第三十八話 フルバート
私は今、生涯最初であり、最後であるかも知れない恐ろしい食物を口にしています、
それは敬愛すべきアリエル姫の作って下さったゆで卵とハムのサンドイッチです。これは本当にアリエル姫の手作りのサンドイッチなのでしょうか?「うだうだ言わずに食べるのか、食べないのか?」とかなり怒った顔の勇者様からのお声が聞こえます。それは、ほとんど罵声に近いのですが・・・・。
もちろん食べます。むしろ、食べるのが不敬に当たるのではと心配になるばかりで。でも、食べなかったらそれも不敬になりそうです。
勇気を出して一口食べてみました!本当に美味しいのです。本当に美味しい・・・・。
「驚いたな。アリエルの作る料理がこれ程のものだったとは・・・。」もしかして、勇者様もアリエル姫の手料理を食するのは初めてだったのですか?
勇者様はこちらに目を向けると「これだけの量のサンドイッチを一人で食べる程、俺は大食いじゃないんだ。けど、10人で分けたら公平に割り切れないし、量も足りない。だから俺とお前だけだ。」つまり、私がご相伴に預かった事は黙っていろと?
「生涯の秘密にさせていただきます。私ごときには勿体ない幸運です、はい。」
「統治者からの手作り料理の差入れなんか、本来なら口にする事もできないだろうからな。それは俺も同じ事だ。それだけ今回の交渉は頑張らないといけないって事でもあるんだろう。」と言うと、こっちをジロリと睨んで来られましたね。
「ラナオンでの交渉も、主役は勇者様でした。我々は介添えでしかありませんから。」と返すと、「”生命の流れ”ではお前たちも役に立ってくれたさ。俺一人であれだけの人数に掛かって来られたら、下手すると死んでたぞ・・・。」と悪夢の光景を思い出しておられる様子。
全く、あれは私としても男子としての最大のピンチでありました。股間に向けて全力疾走で頭突きを食らわされるとか・・・。思い出しても身震いが出て来ます。
「私も健康な男子ですから、女性に裸でまとわりつかれたら嬉しく思います。普通の状況なら・・・。ですが、取り囲んで熱い視線を向ける裸の男女の前でポツンと自分も裸で立たされるとか、恐怖が先に立ってしまいましたね。更に大歓声を挙げる裸の男女、特に子供の男女が甲高く叫びながら疾走して迫って来た時には生命の危機すら感じましたです。あれが平気になったら、ある意味悟りきったって事になるのでしょうか?」と気楽に感想を述べたところ。
「同様とも言えなくとも、似たような”とんでもない歓迎”に遭う可能性は考えておいた方が良くないか?」とのお言葉。我知らず、サンドイッチを持った手が震えてしまいました。
「杭に縛り付けられた上に、弓の名手に頭の上のリンゴを射抜かれたりとかな。それを我慢できたらエルフに一人前の男と認めて貰えるとか・・・。高い樹の上から足首に縄を巻かれて逆さに落とされるとか。」お待ち下さい!何故そこまで悲観的なのですか?
