第四十四話 世界樹の上
「貴方様はご自分がどの様なお方か、それをご存知なのですか?」遠くから声が聞こえる。
「お前は何を言ってるんだ?俺がどんな奴かって?」
「左様にございます。貴方様はどの様なお方なのですか?」
「考えた事もないな。俺は単なるゴロツキだ。目の前の気に入らない奴をぶちのめすだけの男だ。」
「ほほほほほ。」抑制された笑い声が響く。
「何が目的だ?俺の事を知ってどうする?」
「貴方様の・・・を知らずには、互いに想い合う事が適うとは思えません故に。」
「俺は・・・。俺は誰かと・・・とは。」
「そうは思えないのですか?」
「わからない。」
「そうでしょうとも。わからないでしょうとも。今はそれで結構。」
「お前は誰だ?」
「またいずれの機会に・・・・。」
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「ここは?」と思わず独り言ちたが、意外な事に「ここは仮の寝室だわよ。」と女の声が聞こえた。
頭が未だにハッキリしない。「あ?お前はアローラか?」と問いかけると、薄暗い部屋の中でアイスブルーの瞳が見えた。そして、複数の寝息が聞こえる。
「まだ朝は早いわよ。今しばらく寝ていたらどう?」と彼女は言ったが、今一つ俺には事情が理解できない。それよりも・・・・何故こんなに舌が渇いて膨れているのだろう?腕も重く、身体が動かない。
アローラが近付いて来て、俺に急須の様な何かを差し出して来た。「あんた達、もう2日程も寝込んでたんだよ。喉が渇いているだろうから、これを飲みなさい。」
横になったまま、俺はその急須みたいな何かを口に含み、アローラの手で傾けて貰った。それは僅かに甘く、渇いた肉体は猛烈に水分を求めてしまう。その美味さに夢中になり喉を鳴らしながらゴクゴクと飲み込む。
「これは何なんだ?」と聞くと、「薬草湯を冷ましたものよ。さあ、もう一眠りしなさい。」と告げて来た。俺は返事をする前に、再び昏倒同然の眠りに捉われた。
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「ようやく気が付かれたのですね。」ファルカンが近くの椅子に座っている。安堵した様子だ。
「ここは?」俺は見当識をほぼ失ったまま、ボンヤリとした意識で質問を口にする。
「エルフの森の宮殿ですよ。我々はほぼ3日間寝たきりだったみたいです。」と苦笑している。ようやく頭が動き始めた。そうだった、盗賊ギルドの連中に集団で襲われて、仕返しにひたすらに暴れて、最後は多分力尽きて寝込んだのだろう。
「メソ・ラナオンの時と違って、今回はすぐに目的地に到着できましたが。大体似たような道行きではありましたね。」毎度の事ながら、俺たちの旅は手酷い場面が多過ぎる。安全とか平穏とかの意味それ自体をいつか忘れてしまいそうだ。
身体を起こしてみたが、楽に動くようになっていた。あの沈み込む様な疲労は既に去っていた。「今は朝なのか?昼なのか?」と問うと、もうすぐ日没であるとの答えを得た。
「あんたもそうだけど、ファルカンも少し食事を摂るべきだと思うのよ。」そう言いながら、アローラは籐の小さな籠を差し出した。
中には小さなパンの様なものがたくさん入っている。寝床で食事をするのは無作法なので、俺は立ち上がってアローラ達の方に近付いて行った。
気が付けば俺は素足で、床は少しだけ弾力のある薄手の敷物が張られている様だ。
