第百五十八話 遂に帰り着く 最終話
レンジョウとチーフは帰って来た。とても疲れた様子で(しかも精神的に)。
「何があったんすか?」とカナコギが訊いているが、二人とも答えようとしない。
ノースポートの城門は既に見えている。城壁の上には、いつものとおりに兵隊が屯しているが、考えてみれば、こいつらはレンジョウとチーフが城内に潜入した事も気が付いてないのだろう。
案山子の群れと言う訳だ。
まあ、公平に考えれば、透明化して空を飛んで来る様な理外の存在をどうこうしろと、たかが兵隊どもに求める事自体が笑止千万な話ではあるのだが。
”こうしてみると、我等が本拠地の守りと言うのも頼りない代物なんだな。大魔術師が恐れられるのには理由があるって事だろうがなぁ。”そんな事を考える。
今回のメインターゲットであるフルバートには大魔術師は居ない。それだけが安心材料と言えるだろう。
「さて、そろそろ城門に差し掛かるぞ。ほら、凱旋だ。出迎えの者共はいないけどな。パレードも無しだ。けど、面倒臭くなくて良い。そうじゃないか?」
実のところ、出迎えは少しは居たのだ。カイアス隊長が十名程の兵士と共に、馬車の近くにやって来て周囲を囲んだ。
「マキアス隊長、よくぞご無事で!」と声を掛けて来る。
「ありがとう!何とか帰って来たよ。」と返事をする。実際のところ、無事で帰れたのは運が良かったせいだと痛感していた。
エルフの勇者と腕利きの間諜の手助け、最後に表返ったスパイダーの尽力、多分俺達を殺す気なんかさらさらなかったのだろう死の天使。
メンツに関しても、レンジョウとチーフのどっちかが欠けていても、これ程の戦果は無かったろうから、チーフがフルバートに同行すると強く言い張ったのは正解だったのだ。あるいはチーフが抜けていたら、レンジョウは探索に失敗していたかも知れない。
少なくとも、これ程の情報は持ち帰れなかっただろう。そう考えると、巡り合わせが良かったとしか思えない。それに、カナコギの思ってもみなかった強さ。
死の天使との戦いでは、相手があんまりにも強過ぎたのだが、ノールと戦っている姿を見て驚いた。
あれは、並みの兵士が数名で掛かったとしても、楽勝で斬り伏せてしまう勢いだった。
正統派の戦士としての戦い方に加えて、奇手である投げナイフの腕も確かな様だ。拾い物としか言えない。
間抜けな所はあるが、あれならいろいろな場面で使いどころがある。ただ、レンジョウの近くを離れようとはしないだろうけど。
カイアス隊長もメキメキと頭角を現している。何しろ真面目で、どんな事でも骨惜しみはしない。そして、何よりも常識があり、善良であり、強い勇気すら備えている。頭も決して悪くない。
ただし、戦闘能力には疑問がある。腕っぷしは流石工兵と言う事なのだが、邪悪さも残忍さも備えていないのは、やはり戦士としてはハンデと言えるだろうか。
”こんな人が、戦士なんかしないで良い世界が一番正しいんだ。”俺はそう思っている。
アメリカの諜報機関のスカウトを受けたのは、言ってみれば、俺自身が根本では平和を望む男だったからだ。
アメリカと言う国に雇われてはいるが、そうであっても、日本国内での様々な諜報戦の渦中にあって、俺の記憶力や言語能力、洞察力と言う特技で様々な事々を分析する。
新聞その他の公開された情報に、恐ろしい程の意味があるのだと、俺はこの仕事に就いてから始めて知った。
様々なゲームにも似た情報のやり取りがあり、時には洞察力に優れた日英米の民間ブロガーに助言をしたり、SNSで情報を広めたりと。そんな役目を熟し、今ではチーフと共に行動部隊を統括する様になっていた。
それが、寝ている間にチーフ共々に異世界で斬り合いをする破目になっていたのだが、それでも俺は納得していた。