「友好的な国ですら、あれだけの酷い目に遭うんだぜ?今度の国は友好的とは言えない国なんだろう?覚悟は決めておいた方が良いと、俺は思うんだ。なにより・・・・俺の悪い予感は良く当たるんだ。」と・・・。
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そんなこんなを話し合いながら、俺たちは時間を潰した。今回の使節団にノースポートからの護衛は付かなかった。フルバートとの間の街道は元来から安全だったし、盗賊の元締めがフルバート市内に本拠地を構えており、伯爵からも公認の存在であるとは俺の想像も超えていたが。
なによりも、その盗賊ギルドの長が、アリエルの父であるバルディーンが召喚した勇者である事には驚いたものだが。つまり、少数の護衛を付けたのだとしても、送り狼に帰途の最中消されてしまいかねないと言う懸念があったのだ。
”しかも、今度の道すがらで出くわすのだとしたら、盗賊ギルドの本隊、最精鋭である可能性が高いか・・・。”厳しい戦いの予感がある。
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「また、でございますか?」アランは故意に驚いてみるふりをした。
「俺に同じ事を言わせるってのか、手前?」スパイダーはいつもの様に凄む。
「確認でございます。場所はフルバートとヴァネスティの国境付近でよろしいでしょうか?」アランとしては計画は既に建てていたのだが。
「人目は避けたいが、人数を潜める場所がある場所でないと、不意打ちは無理だろう。真正面から当たるのはヤバいと俺は思う。」ボスは正気と狂気が混じっている。正気なのは金勘定と襲撃その他の荒事の立案で手堅く行う部分で、狂気は執拗にアリエル姫の画策する事を”何度も同じ手”で妨害しようとするところだ。
「人数は最大で100名と言うところでしょうか。ある程度の質を揃えないと、精密な計画を実行できない素人も多い事ですし。」ノースポートとバーチのギルド支部は精鋭を混ぜていても50人以上が簡単に敗北している。使節団に同行している勇者を侮るのは危険に思えた。
「暗殺者と用心棒の猛者を全員揃えろ。場所はここだ。」スパイダーが地図を指さした場所は、ほぼヴァネスティとの境ギリギリの場所だった。
「ここらはヴァネスティの哨戒線に近過ぎはしませんか?また、境界線の川に掛かった橋を落としたりするのも極端に目立つ行為です。」
「確実に殺すんだよ。橋が無ければ馬車は川渡りができねぇさ。その上で、囲んで射殺させる、それで足りなきゃ斬り込んで殺す。それで仕舞いさ。」今回の場所は、基本が遮蔽物の無い平地だ。それが生む損益は秤に掛けたとして、こちらに有利に働くのだろうか?考えても仕方ない、ボスの言う事は絶対なのだから。
「はっ、すぐに得物を用意させて、準備に掛からせます。連中がフルバートに来るまでに後2日あります。奴等よりも1日早く現地に到着させて網を張ります。橋の破壊については、基部ではなく、橋の板を撤去する事で破壊に代えます。それでよろしいでしょうか?」アランはスラスラと返事をし、それにスパイダーも満足した。
「良いぜ、それで行け。」簡単な裁可が降り、それで全て開始となった。
”何故、今回も失敗すると考えないのか?”それがアランにはわからない。狂気故にと言うならば、それで説明はつくだろう。
”失敗すれば、本部の手駒が大被害を受けかねない。”それを回復する方法は無いのだ。”完全な賭博行為だ。”とも思う。まさしく自分本人に降り掛かって来るだろう処罰を考えると気分が酷く重いが・・・。それでもやるしかないのだ。反対意見を受け入れる程、このギルドマスターは度量がある訳ではない。
恐怖だけで作り上げられた秩序、そこには何の斟酌も、言い訳も通じない、成功だけを求められる非人間的な枷があるだけだ。”とりあえず、俺だけの責任になる破目は御免だな。”と考えると、アランは責任回避の方法をいろいろと思案し始めるのだった。
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「今回は、前回とは違って、ある程度の備えもございます。ご覧下さい。」私が勇者様に差し出したのは、小さな装飾品でした。
「これは何なんだ?魔法の品なのか?」魔法のペンダントを手渡されて、勇者様はそれを改めておられます。
「左様です。魔法の護身具なのですが、今回はこれに役立って貰います。効果の程は、いずれ目に見える形で教えて差し上げますとも。とにかく、シーナ様とザルドロン様からは”誰に対しても秘密”と言われております。勇者様だけが例外とは言われませんでしたので。」まことに申し訳ないですし、融通が利かないと言われても仕方ありませんが。
