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第二十九話 惜別

 二人目の勇者は遂に現れなかった。彼は獣王ラキールと呼ばれる斥候技術に優れた勇者だと言う。

「ラナンスパーの街は現在厳戒態勢に移行しています。現地は、聖騎士団を有する非常に厳重に防御された城塞都市ですが、周辺の村落や小さな街はそれ程の防御を有してはいません。ですので、楽観は禁物であると私は判断しています。」シュリは、殊更に我々を軍議に同席させ、メソ・ラナオン南部の状況を説明してみせた。


「グレイフェアも、配下の僧侶団と共に、南部各地の汚染された国土の浄化に奔走しています。かの大ドルイドは懸命に使命を果たしておりますが、敵の策動も執拗なもので、事態はいたちごっこの様相を呈しています。浄化しては汚染され、その繰り返しです。多くの僧侶団が街の外に出向いている事も頭痛の種です。つまりは、街の防御は今も低下している最中なのです。」

「敵は浄化作業に従事中の僧侶を襲撃する挙にも出ております。このままでは、いずれどこかの街や村が本格的に襲撃される事態を惹起するでしょう。」

 南部戦線の向こうにいる敵とは、死の魔法を使う二人の魔法使いの緩い連合勢力なのだと言う。一人はカーリと名乗る狂気の魔女。もう一人はラジャと名乗る暗黒の儀式に耽る狂気の黒魔術師。

 二人が二人とも死の魔法の使い手であり、互いに緊密に連合している訳ではないが、トラロックを敵視している。あるいは憎悪している。


「片方を攻撃すれば、もう片方が我共々にもう一人の国土を侵略し、猛烈に攻め上って来る。正直、我を崇める精鋭聖騎士団と勇敢無比の蛮族たちが供給する凶暴戦士たちの働きがあり、我は有利に戦いを進めている。しかし、真面目に戦い続ければ、その損害は大きく、戦力の増加も青天井とは行かぬものなのよ。」トラロックが頭を揉む仕草をする。

「ほれ、我が汝らの国に梃入れする理由を正しく悟って欲しいのだ。なにしろ、ラサリアが安定すれば、それだけで莫大な戦力供給が見込めるだろうからな。」シュリもその言葉に頷く。


「今の我が国が執れる方法は基本的に二つだ。一つは後方の守りを更に固める。もう一つは、もちろん出撃して敵の都市を叩く。両陣営ともにな。だが、今はそのための戦力が足りない。そう言う事だな。大規模な動員は解除までの間が民生と国家財政の双方を著しく低下させる。やるのなら一六勝負ではない勝ち方でないと、後々恐ろしい事になりかねん。」トラロックは過不足なく状況を説明した後、更に続けた。


「実際のところ、ラサリア方面とヴァネスティ方面の戦力を一部でも抽出できたら、その時点で我らの勝ちは確定的になる。なにしろ、南の連中がどれ程鞭で脅されたのだとしても、住民を生贄にして儀式を行っておる時点で我らに生産力や財力で勝ち目などないのだよ。」と言った後に、問題点を羅列。

「一番の問題は連中が繰り出して来るアンデッドの軍隊の数と、一部アンデッドの質、少数精鋭の悪魔族がなんとも厄介な事だろうな。我は白系統魔術はそれ程得意ではないのだ。アリエル姫に代わって貰いたいと思う位だ。」ここまで突っ込んだ討議を行った外交使節団と言うのは過去にあったのだろうか。


「カーリが召喚した悪魔王を先日の戦場で見ました。配下の悪魔を召喚して援軍とする恐ろしい奴です。トラロック様の援護もあって、今回は無事に射殺できましたが。あれと何度も遭遇したら、いずれ不覚を取りそうに思えます。聖騎士はどうかとして、凶暴戦士隊とは相性が良くありません。ともかく、戦線を数年は維持できると思います。相手がもっと頭を使い始めたらどうなるかわかりませんが。」シュリの報告も多少悲観的なものだった。