”このゲーム世界がどんな意図によって作られたかはわからない。けれど、俺にはそれを読み解くチャンスがある。なら、俺は全力を尽くすまでだ。今までと同じに。”
ノースポートに帰り着いた俺が考えていたのは、そんな事だった。
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馭者台で、俺はモヤモヤの真っ只中にいた。
「家に帰ったら、妹になんて話をするんだ?」俺は訊いてみた。
「元々、血の繋がりは無かったし、昔はまたぞろフルバートの第五列かも知れないと警戒してた時期もあったけどね。蓋を開けてみれば、もっと複雑だったけど、まあ仕方ないかなって感じはするよ。」
「そんなもんか?」俺の言葉は我ながら気のない言葉だったと思う。
「あんたに訊くのはどうかと思うけど、精霊って何なの?」
「実は俺にもわからん。わかっているのは、連中は誰かに名前を貰う事で、この世界に定着できると言う事。元来は地球の外から来た存在だと言う事。名前を付けた者を”我が君”と呼んで仕える事。最後に直観でしかないが、精霊とは非常に大きな力を行使できる存在だろうと言う事と、大魔術師達は精霊を使役している事が多いと言う事だ。トラロックもアリエルも精霊を間違いなく使役している。」
「あんたと私も同じだよね。正直わからないわ。未来の戦場では、あんたも私も精霊の力なんか借りなかったし、存在も知らなかったもの。」とシーナは答えて言う。
「未来の俺がどんな力を持っていたかは知らないが、本当に精霊と無関係だったのだろうか?俺が最強の戦士だったと言うなら、そこに精霊の力が関与していたとしても不思議ではない。俺はそう思う。」と俺は感想を述べた。
「何故彼は私にそれを言わなかったんだろう?」とシーナは訝しむ。
「未来の俺は、思ったよりも深刻な人物だったのかもな。」と俺は口にした。
「未来の私も深刻な人物だったよ。他の全員もじゃないかな?」シーナは口を尖らせた。
「違うって。そいつは、シーナに何も話したくなかったんじゃないか。そう思えたんだ。全部自分で抱え込んで、一番信用しなければいけない筈のお前にさえも、心の中を明かさなかった。そう思えてならないんだ。」
「ん・・・・。そうなのかな。」
「わからんよ。そいつはもう居ないんだから。けどな、俺はお前には可能な限り相談はするし、お前の相談も受ける。どんな面倒事でも、俺はお前の事ならば絶対に避けたりはしない。俺達は、もっとお互いを知るべきなんだ。そう思う。」
「うん、ちょっと嬉しいかも知れない。けど、あんたは間違ってるよ。女にモテたいのなら、相談事とかは避けるべきなんだからね。」とシーナが流し目を送って来る。
「そうか。それはとても残念な返事だな。」と澄まして前を見ていると、頭の横を指で弾かれた。
「そう言う物言いだったよ、未来のあんたも。」と少し拗ねた様子を見せた。
「さあ、門を潜るぞ。帰って来たんだ!」
「帰って来たね!」とシーナも応じた。
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要塞、つまり魔術師の塔の前で、バラミルとカイアスがそれぞれに任務に戻る為に解散して行く。
バラミルには一瓶の酒を持たせた。奴はニヤリと笑い、アマルとハルトの二人を連れて去って行った。
展望台の上に白い人影が見える。多分、二回も覗き見していなかったら、それをアリエルとは思っていなかっただろう。
白い人影は、髪を結いあげて最初の朝と同じく頭にグルグルと巻き付けており、煌めく冠を被って、宝石で飾られた錫を片手に、胸壁から下を見下ろしていた。
要塞のゲート、巻き上げ式の斜路が下に降りて来る。
時刻はまだ午後一時前後で、周囲には人通りも多いため、警備の問題がある為に斜路はしまわれていたのだ。
