第百五十五話 遂に帰り着く その2
「そんな訳だから、俺とシーナは先にノースポートに帰る。お前も精々急いで帰れ。」
「そんな訳が全然わからないんすけど?お姫様が歌ってるって、どんな歌なんすか?」
「バラミル曰く、聞いた事のない歌だそうだ。」
「バラミルって誰なんすか?新キャラ?俺、そんな人知らないっすよ。」
「つべこべ言うな!お前は黙って、ひたすらに宝石箱を守れ。これを守れなかったら、俺じゃなくてシーナからお仕置きだ。リアルでも無事で済むと思うな・・・。」
「・・・・。」
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俺とシーナは二人で空を駆けて行く。文字の通りに走っているのだ。
「まさか、ノースポートに明け方から潜入するなんてね。」
「突発的な事態だからな。」俺はそう言って、シーナの手を掴んだ。
「まだ空を駆けるのは苦手ね。ちょこまか動くのはできても、一直線に駆けるのは違うから。」
コンパスが違うからだ。アローラもそうだが、俺に追随しようとすると、脚を必死で動かさないといけない。
燃費最悪のシーナにそんな事をさせるのはマズい。今もバスケットにエルフのご馳走を入れて携帯しているから、短時間なら問題ないだろうが。
「エスコートしてくれるの?あんた、何時からそんな紳士になった訳?」とシーナがからかう。
「紳士になれと言ったのはお前だろう?忘れたのか?」
「忘れてないよ。けど、私が手ほどきした訳でもないのに、いきなり紳士になるとかはよしてよ。」
「元は紳士だったと言えば驚くか?」と俺は言ってみた。
シーナはそれを笑わなかった。極真面目な顔で言い募った。
「いや、驚かないよ。ヴァネスティから帰って来たあんたは、別人みたいに変わってた。佳い男になって帰って来たよ。でもね、考えてみたら違ってるんだとわかった。」
「あんたは元の地金が出て来たんだろうなってね。本当はゴロツキのひねくれ者じゃなくて。育ちが良く、子供の頃からスポーツマンシップと教養を親に授かって来た男がレンジョウなんだってね。」
「私はね、未来のあんたとは昔の事は話さなかった。彼はあんたと身の上が同じなのかな?それもわからない。100年を遥かに超える間、私は彼の愛人だった。けど、過去の事は話さなかった。だから嬉しいのよ。」シーナの顔は暗がりの中で見えない。けれど、声は聞こえる。
「ここに居るあんたは、彼とはまた違う蓮條主税なんだってね。そう思えるからよ。違う未来に向かい、今度こそはあんたを援けて・・・私は世界を救う。」
決然とした声だった。失われない希望を抱く若い女性が、その決意を俺に告げてくれたのだ。
俺の返事は言葉ではなかった。空中でシーナをお姫様だっこして、空中を蹴り、空を駆けた。
「いつぞやの地下訓練場以来だな。」と俺は言った。
「あの時は、私は今みたいに重たくはなかったでしょう・・・。」とシーナは恥じ入る。
俺は立ち止まって、シーナに語り掛ける。
「女は花束だ。それを抱えられない男には何の値打ちも無い。」と俺は言い放つ。これは本心だ。
「スケコマシ!キザ過ぎ!」と言いながらも、今のシーナの腕力としては実に柔らかく首に腕を回して来た。頬を擦り付けて来る。
「行くぞ!」と俺は宣言し、再び空を駆け始めた。地平線の向こうがホンの僅かだが明るくなり始めている様に見えた。
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マジの全力疾走で、レンジョウがゼイゼイと息を荒げている。
「あんた、マジで凄いよね。まだ明け方なのに、ノースポートに着いちゃったじゃない。」
「そりゃあ、アリエルが歌い始めるのは日の出と共になんだろう?なら、それに間に合わないでどうする?」
「まあ、そうだけどね。でも、本気で間に合わせるとか。どうかしてるよ。」
「間に合わなかったら、明日まで延期だぞ。そうこうしてる間に、連中の馬車がノースポートに帰ってしまうじゃないか。」
