第四十二話 魔術師協定
土くれの塊、耕した土が乾いた凸凹。気を付けないと、戦う前に転倒してしまいかねない。
「お前ぇ等、そいつの後ろを押さえろ。」帽子の男、こいつがボスなのか?俺の後ろの盗賊たちに指示をしている。あるいは、これも心理戦なのか。
森の中で戦った暗殺者とよく似た気配の連中がジリジリと左右に広がろうとしている。囲まれたら圧倒的に不利だ。だからここは・・・・。
俺はサイドステップの後、一気に走り、街道に飛び登った。そのまま地面を転がる。
数本の投げナイフが土手に刺さり、頭上を飛び越えた。右手で受け身を取り、そのまま立ち上がる。膝を立てて、身構える。
ふわりと、ほとんど同時に連中も街道に飛び登って来る。微かに鎖が擦れる音がする。俺は悟った。連中は鉄の網を腰に吊るしているのだと。
網に動きを封じられたら終わりだ。寄って集って滅多刺しにされて殺される事だろう。
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勘の良い奴じゃねぇか。あのまま戦っていたら、投網で捕らえて、そのまま殺してしまえたろうに。
こいつは拳闘士だろう。だから、異種の剣闘士の戦いぶりにも詳しいのかも知れねぇ。身体をぶん回す戦いだけじゃなく、細かい事も得意と見えるな。
糞ったれが!また、奴は街道の下に降りちまった。足の速さは尋常じゃねぇし、まともに追尾したら、こちらがヘバっちまうっての。
ああ、土手班が奴に射撃を始めちまった・・・まあ仕方ねぇ。そんなところに近付くのは御免だしよ。
とにかくよ、この鬼ごっこがいつまで続くのかはわからねぇが、早くしねぇと、馬車の方が片付いてしまうぜ、それで良いのかよ?
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9人の剣士で戦い、相手を5人程も倒したでしょうか。死体が邪魔で、奴等も正面を確保できないみたいです。弓矢は至近距離ですらも無効になってしまいますし、投げナイフも駄目。かなり有利です。
ですが、こちらにも数名の負傷者が出ています。なにしろ、無茶苦茶勇敢なんですよ、この盗賊たち。
やはり、あのボスが曲者みたいですね。凄い主導力を発揮しているみたいです。ともかく、やれるところまでやるしかないですから。
ああ、剣士ってのは悩みながら仕事はできないもんですし、ほら、次が来た。
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マズい。相手の数を減らせない。しかも、あのボスらしき男と暗殺者のグループには迂闊に手出しするとどんな反撃があるかわかったものではない。相手の手の内を更に知りたいが、その方法も今はない。
どうする?何か反撃の糸口は無いのか?
その時だった。
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時ならぬ大きな叫び声が平地を揺らすかと思えた。
「何事でぇ!」とスパイダーは怒鳴るが、叫び声が何なのかは誰にも説明できない。
見ると、休耕地の中を何か丸い物が走り抜けて行く。いや、丸くはないのか?あれは・・・。
「熊だと?」そう、それは二頭の茶色い大きな熊だった。
それは凄まじい速度で・・・こちらに向かって来るのだった。唸り声を低くあげながら。
ふと目を向けた街道の反対側からも、同じく二頭の熊が走っている。
「気を付けろ!こいつら襲って来るつもりだぞ!」と警戒を呼び掛けた。「おい、そっちの班。お前ぇ等の方にも熊が来てるんだ。」と気が付いてない方の班にも注意喚起をする。
「射殺せ!」と、咄嗟に命じたが、馬車に弓矢が効果なかった事から、弓使いたちには抜剣を命じていたのが裏目に出てしまっている。すぐに準備ができないのだ。