斜路の上にはザルドロンが待っていた。長い白髭の老人の姿をした勇者が、フレイアから貰った魔力の杖を手にそこに居た。
「おかえりなさい、レンジョウ、シーナ。旅の同行者達も全員無事で何よりだったな。」彼は開口一番に労いの言葉を発した。
「ありがとうございます。ただいま帰りました。積もる話があります。姫様に復命もしなければ。」とシーナが返答した。
「何とか生きて帰ったよ。危険な旅だったが、収穫もあった。それは全てアリエル姫の前で話す事にする。」ザルドロンは頷いた。
「急いで食事も用意しましたよ。寛げる場所に案内しましょう。さあ、皆で行きましょうぞ。」ザルドロンは俺達を手招いた。
振り返ると、全員良い顔で微笑んでいた。とにかく・・・もう安心だ。
チラリとシーナの方に目を向けた。溜息が出る。まあ、宿題はまだまだ山積しているのだろうが。
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階段は初めて登った時と同じく、常にそうだったが、随分と長かった。
正直な気持ちとして、俺は怖かった。アリエルがどう変わったのかを推し量れなかったからだ。
造り物とか言う話を自分で相手に吹っ掛けておいて、それが変化したならその変化を恐れる。
アリエルをどうとも思っていないのなら、それが一番問題なかっただろう。
だが、俺も、そしてシーナも、アリエルに仕えている”異世界人”の知る限りの者達は、カナコギを含めてもアリエルに好意的である。
正味、彼女を見捨てるとか言うつもりの誰かとは、俗に言うNPC(これもシュネッサ達を含めて、多くが”異世界人”らしいのだが)に限られてしまうだろう。
とにかく、放ってはおけない。それと、シーリスの物言いの中にあった”天使の人が、アリエル姫にいろいろ吹き込んで”と言うのも頭痛の種だ。
先代様は一体何をやらかしたのだろう?まあ、暗殺者曰く、喜ばしい変化がアリエルには起きているらしいのだが。
それを目に見るまでは不安で仕方なく、目に見たら見たで困惑するのは間違いないだろうけども。
隣に居るザルドロンに道すがら何かを聞いてみる気にもなれない。シーナも同様の想いらしく、黙って階段を登っている。
そして、階段は終わり、広間(戦時にはここに沢山の兵隊が昇って来る敵を待ち受ける場所)に辿り着いた。
相変わらず、そこここにバリケードとして使える鉄の家具が置かれている。
木製の家具にせよ、堅牢さだけを追求した、これまた重く、素っ気ない代物で誂えられている。
尤も、アリエルにせよ、先代のバルディーンにせよ、華美な家具や調度を揃えるのには興味がなかった様で、応接室以外の要塞内部の部屋の中は実用一点張りの雰囲気が漂っている。
ところどころに飾ってある絵画とかも、人物の絵画はほとんどなく、美しい自然を描いた絵画がほとんどを占めていた。
それがどうだろうか・・・。壁のあちこちに飾ってあるのは、奇妙にも今までになかった花と蔓草を組み合わせて作られたオブジェクトではないか?
「あれはどうしたんだ?以前は無かった物だろう?」と俺は初めてザルドロンに問い掛けた。
「あれは姫様と先代様が共同してお造りになられた物ですな。幾何学と黄金律によって形造られた魔法の産物なのです。」
アリエルは”創造技法”を習得している。
この技法は、物質に魔力を込めて魔道具や神器に変化させるアーツであり、装飾品や武具に魔法を込める事ができる。
俺は、以前に貰った魔道具のブローチを鎖帷子の上から手で撫でた。紫の宝玉をあしらった可愛いブローチだった。
「そうか。」とだけ俺は返答して、会話の間も歩を緩めなかった。
見れば、マキアスが少し辛そうにしている。鹿子木は平気の様子だ。少し歩調を緩めた方が良いか?