まだ明るくなる前の空、徐々に空の色が群青色に染まりつつある。多数ある月の光は、太陽が昇るとともにこの世界では一切見えなくなってしまう。
それでも月は規則的に回り続けているのだろうが、全く目に見えなくなるのは間違いない。
そして、遂に太陽が昇り始める時間が近付いて来た。
まだノースポートの城壁内に入った訳ではないが、後1キロメートル少しの場所まで来ている。
東側の空は光を孕んで曙光の兆しがボンヤリとだが、確実に夜の闇に食い込んで来ている。
「In the morning,when the moon is at it's rest...」私は口ずさんだ。
「うん?それは何の歌だ?」
「私の父が好きだった歌よ。ビージーズの歌。”小さな恋のメロディ”って言う映画のオープニングソングなの。とってもロマンティックな少年少女の恋愛を描いた映画だよ。あれこそが私の思い描いていたファンタジー世界だったんだけどね。」
そう、父はこの映画を好きだった。物静かで良妻賢母の見本の様だった母に惚れ込み、熱烈な求愛の末に結ばれて、一男一女を設けた後も、彼はロマンティックな男のままだった。
だから、子供の頃の私と兄に、自分が好きだった映画を見せてくれた。
その時卒然と悟った事があった。
父は終生母を愛し続けた。無残な母の死と、兄の無念を心に刻みつつも、イラクの治安維持の為に全力を尽くした。
父は、そんな努力の末に、道に仕掛けられた待ち伏せの爆薬で、搭乗していた車両ごと吹き飛ばされると言う凄絶な最期を遂げた。
そうだったのだ・・・。何故思い至らなかったのだろう。
父と、未来のレンジョウは、共に仕掛けられた爆発物、前者は高爆薬、後者は核融合兵器の差はあれども、同様の死を遂げている。
私が今なお、そして未来でも数百年に亘って敬愛し続けていた父と、私が求めてやまなかった人類の希望ですらあったレンジョウ。二人ともが同様の去り方で私の前から消えてしまった。
多分、心の中で私はその事に気が付いていたのだろう。
だから、未来から帰って来たばかりの私は狂暴な怒りに憑りつかれてしまっていたのだ。
けれど、レンジョウは”過去の世界”に居て、そこは私の想像していなかったファンタジー世界で、いろいろあったけれども、彼は私を愛してくれたし、私も素直な自分に戻れた。
そして、いろいろあったとしても、最後の最後まで、未来のレンジョウは私の事を愛し、守ってくれた。サイボーグ同士の恋愛ではあっても、心も身体も隣にいるこの男に満たして貰ったのだ。
それが私の一番大事な想い出であり、私が生涯守り続けていくべき想いなのだと。そう納得もできた。気がかりな問題は今のところ一つ・・・。
未来の私も、レンジョウも、最終的に戦闘特化の肉体改造を受けて、非常に不格好な姿に成り果てていた。今の私にしても、外見に変化はないが、既にサイボーグ改造の第一弾を受けている事だ。
おのれ、部長!(以下略)。
彼は、私が何か考えている事に気が付いたのだろう。そして、それが何某かの深刻な事である事にも。
「息は整った?なら、もうヒトっ飛びでノースポートの市街に入れるから。要塞の前まで行って待ってようよ。」私はそう言うと、レンジョウに抱き着いた。
そうしたかったからだ。
レンジョウは再び私を抱き上げてくれた。そして、助走の後、空中に舞い上がり、最後の疾走に入って行く。
空高く駆けあがると(と言っても数十メートルなのだが)、そこには雲一つない地平と、東は水平線が見えた。
確実に夜は明けつつある。こんな平面世界でも、太陽は東から昇り、西に沈む。大掛かりな舞台装置であり、楽屋裏が確実に存在するのは知っているが、それでも日の出や日の入りに毎回感動を覚えてしまうのは、自分が”美を知る人間”だからなのだろう。
そして、この世界の創造者も、同じく美を知る存在なのだと理解できる。でなければ、こんな美しい光景を目に見えるイフェクトとして提示しないだろうから。
要塞、青銅で出来た大魔術師の塔が見える。
あそこの展望台で、姫様は毎朝歌っておられると言う。バラミルとハルト、アマルはそう言っていた。さて、どんな歌を歌っておられるのか?
