第三十話 ノースポートへの急使
今、私の命は愛馬ボルトと共有されている。限定的な生命賦活の緑の魔力が、私と愛馬との間に流れ込み、溶け合い、増幅しあっている。
蹄鉄をしていないにも関わらず擦り減らない蹄。汗をかいているのに落ちない体力。高地の薄い空気にも負けない強靭な肺。それらを私たちは共有している。
「あははははは!」思わず薄い空気の中なのに大笑いしてしまう。山々に私の笑い声が響き、木魂する。楽しくて楽しくて仕方ない。これこそが、私の生来のギフトである”跳躍能力”なのだ。
私が軍勢を率いたら、その軍勢を全員倍速で行軍させられる。けれど、今は一人きりなのだ。
一人きりだから、ぶっちぎりで馬を早駆けさせられるのだ。これは誰にも渡せない、私だけの時間だ。
昼間には既にフォーウィーの街を見て、明日の夕方にはヘルズゲイトの街に到着できる。そこで市長のサランベルと会う事にしよう。しばらくの間はこの辺にも来れないだろうし。
そら、そんな事を考えている間にもフォーウィーの街が見えて来た!「ボルト、街が見えたよ。あそこで休んで、その後は坂道を下って次の街に行こう。もうすぐだよ!」ボルトの喜びが心の中に流れ込んで来る。行くよ、走るよ。私たちは喜びに包まれながら坂道を駆け上がって行く。
しかし、そこでありえない音を聞いた。忙しない鐘の音だ。
国内の家々に漏れなく配布されている緊急時対応マニュアルである”ラナオン民間防衛”にも記載されている音律、平たく言えば国内共通の”街への敵襲”を告げる鐘の音が聞こえたのだ。
さっきまでの浮き浮きした気分はすっ飛んでしまった。「ボルト、急いで!」大きな声でボルトに呼び掛けて、馬腹を軽く蹴る。もちろんボルトは急いでくれた、土埃をあげながら凄い勢いで駆け出し、私はボルトのたてがみに身を伏せる。
「門を開けて!私はシュリよ。この街の防衛に加わるわ!」大声で城壁の上の兵士に呼び掛ける。
「シュリ様だ!シュリ様が来て下さった!」城壁の上から歓声が上がる。「こっちの門からは敵は入って来ない。シュリ様を導き入れろ!」との声と共に、大きな城門ではなく、その横のいざとなったら落石や鉄骨の落下で封鎖できる通用門が開かれる。
「ボルトはここで待っていて。」と愛馬に語り掛けると、私は兵士たちに挨拶して、状況を聞き出す。
「ラキール様が、おおよそ二日前に発見して、追尾していた暴走する怪物たちが遂にこの街に突撃して来ました。我らは一般的な配置を取り、敵の進入を阻止しようとしています。」と言うのが彼らの話の骨子だった。
この暴走するモンスターたちは、打ち捨てられた建造物の中で増殖した怪物で、悪魔が数体と死霊騎士が少数、他にはゾンビとグールがわんさか。
「暴走モンスターにしては豪勢な数よね・・・。」敵の主力のいる位置に走りながら考えたが、その理由や結論など出そうもない。現場は城壁を1km程も走らないと辿り着けない。フォーウィーの街壁はそれ程の規模なのだ。今も市民兵が武装して次々と城壁の上に集結しつつある。
「終わってみると圧勝でしたね・・・。」私が撃ち落としたのが、死霊騎士3個小隊に苦労の末に悪魔1体、共同撃墜悪魔1体。
横で大騒ぎしているたくさんの小人族の傭兵投石部隊が悪魔と死霊騎士の撃ち漏らしを全部片付けてくれた。
「城壁の外も片付いたぞ。」勇者ラキールが魔法のメイス片手に大声をあげている。大槍兵の槍衾は、ゾンビとグールを完封で仕留めた。
キチンと組み上げた槍衾は、下級アンデッドを串刺しにして、その後に上から叩きつけた大槍が重量と角速度、穂先と柄に付与された錬金術の力で連中をコマ切れにしてしまったのだ。まさに金床と鉄槌、挟まれたら叩かれ続けるだけなのである。
「今宵は祝勝の宴となりましょう!」防衛部隊の隊長は言うが、「ごめーん、私は急ぐ用事があるのよ。すぐに出発するわ。」と返した。
「えーっ!お前、それはないぞ。ツレないだろ、お祝いなんだぜ。」とラキールが声を掛けて来る。
「しかたないじゃなーい。もっと面白い事があるんだし。」ニヘヘと言う笑い声をついつい発してしまう。
「お前、その緩んだ顔はなんだよ。そんなに面白い事なのかよ?」ラキールは興味津々だけど、流石に皆の前でラサリアの首都に行くとは言えない。
「ところで、もうすぐ、この街にラサリアの勇者が来るわよ。ラナオンを出たばかりだから、明日の昼過ぎに着くんじゃないかしら?」話題を変えた。
