第三十九話 敵地
「・・・・・・。勇者様?」恐る恐る声を掛けてみますが・・・。睨まれました、こんな不愉快な様子の勇者様は初めて見るのかも?
「聞きしに勝る・・・だな!」長剣を握りしめて、それを鞘ごと馬車の床に叩きつけておられます。
「メソ・ラナオンよりも余程外国と言う感じです。ラサリアの国内だとは到底信じられません。」
私たちが眺めやっていたのは、それは酷い光景でした。
外壁の近くに板切れを瓦礫で押さえる様にして、無理に作られた掘立小屋とも言えない、危なっかしい建物の数々。殴られる子供たちの悲鳴、倒れた大人をスパイク付きのブーツで踏みつける衛兵、泣き声をあげる幼児。
勇者様は、明らかに変な建物を幾つも見掛け、そちらに向かおうと言い始めました。そして、近づいてみるとこの有様であったと言う事です。
「シーナ様の報告書にありました。フルバート近郊の農家では増税に耐えられず、農地を捨てて都市部に逃げ込む者が続出しているのだそうです。そして、それらの多くは盗賊ギルドに入ってしまうのだと。」
「すぐに市庁に行き、そこで通行の手続きを行え。その後はこの街からすぐに出て行こう。」憤怒の形相も凄まじく、私はわかりましたとしか返事ができなかったのです。
勇者様は、ある程度はこれらの建物の正体を察しておられたのでしょう。そして、見たくない何かを見たとは言え、それを見ずに済ませるおつもりもなかったのだと思います。
「急ごう、ヴァネスティに・・・。」暗い目付きと低い声の迫力も凄まじく、私も「この有様を終わらせるためにも、ヴァネスティでの御用を早く済ませないといけませんね。」と返事をしたのです。自分でも思いがけない事に、その声は大きく明瞭に腹と喉から発せられたのでした。
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八つ当たりをして済まないとは思ったが、ファルカンは俺の怒りを軽くいなしてくれた。この男も、俺のあしらい方を遂に学んだと言う事か。
とんでもなく無様で暴力的なフルバートの兵隊たち。武装した者が非武装の弱者を足蹴にする等、俺の許せるところではなかった。
しかし、皆から勇者と呼ばれていても、俺には貧民の飢えを満たす事も、無法な兵隊たちを蹴散らす事もできない。俺にできるのは、盗賊を蹴散らす程度の、喧嘩に毛が生えた程度の大暴れだけだ。
それは”本当の闘い”とは違う。単なる怒りの発露、単なる暴力、単なる力の誇示。そんな事に何の意味があるのか?
”俺が本当の勇者になるためには何が必要なのか?”更なる力か?違うだろう・・・。駆け回り、殴り倒し、相手を血の海に沈める。それで何かが変化する程、この世は単純にできてはいない。目の前の糞みたいな兵隊も、例えば殺してやったとしても次の奴が現れるだけだ。
だから思うのだ。アリエルの掲げる理想を叶え、アリエルの理念を援け、アリエルの身柄を守り続ける。それができてこそ、この国は変わるのだ。俺はそう心得ている。それ以外の道筋は今は見えない。
だから進むのだ。今は何もできなくても、ここにもう一度来る時には別の事ができる様になるかも知れないと信じて。泣き叫ぶ声は相変わらず聞こえる。土台すらない建物型の張りぼてが引き倒されて壊れる音も。
あんな粗末な建物の中でも、家族が揃い、必死で生きて行くのだと誓い合えば、その時点でそこには愛の通う余地はある筈なのだ。惨過ぎるじゃないか・・・。俺は唇を噛んで、決意を更に強めるだけだった。
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何もない場所から、ピシっと言う僅かな音が響く。それは周囲の喧騒と、兵隊の罵声に紛れて誰の耳にも届かなかった。
