第四十三話 妖精の森へ
外交使節団の馬車は三台とも、何とか無事かなと言う程度の損傷だった。つまり、車軸は壊れていないが、外側の装飾から何からボロボロで、おまけに馬も大きな4頭立て馬車の馬は無事だったが、2頭立て馬車の馬は全滅していた。
毎回毎回、ここまで襲撃される外交使節団など聞いた事がない。使節団の者たちは全員が大なり小なり負傷しており、疲労が激し過ぎてしばらく休息する必要があるだろう。
ところで、例のつっけんどんと言う言葉をそのまま生物として歩かせている様なエルフ達であるが、まだその辺をウロウロとしている。警察行動とやらが終了したのなら、森に帰っても良い事だろうに。
「まだ君たちの警察行動とやらは継続中なのかい?」とエルフの多分勇者だろう女に皮肉混じりに尋ねてみたが、興味なさそうにふーんと鼻を鳴らされただけで、返事の一つもしようとしない。ここまで来るといっそ見事に一貫した態度だなとさえ思えてしまう。
「飽くまでもついでなんだけどね、私たちは女王様から、貴方たちをヴァネスティの入り口まで案内して欲しいと言われてるのよ。でも、私たちは貴方たちの事が大嫌いだから、そんな事したくないのよ。そこに転がっている生ゴミたちと同じように、ハエとネズミとカラスが始末をしてくれたら良いなとさえ思うのよ。わかる?」と言って目をこちらに向けて来たが、マジでそうしたいと思ってるのが伝わって来る。
泥にまみれた惨めな盗賊の死体は拾う者もなく累々と打ち捨てられている。
その反対に、盗賊を殺しまわった4頭の熊は、エルフ達が亡骸に抱きついて涙を流し、その後に手向けの花を捧げられて、大きな土饅頭の中に埋められた。
「あの熊の死骸に対する態度が、あんた達の真実だってのなら、俺たち人間があんた達に何かしでかした結果、憎まれてると考えるのが筋なのかとは思うさ。」俺はそう前置きをした。
「けれどな、憎まれる事をしでかしたのは、俺たち本人じゃないだろう?それなのに、お前たちがそこまで見境なく俺と俺の仲間を憎むってのは筋が違わないか?どうなんだ?」と少しだけ凄んだ。
アイスブルーの瞳とくすんだ金髪の小柄な女は、俺の目を見据えてそら恐ろしい睨み方をして来た。真剣、ここまで恐ろしい女は生まれて初めて出会ったかも知れない。しかも、こいつは向こうっ気だけではなく、掛け値なしに条件が整えば俺たち全員でも殺してのける様な奴なのだから。
あの凄腕の暗殺者は、この女に軽く殺されているのだし、俺が殴り倒した盗賊の全てを、坂の上まで登ってエルフ達は殺して回った程に人間を憎んでいる。
あのどデカい弓で遠くから射掛けられたら、俺たちは魔法以外ではどうにも身を護れないだろう。
「あんたの言い分はわかったわよ。そのとおりね、でも、私は納得できないし、人間を許せないの。それも理解してよ。」俺はもう一度彼女の顔を見たが、切れ長の双眸が憂いを湛えて深く沈み、細かく動いていた。
「言いたくない事は言わなくて良いさ。けど、もう少しだけ俺たちへの敵意は抑えて欲しい。俺たちは友好のために来たんだ。そして、その途上で信じられない位に酷い目に遭ったんだ。あんた達だって、俺たちが後少しで殺されると見たからこそ、嫌いな人間であっても助けようと思ってくれたんだろう?」
キッと再び睨まれたが、女は俺の言う事を今度も否定しなかった。
「そうよ、私たちはずっと見ていた。あんた達は大層勇敢だったわよ。特にあんたは必死で駆け回って10倍程の腕利きの盗賊を叩きのめして回っていた。若い連中は、あんた達の戦いを見ているだけもハラハラしてたわよ。それだけの苦労をして、何で私たちの森に来る訳?」遂に下を向いて拳を握りしめ始めた女を見ながら、俺はエルフ達の評価を少し上方修正した。
「だから言っただろう。友好の為に来たってよ。それ以上でもそれ以下でもないんだ。いや、違うな、それ以上しかないんだ。友好ってもんの価値は青天井なんだよ。」と軽く言葉を丸めた。
「繰り返すけどね、私たちはあんた達人間は大嫌いなの。でも、少しだけ認めてあげる。あんた達は薪の燃えさしみたいに早く死ぬ連中だけど、我々よりも少しだけ辛抱ができる奴も混じってるってね。」
「私の名前はアローラ。あんたがレンジョウで間違いないよね?」痩せた猫みたいな顔で女は自己紹介をした。顔はそっぽを向いたままだ。
「それで間違いないさ。」と言って右手を出したが、すげなく無視された。
「その籠手、触ったら痺れるんでしょう?」とアローラがそっぽを向きながら言って来たので、俺は籠手を外して右手を出した。アローラは指先だけを掴んで握手の代わりにした。
なるほど!これが鹿子木が貸してくれたラノベで頻出していた”ツンデレ”と言う奴か。とは思ったが、その意味をアローラに説明したが最後、俺は蜂の巣になるまで弓矢を打たれそうだとも思った。
****
「思ったより人間どもはヤルよな。」エルフの弓兵がひそひそ話をしている。
「俺、あいつらを援けに入るより先に全員殺されてるんじゃないかって思ったけどな。」
「あの勇者が凄い、駆け回って相手の隙を突いて回り、最後まで諦めずに戦っていた。」
「俺たちの剣士や鉾槍兵があれだけの粘りを見せられると思うか?」
