第二十一話 暗闇の死闘
バーチの街を出た二日目の夜。月は明るく、空は澄み渡っていた。つまり、夏の終わりであってもこんな夜は冷え込むのだ。とりわけ、近くに山が迫っていると言う事なら山から下りて来る風が涼しい。過度に涼しい。流石の俺も半袖では辛い。上っ張りをもう一枚追加して野営の火の番をしている。
野営は他に二名。もう少しで交代時間だ。
近くに小さな川があるようで、チロチロと連続音が聞こえている。明るい空、この世界の月がどんな運行をしているのか、俺にはわからない。ザルドロンはそれをちゃんと知っていたが、この世界の月は異常な動きを繰り返すとも言っていた。
今も赤青緑の三つの月が近付いて、ほぼ三角形の形を取っている。白の月はその中央にある。黒の月は未だにどこにあるのか良くわからない。見える人には見えるものなのかな。
岩に座っているだけでは歩哨の役も果たせない。今回の野営地は、土手の様になった街道の下の方にある広場で、周囲が見渡しにくい地形だった。非常に強い懸念が心の中に湧いて来る。
もう、ここらになると、バーチの街の兵隊も警邏や哨戒を行っていないみたいだ。メソ・ラナオンとの通商は大きな隊商で行うのが常の様で、その場合はバーチの兵隊が必ず付き従う事になっている。
今回、ファルカンはシーナの書いた協力要請の書面を提出し、護衛の要請を行ったのだが、バーチ当局はその要請を断った。
理由としては、先日もヘルズゲイトに隊商を送ったため、護衛部隊が不足している事。先日の盗賊団の襲撃を通報したところ、治安の悪化が懸念されるため、警邏の兵隊を裂けない事を理由とされた。
盗賊団に襲撃されたのは、まさにこの外交使節団であり、王国侍従兼王家相談役のシーナが認めた書類を却下するのにはいかにも理由が雑だった。
結局、俺は納得するしかなかった。アリエルの権威はバーチでも失墜しており、バーチ当局はフルバートの指示により王家に協力しない方針を強く維持していると言う事に。
近くの林の中に・・・人影が見えた。俺は近くの兵士に声を掛けて、自分も馬車の中に入り、眠っているファルカン達を起こした。「月明りで光が反射する。だから、直前まで武器は抜くな。」全員中腰で馬車の影に隠れ、小声でそう含めておいた。「野営の者以外は全員馬車の車輪の近くで座っていろ。」
西の方から大きな雲が近付いて来る。一時間もすれば、月は隠れてしまうかも知れない。特に、月同士が接近している時だ。一気に全ての月が陰るかも知れない。そうなれば・・・。
すぐに、俺たちは囲まれてしまっている事に気が付いた。街道の土手の上からも数名の者が頭を出しているのが見えた。他の野営者も気が付いたらしい。こうなると、気が付いてないふりもストレスが溜まるものだ。
林に数名、土手に数名、街道への斜面を馬車で駆け上らせるのは無理だと思われたし、林は危険過ぎて馬車を乗り入れるのは無理だ。真っ直ぐ進めないし、馬は何とかなっても馬車が壊れそうだ。つまり・・・つまり迎え撃つしかない。
毎度の事とは言え、こんな不利な戦いばかりだと、俺の余生も後どれくらいあるかわからない。まあ、それもこれも今回の戦いでくたばらなかったとしてだが。
風が鳴り始めた。土手の上で土ぼこりが舞っているのが見える。林の方ではぬかるんだ地面を靴やサンダルが叩く音が聞こえる。完全に囲まれているが、林の中からでは視界が効かないだろう。問題は土手の上だ。15メートルは高さがあるから、投石でも凄いダメージを受けるだろう。斜面は緩やかなので、そこそこの遠投にはなるが、届かない距離ではない。問題は弓や弩弓があった場合だ。いや、間違いなくあるだろう。