「その勇者ってどんな奴だった?」これにはラキールも食い付いた。近くの者たちも会話に加わって来た。「凄く気合の入った、ちょっと怖めに見える人でした。けど、振る舞いを見ていると落ち着いていて、子供相手でも馬鹿にした様子もうるさく思う様子もありませんでしたね。本当は優しい人だと思います。」
「ほう・・・。そうなのか。俺も話してみたいな。」ラキールは興味を持った様だ。
「凄く逞しい人だったね。子供に優しいのも同感ね。トラロック様に”生命の流れ”で思い切り揶揄われてたけど、怒ったりもしてなかったし。子供たちに突撃されても、別段跳ね除けたりはしてなかったわよ。」と言うと、周囲は爆笑していた。
あの”生命の流れ”は、洒落のわかる相手にしか行わない、特級の歓待なのだが、知ってる者たちはあれがトラロック様のしでかす性悪な悪戯だと知っている。
「逞しいって、お前そいつと一緒に”生命の流れ”を浴びたのか?」ラキールは悔しそうに両手を握っている。「そりゃ、その場に居合わせたんだから当然でしょう?」と言うと、血涙を流しそうな表情になった。
「くそー!俺も行きたかった。」ああ、ラキールってさっきまで暴走モンスターを追尾してたんだよね。真面目に仕事してたと言う事よね。けど、それとこれとは別だね!
「まあ、あんたの場合は、獣王とか言いながら、年中発情してるような男だからね。私は遠慮したいよ。ラサリアの勇者は、あんたみたいに私をいやらしい目で見なかったよ。」
「むむ・・・。そいつ、男としてちょっとマズいのと違うか?」ラキールはそう言うが。
「ん。違うと思うね。彼には既に愛する人がいるみたい。残念だけどね。」これは私の本音。でも、彼が私にも反応してきたら・・・・なんとなくだけど、私はガッカリしたかも知れない。
なんでそう思うのかはわからないけど。
「よし、俺はそいつが来るまで、この街にいる事にする。どうせ、事後処理とかもあるしな。」ラキールはそう言う。興味津々みたい。
「そりゃそうね、でも、ごめんね、私は行かないと。」そう言うと、ラキールの首に巻き付いて、グールの血で汚れていない鼻の頭にキスしてあげる。「ラサリアに行かないと。」小声でそう言うと、ラキールは優しい顔で頷いた。ウィンクをするが、こんなゴツイ男だと全然可愛くないwww
「良い旅を。またどこかで会おうじゃないか。今回はお前がいてくれて、本当に助かった。」と言って、頬にキスしてくれた。
皆に手を振って、さようならと挨拶する。お湯を運んで来る人達にも挨拶して、城門から走り出て、ボルトのところまで一直線。さあ、何時間かロスしたけど、ヘルズゲイトまでは一直線だ。
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「相当凄い奴みたいだな。ラサリアの勇者ってのは。」俺は相棒のシルバーに語り掛ける。
「キキ!」まあ、猿だから人間語の返事は期待できないが。
「ヘルズゲイトに至るまでに、凄腕の暗殺者を含む盗賊団50人を叩きのめしたらしいです。」民兵隊長がそう言うが、50人を叩きのめした?50人だぞ。一体どんな奴なんだ。
皆の噂だけではトンと想像もつかない奴だが、とにかく見てみよう、待てばその男は来るのだろうから。
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「急ぐよ、ボルト!早くしないと、夜までにヘルズゲイトに着けないよ。お前の食べる飼い葉が冷たくなってしまうよ。麦を温めてくれる人達がいなくなるよ!」と言うが、実はパレアナ、キャサリン、メリッサその他の”ヘルズゲイト美味しい女子団”は、自分が頼めば年中無休で馬でも私でも美味しい食事を出してくれる。けど、急いで欲しいのよね、今は。
頭の中にあるのは、アリエル姫のお顔を拝みたい。それだけ・・・。
どんな人なんだろう?美しい人なんだろうな。けど、それだけであのレンジョウが心から崇拝するとは思えない。きっと、トラロック様みたいに人並外れた何かの持ち主なんだろうとも思う。できたら、偉そうな人でなかったらとだけは思う。
「想像がつかないのよね。」だから良いんだけど・・・。想像がつくなら、わざわざ出向く意味も半減してしまう。それから数時間の間、さっと降った雨に濡れながらボルトはヘルズゲイトへの道をひたすらに走ってくれた。これは二人で走った道行きの中でも最高速度だったと言える。