パンの様なものを齧ると、それは少し甘く、ほんのり香ばしいサクサクのクッキーを思わせる食品だった。それと、カップではなく、ボウルの様な容器に例の薬草湯と思しき何かが入っていた。味でそれとわかる。
俺もファルカンも夢中でそれらを食べて飲んだ。凄まじい空腹の感覚が最初に蘇り、次に肩口をゾクゾクする満足感が走った。次には身体中が真っ赤になる位に血が巡り出し、耳の奥でドンドンと大きな耳鳴りが聞こえ始めた。
ふいに頬に違和感を感じたが、触ってみると細かいフケの様な粉が吹いている。最後に頭の上にチクリと痛みを感じたかと思うと猛烈な痒みが襲って来た。
「これは一体。俺は何を食べたんだ?」と呟く。頭を掻いたら、なんと頭皮の一部が脱皮した様に剥けてしまったのだ。
「毒素とかじゃないの。その痒みは老廃物が一部噴き出して来たせいなのよ。あんたはエルフのご馳走を食べたの。私たちが大事に守り抜いて来た秘密のご馳走をね。」アローラが無表情にそう告げる。それっきり・・・・。少しは会話に応じてくれる様になったかと思うと、こいつは突然無口に成り果てる。
”これって、久々に出会った超頑固女かな?”と頭の中で閃くものがある。あるいは、ツンとデレを交互に繰り返す、どこぞのラノベの登場人物たちの様な厄介な存在なのかも知れないが。
「そのご馳走欲しさに、人間たちはエルフの集落を襲いさえしたのよ。」突然スイッチが入ったかの様にアローラがボソリと言葉を紡ぐ。
「所詮、毎日これを食べたのだとしても、精々が数十年程度長生きするだけなのにね。」いや、数十年でも凄い事ですよと、ファルカンが小声で呟いている。
「けど、その程度の事でエルフ達は沢山殺されてしまった。仕返しに人間も沢山殺してやった。私たちは恨みを絶対に忘れないし、実は短気で怒りっぽい種族だからね。戦争に夢中になってた時期もあったけど、数十年もして、近くの人間の都市を占領もせずに破壊しまくっている内に、段々と人間との戦争に飽きちゃったのね。そして交流も失われたのよ。」
「退屈な森の中で、穏やかに暮らして行く内に、エルフ達も少しだけ変わったのよね。後は・・・女王様にお話を伺ってよ。私たちは女王様をひたすらに信じるだけだからね。」と言う言葉で話は終わり、アローラは再び黙って座っているだけの置物になった。
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今日も”稲妻の籠手”を嵌めたままで稽古を行う。
細かく動き、大きく動き。最小の動き、撃ち抜く動き。膝を立てて、縮めて。腰を上下させずに前後に動く。力の入る順序に従ってゆっくりと動きをなぞり、次にはそれを一連動作で何セットか完結させる。
傍で見ているアローラが「やっぱり凄いわよ。近くまで詰め寄られたら、誰にもどうにもできないのじゃないかしらね?」と驚いている。
「お褒めに預かりまして、光栄に思います。」と慇懃にお辞儀をしたところ、「でも、あたしだったら詰め寄られる事はないのよね。」と言うと、アローラはスッと空中に浮きあがってしまった。
「あたしは召喚された時に”飛翔”の魔法を既に備えていたのよね。だから、滅多な事ではあたしを捉えることはできないのよね。」と、逆さに空中に浮いている。
先日の一撃で150メートル程の距離にいる暗殺者を仕留めた腕前と、この飛翔の魔法。アローラとシュリではどちらが優れた射手なのだろうか?