今から聞くのだ。そうすればわかる事だろう。
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さて、1キロなんてヒトっ飛びだった。本当にすぐさまに俺は城壁の上を横切って、要塞めがけて突進して行った。だが、ここから一工夫しないといけない。
まずもって、俺達はフルバートから秘密任務を帯びて帰って来る、言ってみれば潜入チームな訳で。
晴れがましくパレードで入城すると言うのも変な話だが、それにも増して、秘密裏に帰って来てました。ここまでは良いかも知れない。
その帰って来た時にやらかしてたのは、姫様の様子を覗き見する事でした。と言うのはあまり頂けない感じがしたのだ。
それにも増して、何が起きているのかを知りたいと言う気持ちが強い。
帰路の途中に、トンデモない男が一行に加わったおかげで、フルバートの地下での通信以来、アリエルが連絡をよこさなかった事を不思議とは思わなくなっていたが、考えてみれば奇妙な話だったのだ。
ちょっと疲れたとかは言っていたが、水晶玉を使う訓練で、遠隔での対面連絡が可能となったのに、何故それをリピートしなかったのかについて、もっと考えを巡らせるべきだったのだ。
多分だが、熱中しやすい性格のアリエルは、何か興味を惹かれた事に没頭してしまったのだろう。そして、それは何故か歌を歌う事に繋がっている。その脈絡がわからなかった。
是非とも知っておくべきだ。しかし、いきなり俺やシーナが姿を見せれば、アリエルはあるいは歌を歌うのをやめてしまうかも知れない。
そんな展開は避けるべきだった。だから、俺は要塞を見上げる場所にある市街の端、100メートル四方程の最も内部の壁近くから、展望台の胸壁を見上げる事のできる場所に陣取った。
ここには小規模な公園がある。そうだ、鹿子木を迎えに、シーナと共に馬で向かった場所の近くだ。
程なく、美しく金色に輝き始めた空が、古くなり、金色ではなく、青く鈍い光を照り返す塔を照らし始めた頃に、低い胸壁に椅子を置いて座る女性の姿が目に映った。
その女性は、長い髪を結いあげて頭に何周も髪を巡らせている。
純白の薄絹が、ほっそりとした身体を覆っているが、白皙の素顔とたおやかな首元、剥き出しの腕と、キッチリと揃えられた同じく剥き出しに近い白い両脚がまだほのかに暗さを残した世界に、純白の着衣以上に白く浮かび上がった。
俺はアングリと口を開いた。透明化の魔法のコートに包まれたシーナも同じ顔をしているのだろう。
あれがアリエル?顔以外の素肌を晒さない神官服で年中通していた美形であり、清潔ではあるが、野暮ったさを隠せなかった彼女があれ程の露出を敢えて行うとは?
おまけに歌を歌う?滅多に居ない、女性の吟遊詩人でも、あれ程露出の多い服装はしないだろう。
そして、更に・・・。彼女の横に、竪琴を構えて椅子に座ったのは、あの両手で書物をめくり、杖を掲げ、柑橘をナイフで剥く位しかしなかったザルドロンではないか?
アリエルは、その細い腕を掲げた。青と白の光が彼女の近くに集まり始める。
今ではその光の正体を俺も知っている。あれはやはり精霊の放つ光だったのだ。
エルフ族の腕の様に、その細腕は見てくれ以上に力に満ちている様に思えた。そして、思ったより硬質な感じに見えた。腕と同様に、真っ白な脇の下にも目を奪われそうになった。
彼女はうっとりとした表情で精霊の光を見詰め、やがて口を開いた。
Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn,
これはドイツ語じゃないか!
Do you know the land that where Citoron blumes
柑橘の花咲く土地を知っておいでですか
Im dunkeln Laub die Goldorangen glühn,
The golden oranges glow in the dark foliage,
金色のオレンジが葉達の中で光を放っています
この歌は知っている。母が好きだった歌だ。
「シーナ、お前はこの歌を知っているか?」
「ううん、知らないよ。この歌、ドイツ語みたいに聞こえるけど、私の頭には英語に翻訳されているよ。この世界の言語機能のおかげなんだろうけど。」
「そうだ、ドイツ語だ。この歌の作者はゲーテなんだから。」
「レンジョウ、あんたさ。やっぱり教養あるじゃないの。でも、今は姫様の歌を聞こうよ。」
「ああ、そうしよう。」
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Ein sanfter Wind vom blauen Himmel weht,
優しい風が青い空から吹いて来る。
Die Myrte still und hoch der Lorbeer steht,
太古の神の神木が静かにあり、月桂樹がそびえ立つ
Kennst du es wohl?
