第百六十話 どうせ俺は古い男だよ!
うーん、兄貴何か勘違いしてますね。
「兄貴、喩え話をしますね。」と俺は、兄貴が普段嫌っている”噛んで含める言い方”を敢えてしました。
「ああ、やってみろ。」と兄貴は不貞腐れた様子です。でも、やめたら話が進みませんから。
「兄貴は携帯を持っていれば、ネットに接続して、SNSにいろいろ書き込めますよね?」
「俺はSNSは嫌いだが、確かに携帯があれば書き込めるな。」
「なら、SNSから兄貴に何か不都合を及ぼせるんでしょうか?兄貴は、未来からの侵略者の使うSNSに携帯でアクセスできますが、兄貴の脳内に何かそれでできるんでしょうか?」
「俺の脳内に直接何かはできなくてもだ、不愉快な書き込みで俺の良識が傷付く事は多々あったな。」とぼやいてます。
「つまり、兄貴はSNSで大暴れできますが、それを観ない分には、兄貴にはつまんないレスは存在しないのも同然って事です。だから、プロトコルを渡されたとしても、兄貴には基本関係ない事なんすよ。」
と言ってはみたものの、今回ばかりは兄貴も執拗でした。
「鹿子木。お前、そこに居る女が、あれ程手の込んだ事までして、俺に仕込んだ代物だぞ。淡泊な理由や一過性で後遺症のない作用の訳がないとは思わないか?」と・・・。
無理からぬ事情があるとしても、兄貴はかなり疑い深くなってますね。先代様を含む、天使と呼ばれるアブナイ方々やまだ遭ってはいませんが悪魔とか言う多分天使以上に物騒な方々に対しては。
そして、先代様=サーラさんは、ニヤニヤと兄貴の心配事を喜ぶかの様に頬を緩めまくってます。
うん、多分兄貴の心配は杞憂じゃないんでしょうね。
「多分だがな。そのプロトコルを持っていると、俺の位置やら下手をすると俺が会話している内容までバレバレになるとかな。あんた、俺とその未来からの侵略者とやらを真っ向から嚙合わせる気満々だろう?」と兄貴は腕を組んで言い放ちました。
アリエル姫とザルドロンさん、何故かマキアスさんまでオロオロしています。
「まあ・・・そうじゃな。お主にしかできぬ事。そう言う事じゃよ。」と蒸留酒のストレートをチビチビと舐めながらサーラさんは言い放ちます。
「だから、俺の心配事には返事なしかよ!」と凄む兄貴。まあ・・・結果はお察しですが。
「お主の居場所を突き止めるとかの心配かい?それは連中は別の方法で行うであろうよ。会話についてはどうかな?この世界では遠隔通信以外は解析できまいよ。元の世界でその様な事ができたのなら、それは大変な事になるであろうな。連中としては、沢山の人間にプロトコルで汚染する方が却って有利だったろうさ。」と言うと、クイっと景気よくグラスの中身を呑み干しましたね。
「取り越し苦労だよ。お主は、敵の体内に躍り込む方法を手に入れただけなんだ。もちろん、例の量子コンピューターの中での出来事の様に、反撃を受けるかも知れない危険もあるだろうがね。」と言うとヒヒヒと笑い声を発しますた・・・。室内での反響音がとっても怖いっす。
「そう言えばなんだけどね。カオスの国の勇者タキから聞いた事なんだけど、サーラと最初に出会った時に、沢山の魔道具を体内から取り出したと言ってたのよ。」と今まで黙っていたシーナさんが質問をし始めました。兄貴に何やらサインを送っていますが、兄貴は顔を赤くしたまま不機嫌そうに首を振っているだけです。
「勇者タキ様と言うと、あのフルバートの地下でレンジョウ様を援けて戦って下さったお方でしょうか?」と無邪気に姫さんが両掌をペチンと打ち合わせて喜んでいます。
「左様でございます。彼の者とは、あの後もフルバートの地下で不死の軍勢と共に戦いました。今は主君の下に帰参しておりますので、次回会う時はまた敵同士やもしれませんが。」とまあ・・・姫さんの信じたいだろう騎士道物語みたいなお話を適当にでっちあげてますね。
「かの勇者からは、沢山の有益な情報を沢山頂きました。そして、カオスの国の大君主たるタウロン陛下ともおめもじが適いましてございます。」とシーナさんは続けました。
「それはそれは・・・。あのフルバートの地下でお話をしている時には、途中から入った事で話が一向に見えないままで通信を切ってしまいました故。」姫さんは途中からしか話を聞いてないんすよね。
「詳しくお話します・・・。」と言った後、シーナさんは過不足ない一連のお話をし始めたんです。
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「すまんな。俺から話そうにも、タキとの話の時には、俺はあの大男と話をしてたもんでな。」と兄貴は頭を揉んでます。
「それは俺も同じっすね。」と報告を続けるシーナさんを尻目に、俺達は小声で話をしてました。
見れば、サーラさんはまた切子ガラスの盃にリンゴ風味の蒸留酒をストレートでゴンゴン注いでます。どんだけ呑むんすか?