”少なくとも、剣や拳骨の勝負なら、シュリの方が圧倒的な感じがする。後、女らしい容姿も同じく。”
そんな事を考えながらも、何倍速かの速度で空手の型を演じ、先日の戦いで相手が見せた様々な攻撃を思い浮かべ、それらを捌く動作を行う。
「まだ速くなるのね?」とアローラは目を丸くしている。「そう言えば、熊たちの仇を倒してくれた時の動きはもっと凄かったわね。」その件については覚えが全くない。多分、無我夢中だったのだろう。
「それについては、本当によく覚えてないんだ。」
「獣の速さとは違う。もっと洗練された速さだったわね。速い上に、ずっと動き続ける動きなのよね。」
「でも・・・私はあんたの動きは随分無理をしてる動きだと思うのよね。現に、ここに来た時も倒れて動けなくなってしまってたわよね。あたし達が来なかったら、一体どうなってたと思うのよ?」
「間違いなく、俺は疲労と負傷で倒れていただろう。盗賊を全て倒しきる前に。」
「・・・・・・。」アローラは非難するような目で俺を見ている。
「訓練が終わったら、朝の謁見に備えて湯あみをしておくべきね。汗臭い身体で女王様の前に見えるなど、不敬ですからね。」そう言えば、俺たちの服の上着はどうしたんだろう?客室で眠っている間は、リネンの貫頭衣みたいなものを着てたし、今はズボンだけだし。
「上着は洗濯してくれてるのかな?」と聞けば、「あの上着はダメかも知れないのよね。あんた気が付いてなかったかも知れないけど、肩から背中から返り血でベットリだったんだからね。上の下着も同じよ。」実際、気が付いてなかった。
「そのズボンはまだマシだったわね。泥は酷かったけど、血糊はまだ何とかなったからね。けど、洗濯女は随分苦労してたし、生地だってかなり傷んでるとは思うけどね。」正確に数えてはいないが、俺はあの日何十人倒したのだろう。最初の30人はまだしも、その後は全然わからない。またまた50人くらい弾いたんだろうか。そりゃあ、血だらけにもなるな・・・・。
「今日が普通に迎える最初の夜だからね、いろいろ勝手もわからないだろうけど。私たちが今いるのは世界樹と呼ばれる巨大な樫の樹の枝の上なのよ。世界樹は日没後もしばらく光を発していて、それが徐々に薄暗くなり、完全に暗くなったら不寝番の兵士以外は就寝の時間なのよ。この世界樹の宮殿の中に居る時だけは、エルフ達の暮らしぶりに合わせて頂戴ね。」と言うと、「今日は私も休むのよね。」と言うと、手を振って俺を招いた。
「あそこが湯あみできる場所なのよね。」と言うと、枝の上に設けられた階段で行ける小さな建物を示した。「今いる宿舎はわかるよね?」頷いた。それはわかる。何しろ、見事なまでの目印(大きなカラスの姿を模した木彫りの像)が近くに設置されているのだから。他の使節団の連中は、違う宿舎に居るらしい。俺だけ特別待遇って事なのかも知れない。「ファルカンたちともお風呂の中で遭うかも知れないのよね。彼らとも共同の設備だからね。」と言うと、「”おやすみなさい”って、人間もエルフみたいに夜の挨拶をするのかしらね?」
「ああ、同じ挨拶をするよ。おやすみなさい。」と言うと、アローラは手を振って別れを告げた。
「さあ、グズグズしていると就寝の時間になるんだな。」まるで種族全員で研修旅行をしてる様なものなのか?それがエルフの暮らしぶりねぇ・・・。とにかく、歩いて風呂の建物を目指して行く。
”高所恐怖症には耐えられない生活だな。”と枝の上から見下ろしての最初の感想だ。
”太い大きな枝の上からの光景と言うか、蜘蛛が自分の巣にへばりつきながら見ていたら、こんな風な感じに見えるのかな。”とも思う。
この光景に慣れたら別なのだろうが、確実に目印がないと迷うだろう。エルフが暗くなってから出歩かないのは、多分この世界樹に慣れていても、迷ったり転落したりの危険があるからだろうと思う。
”この世界樹に適合するために、アローラには飛翔の呪文が備わっているのかも知れないな”と・・・その時、樹の窪に少し脚が取られた・・・油断は禁物なのだろう。
そして辿り着いた風呂だと言う建物。まずもって、10メートル四方程のサイコロにしか見えない・・・・。煙突もなく、火を焚く設備も見えない。何かの魔法を利用した建物なのだろうか?
入り口はすぐ見つかった。扉は人間の建物もエルフの建物も大して変わらない。
しかし、俺はそこが風呂だと言う事をもう少しよく考えてみるべきだったのだ。
ヘルズゲイトでは高温の蒸し風呂の中で寝込んでしまい、ラナオンでは仰天動地の騒ぎに巻き込まれた。そして、静穏なエルフの都では、更に厄介な事が待ち受けていたのだ。