その様な土地を知っておられましたか?
Dahin! Dahin
そこに行ってみませんか?
Möcht’ ich mit dir, o mein Geliebter, ziehn!
貴方と一緒に行きたいのです。わたくしの愛しきお方、貴方と!
方々で韻が踏まれているのが、ドイツ語でならわかる。
心がジンと熱くなる。
母は各国の言語に堪能な女性だった。母はこんなに美しい言葉の世界。文学の世界と共に人生を生きて来た女性だったのだと。そう、生まれて初めて知った。多分、生涯知る筈もなかった事を。
Kennst du das Haus? auf Säulen ruht sein Dach,
柱達の上に屋根が乗っている家を知っていますか?
Es glänzt der Saal, es schimmert das Gemach,
ホールは輝く様で、小部屋の中はほんのり明るいのです。
Und Marmorbilder stehn und sehn mich an:
Was hat man dir, du armes Kind, getan?
そこには大理石の像があり、私を見詰めるのです。可哀想な孤児よ。奴等は何を君にしたんだ?
Kennst du es wohl?
その様な家を知っておられましたか?
Dahin! Dahin
そこに行ってみませんか?
Möcht’ ich mit dir, o mein Beschützer, ziehn.
貴方と一緒に行きたいのです。わたくしを守り下さるお方、貴方と!
間違いない。これは、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」の一節だ。
Kennst du den Berg und seinen Wolkensteg?
こんな山があるのを知っておられますか?
Das Maultier sucht im Nebel seinen Weg,
ラバはその山で、霧の中で行く方を探し回ります。
In Höhlen wohnt der Drachen alte Brut,
山の洞穴の中には、太古の龍とその一族が暮らしているのです。
Es stürzt der Fels und über ihn die Flut:
岩は砕けて、溢れた水がそれらの上を流れています。
Kennst du ihn wohl?
そんな山の事を知っておられましたか?
Dahin! Dahin
そこに行ってみませんか?
Geht unser Weg; o Vater, laß uns ziehn!
わたくし達の旅路を行きましょう!父と慕うお方、貴方と行きましょう!
そして、アリエルは、歌い終わった後に、まるで旅芸人の様に、胸壁の上からこちらの方にお辞儀をして、ザルドロンと共に塔の中に戻って行った・・・。
****
私達は多少呆然としていた。
姫様が要塞の内部に引っ込んだ後も、レンジョウは私を外套で包んだまま。ジッとその場に立っていた。
「レンジョウ、一旦この場を離れよう。路地の宿屋で、朝から食堂が開いているところがあるから。そこで話そうよ。」
「ああ、わかった。」と言うや、レンジョウは外套のボタンを外した。
透明化は解けて、私達は姿を現した。要塞の守備隊は何の動きも見せないが、内心腹が立った。
ちょっとたるんでるんじゃないの?そう思ったが、まあ仕方ないだろうか。
宿屋にはすぐ着いた。私は顔見知りの店主に挨拶すると、普段から内緒話に使う一角に陣取った。
店主には、二人分の朝食とエール酒を二杯注文した。
「それで、あの姫様の歌の意味はわかったけど、あれはどんな作品の歌だったの?」
「ああ、あれは”ヴィルヘルム・マイスターの修業時代”と言う本の一節だな。俺の母が大好きだった作品だよ。続編もあるそうだが、俺はそれを詳しくは知らない。」
「ゲーテって、文豪ってイメージしかないけど。どんな人なんだろう?私は大学で経済と政治中心で、文系だったけどもドイツ文学はもちろん、アメリカの文学もさほど詳しくないから。」
「俺達の日本でも、実際のところ標準語と言うのが作られたのは100年少し前の事らしいが、ドイツでも方言が地方で酷いらしくてな。それを古語交じりの方言も含めて、標準語としてのドイツ語を作り出した人物らしい。まあ、お前達のアメリカでも21世紀になっても南部と北部じゃ方言が違うんだろうけどさ。」