「ああ、あれ位傍若無人な性格してたら、俺の人生はもっと楽しかったろうな。」と兄貴がぼんやり呟いてます。
「いや、あんなに傍若無人だとリアルじゃ警察(300)の厄介になってしまいますって。」と俺は笑って言ったんですが。
「いや、あれ程でなくても、警察のご厄介になってたんだよな。遠い昔の様に思えるが、まだ向こうでは1日しか経ってないらしいが。」と兄貴はソファの上で黄昏始めました。
「う・・・。」と俺は絶句しました。ミスチョイスなワロエナイ喩えを引いちゃいましたね。
「それはそうと、いろいろ説明ありがとうな。俺は携帯を持っていても、通話以外には使わない。頭の固い男だからな。」と溜息吐いてます。
「その通話もペチャペチャと長話なんかしないタイプですしね。SNSなんかも全然でしたよね。」
「興味それ自体がないからな。そもそも、プロトコルと言う意味自体がわからん。」
「ああ、そっからっしたか・・・。」
「あのですね。例えばですが、兄貴はこの世界に飛ばされて来て、言葉に不自由した事がありましたか?」と俺は言いました。
「いや、なかったな。ほら、アローラの生の声が聞こえて来た事があったろう?あれは英語だった。けれど、この世界では翻訳されて、本人の声色としか思えない位に自然に翻訳がされている。」
「でしたね。けど、多分俺達は違う別の言葉で会話していると思うんすよ。このゲームをPCでやってたんすけど、字幕が出るから理解できますが、なんか喧嘩腰に聞こえる唸る様な言葉がスピーカーから流れてましたからね。あれがここの本来の言葉だとすると、実は俺達は英語でも日本語でもない言語で俺達は話してるんです。ただ、俺達にはそう思えないだけで。」
「それがプロトコルの説明になるのか?」と怪訝そうな兄貴。
「実際、あれが本来のこの世界の言葉かどうかはわかんないす。でも、設定ではそうなってるし、公式にはあれが正しいラサリアの言葉なんでしょうね。けれど、俺達はそれを日本語として受け取っている。多分ですが、兄貴にも俺にも、この世界のプロトコルがインストールされているんすよ。」
「うーん。もう少し砕いてくれ。後、そもそもプロトコルが何であるかの説明が足りない。」とクレーム参りました!