「ならば、その時が来ない様に祈っておくさ。それが役に立つ時は、まさしく命懸けの場合だろうからな。」それはそうですよね・・・・。
「時に、フルバートの市街が見えて参りましたよ。」と水を向けると、勇者様は馬車の横にある足場に進み、敵地の城を見据えたのです。
「ノースポートに劣らない街に見えるな。」勇者様の感想のとおりです。人口も同等、規模も同等、軍隊ではフルバートの方が現在は圧倒的に規模が大きいのですから。
「問題は統治者と、中に巣食う者共でしょうか。あそこには、アリエル姫の様な善なる統治者はおりません。むしろ、アリエル姫と逆の道を行く外道どもの巣と言って良い有様で。」
「そうだな・・・。」
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人員の選定と、計画の詳細、付近の精細な地図を添えて決裁を求め、主だった者たちを招集して、ボス自らに訓示と発破を掛けて貰う。
”これで失敗しても俺一人の失敗にはなるまいよ。”と思いきや、更に事態はアランの有利に動く。
「お前ら、今回は俺とアランも一緒に現地に向かう。留守居はオルミックを連絡員として置いておく。アリエルの魔法探知を掻い潜るために、全員魔道具や魔法の武具は置いていけ。わかったな!」と言うところで訓示は終わった。
「アラン、お前の計画はなかなかのもんだ。水も漏らさぬって奴だな。」上機嫌のスパイダーが肩をどやしながら笑っている。
”ボスの指定した場所以外は・・・ですがね。”とアランは心の中で呟く。どうしても引っ掛かるものがあった。漠然とした不安ではあったが、それでも自分の直観には何度も助けられている。
「不安はあります。ヴァネスティの哨戒線に近い、そこがどうしても引っ掛かります。それ以外は全部クリアしているつもりです。」
「連中はここ何十年も行商人以外は森から出て来た試しはない。後は、カオスの国との戦いで捕虜になった奴だけだな。確かに見張ってはいるだろうが、それ以上の事を心配するのは無駄だと思うぜ。」
「ボスがそうおっしゃるのなら、私からは何も申し上げる事はございません。アランはただボスにお仕えするばかりです。」一礼をして、アランはスパイダーの前を辞去した。これから更に襲撃の準備を成さねばならないのだから。
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「フルバート市内を通過する必要はあるのか?」俺の問いに、「市内を通じずに街道の裏側に抜ける道はありません。大きく迂回しないと街道の脇道には通じませんし。突っ切るのが一番だと思います。」とファルカンは答えて来た。
「追加で数日間の食料品についても買い込んでおくのが正解でしょう。エルフ達がどこまで出迎えをよこしてくれるのかも不明です。」毒見の魔法道具は持っているし、一服盛られる心配もそんなにしないで良いだろう。常設市場や店を構えた街のパン屋でなら、まさか誰が買うとも知れない物に毒を盛るとかはないだろう。と、普通は思うのだが、盗賊ギルド相手では油断は禁物なのだ。
「剣と皮鎧にグリッド付きのヘルメット。これなら剣士に見えるか?」と聞いてみたが、「見えますよ。」と言う答えに妙な響きがある。凄んだ上で、しばらく問い詰めてみると、「むしろ用心棒って感じなんですよ、勇者様は・・。」との答えだった。
「用心棒と剣士ではどこが違うんだ?」と聞いたら、全然軍人には見えないらしい。この世界の剣士は、普通に板金の鎧を着ているため、軽装備の兵士は珍しいと言う。軽装備を通すのは、余程の腕前のある剣士であり、それらの多くは単独で戦うのだそうだ、主に刃物ありの喧嘩騒ぎで。
「それが勇者様のイメージでもありますし。それ程違っていないと思います。権威や権力にも全然従順ではありませんし。だからこそ、フルバート伯爵にも一切の恐れを抱いておられない訳でしょう?」なるほど・・・とは思う。しかし、俺はラサリアの権威であり権力であるアリエルの為に戦っている勇者なのだが・・・?
”いや、それは違うか。俺は権威や権力に従ってる訳では決してないな。”と改めて思い直した。
「ともかく、それらしく見えるだけでも良いだろう。」ある程度は諦めないといけないだろう。剣を握って、精々それらしく見せるだけ。試してみるだけならタダだからな。
「さあ、そろそろ城門だな。俺は寝たふりしてるからな、後は頼んだ。」はいと返事があって、俺はそのままの姿勢で動かない。「ここが敵地か・・・。上等じゃないか。」賑わう街の中に俺たちは入って行く。