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第百四十七話 アローラの見た夢

「何があったんだ?」俺はカナコギに訊ねた。

「兄貴に訊かれたら、俺ドヤされそうっす。」カナコギは爽やかに笑ってます。

「だから、何があったんだ?」

「俺が何をしたかっすよね、それって・・・。」

「お前って、マジ気持ち悪いよな。あの狼娘をどうこうできるのは、レンジョウだけかと思ってたけど。俺なんかじゃ役不足で手も足も出ないと思うな。」

「まあ、弄り方次第って事なんでしょう。いつもと同じくやり過ぎましたけどね。」

「聞くの怖いから何やったのか聞かないよ。」俺は両手を挙げた。

ガラガラと車輪を鳴らす馬車に揺られながら、前を走る4頭のくたびれた馬、後半日もてば上等と諦められた可哀想な馬達は最後の力で、信じている人間の言う通り、望むとおりに走る健気な生き物達を見る。

馬達を畜生と蔑むつもりはない。ただ哀れではあった。

”ごめんな、休ませてあげられなくて。ごめんな、十分に草を食べさせてあげられなくて。”

僅か数日で瘦せこけた馬達は、それでも懸命に走ってくれている。

気難しいし、臆病だけど、信じてくれた者の為ならば、恐るべき戦いの巷にも飛び込んでくれる。

”ごめんな。ごめんな。”


****


「お師匠様。今日もいろんな事を教えて下さい。」

「あたしにも!あたしにも!」

「ほうほう、君達は今日は狩りに出掛ける予定ではなかったのかね?」

「それが彼女が先日狩って来た獲物が多過ぎて、僕が家人達に頼んで運ぶ破目になりました。」

「そんなに狩ったのかね?」

「凄いですよ。野生の豚を4匹、大きなオスの鹿を2頭。おまけに、投げ縄で馬を一頭捕まえて、それを館まで連れ帰ってしまいました。」

「それはまことに・・・。で、若君はその内の何頭を仕留めたのですか?」

「いえ、僕は彼女の矢を運んだのと、獲物を樹に吊るしただけでした。」

「姫君お一人でそれだけを?」

「僕には到底真似できません。」

「あたし達の子供ができたら、どっちに似るのかなぁ?」

「若君様に似れば思慮深く勇敢な子に、姫様に似れば一騎当千の勇士になる事でしょうな。」

「若君に似れば美男美女間違いなしですな。」

「あたしに似たらどうなるの?」と姫君が頬を膨らませる。

「とても賢い子供となるでしょうな。」

「あたしが賢いの?」

「ええ、三か国語を習得した時点で、ギブトの王族の女にも劣らない賢さでしょうな。加えて、恐るべき武力の才能もお持ちだ。若君は良き伴侶を選ばれたものです。お目が高い。」

「お師匠様、そして彼女はとても美しいのです。僕は彼女以外の女性とは決して人生を共にしようとは思いませぬ。」

「若君ぃ♪」すぐ横の若君に、全身で抱き着く姫君。なんとまあ・・・。(笑)

「あはははは!お熱い限りですが、まだまだお二人は10歳とお若い。祝言は当分先になる事でしょう。今は勉学と武芸をお磨き下さい。できる事であれば、姫君には針仕事や機織りをお願いしたいところですがね。」

「いやいや、お師匠様。」

「針仕事や機織りね。」小さな口を大きく開けてケラケラと彼女は笑う。

「実は、僕の服も、彼女の服も、彼女が自分で作った服なのですよ。」

「ブーツも踵まであたしが作ったよぉ♪」

「なんとまぁ・・・。」

「手足を使ってやる事なら、彼女にできない事があるのかどうか。」

「ほっほっほ。もう、何から何まで儂の国の女子とは違い過ぎますな。」

「お師匠様の国の女の人達ってどんな方々なのですか?」

「そうね、あたしも興味があるわ。」

「面白くないお話となるでしょうが、よろしいのですか?」

「良いですよ、お師匠様のお話には常に学びがあります。」

「きっと、あたしには受け入れ難いお話なのでしょうね?」

「本当に姫様は賢くあらせられる。そうですな。我等の国の女子は文字一つ学ばず、飲酒も禁止されております。神職に女子が就く事はあっても、一部を除いて本当に無学で、単に男の神官の操り人形と言うべき存在です。」