 更にラジャは傾向的に悪魔王より余程危険な死霊騎士を軍団のリーダーに投入して来るのだと言う。

「毎回死霊騎士との戦いでは精神が擦り減ります。それ程の難敵です。」シュリは短くそう結んだ。


「我の勝手な判断で済まぬが、君たちには早々に本国に戻って貰いたい。約束したとおり、財宝は馬車に積んでおく。追加の馬車も出すし、護衛もバーチまでは随行させる。」トラロックはそう言うが・・・。

「俺たちは帰ってもすぐには動けない。この後にヴァネスティからも招待を受けているんだ。」

 俺がそう口を開くと、「それは言ってはなりませぬ。」とファルカンが大慌てしていたが、それはわかってるんだ。こんな事を外交の場で言うのは禁じ手だってのは。

「外交の予定を話すのが拙い。それはわかってる。けれどな、数か月ほどもかかるだろう長旅のタイムロスについては、あらかじめ説明しておくべきだと俺は思うんだ。」ここまで襟元を開いてくれたトラロックたちに、グズグズしていたと思われたら損ではないか。

「俺はグズグズするつもりはない。けれど、フルバートをキッチリと〆るって事なら、ヴァネスティに出向いてからでないとマズい。それはわかって貰いたい。」シュリもトラロックも即座に頷いた。


「個人的には完全にやる気なのね、レンジョー?」シュリが確認する。俺は彼女の目を見つめて頷いた。

「段取りはシーナやザルドロンとも詰めてからになるだろう。けれど、フルバート伯爵はアリエルを妻に迎えたいと要求するほどに図に乗っている。だから、どうせ衝突は避けられないし、連中もその気で動いているだろうさ。この外交使節団が神の子孫の治める大国に熱烈に歓迎されて、アリエルの外交が成功したとなると、次にどんな手を連中が執るのか、それが心配でもある。」多分、傍目から見て、俺の顔は凄い事になっているのだろう。隣のファルカンの顔が蒼褪めている。

「心配いらんさ。バーチ周辺の治安維持は我々も多少は手を貸す事にするし、今後はバーチ経由でノースポートと直通で交易を行う事も考えている。まあ、アリエル姫を本格的に支援する計画については幾つもの案を我々は立てていたのさ。」抜け目ないトラロックは何事でもないように重大な事柄を我々に告げた。


 シュリも両手を上げて賛成し、「私は今後は南部で戦うけど、その前に一度はノースポートに挨拶に行く事にするよ。できる事ならば、その時にフルバート伯爵の手先にも現実を突き付けておきたいと思っているわ。」そう言ったシュリのふさふさの金髪の中にある美しい顔が、歯を剥き出して凶暴な笑みを浮かべた。その目の力の凄い事・・・。

「ようやく私にはわかりました。なるほど、彼女は貴方に似ているのですよ、レンジョウ様。」ファルカンが囁いて来た。あ・・・っと俺も思った。トラロックがこちらを見て、ニッと歯を剥き出して笑った。


「それにしてもな、汝がアリエル姫の事をアリエルと呼び捨てにするのはどうなんだろう?まあ、そう言う間柄なのだろうが、汝は正直すぎると我は思うのだ。」トラロックがニヤリと笑い、シュリも顔を見合わせてニヤニヤと笑う。もしかして、これは俺のやらかした外交上の一番の失敗だったのではないか?

「妬けちゃうなぁ。」とシュリが軽めに問題発言を口にするが、その次の言葉は更に重大だった。

「決めた、レンジョー様が帰還する事を私がノースポートに報せます。その時に、アリエル姫と会って来たいのです。トラロック様、お許し下さいますか?」と・・・。

「ほれ、これが我の口上を記した書面である。献上品の目録も付いておる。アリエル姫と目通りして、存分に致すが良い。我の直筆署名もある故にな。」とトラロックがワゴンの上の書面を指差した。

「流石でございます!お話が早過ぎて、毎度の事ながら感心してしまいますわ!」シュリは大喜びを隠さない。”ギャハハ”と言う多少下品な笑い声さえ大口を開けて発している。


「勇者様、凄くとんとん拍子に良い結果が出てしまい、私などは怖くて仕方ないのですが。」とファルカンが小声で囁くが、その程度で神の子孫たるトラロックの耳を騙したりはできない。その証拠に、トラロックはこっちを見てニヤニヤと笑っている。