酷い目に遭わされている父と、泣いて許しを乞う母、地面に投げ出されて当惑のあまりに泣き止まない乳児である妹を抱き上げた少年は、ゲラゲラと嘲りながら父に暴力を揮い続ける兵隊の近くの空中に靄の様な蟠りが生じたのをボンヤリと見ていた。そして、兵隊の首筋に何かが飛んで行くのを見た。
突如、兵隊は白目を剥き、頸動脈付近が膨れ上がると、口から泡を吹き始めた。同僚が慌てて駆け寄ると、その男たちにもキラリ、キラリと何かが閃いて飛んで行く。
兵隊たちは次々と倒れた。呆然としながら妹を抱いていた少年の目の前で何かが光った。地面に小さな金貨と銀貨が何枚か落ちて来た。咄嗟にそれを少年は拾い上げて行く。
周囲の市民たちは、兵隊が大暴れを始めた時から、野次馬をやめて厄介事から逃げる無関心な通行人になっていた。だから、少年が拾った貨幣は誰にも見咎められていない。
少年は、父を介抱し、涙の止まらない母を宥めながら、その日の内に乗り合い馬車に金を払ってフルバートを家族と共に出て行った。
何故ならば、天の声が聞こえて来たからだ。「そのお金を使ってノースポートに行きなさい。わかったわね。」と言う女の子の声だった。そんな女の子はどこにも見えなかった。だから天の声だと納得した。
荘園から脱走する際に、家族にはノースポートへの路銀さえも払えなかったので、仕方なしに父はフルバートで日雇い人足をして糊口を凌ぐつもりだったのだ。
そして、そんな家族の住む貧しい仮住まいの小屋を見咎めた兵隊に賄賂を要求され、素寒貧で銅貨さえ払えないとわかったら暴行を受けたのだ。
しかし、旅費は遂に手に入った。神様は祈りを聞き届けて下さったのだと少年は思った。
倒れた兵隊の面倒を見る筋合いは自分にはない、そう思った少年は傷ついた父に肩を貸しながら商人ギルドに赴き、馬車の持ち主に交渉して乗車を許可して貰った。
交渉から乗車まで10分少ししか暇はなかったが文句などある筈もない。為替の証文だらけの馬車の中、身一つに近い有様で家族は身を寄せ合って馬車に揺られて行く。
その後、頑強な父は旅の最中に回復し、痛めた腕も動くようになった。後は、聖女様のいる慈悲の都で、父と力をあわせて必死で働くだけだ、少年はそう決意したのだった。
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「私、段々と勇者様の気持ちがわかる様になって来ました。」唐突な物言いに、勇者様はちょっと驚いた様子です。
「何がどうわかるって言うんだ?」相変わらず凄んで来られます。けど、ここで怯んで黙ってたら却って失礼でしょう。
「勇者様はご自分の事では怒りません。例えば、ご自分のお命を狙われたとしても、相手をぶん殴ったらそれで終わりなんです。でも、他人の事は違うんですね・・・。」勇者様無言です。続けましょう。
「先程の親子の事を今も考えておられますね。でも、私は勇者様はそれでよろしいと思うのです。貴方は他人の事を割り切ったりしません。助けるのは無理、だからそれを切り捨て。俺には関係ない、だからそれを切り捨て。そんな事を続けていたら、いつか勇者様は何もかも切り捨てて、小さな小さな何かしか守れなくなって、遂には誰も何も守れなくなります。だから、勇者様はずっと悩んでおられるのが正しいと思うのです。」今までにない真剣な目で見ておられます。迫力で死にそうです。小さな動物ならば確実に睨み殺せそうな迫力で息が詰まりそうです。
「私は失礼な事を申し上げたでしょうか?」と少しだけやんわりと話し掛けてみました。
「いや、お前の言う事に間違いはない。ありがとうよ。」とだけ言うと、勇者様はまた寝たふりを始めました。
「後な、シーナに頼む事にする。あいつの妹以外に、お前を俺の副官にしてくれとな。お前はある意味ザルドロン並みの賢人だよ。俺にはお前が必要だ。」とだけ口にされました。
「感激です、感謝致します。勇者様・・・。」と言うと、勇者様は黙っておられました。
