第二十八話 祈りの意味
「天地創造、我らの父が、母と手を取り大地を作る。」
朗々としたトラロックの唄声が木魂する。大きな口と大きな胸板、すっ裸で両手を掲げて大きな声で唄っている。子供たちは大喜びで飛び跳ねているが、大人の男女は皆しんみりと黙っている。
「見上げる空は祝福を垂れ、大地に茂る樹と草花。祖先の偉業に感謝を捧げよ、我らの大地は美しい。」
大人も子供も唱和し始める。”我らの大地は美しい”か・・・。
「ファルカン、大丈夫か?」俺は湯の中から脱出して来たファルカンにそう声を掛けるが、ファルカンは憔悴した面持ちで、頷くのが精いっぱいだ。
そんな俺の横には、満面の笑みをたたえた美しい女狩人がやはりすっ裸で立ち、俺の腕を掴んで離さないのだ。出会った早々に、えらく気に入られたもんだ・・・。俺は溜息を吐く。
シュリの長い両脚には、二人の少女が纏わりついて、何と彼女の股間を触っているが、彼女は何も気にした様子がないばかりか、少女の髪を手で漉いて世間話をしている。
「性的な考えの基準それ自体が違うんだな・・・。」俺は思った事を口走ったが、「そうかなぁ?私は貴方が好きだから、私の裸を見て欲しい。嫌いな人の前では、私たちは服を脱いだりしないのよ。そもそも、この都にいる人で、私が嫌いな人なんか誰も居ないんだけどね。」とシュリは言う。
「ほら、私たちの周りにいるのはみんな子供ばかりでしょう?これが大人になると、求愛って事になっちゃうのよ。だから大人の男は誰もここに近寄って来ない。みんな、礼儀は弁えているの。」と言う彼女の脚には、新たにやって来た男の子までがまとわりついているのだけど・・・。少年少女でシュリの脚の取り合いになってる感じにしか見えない。
その取り合いされているシュリの見事に引き締まった、全身の美しい曲線と御椀型の美しい胸に俺は密かに感動していた。けど、そんな俺はもしかして不純なのだろうか・・・。
その間もトラロックの唄声は朗々と響き、男女の声は更に大きくなって行く。
「我らの祖霊の帰る場所。大きな空に祖霊は帰り、いつかそれらは舞い降りて、緑の森に帰り来る。我らが愛する森に来て、獣と共に駆け巡る。」
「それら祖霊は見守るよ。親と子達が愛し合い、互いに庇い、助け合い。そんな姿を喜ぶよ。皆の命を喜ぶよ。子孫が生きて働く様を見て、栄えて豊かになって行く、そんな姿を喜ぶよ。」
「星は空から見ているよ。月も空から見ているよ。そこには我らを見守る誰かが、移ろう世界を見ているよ。だから我らは空を見て、誰かに心で語るんだ。自分の心の真実を、自分の心の正しさを、静かに空の彼方に送るんだ。」
「トラロック様のお祈りは何度聞いても良いものね。」お腹に少女を抱きかかえながら、シュリはそう言う。お互いのツルツルした肌が滑って、少女は何回もずり落ちそうになっているが、その都度懸命にまだ短い腕でシュリにしがみついている。他の幼い男女は次は自分だと言いあっている。流石にトラロック様のお祈りの最中に大声は出さない様だが・・・・。
「いつか天空にいる誰かに皆の願いが届いた時、祖霊は大いに喜び、空は我等下界の者たちに微笑むよ。空は、柔らかな恵みの雨を降らせ、作物は尽きずに育つよ。互いに愛し合う人々はいつか奇跡を起こすよ。祖霊への尊敬は今も奇跡を起こすよ。祖霊に加わる者たちは残された者たちを思いながら地を去るよ。その家族と隣人たちは別れを惜しみつつも新しい祖霊を敬い、その生前を忘れずに伝えあうよ。この世を愛で満たし、次の世に愛を伝え、我らは共に栄えるよ。」素朴なユートピアの理念が余りなく伝わる祈りだった。
「トラロックは、ラサリアがこの国と似た様な楽園になると言っていた。俺はそれを信じたいな。」俺は傍らのシュリの方を向いて言った。
「アリエル姫なら、きっと大丈夫。そして、何より貴方が来てくれたのだから。早く国内を統一して、アリエル姫を脅かす者たちを平らげて、私たちの更に重要な同盟国の地位を手に入れて。」この国の指導者層の総意であり共通認識なのだろうけど、この話題はまたここでも出た訳だ。
「公文式と言う訳か・・・。」と俺は独り言を言ったのだが、シュリは「そう、反復が大事なのよ。」とそれに正しく応えて来たのだ・・・・。
「シュリ、君は公文式が何なのかわかっているのか?」俺は気色ばんだが、すっ裸で周囲の悪ガキどもから狙われている身の上では、普段の凄みも出る訳がない。
「ん?何?わかってるのかって、なんの事を言ってるの?」とキョトンとした顔で切り返されては、俺としてはどうにもそれ以上突っ込めなかった。なにより、シュリの顔になんの隠し事をしている様子が見えなかった事が大きいのだが。
「今回の親善使節としての訪問で、メソ・ラナオンの共通了解については理解できた。つまり、国内を早々に統一せよ。それで間違いないのだな。」俺はそう小さな声で呟いた。空気を見事に読んだ子供たちは一言も発しない。どうやら、俺はこの国の国民を上から下まで相当舐めていた様だ。
「ええ、その要約で間違いないわ。」と両手でそれぞれの子供の濡れた髪の毛を撫でながら、シュリは静かにそう答えた。ふと周囲を見ると、トラロックがこちらに歩んで来る。