 普段、外野にいる場合なら、大いに興奮を隠せないだろう都市規模の裸祭りですら、自分めがけて直撃したらあれ程の精神的肉体的ダメージを負うのだと、この国に来て思い知らされたばかりだ。

 きっと、嬉し過ぎる何かであっても、自分中心に巻き起こると恐ろしい事にしかならない。俺たちがこの国で学んだ教訓とはそんな事だったのだから。

「もう、なるようになれと思う。」深く考えたら負けだろうし。俺たち程度の小者が国家間の大事をチマチマと考えても仕方ない。こんな事は頭の良いシーナとザルドロンにお任せが妥当だろう。


「出発は明日の朝だ。今宵は盛大に呑もうではないか!」ヘルズゲイトの街で何があったかを俺たちは忘れていなかった。おかげで今回は呑み過ぎずに済んだのだが。


 蜃気楼の川を皆で眺めた。ほんの数日の逗留。けれど、この街での経験した事は俺の心に忘れられない何かを与えてくれたと実感させられた。

 神秘の都、俺たちを完全に受け入れてくれた都の人たち、トラロックの人柄に触れられた事。得難い経験であり、忘れられない出来事だった。

「ほれ、これが汝らの受け取るべき割符である。これさえあれば、この国のどこにでも行けるのだ。」トラロックは十人の使節団全員にそれを発行し、代表の俺たちに手渡してくれた。

「ここ数日の間に我が納得したところでは、既にフルバートの攻略を我は規定事項として取り扱うべきだと言う事である。我はその支援を行う事があったとしても、横槍を入れる事はない。左様に心得て欲しい。」展望台のテラスに座り、俺とファルカンだけを呼び、シュリと共にトラロックは厳かにそう言ったものだ。

「それ故、ヴァネスティとの交渉は重要なものとなる。あの国がフルバート攻略に賛同すれば、その時点でフルバートは”詰み”となる。あ奴らがどう夢想しようとな。」トラロックは手厳しい。


 横にいるシュリは拳を握りしめている。様子が少しおかしい・・・。「どうしたんだ、シュリ?」と俺が尋ねると、シュリは「早く出発したくてウズウズしています!ラサリアに出向いて、早くアリエル姫にお目通りを願いたいのです!」との大きな返事が。

 ワハハハハと爆笑するトラロックが「許す、行って参れ。」と言うと、シュリはトラロックに抱きついて、頬に熱烈なキスをした。その後にファルカンの頬にもキスをして、俺には同様に抱きついた後、唇にキスをして来たのだ。

「また会いましょう!」と大きな声で別れの挨拶をして、シュリは脱兎のごとく駆け出して行った。

 ものの二分で彼女は弓と矢筒を担いで塔から城門まで走り出し、通りの住民に手を振って大きな声で挨拶をしつつ、凄いスピードで駆けて行く。

 伝令の早馬の様に、彼女の乗った馬は城門を出て、山道を駆け上って行った。あんな乗り方では、馬を潰してしまうのではないだろうか?


「朝食も満足に食べずにな。相変わらず、思い立ったら止まらぬ娘よ。」と一部始終を見届けた後、トラロックは笑いながらそう言った。

「物凄い生命力の持ち主ですな。」ファルカンは感心して言う。俺も同感だった。

「我の召喚する勇者は皆あんな感じなのじゃ。」とトラロックは言うが、それは自分と似た様な存在を引き当てる事が多いと言う事なのか?しかし、俺とアリエルはそんなに共通点が無いとは思うのだが。


 ノックの音が展望台入り口の厚い木の扉から響く。「入るが良い。」と言うトラロックの許可の後、ヘルズゲイトの衛兵が入室して来た。

「準備万端整いましてございます。」とだけ言うと、そのまま御前から辞去した。

「左様であるか。」とトラロックは少し寂しそうに呟いた。「汝らはラサリアに帰らねばならぬ。此度の交渉について復命し、次の旅路に向かわねばならぬ。」

「じゃが、気を付けよ。ヴァネスティのフレイアは、一筋縄ではいかぬ女じゃ。あの国の内情はとんと情報が入って来ない上に、交渉は常に難儀でまどろっこしい。外交にもいらぬ時間を要するやも知れぬな。」それに続けてトラロックは核心に迫る一言を発した。