スパイダーとしては、十分な余裕と共にチェックメイトまで駒を進めて行っている最中だった。ところが、この思いもしない事態である。
「うわわー!」と言う悲鳴が上がり、熊は盗賊たちに襲い掛かり、爪と牙で引き裂き、脚で踏み付けて殺して行った。
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街道左に位置する班は、勇者の攻撃は受けていなかったが、熊に気が付くのは遅れていた。その結果は悲惨なもので、獰猛そのものの熊に襲われて、2名の盗賊が反撃もできずに殺されてしまった。
「やり返せ!獣ごときに恐れるな。炎の武器で殺してしまえ!」と怒鳴ると、班長自らが先頭に立って熊に斬り付けた。
しかし、接近した際に、熊と目が合った瞬間、班長は思わずその視線に射竦められてしまう。
そこに見えたのは、普通の熊の茶色い瞳とは違い、深く美しい緑色の宝石の様な瞳だったのだ。
”こいつらは魔法で召喚された使い魔なのだ”と瞬間に理解できた。そして、手下が次々と熊の背中に炎の剣を突き刺して、熊は命を失って倒れた。しかし、その時には手下も半数近くに減っている。
班長はハッと気付いて、街道の上で指示を怒鳴るボスに進言を行った。
「ボス、こいつらは魔法で召喚された使い魔です。俺たちはヴァネスティの軍勢と戦ってるんですよ!」と大きな声で叫んだ。
ボスは振り返り、ギョッとした顔で班長の目を覗き込んだ。そして、鋭く頷いたのだが、更にその時・・・・。
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何が起きたのかはわからない、しかし今は動くべき時だと直観が告げていた。休耕地の中を突っ走り、今しがた熊を仕留めた盗賊の一班に近付いてぶちのめし始める。ひたすらに何も考えずにぶちのめす、ぶちのめす!
背中を向けていた10人程を過去最高の速度で打ち倒し、荒い息を吐きながら街道に飛び上がる。
その時だった。休耕地の地面から勢いよく水の柱が噴き上がり、それらは空中で緑に輝いたかと思うと、気味悪い漂い方をした刹那、地面と混じり合って街道も休耕地も泥濘に変化させてしまった。
それはほんの短時間、もしかすると数秒内での変化だったのかも知れない。皆が唖然としている間にも、俺は水飛沫を上げながら、暗殺者とボスを目掛けて駆け出した。
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「これは緑系統魔法だ。確か、”土を泥に”と言う魔法だ。しかし、ヴァネスティの連中が越境する筈はねぇんだろうに。何が起きてるんだってぇの!」癇癪を起して怒鳴るスパイダーに暗殺者が注意する。
「ボス、奴が来ましたぜ!」と怒鳴ると、投げナイフを何本か勇者に向けて投げた。しかし、勇者はそれを簡単に横に飛んで躱した。
次に起きた事は更に衝撃的だった。土手に潜ませていた連中の背後の空が光り、雨の様な矢が降って来たのだ。
その先を見ると、緑色の衣に身を包んだ自分の身長よりも更に大きな弓を構えた兵士たちが見える。その数は数十名に及ぶだろう。しかも、続々とその数は増えて行く。
暗殺者の内、中央の二人は剣を構えて進み出た。勇者が間近に迫っていたからだ。両脇の二人ずつは投網を背中から取り出して振り始めた。勇者は更に横に飛んで、投網を持った暗殺者の外側を通ろうとする。瞬間、勇者の姿が消えた、と見えて、地面を転がったのだ。
その手は泥水を掬い、綺麗に立ち上がった時には暗殺者の二人が泥水を顔に浴びせられていた。糞っ垂れが!暗殺者相手に汚い戦法で仕掛けるとか、こいつは全体どんな奴なんだよ!