「ええ、つまりプロトコルとは、携帯とかだと通信の在り方なんすよ。兄貴の好きなバイクですが、アメリカンだと日本のバイクといろいろ違いますよね?ボルトやネジにせよ、ミリとインチで規格が違う。規格が合致してないと部品が組み上がらない。ネジには逆ねじとかも時々あるでしょう?あの小さなバイク、モンキーでしたっけ?あれのミラーは逆ねじだったでしょう?」
「ちょっとだけわかった。つまり、俺はこの世界のいろんな言語に関してもマスターしていて、未来の侵略者が送り込んで来たケッタイなコンピューターの内部に入れる権限も備えている。そう言う事なんだな?」
「その理解で間違いありませんね。それ以上の理解とかは今の兄貴には無理でしょうし。」
「どうせ俺は古い男だよ!お前みたいにコンピューターの知識に関する知識もないし、ファッションにも興味ない冴えない男だよ!」と不貞腐れてます。
まあ、そんなもんに興味持たなくても、兄貴は普通に恰好良いですし、教えたら何でも簡単に習得するんですけどね。
まあ、それは銅貨としてですが。俺が何故コンピューターに詳しいのか。実は、昔に電算機使って、いろいろ悪い事してたからなんすよね!w
それが巡り巡って、兄貴の役に立とうとは!人生ってわかんないもんすね。
と言うか、兄貴にしてみれば、面倒臭い、興味すら持ってないコンピューターや携帯の話なんか一生俺とはしなかったかも?必要のない事は全部無視するのが兄貴流ですし。
でもまあ。とにかく、俺にはわかってます。兄貴はサーラさんに選ばれたんでしょうね。
チラリと目を遣ると、サーラさんがそこそこ神妙な顔でこっちを見てました。
「人類の未来を奪ってしまうかも知れない未来からの侵略。とても大きな死の力に抗う者達の先鋒であり中堅である兄貴こそが、サーラさんの持ち帰ったプロトコルを手にするのに相応しい。そう言う事なんすか?」と俺は訊きました。
「そうじゃな。そして、必ず生きて帰って来るだろう、最善のスタッフとして信頼しておるからの。それ故、レンジョウを選んだのじゃ。」と言うや、盃をグビグビっと・・・。
兄貴の方を見やると、それはもう、顔に書いてありました。「有難迷惑」「他を当たれ」と・・・。
兄貴、いちいち往生際が悪いっすよね。
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「なるほど・・・。そんな経緯があったのですか。凄まじい成果ですな。そして、勇者スパイダーとも和解した上に、宝物庫から神器までもを解放させたと。この指輪も戦利品と言う事なのですな。」
ザルドロンが白い大きな指輪を惚れ惚れと見つめている。
「なかなかの力ある神器と見ました。魔法免疫にマナの増加、攻撃力増加と、何よりも通常の武器を防ぐ力を備えておりまする。ザルドロンの為にある様な逸品の神器と言えまする。」姫様も御満悦の模様だ。
けれど、姫様の今の服装は相変わらずの男装で、決して小ぶりとは言えない胸を収めた皮のシャツはピチピチで袖が僅かしかないし、臍の下から股までを革紐で締める様な作りのズボンなのだ。
正直、開襟シャツに近い作りなので、胸元の下着が見える寸前だし、首元も二の腕の大部分も丸見えなのだ。この世界の王族、大僧侶であり聖女としては如何なものか。
「スパイダーから預かった宝石の櫃については、商人ギルドで為替に変えて、スパイダーに引き渡します。」私はそう宣言した。
「お互いの為になる取引ならば、このアリエルの名に懸けて公正に取引致しまする。元は父上が召喚した勇者でもあります。決して粗略な扱いは致しませぬし、約束を違える等も、ラサリアの国名に関わる不祥事。断じてアリエルは約束を違えませぬ。」
何と言うか、一途にローフルな姫様である・・・。
「スパイダーは、そちらにおられるサーラ様のお仲間のサマエル様と約束致しました。バーチの裏社会のボスであるランソムを討ち取ると・・・。」
「それは・・・。凄く大きな事になりますな。」ザルドロン老師はそう言いながら、スパイダーから贈られた指輪を眺めている。
「あの男は、根が苛烈な性格なので、恐らくランソムは早晩血祭りに挙げられるでしょう。その後はアラリック卿の追求を逃れて、ラナオンに出奔する事でしょう。」と私。
「さあ、どうかのぉ?儂は、スパイダーのやり口を見ておって、気が付いた事がある。」と老師様。
「どんな事に気が付いたのですか?ザルドロン?」と姫様。
「なんと申しますか。あのスパイダーと言う男は、本来は小心者で、臆病な性質ではないかと思うのですよ。手下の手前、利用し合っているフルバート伯爵の手前。それぞれで威勢の良い所を見せないといけないので、あれ程に荒くれて振舞っているだけではないかと、儂は思うのですよ。」
なかなかに鋭い考察だと思った。けれど、何故殊更にこんな事を彼は言い出したのだろうか?