「葡萄酒も飲めないの?それじゃあ、ずっと喉乾いてないかな?でも、残りの一部はどうなの?」

「教養ある女達も少数おりますな。しかし、それらは作家であり詩人ではありますが、歴史家その他の女性はおりません。しかし、教養ある神職の女性のその極一部は恐るべき存在です。儂が出会った者は一人だけですが、噂では他にもいるとの事でした。多分ですが、あの者共は悪魔であるか、天使であるかの何れかでしょう。決して触れてはならない存在と言えましょう。」

「悪魔はわかるけど、天使ってどんなものなの?あたし達の伝承には神は居ても、天使はいないのよ。」

「悪魔とは、我等の言葉では”他人を中傷する者(ディアボロス)”と言う意味です。天使とは”伝える者(アンゲロス)”と言う意味ですね。ただ、おそらくは”悪魔”と言う言葉は、我等の中では”邪悪な人間”と言う意味になっている様ですな。これが南の方の部族の言葉では”人を殺す事で無価値にする者(ベリアル)”と呼ばれております。」

「いろんな呼び名があるんだね。それにしても何故お師匠様の国では、”悪魔”が邪悪な人間の意味になってしまったのですか?」

「それは何故なの?お師匠様は何故そう思ったの?」

「これは個人的な経験と言う事をお断りしておきますわい。実は、儂はその悪魔か天使かのどちらかと思える者と話した事があるのですよ。」

「どんな存在でしたか?」と若君。

「普通の人間と同じに見えましたな。けれど、彼女はとても美しい。豊満でありながら一切肥満しておらず、溢れる健康的な美貌と驚くべき優雅さ、何よりも刃物に似た危険を感じる女性でありました。」

「へえ・・・。」と姫君。

「儂は単にそのお方に神託を求めておりましたが、他の者共は違いました。彼女の力を求めて、最初は扇動、次に他者への中傷、最後は虚偽で彼女を動かそうとしました。」

「どう言う事なんですか?何故そんな事を?」

「儂らは三人組の碩学だったのですよ。当時のスパルタを盟主とする都市国家とその他の都市の選りすぐりの賢人達が集められました。当時は動乱期でありましてな。いや、その動乱と言うのが、若君の故郷とローマの大戦争の勃発だった訳です。儂はスパルタの近くのエリスと言う地方の出身なのは申しましたな。その中心都市のエリスが儂の産まれなのですが、その儂にオリンピア神殿の有名な巫女の託宣を得て来いと言う事になったのです。」

「何しろ、以前に起きたペロポネソス戦争の際も、あれ程普段はペチャペチャと囀っておったデルフォイの巫女共が、その際にはスーンと口を噤んでしまいましてな。全くふざけておりますよ。それで、儂と他二人に本物の予言者と思しき人物にこの戦争の行方を占って参れとの命が降ったのですわい。つまり・・・どちらが勝つかと言う事をですな。」

「でも、確か、お師匠様って、先代のお殿様と一緒に戦ってた傭兵じゃなかったの?」

「そうですよ。お二人が産まれる5年前までお殿様の傭兵として戦っておりました。募集に応じて、コリントスから船でシチリアの橋頭保に集合して足掛け4年程も戦っておりましたかね。その後は、この地で暮らしながら都市を拵え、今ではお二人の家庭教師に相成った訳ですわい。」

「だから、お師匠様が傭兵になった理由と過程がわかんないんですってば。」若君も困惑している。

「だよねぇ。」姫君も首を捻っている。


「では、今日はそのお話から始めますか。その巫女に儂は最初に問い掛けたのですよ。”貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?”と。」