と思う間にも、展望台のある居住区階層に俺達は着いてしまった。
さて、鬼が出るのか、蛇が出るのか・・・。いや、そんな心配そのものが不要な事なのか。
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展望台に繋がる応接区画と、隣接する居住区の中央に円形の小さなホールがある。
そこにシーナ配下の侍女の一人が待っていた。
「皆さま、お帰りなさいませ。ザルドロン様にもお出迎えを引き受けて頂き、恐縮です。」と挨拶があった。
「姫様がこちらでお待ちです。案内致します。」と言うと、こちらを振り向きながら歩き始める。
そして、展望台に繋がる小さな門扉の前で立ち止まり、扉をノックした。
「どうぞ。」と言う聞き慣れた声が聞こえて、扉が開かれる。
そこには、胸壁から垣間見えた、あのアリエルが居た。
陽光に煌めく金髪が結われ、編まれて美しい筋を描き、額の当たりでグルグルと頭の周囲を巻いている。
宝石の飾られたティアラを被り、白い絹の服を纏っている。
美しいが野暮ったさを隠せなかった神官服の少女ではなく、それは大人になる寸前の線の細い小柄な身体をなまめかしくも清楚な佇まいだった。
「皆さま・・・・。お帰りなさいませ!」とアリエルが滅多に出さない大きな声を挙げた。
俺達は驚いた。けど、シーナと俺はアリエルがこの恰好で歌っている場面を見ていたので、少しだけ驚きを抑えられた。けれど、やはり至近距離で見ると違う。
一番うろたえていたのはマキアスだった。「らしくないな。けど、良い感じじゃないか?」と呟いている。
「ただいま帰りました!姫様も変わらず元気なご様子に安心致しました。けれど、その御召し物はいかがなされたのでしょうか?見たところ、肖像画のトーリア様の御召し物にそっくりに思えますが?」とシーナが最初に返事をした。
「そのとおりです。お母様の御召し物を取り出して着ております。後、カンケル兄様の古着も幾つか着て見ました。」とアリエルは上機嫌で応えた。
「アリエル、帰ったよ。大変な遠征だったが、収穫もあったさ。」とだけ俺はアリエルに告げた。
「左様でしたか。私がレンジョウ様に最後に連絡を行ったのが、地下に潜む守護者との戦いの直後だったとの事でしたが、その後は連絡もなくご無沙汰してしまって申し訳ありませんでした。」とアリエルは恐縮している。
「いいさ。いろいろとこっちでもあったんだろうから。アリエルの姿を見るだけで、俺にも見当は付くさ。けど、後で詳しく教えて貰って良いかな?何があったと言う事を訊きたいんだ。」と言う俺の言葉に、アリエルは大喜びで・・・。
「もちろんでございます!レンジョウ様にも、シーナにも、皆様にも。私が学んだいろいろな事々を是非聞いていただきたいと思っています。」と満面の笑みだ。
「わかった。そう言えば、食事を用意していると聞いたが、冷めても良くないだろうから、場所を移そうか?」と俺は言った。アリエルもザルドロンもそれに賛成した。
と、俺の肘を鹿子木が引いている。シーナも物言いたげにしている。
「兄貴。駄目っすよ。忘れてるでしょう?姫さんはおめかししてるんすよ。ほら、チャンと口に出してあげて下さい。」マキアスもその言葉に頷いている。
「あ・・・。その、アリエル。」どもりながら呼び掛ける。
「何でございましょうか?」とアリエルは少し怪訝な表情を浮かべる。
「いや・・・。その恰好じゃなくて衣装だな。とっても似合っている。アリエルも美人だが、アリエルのお母さんもきっと美人だったんだろうな。」
その言葉に、アリエルは花が咲く様な良い顔で相好を崩した。何の邪気もない笑顔がそこにあった。
「はい!アリエルはお母様そっくりだと皆が言いまする。母も私もとても美しいのだと。そう言われる度に、私は嬉しくなります。」そう言うと、クルリとその場で回った。踊る様な、初めて見るアリエルの動作だった。
俺は胸打たれた。アリエルは格段に人間らしくなっている。まるで、かつては人間だった存在が、その人間らしさを失い、美しくも善良な悲しい人形に成り果てていたのが、何かのきっかけでその人間らしさを取り戻して行っている様な・・・。
俺は勘違いしていたのではないだろうか。アリエルは本来は造り物ではなく、アリエルはかつては人間だったのではないか。そう思う様になった。
先代様がそう思える様に様々な教化を行った可能性はあるが、そうではあっても、これ程までにアリエルを駆動する何かをプログラミングしたのだとしても、俺達に人間らしさを感じさせる様な変更がなされたとは信じがたい。
そもそもだが、俺は造り物だと看過したアリエルをそれでも愛していると自覚しているのだ。
哀れであり、救うべきだとは思っても、俺はカナコギの様に二次元の存在に嵌り込める様な嗜好を持ち合わせてはいない。
誰かの提供する造形に欲情できる様な精神性を備えていないのだ。生身の存在以外に愛を感じる程、俺の人生は長くはない。
造形に対する愛情とは常に無意味で無価値だ。何故なら、その愛情は常に一方通行であるだろうからだ。
尽くして、尽くし返されて。その間にしか俺の愛情は生じないのだと自覚している。
では、この電脳世界限定で存在する美しい造形物は何なのだろうか?