「老師様は、今後スパイダーはどうするとお思いですか?」
「彼はアラリック侯爵を殺害するやも知れんな。」と驚きの一言が。
後々で老師の言っていた事は現実となったが、何故彼はそう思ったのだろうか?訊いてみた。
「良い事か悪い事かはわからないのじゃが、アラリック卿は簡単に謁見を許す傾向がある。一つの理由は、直接命じて財貨の無心を行う為が殆どであり、もう一つの理由は今までの所はラサリアの国内で下克上が行われた試しがなかった事。最後の理由は、あの男がどういう訳かフルバート侯爵ですらも頼りにする事もあって、弁舌に自信がある所じゃろうな。」
「ですが、彼は私程度の小娘にすらやり込められる程度の脳味噌しか持っておりませんよ。」
「本人がそう強く信じておるのじゃから、儂等がとやかく言う事ではなかろうよ。」と言いながらホッホッホと笑っている。
「で、本当にスパイダーはやるでしょうか?」
「やらなければ、バーチを去った後に追撃が加えられるじゃろうの。たかだか20人程の盗賊達が、合計で4000人を超えるバーチの守備隊の幾分かを差し向けられたとして、何とか切り抜けられるものかどうか。それよりも、頭を撃ち砕いて大混乱の最中に逃走と言う方が余程に割の良い賭けかも知れぬと儂は思うのじゃ。」
「なるほど・・・。ですが、アラリックを殺害した後にスパイダーはどうやって逃げると・・・。」
あ・・・大切な事を思い出した。
「なるほど・・・。スパイダーは脱出できるかも知れません。身軽ならばと言う事ですが。姫様、後程に魔法感知でバーチの近くの森と山に魔道具あるいは神器の反応があるかどうかを探って頂けるでしょうか?」と私はお願いした。
「造作もない事。スパイダーの位置を探ると言う事ですね?しかし、何のために?」姫様はすぐに反応した。
「盗賊達は出奔の前にありったけの金貨を運んで行ったのですよ。あれは重い荷物の筈です。馬は全員に行き渡っている筈ですが、それでも重いでしょう。それらを小切手にしてやります。20枚に小分けして、商人ギルドには担保の金貨を渡しておきます。担保は今回持ち帰った宝石の櫃でも良いでしょう。白紙の小切手を印章だけ押して貰い、メソ・ラナオンの商人ギルドで換金させれば、彼等は損をしません。」
「悪くない援護の方法でしょうな。で、遣いは誰をやりますか?」とザルドロン。
「顔見知りと言う事なら、私かレンジョウになるでしょう。ただ、私の場合はいろいろありましたので、長期間の単独行動が不可能になっているのです。」と言葉をぼかした。
おのれ部長!と心の中で思ったのだが、表情に出ていた様だ。ザルドロン老師が露骨に引いた。姫様も・・・。
「あ・・・そうでした。姫様、夕食の際は、私には2人前程お願いします。大丈夫です、今の私には何でもどれだけでも食べられますから・・・。」と低い声で言うと、姫様は幾分顔をこわばらせながら頷いた。
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話の後は夕食の準備だ・・・。現在午後4時50分。ボウルに入った材料は、牛乳、小麦粉、バターに生クリーム(この世界には遠心分離機があるのだ!)、言っておられたとおりの見事なポルチーニ茸!