「妾は”恩寵”と呼ばれる女である。その通りに今まで振舞っておったがの。”美の女神”の代役を烏滸がましくも引き受けてもおるよ。」

「それを疑う訳ではございません。貴女様に心からの感謝を。」

「よいよい。汝等凡人には、妾の何がわかるとも思えぬからの。さて、他に訊きたい事は?」

「では、本題ですな。此度の戦争の行方を聞いて参れと。その様に我等一同は命を受けております。」儂はそう答えたのですよ。

「左様か、汝はスパルタの王から命じられたのじゃな。そこの二人はどうなのじゃ?」

「それを何故おわかりになられたのでしょう?」儂は驚いてしまったのです。

「汝は妾と正しく言葉を交わしたであろう。それで十分じゃ。汝は合格じゃよ。故に、妾は汝についても占ったのじゃ。そこな二人はまだ試験が終わっておらぬ。」彼女の雰囲気が剣呑に変化した。

「ほれ、汝等。妾に何と声を掛ける?」

「我も同じ問いを、この戦争はどちらが勝利するのでしょうか?」アテナイの賢者が問いました。

「ほら、そこな男の故郷は、お主の都市に味方して、スパルタに敗れて酷い目に遭ったのじゃよな。うん?どこに組して勝つかはとても大事よな。」

そう、儂の故郷であるエリスは、スパルタとの大戦争で、近隣のスパルタではなく、遠方のアテナイに組して負けてしまった事がありました。

それを聞いて、アテナイの賢者は引き攣った顔で息を呑みました。

「この女は、我等の言葉の訛りであたりを付けておるのよ。生真面目に受け取るではないわ。先程から、この女子は何のそれらしい答えもせぬではないか?」

「海の香りを纏う者よ。汝はアドリアの海ではなく、南の海の者だろう。おそらくはコリントスの者。それらしく不遜で甘えた雰囲気が臭うのぉ。」と言うと興味なさそうに顔を背けたのです。


図星を突かれた儂ら三人は、しばし呆然としていましました。ただ、眼前の女神もかくやと言う女性は、儂らの事を見詰めたまま、ずっと目の前に立っていたのです。

ただ、最初に彼女を見た時に感じた何かと、徐々に時間が経過した後の彼女の印象が随分かけ離れているものに変化して行きました。

儂等は、女性を見ても美しいなと思う程度の、芸術や美術に通じた者ではありませんから、単に自然や景色の美しさと同じモノが総じて”美”であると感じておりました。

しかし、シンボリックな美、形容される美と、彼女の備える美は違っておりましたな。

それは衝撃であり、畏怖であり、自分が死すべき者でしかないと言う事を、否が応でも理解させられてしまう。そんな諦めにも似た気持ちが湧き上がって来る存在でもあったのです。


****


「他の賢者様達はどうだったの?」姫様が訊いておりますな。

「それが、彼女が少しなりとも化けの皮を剥がしていたのは儂だけだった様子で。今までと同じく、宥めようとしたり、脅したり、挑発したりとやりたい放題でしたな。儂は生きた心地が致しませんでしたよ。ですが、儂も後少しだけ質問は行いました。」

「・・・。お師匠様、聞きたいです。」儂は頷きました。


****


「貴女様は、どうやら戦争の行方を知りながら、儂等には伝える事を好まないご様子と見受けられます。さて、その理由だけでもお知らせ下さらぬか?」

「お主、勝手な事を・・・」と言うコリントスの賢者を手で制し、儂は女神さながらの輝きわたる美女に声を掛けました。

「ほほう。多少なりとも神気を浴びておるのに、まだ妾に敢えて口を開けるとはな。汝は、学者よりも兵士として戦うのが似合いではないか?よう鍛えておる様子でもあるしの。」