単にリアルであるだけでは、俺が何かを愛する筈もなかったのだ。
そんな事を考えながら歩いている途中、シーナが肩に手を置いて来た。
「姫様、ちょっと変わったね。」小声でそう言う。
「ああ、変わったな。」
「良い方向に変わったと思う?」
「わからんが・・・。俺は思う様になった。アリエルは造り物ではなく、元来は人間だったのかも知れないとな。今、アリエルは過去を思い出し始めているのかも知れない。」
「そう・・・。」と呟くシーナの顔は晴れ晴れとしていた。
「先代様に訊いてみる事が増えたね。」そう呟くと、後は黙って二人とも廊下を歩き、階段を登って行く。
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ちょっと遅い昼食となった。
まずはキャベツとキュウリと小さい赤カブの甘酢漬けから始まり、食べたいと思っていたラナオン産の干しトマトの熱いスープが小さなボウルで出された。
俺とシーナは夢中になってスープを味わった。やはり美味い!これは輸入しないと、栽培しないと!
次は輪切りにした小さな白いパンの上に乗った炙ったチーズ。
おろしたホースラディッシュが添えられたまだ熱い牛肉のローストのグレイビーソース掛け。
バターの効いた魚のムニエル。最後にスグリのパイと紅茶で〆た。
「美味しかったっす!」と鹿子木が礼を述べた。
そもそも、鎖帷子を脱いで食事するのが久しぶりだったので、日常性も大いに回復された。
これは大きい。食事の最中も、アリエルはご機嫌で、始終笑顔だった。
「本当に美味かった。これは夕食は軽いものにしないといけないな。」と俺もご機嫌だ。
「夕食は少し控えめにしましょう。大きなポルチーニ茸がありますので、鶏肉のホワイトソテーと合わせて調理致しまする。」とアリエルが言った。
「?何で姫様がそう言う事をご存じなのでしょうか?」とシーナが尋ねる。
ザルドロンは満面の笑みで答えた。
「いや、この昼食を拵えて下さったのも、実は姫様なのですよ。」
「えっ!」俺とシーナ、そしてマキアスは驚いた。鹿子木だけは驚いていないが、それはアリエルの事を良く知らないからだろう。
「姫様が????あの何でも美味しい美味しいと言いながら、粗末な食事ばかりしてた姫様が?」
本人を目の前にしてるのに、シーナは驚愕のままに失礼な事を口にしている。
「いえいえ。儂にせよですが、以前はそれ程でもなかったのですが、最近は美味しい物に目がなくなっておりましてな。スグリのパイがあんなに美味だったとは。それもこれも、先代様の薫陶あっての事でしょうか。」と言いながらパイをフォークで細かく割って口に運んでいる。後で顎髭から細片を拭わないと蟻に集られる破目になりそうだ。
そんなザルドロンをアリエルは優しい目で見つめている。
俺は、アリエルを心から愛する理由を今の今まで正しく自覚していなかった。
可哀想な美少女、迫害される善意の統治者、愛らしく控え目な大魔術師。絵に描いた様な庇護対象。
全ての善を体現しようとする少し世間知らずの小娘。素晴らしい肢体を備えた優美な姿。
美しくはあっても、性的な魅力とは無縁なある意味究極の二次元半の女性キャラ。
どれも違った・・・。
彼女はもちろん、俺の被保護者だ。それは間違いない。そして、彼女は未だ成長途上の未完成な存在であり、常に死の危険に晒されているか弱い存在なのだ。
加えて、彼女が成長を遂げたあかつきには、その大いなる力で死の淵から人々を救済するだろう。
そうだ。サマエルは言った。俺が死に抗う者だと。そして、アリエルは俺と肩を並べて死に抗う力を揮うだろう。
俺達は同志であり、同じ道を進む者なのだ。その存在意義は同じだ。
それを悟った瞬間、俺の体内を爆発的な喜びが駆け抜けた。そうだ。アリエルには尽くせば尽くす程に俺に尽くし返してくれる。俺の存在そのものに尽くし返してくれる。
そうだったのだ。彼女こそが、俺の求めていた存在だったのだと理解できた。心では勿論わかっていた。そうすべきだと直観していた。だが、その意味を頭で理解できた時の喜びはまた格別のものだった。
俺の胸は我知らず膨らんでいた。チラリと横を見ると、鹿子木が微笑んでいた。
「兄貴、良い顔っすよ。久々に見る表情っすね。」そう言って来た。
「そうか?」と短く答えると「そうっす。」と言ってニンマリと笑った。
例の、口元を一杯に広げた悪い笑いだった。