「イギリスよりはマシね。あっちの訛りは凄いんだから。グラスゴーから来た人なんか、英語で喋ってるかどうか疑問な位に意味不明だったわ。マンチェスターも同じだけどね。」
「それはどうかとして、ヴィルヘルム・マイスターの修業時代と言うのは、ゲーテの自叙伝みたいな作品だな。俺は日本語訳の本を中学生の頃に読んだが、母は原書を持ってたな。あれは凶器として使えば、人を撲殺できそうな代物だったよ。」
「あんた、読書家だったの?意外ね。」と口にして更に思った。
私は未来のレンジョウが読書家だと、最後の最後まで知らないままだったと。あるいは、未来のレンジョウは、戦うだけの怪物に近い、ここに居る男とは別人に近い男だったのかも知れない。
ただ、こればかりはどうにも納得できないのだが、未来のレンジョウは目の前のレンジョウよりも、ずっと優しく、思慮深く、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
活力にも満ちていて、この男が居る限り大丈夫。皆にそう思わせる事ができる人物だった。
要は、未来のレンジョウは、とても良い意味での大人を体現した理想の戦士だったのだ。
目の前のこのレンジョウは、未来の彼と比べて随分未熟だが、自分の知っているレンジョウよりも魅力的に思える部分が多々ある。
その最たる部分が、このレンジョウには強く出ても良いと言う事だ。未来のレンジョウには、付け入る隙も、マウントを取れる要素も無かった。ただひたすら失う事を恐れて、自分は彼に対して従順に振舞うしか無かった。
”そうなのよねぇ。可愛いのよ。年上なんだけどねぇ。”
と雑念に浸っていた時、私はマジマジとレンジョウに見つめられているのに気が付いた。
赤面する自分を抑えようとしたが無駄な努力だった。頬が真っ赤に染まるのがわかる。
「はいよ。まずはエールだ。」と店主がジョッキを二つ置いて行った。
ナイスタイミング!私は店主にチップを増量しようと決めた。
「じゃ、まずはお疲れ様!」とひたすらに誤魔化しに入る。
レンジョウは、未来でもそうだったが、基本ツッコミはしない。見事な位にボケ担当なのだ。
この場を何とか誤魔化せた事に私は感謝した。誰に感謝したかは自分でもわからないけど。
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「ふむ・・・。」エールを一息呷ってから、俺は少し考え込んだ。
「どうしたのさ?」とシーナが訊いて来る。お前こそ、さっき何を考えてたんだと問い詰めてやりたかったがやめた。
純粋にシーナが最近怖くなって来た事もあるが、シーナが何かを思い出していた事。そして、その想い出が何か彼女の大切な事だったのだろうと見当が付いたからだ。
そう言うのに触れるのは憚られる。
「いや、奇妙だなと思ったんだ。あれは俺の知っている本の一節だった事がな。」
「でも有名な本なんでしょう?それって。」とシーナ。
「まあ、そうだろうな。けど、引っ掛かるじゃないか。お前も言ってたろう。この世界を作った運営とやらは途轍もなく頭が良い。だから、語り掛けたいメッセージについて、徹底的にわかる様に教育してるくってな。」
「ああ、言ったね。でも、それがどうかしたの?」
「考えてもみろよ。今回の件は俺宛のメッセージである可能性が高い。何しろ、俺の知っている話を引き合いに出して来たんだからな。」
「まあ、そうよね。」
「へい、お待ち。朝食2人前です。」と店主が両手に持った木の大皿を置いた。
窪みには小さなお椀に入ったジャガイモのポタージュ。
大きなパンが切られて皿代わりになっており、その上に煮込んだ鶏肉と野菜が乗っていた。
この世界には冷蔵の技術はない。だから、日持ちする芋や玉ねぎ、ニンジン等がメインの食材だ。
製粉技術はキチンとしているので、大体の食事はシチューやら炒め物になる。
この朝食も例にもれずだ。後は、新鮮な肉は添え物になっている小さなハックステーキみたいな感じになる。ソースは単に粗挽きのマスタードだけだが、これはこれで美味しい。
秋以外は大体が干し肉やら塩蔵品、少し高いがソーセージなんかになる。夏は魚中心のメニューがノースポートの定番だ。港町なので、その点だけはタンパク質の供給面で恵まれている様だ。