「要注意なのは、あの女が何を欲するのか、それが余人にはわからぬと言うところよ。そして、あの女は欲しいものと引き換えでなければ何もしようとせんところじゃな。その点をよくよく心するが良い。」

「ご忠告痛み入ります。」俺はそう答えた。


「なに、年寄りの助言を素直に受け取ってくれる若い者には、精々役立つ助言をしてやらねばならん。それだけの事じゃよ。」と応じて、トラロックはカラカラと笑った。

 見ると、眼下の広場に綺麗に修理されて革まで貼られたラサリアの馬車が三台、加えてトラロックが設えてくれた新規の馬車が二台並ぶ様が見えた。周囲の建物から、男女が(今回はちゃんと服を着て)出て来て、通りにずらりと並ぶのが見えた。

「さあ、慌ただしいが、出発の時間じゃな。我はここから見送るとする。無事な旅を祈っておるよ。」と言うと、俺の手を両手で握りしめた。強い力で、とても暖かい大きな手だった。

「息災でな。汝のこの手が、未来を強い力で切り開くものと信じておる。汝と汝の愛する娘子の運命を勝ち取り給え。」と言うと、両腕で俺を抱きしめた。俺は胸に迫る何かを強く感じた。

「トラロック様のご健勝を祈ります。共に栄えましょう。」そう答える事しかできなかった。


 花道、そう表現するしかない。男女がすっと背を伸ばし、その両脇に子供たちが真っ直ぐに立ち、手には色とりどりの花が握られている。

 振り返ると、魔術師の塔、その展望台でトラロックが右手を挙げた。男女が静かに歌い始める。

「この道は未来に通じる道。未来は定まっていないが、共に歩む人たちがいる。」

「両脇を見るが良い。そこには共に歩む人がいて、貴方に微笑んでくれるだろう。」

「確かな何かは、その笑顔の中にしかない。それを信じて再び前を向くのだ。」

 馬車が進み始める。お辞儀する大人たち、手を振る子供たち。歌はまだ終わらない。


「楽園とは蜜を産む花の咲く園ではない。荒野に水を引き、雨を祈り、耕す場所であっても、そこに隣人がいて、微笑みあう限り、そこは楽園の入り口なのだ。」

「楽園を広げよう、隣人を増やそう。愛し合う家族を増やし、水路と溜め池を増やし、世界に緑を広げて行こう。」

「どこに行こうと、太陽は輝き、雨は降り、星は空に輝く。天の下、広がる大地にきっと貴方の居場所はある。そこに楽園を築こう。」

「収穫しよう、分け合おう、命を喜ぼう、祖霊に加わった人たちを崇めよう。そうして楽園はどこまでも広がって行く。」

「新しい隣人を喜ぼう、受け入れよう。それこそが楽園の礎になる。」

 俺は動いている馬車から飛び降りた。歌う人々に向かい、気を付けをした後に最敬礼をする。

「勇者様、また来て下さい!」「ありがとー!」「待っています!」そんな声が聞こえる。

 俺は、そんな人々を最後に見つめて、踵を返して馬車に走り、足場に飛び乗った。


 歌声はずっと響き続けたが、じきにその内容は聞き取れなくなった。皆が解散するのを見て、俺は馬車の中に戻った。この都での出来事を俺は生涯忘れなかった。


 ****


 去って行ったか・・・。まこと、あの者がこの都を二度と訪れぬのは残念な事。

 しかし、彼がこの世界を去る前に達成するだろう偉業を思えば仕方ない事だとも思う。

「よそ者に、ここまで腹を割ったのはバールディーン以来の事であったな。」トラロックは椅子に座りながら、そんな事を考えていたのだった。

 さて、あの女狐が、あの純真な勇者をどう扱うのか。あまりに腹に据えかねたのなら、徹底的に仕置いてやらねばならぬか。

 そんな物騒な事を思案しつつ、いましばらく待機しなければならないとも彼は考えていた。

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