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お腹一杯になった男どもはどうかとして、腹八分目以下の私だけは完全臨戦態勢だ。
夕食は姫様の作って下さるお食事に加えて、私だけは自分の夜食を用意すると決めている。
久々の黒く長いスカートと真珠色のシルクの長袖シャツ、首元には黒いリボンをあしらった同じく黒いチョーカーまで締めている。コルセットもバッチリ。やはり私はこの恰好が好きなのだろう。
「久しぶりだな。その恰好は。お前らしい正装なんだろうな。」とレンジョウも褒めてくれる。
「お褒め頂きまして光栄に思います。」と手首のフリルをふるふると振ってみる。
レンジョウはそんな私の物言いに笑顔を返す。
出会った時にはこんなやり取りは想像できなかった。けど、今は違う。とても自然なやり取り。
それが嬉しかった。
「シーナさんって言えばそのユニフォームっすよね。ホント似合ってます。難点を言うなら、その編み上げブーツっすね!折角のシーナさんの細い足首が見えないのは残念っす!無念っす!」とカナコギがほざいている。こいつだけは・・・。
残念を超えて悪意があるとしか時々思えない。けど、ここは大人の対応で・・・。
手刀で寸止めだ。カナコギは賢くも黙った。
「もう少し頑張ってくれたら、チーフが太腿に結わえた短剣を取り出しただろうに。カナコギよ。お前、やっぱ詰めが甘いわ。」と言うのはマキアスだ。寸止めはしないが軽く頭を叩いておく。
コーン!と言う子気味良い音が響く。そうだ、リアルで部長に出会った時の為の修練は欠かせない。
けれど、やはりマキアスには痛すぎた様だった。しゃがみ込んで呻くマキアスが立ち直るまで、しばらく時間が掛かった。反省・・・・。
****
「帰って来たのは知っておったよ。あ奴から連絡も来ておった。あのサマエルと正面から打ち合って生還するとはの。見事だよ、人の子よ。」
黒いビロードの様なローブ。足にはアリエルから貰った、これも黒いピカピカしたスリッパ状のシューズを履いた先代様がそう声を掛けて来た。
「あいつは、武器を使うよりも素手の方がヤバい奴だったろうな。全力発揮には程遠い舐めプとか言うので俺は一杯一杯だったさ。奴の本気なんか、見るのも嫌だな。」と俺は言った。
「そりゃそうだろうね。マキアスが指摘したとおりさ。彼はその気になればこの地球や他の惑星でも破壊可能だろうからね。知る限りで、そんな事が可能なのは数名しかおらんな。有難い事に、その全員が天使なのじゃよ。」
「惑星を破壊できる天使が数名でも居ると言うのがなぁ・・・。」とマキアスが呟いている。
「暗殺者の人が使うのはトランスフェイズ魚雷だとして、他の方々が使うのは何なんすか?」と地球の運命に対して無関心にも程がある鹿子木が興味本位で訊いた。
「うん?惑星を破壊する方法かい?例とすれば、二人の天使が居て、そ奴等は雷の天使と呼ばれておるな。その二人の力は実のところ雷ではない。超高電荷のイオンを生成する力なのじゃ。本気を出せば水爆等及びも付かぬ威力となるじゃろうよ。他にも、太陽からの熱量を転送して使う者。磁力の渦を使う者。それぞれに凄まじい力を秘めておる。」
「えげつな~。」と言う声をマキアスが発して、その話題は終わりとなった。
「じゃあ本題だ。結局、フルバートの地下に俺達を派遣した事の意味がわからない。説明して貰えるか?」俺は単刀直入にそう告げた。
「ああ、そうだね。必要があるんだから。それはそうと、アリエル姫も衣装替えをしたんだ。こちらもそれなりの模様替えをしようかね。」
そう言うと、先代様は立ち上がって、衣装の埃を払う様に手で叩いた。
多少嫌な予感はしたが、俺はそれを黙ってみやるつもりだった。
さて、やっと「月の女神」についてのお話です。
前にイスラム教の神である太陽神アラーは、実は月の女神だったと書きました。
カーバの神殿の御神体が大きな黒い石であるとも。
一神教の神は、大体が偶像崇拝を禁止しています。
禁止じゃないですね。憎悪しています。神が偶像崇拝を禁止したと聖書にも書かれていますから。(あの出エジプト記wにです。)
偶像崇拝とは、これが彫像だけではなく、絵画や装飾物、果ては遺骨まで全て偶像なのだそうです。
それにしては、聖遺物とかキリストの肖像とか、十字架のロザリオとかに祈りをささげるのは何で許されてるんでしょうか?