ペティナイフみたいな刃物で、姫様はすっすっと鶏の骨付腿肉の皮に裏表の筋切をして塩コショウをして行く。
大きなフライパンにオリーブオイルが熱せられ、10枚の腿肉が入れられて行く。
まずは腿の内側から、フライパンの取っ手を掴んだ姫様(エプロンと三角巾に、例のカンケル王子様の古着と言うふるった恰好を継続中)は、見事な手捌きで小麦粉をさっと振られた腿肉を裏返して行く。
時には、その内の一枚だけを手首だけで裏返すのだから真剣凄い。
料理の出来るシーナさん、その地位は既に風前の灯かもしれない。
皮が焼けて、胃袋に堪える凄く良い香りが充満して来た。蓋をしているのに、姫様は音だけで鶏の焼け方を把握している様だ。
最後の仕上げに、たっぷりのバターと少量の生クリームと小麦粉と牛脛肉のフォンが入れられた、ポルチーニ茸入りのホワイトソースが加えられて、キツネ色に焼かれた鶏肉と合わされる。
深く大きな皿に茹でられた平麺のパスタが敷かれており、そこに腿肉が乗せられて、ホワイトソースと茸が掛けれれる。
「配膳はお任せ下さい。」と言いつつ、私は先代様の分を先にメイドの一人に渡しておいた。
先代様の部屋には、首脳部以外は入れないので、常からザルドロンか姫様が食事を届けていた様だった。
今も、部屋の前には誰かが居るのだろうが、それが誰かはわからない。
ここは曲がりなりにも要塞であり、危急存亡となれば階段の一段ずつで戦う事となる。当然、エレベーターやダムウエーターみたいな便利で敵に利される可能性のある代物は設置すら想定されていない。
だから、螺旋か折り返しの階段を10メートル程降りる必要がある。面倒でも、セキュリティを優先させる必要があるのだ。これは絶対なのだ。
メインの大皿に加えて、庶民のパン屋では滅多に焼かれない白いパンと、熱々のコンソメスープのボウル、何より大事なアップルワインの大瓶も渡される。
私の方はと言うと、食事を大きなワゴンで向かいのホールに運んで行く。
「では、シーナ。後は任せます。わたくしは夕刻の歌を歌わねばなりませぬ故。」と言うや、姫様は三角巾とエプロンを外して、近くのフックに掛けた後スタスタと歩み去る。
え?あの恰好で?と思ったが、制止の言葉が咄嗟には出て来ない。
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「皆さまもご一緒致しませんか?」とアリエルが俺達に話し掛けて来た。
まだ着替えていないのか、このケッタイな衣装を?
もしかして、この姿で歌うのか?どんな歌を歌うんだ?
例によって例の如く、アリエルと言う少女の行動は実に突飛で、何かをするとなればその事に行う前から没頭してしまい、周囲の空気とかは一切読まない。
止める暇もない、踊る様な足取りで、実際に手を振りながらバルコニーに出て行ってしまう。
俺はそれに追従して展望台の部屋に入って行ったし、鹿子木、マキアス、ザルドロンと他の者達も続いて来る。
最後にシーナも部屋に駆けこんで来た。
下方を見やると、既に歌が歌われる事を知っているノースポートの市民達も道や広場に集まりつつある。
市民達がこんな姿の統治者を見て、どう思うかわからんが・・・。
やがてアリエルは大きく両手を掲げて歌い始めた。
歌詞を聞いて知らない歌だなと思ったが、その内にこの曲に聞き覚えがあると思い至った。
What a Friend we have in Jesus,
救い主が我等の友となられた
all our sins and griefs to bear!
我等の罪と悲嘆を背負わんが為に!
What a privilege to carry
何と言う齎された恩恵であるか
everything to God in prayer!
神に全てを捧げよう、祈りで全てを捧げよう!
この歌には俺も聞き覚えがあった。
確か小学校の音楽の時間で、同級生と合唱した記憶がある。
確か、曲名は「星の世界」だったな。
英語で歌われる歌詞が脳内で翻訳されるのと並行して、俺はその日本語の歌詞を思い出していた。
かがやく夜空の 星の光よ
まばたくあまたの 遠い世界よ
ふけゆく秋の夜 すみわたる空
のぞめば不思議な 星の世界よ
きらめく光は 玉かこがねか
宇宙の広さを しみじみ思う
やさしい光に まばたく星座
のぞめば不思議な 星の世界よ
「おい、シーナ。これも讃美歌なのか?」と小声で訊く。
「うん、讃美歌、グレゴリオの祈祷歌だね。”良き金曜日のためのグレゴリオ聖歌”って歌だよ。」との返事。
アリエルの携えている本、ザルドロン言う所のカバラ十字って言うのか?あれが表紙に刻印されている。
やがて歌は終わった。アリエルは右手を振り上げると、観客と言うか自分の臣下達に手を振り回した。
その後の言葉がふるっていた。
「シーナ、貴女も何か一曲歌ってみませんか?」だと?