「まだまだ、私たちにも成長の余地があるって事よね。」先日の廃墟探索で見つけた魔法のアイテムは、鑑定の結果が速度と防御、抵抗力に追加をもたらし、おまけに行軍の魔法が掛かっていたと聞く。外見はなんて事のない軽装の鎖かたびらなのだが、別に不服なんか感じない。便利ならそれだけで正義なのだから。
影絵の様に幻想的な雨降る山の中の光景。その中を進む、進む、ひたすら進む。
「ボルト、御覧なさい。街が見えて来たよ。」眼下にヘルズゲイトの灯りが見える。凄いな、魔法の防具の力は。
ブルルと一声いなないて、ボルトは余力を振り絞って駆けて行く。今更ながら、私は山の冷気に身を震わせる。街に着いたらまずは温かい物を食べないと。後、この街と言えば蒸し風呂もあるのよね。
「ううう・・・。」自分でも良くわかってなかったけど、身体が冷えている。
戦闘中は無我夢中で走り回っていたし、その後にフォーウィーの城壁の外を迂回して、ヘルズゲイトへの抜け道を疾走していた。ラナオンで最後の食事は朝食で、それもほとんど手を付けていなくて・・・。
それでいて、魔法の防具の力もあって、全速力で走り回っていたから。お腹がグウグウ言っている。考えなしに全力を尽くした結果がこれだ。
「ご飯を食べないと、これは本当にヤバいわww」こんな事を繰り返しているから、どれだけ食べても私は豊満な肉体になれないのだろう。
結局、私はラナオンからヘルズゲイトまでの道のりをほぼ14時間で走り抜いた。
到着は深夜近くなのに、門衛は勇者の到来と言う事で門を開けてくれた。パレアナは大急ぎで食事を作ってくれた。お湯が沸かされて、風呂も浴びる事ができた。ボルトに熱い麦が出された。寝込みを起こされたサランベルは呆れながら私に使者のための幟を渡してくれた。そして、市役所の宿直室の空き部屋で私はぐっすりと眠れた。
明くる朝に私はメリッサの出してくれた食事を掻き込むと、普段より幾分か無表情なボルトの背に跨ってヘルズゲイトを出た。
当初の予定に反して、サランベルに何も言わずに街を出たので、帰りに寄った時には滅茶滅茶怒られたけどww
「シュリ、待ちなさい!」と街を出る寸前にキャサリンが駆けよって来て、両手持ちの大きなブラシで私とボルトの埃を払った。「ありがとう!」とだけ言って、そのまま元気を回復したボルトを駆って、バーチに向かって一直線!
「アッハッハッハぁ!」ついつい大声が出てしまう。こみ上げる笑いが喉から迸る。私もボルトもお腹一杯だ。今日は徹底的に走るよ!
幟を右手に掲げて、天下御免でラサリアを走り抜けよう!目指すはノースポートのアリエル姫!
鐙に立って、両手で幟を振り回してしまう。ひたすらにご機嫌!土埃を巻きながら、私は街道を走り抜けて行く。
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「大丈夫なんでしょうか?いつになくご機嫌で、地に脚が着いてませんでしたが。」パレアナが心配そうにサランベルに物申していた。
「困った奴だが、あれが我らの勇者なのだからな。まあ、あれが何をやらかそうが、トラロック様は笑って済ませてしまうのだから。心配するのも馬鹿馬鹿しいのだが。」サランベルも諦め顔で応じる。
「良い娘ですが、思慮とか色気とかは絶望的に欠けていますよね。顔立ちも可愛いし、磨けば光ると思うんですけど、あれだけ元気だと、調教も無理でしょうし。お料理だけは、それは人並以上にできるんですけどね。」パレアナは笑っている。
「一応、恰好が付くようにと、埃だけは払いましたけど。道中で汚れて、どっちにしろ同じ事になると思います。」とキャサリンが、「お昼ご飯も渡しましたが、あの駆けっぷりだと、元が何だったか一時間後にはわからなくなってそうです。」とメリッサが続ける。
はあ・・・とため息が出る。もう少し、この国には格式とか、見てくれを重視する外交があっても良い筈なのにと思う。蛮族の子孫である自分がそう思う位なのだから・・・文明人類からすればどう見えるのだろうか。
そう思いながら、シュリが出て行った場所で、今までに何一つ悲惨な事件が起きていないのも知っている。
「神に愛されている国、神に愛されている勇者。凡人には理解できない何かなのかも知れないな。」苦笑しながらも、シュリがしくじる訳がないと、何故か楽観している自分が不思議だった。
そして、その結果が、今後の多くの事を決定付けてしまうとは、この時点では知る由もなかったのだった。
女狩人は名称をシュリで統一します。(シュナだと敵の時の名前ですから)
雨の神は名称をトラロックで統一します。