一部のキリスト教では、墳墓や墓石も偶像崇拝とされるそうですね。あはは、日本人には崇拝不可能な神様だわwww
で、月の女神のお話ですね。この偶像崇拝を禁止する原因って一体何なのか。皆さんは考えてみた事はありますかね?
つまり、古代のユダヤ人達にしてみれば、偶像崇拝が都合悪い代物だったから。そう考えるのが合理的でしょう。
何故都合が悪かったのか?彫像とかは破壊されない限りは何千年も残ってる物が多い訳です。
偶像とは、信仰を形にして残してしまう。それが都合が悪かったと言う風に考えるのが筋でしょう。
例えば、アラーの前身である月の女神の肖像は残っていません。当たり前ですね。残ってたら都合が悪いから破壊したんですよ。破壊するための方便が偶像崇拝の禁止だったんです。
そう考えると一神教が偶像崇拝を禁止する理由がわかります。元来あった神の系譜を偽るのが一神教のやり方なんです。
さて、月の女神として良く知られているのがギリシア神話のアルテミスです。
この女神様は、強い力を持っている様に思われますが違います。
相手がゼウスの妻のヘラとかだと、武器である弓を奪われて、その弓で叩き回されたりしています。
トロイア戦争の時にも、トロイアに味方をして、応援虚しくトロイアは壊滅してしまいます。
伝統破壊戦術の被害者でもあり、アルキメデスの居たシチリア島のシラクサは、アルテミス神殿の祭りで、ポリスの全員が水で割ってない葡萄酒をたらふく呷ってフラフラになっていたところを、ローマ人がシラクサに侵入して陥落しています。
これは、ホメロスがイーリアスの作中で描いたとおりに、神権政治であったギリシア人都市国家しか引っ掛からない罠だったのでしょう。
イーリアスでは、オデッセウスがポセイドンの祭りを利用して、木馬をトロイアに入れてしまうのですが、ローマ人はそれと同じく神事を利用して、散々苦労したシラクサを陥落させてしまうのです。
アルテミスは、トロイアだけではなく、シラクサも救えませんでした。(と言うか、滅亡の理由になってますね。)
月の女神と言わず、女神を奉じる国では、男は化粧をして女の気を引いたと言います。
いやいや、現代の日本で持てはやされる中性的な男の人。あれこそは女権社会の象徴と言う事なのでしょうか。私には真似できない事です。
(いや、若い頃に何度も女装させられましたが、今となっては無理ですからね。)
何にせよ、太陽神が治める一神教では、女神の統治していた社会とは違い、男性の権利ばかりで、女性は良くて抑圧。悪ければ隷属と言うのが散見される所です。
イスラム教の真実について知りたければ、飯山陽さんの「エジプトの空の下」をお勧めします。
アラブの春とは一体何だったのか。それを知る為にも、是非とも読んで頂きたい一冊です。
女権社会がどんなものだったのかについては、バーナード・エヴスリンの著作が適当でしょうか。社会思想社で文庫が多数出版されています。
実際、月の女神と言うのは沢山の相を持っています。
北欧神話のヘル(秘密と言う意味らしいです)なんかは、冥府の神でもありますが、老衰で死んだ不名誉な魂を集める者とも言われており、戦死者が天堂ヴァルハラに集められるのと対照を成しています。
半分が人と同じ肌の色で、半分が死者の肌と同じ色だったと言う事です。
(先代様が化けていたケルト神話の炎の矢を意味する女神ブリジットも、半分が美女、半分が老婆と言う奇怪な姿であり、炎の矢を使って戦い、その炎で冶金を行い、美しい声を誇る詩文を司る春の女神でもありました。)
