第四十五話 月の光が差すばかり【R15】
今回はエロティックな表現が含まれた回です。指定としてはR15でしょうか。
その建物は、人間の作る浴場と造り的には大きな差異は無い建物だった。まず入った所に脱衣場がある。
籐の籠があり、それを引き出して着衣を入れる。なるほど、今の俺は汗臭い。驚いた事に、籐の籠の中には俺の着替えが入っていた。
”・・・・・・・。”俺の行動が予想の範囲内にあったと言う事に、俺としては苦々しい何かを感じる。
そして、次には洗い場があった。ヘルズゲイトの蒸し風呂も同じ、ノースポートの塔内の浴室も同じだった。大量の湯を汚さないためには、それが一番効率的だと言う事、それだけなのだろうが。
ヘチマの様な繊維質の何かから作ったのだろう、表面が結構ザラザラしたタオル状のモノが置いてある。まず髪の毛を湯で濯ぐ。髪や顔にはさっきの”ご馳走”を食した際のフケや抜け殻の様な何かがまだ残留していたらしい。顔をタオルみたいなモノで撫でると、すぐにそのザラザラが感じられなくなる。湯でタオルに付着した老廃物の成れの果てを流して、更に顔を擦る。
身体も擦ったが、俺の身体にはこんなにも老廃物が溜まっていたのかと思える程にフケや垢はドンドン落ちて流れて行った。アローラの助言は正しかった訳だ。
更に気になるのは、俺が数日間髭を剃っていなかった事だ。この世界では髭を伸ばすは当たり前なのだろうけど、俺自身は髭を蓄えようと思った事は一度もない。カンフー映画の爺でもあるまいし、俺は達人のふりをするだけでも嫌なのだ。
だが、自分一人でできる事なんか大した事はない。不自由なら不自由をある程度は我慢すべきだと思う。つまり、俺はこんな場面では淡泊で、諦めが良いのだ。迫っている”門限”の事もある。俺は浴室に足を踏み入れた。
月の光が透明な光で浴室内を照らしている。中は蔓草やこの大きな樹木、世界樹だったか?の一部があちこちに露出しており、浴槽自体はこじんまりした代物でしかなかった。俺は、その浴槽の中にある彫像に気が付いた。
それは絵の様でもあり、壁の中に溶け込む様な雰囲気の白磁か大理石に見える彫像だった。
大きさは人間の少女くらいで、美しい曲線と柔らかなラインはまるで生きている様な印象を与えた。
ルーブル美術館に所蔵されているアングルと言う画家の代表作である”泉”によく似た雰囲気があった。差異は、題材である女性がアングルの用いたモデルよりもずっと細身でほっそりとした手足が直立せずに浴槽に足先を投げ出していた事、その美貌が比較にならない程の格差であった事。
同一だったのは、その彫像が同じく壺を頭上に掲げていた事と、その裸体の印象が、全裸の姿であるのにエロスよりも清純さをより多く備えていた事だ。俺は思わずエルフの芸術にしばし見惚れていた。
だから、その美しい彫像が、突如目を開いた時には、俺は心臓が凄い音を奏でるのを抑えられなかった。
「何を驚いておいでなのですか?」と彫像だと思っていた女が声を掛ける。俺は動転して、ロクに舌が回らない。彫像だと思って、相手の裸体を思い切り眺めていた事。そして、今の俺が何を隠す事もできない全裸だと言う事に狼狽してしまっていた。
女の方は、そんな俺の姿を見て滑稽に思えた様だ。「あれ程の武勇の持ち主が、この程度の事で随分な取り乱し様です事。」と言ったきり、コロコロと小さく笑いながら目を細めている。
「済まない、君の事を彫像だと思っていたんだ。」と言うのが俺の精一杯だ。
女は、その言葉に大いに満足した様だ。しかし、その後の行動は俺の予想を遥かに超えていた。
「彫像ではありませんわ。」と言うと、女は俺の腕を掴み、胸に押し当てたかと思うと、俺の手首を強い力で引き、手首を自分の股間に挟んだのだ。「私の身体は熱くありませんか?柔らかくはありませんか?」と言うと、低い背丈の筈の女の顔が俺の目の前にあった。
穏やかなアリエルと、元気で豪快なシュリ、二人の美女がそれぞれ晴天の空と抜ける様な紺青の空を瞳に封じた二つのサファイアならば、この女は燃える様な強い力の籠った魔力を帯びたエメラルドの瞳だった。