横を見れば、シーナは大慌ての有様だ。当然だろうな・・・。
唐突にも程がある。けれど・・・・。
「なあ、お前は歌えないのか?」と訊いてみた。シーナは右を見て左を見て・・・。
「いや、歌えるよ。歌えるけど、何で私にこんなお鉢が回って来るの?」と言って口ごもっている。
俺は背中を押した。
「ほら、お前の主君からの要請だ。しっかり歌って来い。」と言って背中を叩いた。
シーナはジロリと俺を見て「あんたまでこんな突飛な事を・・・。」と呟いた後、「覚えてろ。」と一言毒吐いた。
「では、不祥シーナめが一曲披露致します!」と右手を挙げた。
マキアスが横で「いやいやいや。レンジョウ、お前もチーフの歌声を知ってる訳かい?」とウズウズした様子である。
「いや、知らんが、シーナの声はなかなか良い声だと普段から思っていた。」
「チーフの声は基本コントラアルトの少し高めだけど、歌うとなるとちょっと違うんだ。しっかり聞こうぜ。」と全幅の信頼を述べ立てた。
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シーナが歌ったのは、何とヨーデルだった。曲は定番の「スイスの娘」だった。
良く響くファルセットと軽快な動き。手を下にして振り、若干ノッテいるのがわかる。
エプロン姿が奇妙に似合っている。ステップを踏むと長いスカートが控え目に翻り、靴底の鋲が青銅の床に打ち当たって軽快な音を立てる。
全てをアカペラで歌い、やはりシーナは観客に一礼をした。
アリエルの時はそうでもなかったが、シーナの時は大声で歓声が上がった。
「凄い反響だな!」と俺はシーナを褒め称えた。
「何となくわかるんだけどね。姫様に対しては不敬かと思ってしまうから歓声とかを上げられないんだろうね。姫様の時は祈ってたけど、私の時には最初からザワザワしてて、途中で子供とかも大喜びしてたからね。」との返事だった。
「久々に聞いたけど、チーフの歌声は格別だよね。姫様の声は天使の歌声だとして、チーフの歌声は自分と同じ人間の語り掛けるってわかる分、凄いインパクトなんだろうね。」とマキアスさん。
「ありがとう、マキアス。」とシーナも喜んでいる。
「さあ、皆様。お食事が冷めてしまいますよ。皆で一緒にお話しながら頂きましょう。」と上機嫌のアリエルが勧めた。
一同の意志は同じで、特にシーナは最近の傾向ともなっている口の端からの涎が見える。俺の命に関わる事なので、絶対にその事には触れないが。
****
結構な温度まで温めておいた陶器の皿に、銀の蓋をしていたせいで、メインの皿はまだ熱々だった。
敷いておいたソテーしておいたパスタは水分が抜けて結構カリカリしている。
湯気を立てるチキンとソース。付け合わせはボイルしたブロッコリーと芽キャベツ。それとニンジンのグラッセ。
白パンと玉ねぎ入りのコンソメスープ、食前酒はシェリーだ。
「遅くなりました!」と言いながらカナコギが部屋に入って来る。
本当に穏やかな生活が戻って来た。しみじみと思った。
以前の様に、様々な事々に苦しめられながら、日常性を取り戻す為に明るく振舞って食事をしていたのともまた違う。
横に居るレンジョウをチラ見しながら思う。
この人は、どこの時空、どの世界でも私の傍で戦ってくれている。くれていた。
多分、これからも一緒にいてくれるだろう。
そう思うと心が覿面に明るくなる。見るもの全てが輝いて見える。
姫様の満面の笑い顔、ザルドロンのご満悦な表情、カナコギとマキアスの喜ぶ顔。
難しい顔をしながらも、優しい目を周囲の人達に向けるレンジョウと目が合った。
そこには、確かに私に対する思い遣りが満ちている様に思えたのだ。
団欒の時間が始まった。
ちょっとばかり気になった事を書いておきます。
先日来、度々後書きで書いているウクライナ関係のお話です。
ウクライナに侵攻しているロシア軍の戦車、装甲車両、輜重車両、果ては軍用レーションにまで書かれている”Z”の文字についてです。