思うに、林の中からは手持ちの接近戦の武器を持った襲撃隊が押し寄せる。土手からは遠距離武器を持った狙撃隊が狙う。非常に不利な挟み撃ちの状況と言う事だろう。
こんな場合はどうするべきか。
・荷物は護らないといけない
・使節団の生命も護らないといけない
・俺の命も護らないといけない
全く、無理ゲーと言う言葉の意味がわかった。しかし、このゲームは降りる事ができない。
ならば・・・・。手筈をファルカンに説明した。馬車の下を這って、ファルカンは他の者にも説明し始める。野営者のところに近付いて行って、雑談のふりをしながら、俺は彼らにも手筈を伝える。
空を見た。後数分で雲は月を覆ってしまうだろう。赤の月は既に雲の中に隠れ、光は地上に漏れて来ない。この世界の月は、俺たちの世界の月よりも半分程度の大きさでしかない。
そして遂に・・・・土手の上で15人ほどが立ち上がった。「来たぞ!」俺は注意喚起の為に叫んだ。
ビシっと言う音、木材が何かに打ち当たる音、月の光を照り返すことなく、黒く塗られた重い鉄の矢が放たれる。俺は直前で違う方向から飛んで来たクロスボウが放った二本のクォレルを籠手で弾いた。
そして、弓矢が放たれ、馬車の近くに飛来する。笛が吹かれて、林の中で大きな動きがあり、予想していなかった林の端からも盗賊が10名ほど出現した。
「打ち合わせのとおりに、林の中に入れ。」使節団は今はシーナの手の者ばかり。全員が錬金術ギルド謹製の魔法の長剣で武装している。少なくとも、盗賊相手なら互角以上に戦ってくれるだろう。遠距離武器も、林の中に撃ち込んでは命中は期待できない。
そして、俺は別行動だ。下着の小さなブローチを指で撫でる。”アリエル、俺に力を与えてくれ。”そう心の中で呼び掛けると、俺は林の端から現れた集団に突進して行く。どうせ、今の俺の動きは人間並みではない。遠くから弓で未来位置を射ても、普通の腕では修正できないだろう。
しかし、それは甘かった。集団の内、2人程は弓で武装していた。小さな弓だが、弾き方が変だった。引いているのではなく、奴は弓を押している?様に見えた。
驚くべき勢いで弓から放たれた2本の矢は俺に飛んで来て、俺は籠手で払う事もできずに石ころだらけの地面を前転して回避した。この瞬間、俺の足は止められてしまった。
月がその間にも一つ陰った。緑の月だった。
2射目からは連中は更に頭を使って来た。少しずつ時間差を付けて弓を放つようになり、横からは土手からの恐るべき威力の鉄の矢が飛んで来る。
盗賊の集団のリーダー格らしき男が指示を飛ばし、俺は完全に武器を持った集団から無視される形で、彼らは大回りして走って行った。その先には馬車がある。
その時、遂に雲は青の月を覆い、全ての月が雲に覆い隠された。後は、僅かな焚火の灯りだけがほんの少し光を放つだけになった。
暗闇の中でも、人の目は光るものだ。俺の前の二人も姿がほとんど隠れた。そして、非人間的な目付きの眼球が空中に浮かび、亡霊の様なその他の部分が薄く輪郭を描く。それを確認して、俺は全速力で林に向かって姿勢を低くして駆け込んだ。
2人の射手にしてみれば、右から左に移動した形になる。短い弓は携帯にも便利で上下には動かしやすい。しかし、左右に動かすのはそれ程の精度では放てない。彼らは歩み足で俺を追って来た。土手の上の連中は完全に俺を見失った。
しかし、それでも俺は襲撃者たちの手の中にいたのだ。林の中に入った途端、待ち受けたのは短剣を持った黒装束の男たちだった。奴等は目を閉じた状態で俺を待っていた。こいつらは暗殺者と呼ばれる連中なのか?と思う間もなく、黒く塗られた短剣が俺に迫って来る。む・・・鍔の向きが・・・。
突きが来る、避けた。奴の次の動きは、短剣を引き戻すのではなく、すれ違う寸前の俺の腹に斜めに振り降ろされた。
