香りを強く放ったと思うと、門は音も立てず開き、途中の道の草花が、次々と開花して俺たちの行く道を指し示した。
小さな草花が手前から順々に開花して、緑滴る様を誇る。それは生命への賛歌であり、意思を持たぬと思われがちな植物にも、喜びを表現する方法があるのだと俺に教えてくれる。
日雇い労働者の世話役だった野本さんが言っていた。「蓮條君、旅は良いよ。特にひとり旅は。私は大好きなんだ、雨の降った後の山を見るのが。沢山の樹々が、喜びに溢れて水分を吐き出し、それが山を覆って霧となり、風で流れて他の土地を湿らせ、晴れた時にはまたその霧が空に昇って行く。自然は喜びに溢れている。自然の力は暴力的だけど、それらは生命の喜びがそれ程の力を持っていると言う証でもあるんだ。」と・・・。俺は少しだけ落ち着いた。
「勇者様・・・・。」ファルカンは、俺の様子の変化に気が付いている様だ。
「勇者様は、既にフレイア様とお会いになっているのですね?」と・・・。こいつは、何故俺の事をここまで理解できるのだろう。無言のままに歩いた。
「しかも、フレイア様は勇者様に今の時点で苦手意識を与えているのですね・・・・。」と言う続いた言葉に俺は胸を抉られる思いだ。そんな俺の前にファルカンが回り込み、通せんぼの恰好をした。
「行きたくないのですか?」とファルカンは聞く。
「行かなければならない。それだけだ。」俺は自分でも精気がない口調だと思った。それ以上、ファルカンも口をきかなかった。
美しい花道を進む内に、明るい木漏れ日の中、館の入り口に侍女らしい小さな娘と共に、フレイアが立っているのを俺は見た・・・・。黒い羽毛を身に纏い、首に下げた大きな黄金の首飾りの中央にある宝玉は青い光を放っている。眼差しは昨日の夜とは違って穏やかで、合図をすると侍女は館の扉を開いて内側に下がった。
アローラは、「こうするのよね。」と言うと、ファルカンの腕を取り、「男の人が腕を出して、女がその腕を取って、そのままで歩いて行くのよ。」と言うと、ファルカンと歩調を合わせ始めた。
ふと目の前を見ると、そこにはいつの間にかフレイアが居て、俺と彼女は目を合わせた。俺は瞬間竦み上がる様な畏怖を感じた。しかし、フレイアが腕にすがって来るのを見て、ある意味諦めた様な気持ちに成り果てた。
「何を緊張なるのですか?」と小声で囁いて来た。俺は無言で足を動かした。フレイアもその後は無言だった。
館の応接室は、これも瀟洒で洗練された場所だった。壁全体が蔓草に似せた彫り物で飾られ、そこに極小さな宝石が飾られている。とても美しい森の中の光が表現されており、泉を模した瑠璃とトルコ石がアクセントとなっている。家具も頑丈さを度外視したデザインの繊細な代物で、座るのが最初怖かった位だが、座ってみると実はしっかりと作られている事が理解できた。
俺が室内の装飾を見つめている様子を、フレイアとアローラも俺の目線を読んで思うところがある様だ。「レンジョウは美しいものを理解する心を持っているのよね。」とアローラが頷き、フレイアも「トラロックが彼を気に入ったのも、その心根を理解したからですよ。」と応じた。
「さて、自己紹介もまだでしたね。あらためまして、フレイアと申します。この森の民を治める者でございます。」と言いながら、軽く会釈した。
「ラサリアの勇者レンジョウだ。彼は俺の副官になる予定の剣士ファルカン。お招きに応じ、参上した次第だ。」段々、俺もこの世界に馴染み、こんな言葉を普通に使う様になった。幾分古風で、気取った風にも聞こえるが、今の俺は決闘者で、アリエル姫の側近の一人なのだから。
「レンジョウ達とは既に一緒に戦ったけど、あたしも自己紹介するね。あたしはアローラ。エルフの勇者で弓使い。この森の守護者なのよ。」と続き、「ファルカンと申します。アリエル姫の護衛の一人ですが、まだまだ若輩者でございます。」と彼だけは遜った。思えば、ラナオンでは、まともに互いに挨拶すら俺たちはしてなかった気がする。あの剛毅なトラロックは全く気にするまいが。
侍女が大きなお盆に茶と菓子を載せて現れ、配膳してすぐに引き下がった。
「さて、社交辞令は不要でしょうし、レンジョウ様はそう言うのは苦手なご様子です。また、我等エルフはここ数百年間に亘り、他国との外交をほぼ行っておりません。例外はトラロックの国だけです。あの国とだけは外交を行っています。使節の交換こそ行っていませんが・・・。」とフレイアが切り出した。
「理由は簡単。エルフは男も女も、ある種の人間に取っては拉致や監禁の対象と見られてしまうからです。」
フレイアが言葉を切り、アローラは苦り切った顔で床を見つめた。「詳しい事情を聞いて良いかな?」俺がそう言うと、フレイアは頷いた。