二人とも、食事中は黙って食べていた。特にシーナはもう夢中で食事に集中していた。
「ご馳走様。」と言って食事を終え、エールを更に追加して、取り留めない話をした。
「ラナオンと交易するって事なら、あっちでは干したものも、新鮮なものも、トマトが沢山あったよな。」と俺は水を向けた。
「そうね。元々、ジャガイモなんかはラナオンから輸入してたものを、ラサリアで栽培し始めたらしいし。そんな恩恵を受けながら、バーチの馬鹿侯爵が大下手を打ってくれたんだから、この国も人材に恵まれてないわ。」とシーナは更にエールを呷る。
「お前強くなかったろう?そのペースで大丈夫なのか?」とちょっとだけアドバイスを送る。
「どっかの髭もじゃと違って、ホントあんたは紳士よね。でも、今日は良いの。明日以降にしか馬車はこっちに辿り着かないだろうし。明日の朝も姫様の歌を聞いてみる事にしましょうよ。」
「まあ、今回も楽しかった事は間違いないが、いろいろと散々な目に遭ってるしな。お駄賃だと思って今日は呑んでも良いだろう。」と俺も固い事は言わないと決めた。
「けど、やっぱり恰好が付かないから。明日の朝には合流するために街道を逆進しようか?」とシーナ。
「まあ、それで良いのと違うか?」と俺も同意する。本当に、今回の行動はノープランだったから。
朝食を食べて、エールを呷ってご機嫌だった俺達だが、思わぬ事が起きた。
いや、テンションが普段と違っていて、自分達が前の夜を徹夜で移動していたと言う事を忘れていたのだ。
「親父さん、一人部屋を二つ。今から眠るわ。」とシーナは注文した。
やって来た眠気は凄いもので、俺は鎧を脱いですぐに眠りこけた。
それから二人とも暖かい寝床で眠った訳だが、起きてみると今度は夜になっていた。
起きてみると腹ペコになっていた。今回はエルフのご馳走を食べる程に食料に困っている訳ではないから節約しようと思った。
そんな訳で、宿屋の親父に残った食べ物は無いかと聞くと、ソーセージならあると言う。
キャベツの漬物と共に、ドッサリとソーセージが供された。黒パンとバターも。
昼を食わなかったから、宿代の分サービスすると言ってくれた。
エールと共に食していると、シーナも下に降りて来た。
親父が追加でソーセージをグリルし始める前に、シーナは俺の皿に手を伸ばしてソーセージを摘まんだ。
考えてみれば、ラナオンに行き、ヴァネスティに行き、帰ったかと思えば今度はフルバート。
久方ぶりにノースポートに帰って来たのだ。ちょっとフライング気味だけど。
シーナと呑む酒は旨かった。
そうだ、俺は遂に帰り着いたのだ。ノースポートに。
喉に染みわたるエールの刺激を、俺は快く感じ、ちょっと酒臭い息を鼻から通したのだった。
第百五十三話後書きで私が述べたところですが、「水素エネルギー社会とは、多数の原発によってのみ実現可能な社会である」と・・・。
そして、ロシアは天然ガス、石油その他の資源が売れなくなる事は容認できないのだと。
言ってみれば、原発を止める事ができれば、それはロシアの利益となりうるのですが、だからと言って、ウクライナの原発を攻撃しようとは・・・。
他国の原発を攻撃する。こんな恐るべき行動を起こしたのはロシアが最初です。最後である事も祈りますが。(多分、そうはならないでしょうけど。)
とにもかくにも、ここまで極端な事をやらかすとはね。恐るべき人物ですよ、ウラジミール・プーチンとは。(今の時点では。)
そう言えば、彼の異常性を示す写真として、フランスのマクロン大統領との会談で、五メートル程もの長さの机の両端に二人が座り、会談したと言うものがあります。
これって、独裁者の普通の精神状況なんですよね。
昔、イタリアにカーラ城と言う所がありました。
この城に住まう君主は、実に当時のイタリアに適合した君主でした。つまり、猜疑心が強かったのです。
家族との会食にも、長い長いテーブルを使います。お互いに怒鳴らないと聞こえない位の距離で、当主と臣下である血縁関係の身内が会食しています。
そして、猜疑心の強い当主は、血縁を皆粛清してしまいます。城に住む召使い等も、あるいは殺され、あるいは身の危険を感じて逃げてしまう。
護衛の兵士も遂には去り、カーラ城には当主だけが残りました。
こんな事になったら、暮らして行くのももちろん大変です。では、新しい誰かを城に住まわせますか?