まずは前提なのですが、スラブ人(ロシア人、ウクライナ人を含む)の使うキリル文字。
ほら、英語のアルファベットYがキリル語アルファベットだとЯになってる、あの文字ですね。
あれにはZに対応するアルファベットはありません。
なんか、アラビア数字の3みたいなアルファベット”ゼッド”はありますが。
このZと言う文字ですが、実は英語圏でも使われ始めたのが新しい文字だったりします。
元来はギリシア文字のZ、ゼータに対応する文字だったのですが、英語圏。特にアイルランドでは、ラテン語の様に濁点を読まない伝統がありました。
「オージェイムズ」と言う人名の事を、アイルランドとかでは「オーシェイマス」と呼んだりしてました。一言で言って方言であり訛りなのです。
ヘルダイバー本編でも、現在のヴィクトリアスと呼ばれる女神はローマ時代はウィクトリアスと呼ばれていたとグレイスが言及しています。ローマでも同じ様な読み方だったのです。
Zが比較的新しいアルファベットであると先程言いましたが、英語の現在の地位を確立したと言われる伝説的文豪ウィリアム・シェイクスピアは”リア王”の中でこんな事を言っています。
「浅ましいゼッド。要りもしない文字よ。」と。(リア王 2.2から引用)
時にZはSの代用として用いられるアルファベットでもあります。
英語のアルファベットではZは最後の文字ですが、ギリシア語のアルファベットでは最後の文字はΩ(オメガ)です。
私は常から不思議に思っているのですが、先程アイルランドでは昔は濁点のある名前で人を呼ばなかった場合があると言いました。ですが、ギリシア語では違います。ラテン語ではそうでした。
でも、アイルランドは基本的にギリシア文化が残っていた筈なのです。
アイルランドの神話にあるダーナ神族。トゥワハ・デ・ダナーンですが、これはギリシア人と言う意味だそうです。
ダナーン、ダナエに繋がる者達ですが、ダナエとは有名どころではかのアンドロメダを救った英雄ペルセウスのお母さんですね。
また、ダナーンの子孫であるルーは、フォモーレ族の長であるバロールを倒したとされています。
(バロール、麻痺や発火の邪眼の持ち主って、確か私も本編で書いてたようなぁ・・・。)
フォモーレは山羊の頭を持つ獰猛で野蛮な種族とされていますが、ダナエの息子ペルセウス(復讐者と言う意味です)は、同じく山羊の頭を持つデュオニソス(ローマのバッカスに対応する神)を殺したとされています。
ギリシア神話の神は多数あれど、殺された神はデュオニソスただ一柱です。
デュオニソスは不思議な神です。殺される所も含めて、様々な面で某宗教の救世主様とそっくりです。(けれど現在では悪魔的な何かとされています。)
ヘラクレスと言わず、デュオニソスと言わず、ギリシアの神話では偉業を成し遂げた者や、豊穣を司る者には往々にして死が与えられます。
デュオニソスやペルセポネも一度は冥府に連れて行かれるのが運命だったのでしょうか。
これらの系譜として、ケルト神話の英雄ク・ホリン(前述のルーの息子)も、これはまた見事にキリストと同じ死に方(形は違っても)を遂げます。
ちなみに、ケルト神話が本格的にまとめられてから、まだ数百年程度しか経過していない様なので、実際のところは純粋な故事とかは残っていないからと言うのがFAなのかも知れませんがね。
ちなみに、紀元前5世紀程のアテナイで、プラトンがぶちあげた理想郷であるアトランティスは、実はアイルランドだったのではないかと言われています。
北部の山脈と、その南部の平野が続くと言う記述はアイルランドに当て嵌まっています。
大きさは随分、比較にならない程にアイルランドの方が大きいですし、ほぼ同心円のケッタイな海、土地、湖、土地と言う◎みたいな構造ではありませんが。
まあ、今回の後書きについてはこれで終わりとします。
本当に、あのZの文字は何なんでしょうね。Sと言う文字の隠語なんでしょうか?
でも、それならばどんな意味のSなんでしょうか?良くわかりません。