俺が無言で何も言えない間に、女はもう片方の腕を伸ばし、俺の首を掴むと、柔らかく回した掌で顎の下を信じられない位に心地よく撫でた。思わず開いた口に、香しい女の口が被さり、目を見開いたままの俺の舌を驚く程の技巧でなぞり、自分の舌で絡めて舐め挙げた。
頭の中に強い衝撃が走り、女の舌がどんな動きをしているのかすら理解できない。痙攣する俺の肉体を宥める様に、女の掌が俺の左の腎臓付近に添えられて、右肩に軽く置かれた掌が俺の肩を軽く下に押す。
それだけで、俺の膝は砕けてガクリと両膝が浴室の床に沈み込み、尻もちをついてしまう。
”これは合気道の技じゃないのか?”と驚愕したのもつかの間。浴室に仰向けに倒れ伏した俺の身体を、ざっと上から湯を掛けた後、女の手が巧みにまさぐる。両手ともが違う動きをしながら、俺の裸体を非常に軽い力でさすって行く。
仰向けに倒された俺の身体に、美しいエルフの両手が滑る。もう、それだけで俺の股間は凄まじい反応を示し、この世界に来てから一度も使った事のない器官は本来の用途を思い出して自制など一切働かずに猛り狂っている。
様々な事が終わってから、ようやく俺は正気に戻った。
「お前は何者だ?」と言うかすれ声の問いに、女は俺の胸板に顔を置いて寄り添うと、至極素直に答えた。「ヴァネスティの女王、フレイアでございます。」と・・・。
月の光に照らされて、裸身は銀色に輝き、先程までの有様が信じられない程に神秘的で清純な芸術品に立ち戻っていた。
触るまでは固そうにしか見えないが、触れば驚く程の弾力を示す白磁の彫像が、浴室の石の床の上で俺に寄り添って横たわっている。
フレイアは俺の胸板の上に置いた頭をずり上げて、俺に覆い被さって身体を動かし、やがて顔と顔が触れる寸前まで近付いて来た。
「こうやって男をもてなすのがエルフの習慣なのか?」と言う、非常に間抜けな問いにもフレイアは「いいえ、その様な事は決して。」と真面目に答えた。
「貴方様がこの世界に現れた事に気が付いてから、ずっと貴方様を見続けておりました。」熱い、香しい息が俺の顔をくすぐる。
「貴方様は、知らぬ間に付け回されていたのでございますよ。」と言う時、初めてフレイアの顔に少しだけ笑みが浮かんだ。
「いえ、貴方様の好ましい行いを思い出していただけでございます。他意はございませんから。」とフレイアは先手を取って自分の発した笑みについて説明した。
「この度、この様な儀に及んだのは、トラロックのやらかした、あの馬鹿騒ぎをフレイア流にすればと考えた末の事でして。多少はしたないとは思わぬ訳ではありませんでしたが、大人数で押し寄せるよりも、二人だけでしめやかにと考えたのです。」とフレイアは経緯について話した。俺は無言で顔を苦らせるしかなかった。
「元来から、妖精と言うのは総じて悪戯者なのですよ。」と今度は本当に満面の笑みを浮かべたが、俺の胸に押し付けられた彼女の胸からは、大きな鼓動が響き、白い顔には赤みが増して来ている。
「貴方様のご活躍を、フレイアはずっと見守っておりました。」その顔に浮かぶ表情は真剣で、口調は真摯で、切実だった。嘘はない、俺はそう信じた。
「窮地にある姫君に招かれて異世界から訪れた勇者が、周辺の国々と誼を結び、遂に国内に蔓延る悪を追討せんと立ち上がる。」
「彼は弱く儚い者が虐げられる事に怒る優しい男。共に旅する仲間を援けて力尽きるまで戦いをやめない強い男。」
「悪を許さぬ強者でありながらも、決して悪を殺さぬ正義の男。聖なる騎士でも、悪人は決して許さず討ち果たすものですのに。」双眸に輝く魔法のエメラルドが俺を見据える。
「生まれて初めてですわ。こんなに切々と恋心を訴えるなど。しかもお互いに裸でなんて。」と言うと、俺の脇をスルスルと指が走り、思わず開いた口に、再びフレイアの唇が触れ、舌が踊り込んで来る。
「ラナオンで、トラロックから伝え聞いたでしょう?”あの女狐は欲しいものと交換でなければ言う事など聞かぬ”と・・・。」
「フレイアが所望する何かが、貴方様ご自身だと聞けば、貴方様はどうなさるのでしょうか?」
すいっと立ち上がったフレイアが、黄金の流れの様な髪を手で漉き、全ての水分が分離して床に落ちる。その言葉だけを残して俺を取り残したままにフレイアは去り、後は月の光が差すばかりだった。