それはできませんでした。もはや、本能のレベルまで身体に染み込んでしまった猜疑心と警戒心が、他の人を近寄せる事を拒んでしまったのです。
他の領地の君主たちも、パワーバランスの変化を嫌って、カーラ城を攻めようとはしません。
結果、カーラ城の君主は、毎晩「誰か俺を殺してくれ!」と叫んでいたそうです。
それを領民が聞いて、「ああ、また当主様が悪魔を呼んでおられる」と噂したそうです。
それにしてもですが、元来スラブ民族とは「同一言語を話す民族」と言う意味なのだそうです。
そして、ロシア、ルーシとは「ヨットに乗って来た人達」と言う意味なのだそうで。
じゃあ、彼等はどこからやって来た人達なのか?
想像してみるにですが、西の方から黒海経由で現在のロシアに辿り着いた民族と考えられます。
ロシアが8年ほど前に、奇襲でクリミアを占拠したのは、言ってみれば黒海に出たいがためです。
ロシアとウクライナは歴史的にも兄弟国ですが、ロシアの国名がそのとおりの意味であるのならば、実はウクライナが兄であり、ロシアは弟と言う事になりますね。
ロシア人の先祖がヨットに乗って来たのならば、ウクライナのオデッサやクリミアに拠点を築き、キエフを造営した後に、ロシアに植民したと考えるのが筋なのではないかと。
まあ、キリル語ができてから、まだ1000年そこらしか経ってないですし、キエフ大公国ができる前の歴史なんかほとんど言い伝えすら残っていないので、私の想像でしかありませんが。
何にせよ、人類史上最も恥ずべき戦争の一つ、あるいは筆頭として記憶されるだろう戦争が今も続いていると言う事に歯噛みするしかありません。
ウクライナ人の必死の抵抗の末に、ウクライナの国土全てが荒廃し、ロシアは責任を取らずに閉門蟄居で内乱状態。
そこに中国が手を突っ込んでと・・・。
とにもかくにも、中国の最も有力な同盟以下、友好国以上の巨大な兵力を持った国が、今無謀な侵攻の末に無力化に近い有様にまで弱体化しつつあるのです。
演習名目で大兵力を展開し、威圧しようと目論んだために奇襲できず、名分なく攻めたが故に世界中から総スカンを喰らい、短期決戦を目論んだが故に補給は不十分。
そして、補給を行おうにも、長期の対陣で浪費した物資は戻って来ない。そもそも、最初から戦費が不十分なのもわかっていた事。
勝った(ウクライナの半分程度を最終的に占拠できた)としても、これ程のエゲツない事をやらかした後では、近隣諸国は一切の復興支援もしないでしょうし、今行っている制裁もロシア人が撤退しない限りは解除される訳もないのですから。
それと、ウクライナの空軍戦力はほとんどが稼働している事、防空ミサイル網も健在である事、アメリカからの提供兵器のウクライナ国内への搬入が始まり、その7割が搬入完了した事が3月5日時点で確認されています。
キエフその他の戦域で、ウクライナ空軍の活動が初期を除いて見られなくなった事で、既に壊滅してしまったのでは?と言う意見も見られていましたが、西部あるいはルーマニアあたりの外国に避難していたみたいです。
南西部のモルドバ(旧ソ連領域の一部だった)も、旗幟を明らかにしてNATOに付くと決めたとの事です。
武器があれば、ウクライナ国民はまだまだ戦う事でしょう。彼等の健闘に敬意を表します。
今はそれ以上は言えないな・・・。報道を見ていて、いちいち辛いですよ。
特に、NATOがロシアの航空機の領内通過を阻止しないと言い放った事等はね。
もう、ロシアが話し合いの通じる相手じゃなくなっているのだとまだ認めていないんですから。
月の女神の話はまた後日に伸びます。
次回はグレイスの説明(彼女の説明は、故意に面倒臭い表現にしています)にもあった「カロカガティア」について触れようと思います。
何故独裁者達が壊れて行くのかについても。