「10倍の敵に向かって誰が何とかできるんだ。無理だよ無理。」
「あいつらは凄い奴等だ。剣士たちも、馬車を背中にして、押し寄せる盗賊と渡り合っていた。」
アローラはお喋りな兵隊たちの会話を聞きながら、穏やかな森の中で暮らし、普段から武勇談に飢えているエルフ達の目前で行われた死闘がどれ程刺激的で感銘深かったかを見て取った。
自分自身も、まだだ、もう少しだ・・・と自分を抑えながら、あれ程の苦闘の末に自分達がグズグズしていたせいで、あの男たちが討ち死にしてしまったらどうしようと悩んでいたものだ。
「フレイア様が遣わせたあの勇敢な熊たちが、切欠になってくれたんだ。女王様のご采配とお考えに間違いなどないんだよ。」と言ってその話題を〆たのだ。
****
「この橋は、今はどうにも修繕できそうにありません。この重さの石の板を川の中からこの高さに吊り上げるのは人力では滑車を使っても無理です。」使節団の元工兵も、エルフの弓兵も意見は同じだった。
「ところで、あんた達はどうやってこの川を渡って来たんだ?」と俺は聞いた。あの頃には橋は落とされていたのだろうし。
鉄鍋に放り込んで炒めただけのベーコンを串刺しにしてガリガリと齧り、水を革袋から喉に注ぎ込み、石の上に座り込みつつ、俺はエルフに尋ねた。とにかく、腹が減って喉が渇くのを何とかしないと死んでしまいそうだ。
「川を歩いて渡ったのよ。」とアローラは平然として言う。他のエルフも頷いている。
近くに置いてあった人の背丈の倍ほどの竿が、手元まで沈むこの深さの川を歩いて渡った?
「女王様の魔法のおかげよ。ほら。」と言うと、アローラは川面に飛び込んだ。しかし、その脚は水の中に沈んでは行かない。「水上歩行の魔法なの。大丈夫よ、女王様は今もこの場所を見ておられるでしょうから・・・。」と言うや否や、俺たちの身体が緑色の光を発し始める。「ほらね♪」とアローラは小さく笑う。
俺は自分の魔法免疫の事を考えた。もしかして・・・いや、杞憂だった。俺の靴は、水を踏んでしっかりと川の上に立っていた。馬車も次々と緑色の閃光を発した。
土手の上では、エルフの長弓兵が未だに警戒を続行している。この連中、いろいろと欠点はあっても、勤勉なのは間違いないな。もちろん腕前も上等なものだ。
俺たちと馬車三台は、歩いて川を渡った。考えてみれば、俺がこの世界に来て、初めて魔法らしい魔法を目にしたのは、今日だったのではないかと思った。
アローラは川から岸にあがり、森の方に歩いて行く。「私たちに挟まれたまま進んで。はぐれたら迷って森の外に投げ出されるしかないわよ。」と警告して来た。どうも、この女に逆らう気、それ自体が起きない。洒落を理解しそうなタイプとはとても思えないのだ。使節団のメンツも、黙って言う事を聞いている。
しかし、おかしい。さっきから、深い森の奥に進んで行ってる筈なのに、生物を一切見ていない。生物の声も聞こえていない。何かの魔法的な作用が介在している結果なのかも知れないが、シンとし過ぎていて少し怖い。何もわからないし、知らされていないのが少し怖いのだ。
「こっちよ。」と言うと、アローラは木立の方向を示した。そんなところを馬車が通れる訳がないと思える位の狭い道幅の木立だ。
「見た通りの道じゃないの。」と言うと、樹に手を触れたが、手から二の腕までが樹の中にめり込んだのだ。「幻なのか?」と言うと、こくりと頷いた。
「エルフはこうやって自分達を外敵から守っているの。外敵からは決して理解されない方法で。」と言うと、俺の方をジロリと見つめた。なるほど、俺も外敵の一人と言う事なんだろうな。
その後、幾つかの幻の辻と幾つかの幻の扉を潜って、俺たちはヴァネスティの中心にある宮殿?に辿り着いたんだ。何時間歩いたのか、どっちの方向に歩いてるのか、途中で全然わからなくなった。
広場に出て、そこに聳える巨大な樹木。林檎の樹に似ている様にも見えるが、巨大な胴回りはセコイアとかよりも比較にならない程に巨大に見える。
枝に点在する家屋や建造物、階段とエルフの身長を比較してみると、重力下でこんな巨大な樹木が存在できるのかが疑問に思えるほどだ。また、これだけの巨大な樹木があれば、地平線の彼方からでも容易に見渡せる事だろう。
そう思った頃、空から差し込んでいた陽が翳り、夜がやって来たのかと思うほどの闇が俺の視界を遮った。どうしたんだと言う疑問が心に浮かぶ。「勇者様!」「レンジョウ!」と言う声が遠くから聞こえた気がした。
****
レンジョウが突然倒れた。多分、昼過ぎからの戦闘で無理をし過ぎていたのだ。見てくれは元気そうに歩いていたが、実際は極度の疲労で倒れそうな状態だったのだろう。
「そのまま眠らせておきなさい。」小さな声がする。返り血と泥と汗で汚れ、信じられない程の体力消費によって痛めつけられた肉体は眠りでしか回復しないだろうから。
そして、それは使節団一同も同じだった様だ。ファルカンと同僚たちは、レンジョウが倒れるのを見て駆け寄り、その後に自分達も勇者同様に眩暈を起こしたのを感じた。
そして、お互いの身体を抱き合い、支えあった挙句に鎧を着たまま、兜を被ったままで、全員が地面に倒れ伏したのだった。