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オルミックは外交使節団の馬車の中を点検した。わざわざ鎧を着こみ、小銭を渡して篭絡した衛兵の代わりに城門の入り口で割符を改めたりもした。衛兵は誰も何も言わない。
「お疲れ様です。どうぞお通り下さい。」と丁寧に声を掛けると、馭者台から「ありがとう。」と返事があった。
しかし、使節団の一行は、何故か市庁への最短ルートを通ろうとはしなかった。奇妙な事に、食い詰め者たちの屯する壁の近くの街路に向かって行った。あんなところには何と言う物もなかろうに。
待つ事しばらく、盗賊ギルドの連絡員がオルミックのいる城門にさり気なく近付いて、小さく丸めた紙の書付けを受け取ったかと思うと去って行った。
ふと、少し気になったので、勇者たちが向かった方向に歩いて行くと、そこには人だかりが集まっていたが、衛兵の恰好をしたオルミックに気が付くと、全員逃げる様に退散して行った。
見ればそこには3人程の衛兵が倒れている。内の一人はオルミックが袖の下を渡して成り代わって貰った衛兵だった。素早く状況を見て取る。首筋に残った小さな傷と膨れた皮膚と筋肉、辛うじて生きてはいるが、呼吸もままならない有様で地面の上で痙攣している。
”毒素だ。”と賢いオルミックには理解できた。しかし、誰が?外交使節団の仕業だとは到底思えない、そんな事をする理由もなく、そんな手管も持っていない者たちだろう。一番考えられるのが、盗賊ギルドの誰かの仕業と言う事だろう。ボスと共に出発した者たち以外に、3人を一気に倒せる奴が居るとは思えなかったが。
厄介事を目の前にして、”ずらかるに限るな。”と思い至ると、オルミックは城門の方に走り戻るふりをして、瀕死の衛兵たちを放置して去って行く。
しばらくして、巡邏の衛兵が通り掛かり、事態を見て取り、警笛を吹いて他の衛兵を呼んだ。ワイワイと集まって来る衛兵は3人の身柄を手当のために運び、事情聴取のために付近を調べて回り始める。その時には、オルミックは影も形もなく姿をくらましており、そこに住んでいた家族は、商人ギルドの馬車に乗ってフルバートの城門を出た後であった。
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市庁には皆で入らず、適当に一人だけを遣わせて作り置いていた書類を提出し、そのまま俺たちの一行は市庁近くに停車して、数人で市場に赴いて買い物を済ませた。
今日の夕方と明日の朝昼の内に食べる生鮮品と、数日ならば保つだろうパンと、更に保存が利きそうな食肉の加工品や野菜を買い込み、馬車の中で毒見の魔法を使い、安全を確かめた。
「もっと厳重に監視されるかと思いましたが、そうでもなかったですね。」とファルカンが呟いている。
「ここではそうなのかも知れない。むしろ、俺たちがこの街を素通りすると連中は予想していたと考えるのが正しくはないか?つまり、また途中の道すがらで待ち伏せをして来ると考えるべきかも知れない。」
「その線が濃厚だと私も考えております。」ファルカンも同意見らしい。また眠れない日々が続く訳か。
「今回は勇者様は馬車の中で眠って下さい。毎晩の宿直は我々でやります。万全の体調でないと、私たちだけでは数に任せて襲われたらひとたまりもありませんから。」前回の往路で俺が全然眠らなかったのをファルカンは気にしているのだ。しかし、彼の言う事にはもちろん理がある。
「そうさせて貰う。今回を切り抜けるためには、途中でへばってたら無理だろうからな。」認めるべきは認めないといけない。
「では、もうこの街に用はありません。先を急ぐ事にしましょう。」ファルカンはそう言うと、馭者台の部下に街を出る様に命じた。「帰り道にもう一度、そしてその次は・・・・ですね。」俺は頷き、ファルカンも頷いた。
まだ昼下がりの賑やかな街を後に、馬車は国境に向かう寂れた道を辿った。