見る間に、立ち直る隙もあらばこそ、暗殺者の一人が足を掬われて転倒し、踏み付けられたかと思うと、端から二人目の暗殺者の顔に左の裏拳がめり込む。魔法の籠手から電光が走り、地面のぬかるみを経由して踏み付けられた暗殺者も感電してしまう。
中央の二人は左右に剣を広げ、片方が倒されても、もう片方が勇者を殺す構えでぬかるんだ地面を突っ走る。残る二人も投網で勇者を狙おうとする。
見れば、土手班はほとんど弓矢で射られて殺されており、エルフらしき細身の男女が整然とした歩みでこちらに接近して来る。滑る様な足捌きとエルフ特有の身体のバネで、歩いているにも関わらず、人間の歩みを遥かに超える速度だった。
中央のエルフだけは普通の大きさの弓を構えているが、スパイダーにはわかる。こいつはエルフ族の勇者なのだと。数百メートルの距離を銀の矢が真っ直ぐに飛んで来て、自分の隣の暗殺者の頭を破裂させた時、スパイダーは遮二無二に背中を向けて走り出してしまう。
傍にいる暗殺者と勇者との戦いも見ている暇はない。ひたすらに背を向けてこの場から走り去る事しか考えられなかった。
”死にたくねぇ!俺は死にたくねぇんだ!”心に木霊するのは、その叫びだけ。バルディーンが死んだと感じた時以来、自分の心に芽生えた消滅への恐怖に心を完全に支配されてしまっていた。
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こいつらの剣術は似ている。森で戦った奴等と同様の剣術なんだ。
細身の長剣で刺すと見せて、刃を寝かせて通過した後に斬り下ろす、斬り戻す。剣先に宿る炎がその位置を明白にしているのは魔法の効果が裏目に出てしまっているところだ。
切っ先も肘も見えている。少し大きめに斜め位置めがけてバックステップし、相手が刃を立て直して踏み込んで来た時を狙って・・・相手が仲間の身体が邪魔で斬り込めない時を狙って・・・・ほんの少しだけタイミングをずらしておいた。
二人目の暗殺者は、一人目が牽制をしたタイミングで、一人目の身体すれすれに突きを入れて来たのだ。迂闊に踏み込めば、この突きをカウンターで食らっていただろう。だがそれは外した・・・。
だから、これで完全に一対一だ。相手が剣を振り、肘が伸びた瞬間に奴の手首に向けて手を伸ばし、掴み、脇腹に短い裏拳の一撃を食らわした。衝撃としては大したことはないだろう。問題は籠手から放たれる電撃なのだ。痙攣が起きた。俺はそいつの身体を折って、首筋に更に一撃手刀を見舞った。
その時、後ろにいた暗殺者の一人が、頭蓋の半分ほどを吹き飛ばされて人形の様に倒れた。
相方を俺に倒された暗殺者は斜めに後退して、最後の暗殺者と並んだが、ボスの逃亡を見て瞬間戸惑った。奴は俺と彼方の狙撃手の方に素早く目配りをしたのだが、その次の瞬間に死の矢が眼窩に突き刺さり、頭蓋の中身を盛大に泥濘にぶち撒けて終わった。
最後の暗殺者は逡巡せずに俺に背中を向けたが、どうやっても俺の速度から逃げられる訳もない。俺は躊躇せずに最速の拳を奴の後頭部に見舞った。
遠くから笛の音が連呼されている。盗賊の生き残りは既に坂道を登って逃亡している。今回も辛うじて生き延びる事ができた様だが、実際自分でも何故こうなったのかわからない。今回はマジで途中までの経過では討ち死に確定だった筈だ。
俺は助けてくれた・・・と思える連中の方を見たが。不愉快そうな顔、軽蔑した様な顔、様々にゲンナリする様な表情がズラリと並んでいる。
中央に立つ、女と思しき背の低い人物が、まるで棒読みの文言を機械的に口にして来た。
「魔術師バルディーンの来訪の際、当国とラサリア国との間に締結された魔術師協定の”越境追補”の項目に則り、我等エルフ族は盗賊団の境界における跋扈と、国境の建造物破壊を認めたため、ここに警察行動を取り行ったものです。以上・・・。」と言ったきり、黙り込んでしばらく突っ立っていたのだ。
「ひとまずお礼を言いたいのだが・・・・。」俺がそう言うと、「本職が行った警察行動は、ヴァネスティの利益を鑑みての行動であり、貴職の身の保全とは何等の関係もございません故、謝辞を述べ立てる筋合いにもないものと思料致します。」との同じく棒読みの返答を得た。
全く持って気分が悪い連中だ。取り付く島もない上に、敵意満面でどうしようもない。俺の心の中には言い様の無い不快感と、今後の任務を達成できるのかと言う不安が渦巻いた。
噂以上の手酷い塩対応を前に、俺は命が助かった安堵すら感じる事を忘れていた。