「うむ・・・。くどくどしい手口で汝らに助言を与えた事に詫びたい。しかし、必要な事でもあったのだ。すっと許されよ。」例の大きな目で、俺は見据えられた。
「我らの願いは、同盟国であるラサリアの国内統一だ。それが遅れる程、我らの負担も大きくなる。カオスの国モルドランも明白に動き始めている。じきに妖精の国であるヴァネスティも大きな動きを見せる事だろう。我らの南にある国々もまた不安定な動きを見せ始めている。事態は一刻を争うのかも知れない。我はそう思ってさえいるよ。」トラロックはそう告げて言葉を切った。
「俺の一存では決められない事だ。」そう言うしかない。
「そうかしら?貴方はアリエル姫の最も有力な支援者であり、裏切らない忠臣だと思うの。そんな貴方を信じてしか、アリエル姫は国内の螺子を巻き直す事はできないわ。要は貴方こそが滅茶苦茶になっているラサリアをまともな国に戻す鍵なのよ。私はそう信じているわ。」シュリのその言葉に、トラロックは我が意を得たりと頷く。
「うむ・・・。汝らの帰りの馬車は黄金で一杯にする事としよう。軍資金は幾らあっても足りないだろうからな。今回の外交使節団の成果を嵩増しするためにも、貢ぎ物をケチるなどありえないのだから。」と言いながら、大きな目でウインクをして見せた。気さく過ぎるだろう、神様の子孫としては。
「汝を信じておるぞ。我にはわかる。この街の民にも、そこにいる子供たちにも。」周囲に並ぶ小さな頭と輝く瞳が俺を一斉に見つめる。
「汝は正義の人、弱き者の味方であり、正しき者たちの手本となるべき者だ。」トラロックはそう言い放ったが・・・。
「俺はそんなに立派な人間ではないし、そんなに強い者でもない。俺にできる事は小さな事だけだ。精々が数十人のゴロツキと戦って、そいつらをぶちのめす事くらいだろう。その程度で国を救い、世直しをできるとは到底思えないな。」そして・・・。
「俺はそんなに身綺麗な男でもないんだ。大きな罪を隠して生きている。今までも、これからも。」
そんな俺の言葉に、ファルカンがハッとした顔付きで俺をマジマジと見つめ直したのが見えた。
「汝の思い悩む罪とやらは、汝の思う通りに生きて、相殺してしまうが良い。汝はそれだけの力の延び代を今も有しておる。汝は思う通りに生きるべきだ。そして、更に多くの罪と間違いを冒し、それを背負って生きる宿命にある。」トラロックはそう告げて、更に続けた。
「ここにいる全ての者たちが汝の友であり、汝が庇護すべき者たちであり、汝の苦しみを共に分け合ってくれる家族なのだ。信じて欲しいのだ。我らの赤心を、我らの慈悲を、我らの友情を。汝の人生の苦しみは、汝を慕う者たちがきっと和らげてくれる。ラサリアでも、この国でも、汝が訪れるだろう他の国でも。」
「強き者よ。汝が強くあれば、汝の隣人たちは汝を助け、汝に護られながら、汝を愛する事だろう。孤独になってはならない。それは汝に似合わぬことなのだよ。我らがここにいる事を忘れないでくれ。そして、これからも汝に付き従う者たちの深き情けも。それに汝が気付く時、深く納得してそれを受け入れた時に、汝の幸福は揺るがぬものとなり、汝の長い人生の杖となる事だろう。」
「さあ!ラナオンの民たちよ、異国の勇者に汝らの気持ちを知らしめるが良いぞ!」とトラロックが宣告するやいなや・・・・。
周囲にいた男女、子供も大人も・・・・雄叫びをあげながら俺たちに突進してきた。
俺もファルカン達も、反射的に逃げ場を見つけようと周囲を見回した。しかし、そんな場所はどこにもなかった。
キャー!と甲高い雄叫びをあげて、男女とも定かではない小さな子供がファルカンの股間に突進し、そこに頭をぶつけた後、自分自身は湯の中に落ちた。
ファルカンはあまりの事に悲鳴をあげて悶絶するが、彼の絶叫なんか周囲の裸の者たちのあげる轟く声に比べたら囁きみたいなもんだ。
俺もシュリもトラロックまでもが、裸の男女にぶつかられて、湯の中に転落してしまう。毎度の事だが、凄過ぎて俺はやはりこの街には馴染めそうにもない。そうは思ったが、心が温かくなったのは間違いなかった。
実際、俺はその日のトラロックの言葉を随分長い間覚えていた。だからこそ、彼の祈りの意味は随分長い人生を過ごす間に、俺の心と魂の一部になってしまったとも言える。
忘れられない、忘れてはならない何かを俺は彼から与えて貰ったのだ。彼こそは俺の人生の師の筆頭になった者でもあったのだ。
そして、彼はその時既に知っていたのだと言う事も俺は後に気が付いたのだ。そう、俺の人生がその後とても長い、信じられないくらいに長い旅となるだろう事を。
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ようやく、WIFIで接続可能になりました。しかし、部屋の中はまだまだ段ボール箱だらけで、仕事も早朝からの出勤になってしまいました。
なんとか時間を作って、更新を頑張りたいと思っています。
それと、評価して下さった方々、コメントを下さった方々に感謝します。本当にやりがいが出ます。
今後ともよろしくごひいきに願います。