ここが疑問点なのですが、実は北欧神話の主神であるオーディン(後にこれが本作と大きく関係してきます)は、妻であるフリッガと魂の半分を分け合うと言う契約をしたとされるくだりがあるのです。
ゲルマンや、北欧のケルト系民族がいかに好戦的であったとしても、半分以上の成人男子が戦死していたとは考えられません。それでは社会が成立しないからです。
そうすると、疑問が生じます。実はフリッガはヘルと同じ存在だったのではないかと。だからこそ、半分の戦死していない魂を獲得できたのではないかと。
そして、フリッガは、ヴァン神族のフレイヤと同一の神だったのではないかとも言われています。
戦神の妻は、同時に謎めいた冥府の神であり、愛と豊穣を司る女神でもあったと言う事でしょうか。
月の女神とは、その様に幾つもの顔を持っているのです。
ギリシア神話でも、ペルセポネ、プロセルピナは、半分は冥府に属し、半分は大地の母神でありと言う女神でした。四季を表す女神でもあります。
他の月の女神と言えば、ヘカーテなんかが一般的でしょうね。この女神、前述のアルテミスと同じ神であると言うお話ですが、アルテミスは多産と成長を象徴する神であり、同じ月の女神のセレネは成熟したとても美しい淑女の相で、ヘカーテは老衰と知恵と秘密つまり魔術を司る月の女神です。
魔術の宴であるサバトの主催者であり、吸血鬼ヴァンパイアの棟梁でもあります。
月の満ち欠けで、三日月はアルテミス、満月はセレネ、新月はヘカーテが対応するのでしょう。
さて、サバトの話が出ましたので、ヤハウェについても少し述べておきましょう。
YHVH(読み方は不明)、通称ヤハウェについても同じです。この神様、どこが発祥の神かわかってません。正体不明なんです。
エロヒムと言う、セム系の神々が元になったと言われていますが、エロヒムとはエルの複数形と言う意味で、エルの名を持つのは俗に言う天使達だった事から、それらとは別の存在と考えるのが正しいでしょう。
エロヒムとは、多神教の概念なのですから。後の世に天使と呼ばれた存在を絡げて説明した概念がエロヒムだとすると、ヤハウェと習合されていてもやはり別物でしょう。
魔術書の中に、ヤハウェについて言及している部分があります。
「おお、YHVHよ。汝サバトの主よ。」と言う部分です。
魔術とは秘儀であり、文書あるいは口伝えによって残った知識でもあります。
まあ、一般的な知識とは言えない代物ですが、そこに残っている伝承その他については注目すべき物が多々ある筈です。
女神転生と言うゲームが今もリリースされ続けていますが、そのイラストで召喚用の魔法陣に描かれた文字テトラグラマトンと言う英語ですが、これは四文字の神YHVHと言う意味です。
何故ヤハウェの名前が魔術的な召喚サークルに描かれているのでしょうか?
私はそこにヤハウェのルーツの秘密があるのだと思います。
かの神は、元来はエルと呼ばれる天使達とは縁のなかった存在である。それを踏まえた上で、いろいろな考察がなされるべきだと思っています。
ちなみに、前回までいろいろと書いていたウクライナ人あるいはロシア人の先祖であるスキタイ人ですが、随分とギリシアの影響を受けた民族です。
ここも実は女権型神権政治だったとヘロドトスが記述しています。
ちなみに、スキタイ人達はペルシア帝国(ダリウスあるいはダレイオス大帝の時代)に戦いを挑んでいます。マケドニアとも戦っていますが、相当に手強い敵だった事と記述されています。
とまあ、今回の長い後書きはここまでと言う事にします。
下手すると本編より長くなりそうですが、この後書きは大体三〇分程度しか書くのに時間を要していません。
本編よりもずっと書く速度が速かったりしてねwww