しかし、それは俺の読みのとおりだった。鍔が縦ではなく、斜めを向いていた事から、次に斬り付けるのだとわかっていた。俺は回転して奴の手首を掴み、肘の内側に裏拳を打ち込み、小手返しで投げた。掴んだ肘をほぼ180度動かして肩をぶっ潰し、手首を短剣ごと、暗殺者の背中にぶつけた。
すぐに右肩を上げて直立した。投げ飛ばされた暗殺者を避けたもう一人の暗殺者は、足元の木の根に引っ掛かって転倒していたのだが、その男よりもほんの少し早く膝を立てて身構える事ができた。
だが、突っ込む間合いを計る時間もない。先ほどの射手が二人、林の隙間に遷移して、俺に狙いを付けようとしている。違う方向から、雄叫びが聞こえ、怒声が聞こえる。使節団の剣士が敵と交戦に入ったか。盗賊が馬車の車軸を鎖と錠前でロックしているのに気が付いたのか。わからないが、時間がない。
俺は林の樹を掠めて、更に林の奥に入ろうとした。それも敵の想定内だった様だ。射手も、入り口付近の暗殺者も、所詮は勢子でしかなかったのだろうか。俺は狩人達が待ち受ける場所に誘導されてしまった様だ。両側の樹の影から、手斧と長剣で武装した二人の暗殺者が現れる。全ての武器は漆の様な黒に塗られている。
違う・・・。長剣の持ち主の剣筋は、この世界の斜め上から振り下ろす単調な剣術とは違った。変幻自在なのだ。2秒間の間に2パターンの筋目が見えた。フェイントも含めればどの位の技数があるのか。キッチリ刃も立っているし、切っ先が奇妙に大きく見える。隙が無い証拠だし、こちらの目線に合わせて刃の長さが見えにくい位置と方向に剣を構えているからだ。
手斧の暗殺者は、ほとんど掴みかからんばかりの距離まで突っ込んで来る危険な奴だった。実際、掴んで来るつもりだろう。その反対側からは短剣使いが退路を断って来る。左側は太い樹木、これはマズいなと・・・そう思った。
牽制しようにも、こちらの打撃は二の腕程もリーチが短い。一人だけでも倒さないとマズい状況だが、軽く当てたくらいでは、こいつらを一発で倒せるかどうかわからないけど・・・・。賭けだ。
俺の正面は長剣使い、右側には手斧使いがいる。真後ろには短剣使いが。
多分、次の攻撃は3人一組で来るだろう。長剣使いの剣が、ゆらゆらと揺れている。これって、ブロックサインみたいなものかな?と思うや、手斧使いが前進した、俺の右真横に遷移しようとする。
俺はそのまま右前に進み、手斧使いの斧を左手で逸らして、相手の左肩に右の一撃を見舞った。
長剣使いは真横に走り、右手の剣で手斧使いの背中と水平に剣を振り下ろした。が、俺は手斧使いの顎に手を伸ばして、左足を相手の左くるぶしのあたりにぶち当てて足を払っていた。
長剣は振り切る前に手斧使いの頭に軽くめり込んだ。後ろから気配がする、俺は右足を軸に、足払いを掛けた左足を円形に回して、両拳を構えて、短剣に両手を添えて突っ込んで来る短剣使いに突撃した。
左手でパリング、右手で短いストレート、顔面に入った。足の甲を踏みつけて、そのまま頭を木の根が張り出した地面にぶつける。奴はそれで戦闘不能に陥った。
振り向けば、長剣使いは林の奥に走り去ろうと背を向けたところだった。足元の短剣を拾う。無造作に投げた短剣は、背中の左の腎臓付近に当たった。真っ直ぐ投げた訳ではなかったので、突き刺さりはしなかったが、転倒時に木の根で目を突いたのか、悲鳴を上げて目を押さえていた。音もなく俺は接近して、ラビットパンチを思い切り見舞った。ここで手加減するのは至難の業だったが・・・。
林の中の音はまだ続いている。そちらに急行しなければ・・・・。とその時、夜空に異常が生じた。
空が真っ白な光で輝きわたったのだ。雲すらも透かして、その輝きは夜空を席捲した。