「ははぁ・・。身に余る栄誉に恐縮致すばかりでございます。」

「苦しゅうない。汝の様に強き骨のある男には、少しなりとも施しを進ぜよう。定命の者としては重宝な施しじゃ。ほれ・・・。」

儂には何と言う変化が生じた様には思えなかったのですが、彼女は続けて言いました。

「汝はこの後、熱病や感染症には一切罹るまいよ。その身を労われば100年の寿命を得られるであろう。じゃが、それを口には出すな。隣の者共にはこの言葉は聞こえておらぬ。」

キョロキョロと儂は近くの二人を見ましたが、憮然とした表情をしておるばかりでした。どうやら、儂と彼女の会話は聞こえておらぬ様子。


「儂の問いには答えていただけますでしょうか?」

「よかろう。現在の戦端はシチリア島を巡る戦いであるが、戦はそこだけには止まらぬ。もっと大きな範囲で陣取り合戦が繰り広げられる。なにしろ、ローマの陸軍動員可能兵力は膨大じゃからの。戦域を拡げてもさほどの問題は生じぬ故に。」

「では、最初から儂等の兵力など必要ともしないと?」儂はそう合いの手を入れました。

「左様じゃ。ローマからギリシアが感謝される場面はほとんどないだろうの。ほれ、あ奴等の言う市民と言う言葉じゃがな。ギリシア語では”ポリテス”つまり”都市国家の者共”であるが、ラテン語では”プレブス”と言う。碩学の者達ならば、その意味も理解できよう?」

「”掠奪する者達”と言う意味でございますな。」儂は答えた。

「そうじゃ。彼等の根本は汝等と同じく戦士達の作る共同社会なのじゃからな。彼の国の戦争は、かの国の共同体の面々の望む事により起きるのじゃ。かなり臆面もない理由での。」

「そして、汝等がかの国の掠奪する者共、取り分けても、無産階級の者共の分け前を分捕ったとなれば、不興を買いに行くのも同然じゃな。勝てば良し、負ければ尚良しと思い定めて静観するが吉であろう。しかしの・・・。」

「まだ何か?」この時点で儂等の聞きたい事は概ね聞けておったのですが、彼女は続けたのです。

「のう、賢者殿。」その言葉に、儂は尻餅を衝きそうになりました。彼女は儂にだけ問答を仕掛けて来た様子でしたから。

「はい、女神様・・・。」喉が渇いて、掠れた声しか出て来ませんでしたが、生涯一度の勇気で何とか返事の声は出せました。

「過ぎた宝を手に入れて、皆の腹が満ちたとして、それ故に庶民が没落する事になれば、その宝を手放すだけの勇気の持ち主が、どこかの国に存在すると思うかや?」

「は・・はて、その宝が何を意味するかもわかりませぬが。答えは一つでしょう。おりませぬな。」

「だろうの。どこにもおらぬよ。そしての賢者殿。ローマ軍の強さの根源は何か?ローマと言う国の強さの根源は何であるか?お主にはわかるかの?」

「いえ、わかりませぬ。」これは即答できたのです。

「ローマ軍の強さは、その無限の回復力であり兵士の士気である。国を愛する心に、国が報いるからである。ローマの強さは、その寛容なる態度(クレメンティア)にある。故に、かの有名高きピュロス王が何度ローマ軍を叩きのめしても、ローマの同盟都市は一切離反しなかったのじゃよ。」

「・・・・・・。」儂は厳しい顔付で彼女を見詰めました。

今や、随分と本性を顕した彼女は、その肉体的な美しさはそのままに、周囲にビッシリと明滅する金銀の燐光を纏い、着ていた衣装も神職の羊毛のトーガではなく、見た事もない純白の織物、ローマ人の政治家候補が着込む白衣よりも白い何かに変化しておりました。なによりも、その双眸が白目の部分まで輝く青に変わっており、ふわふわの金髪が粘土に注ぐ前の熱した青銅よりも熱そうな色に光っておりましたな。儂は眩暈と戦うのに必死でしたよ。

「儂はそこに向かう。それでよろしいのでしょうか?」とだけ言い返すと。

「それで良い。汝がそう言ってくれた事が妾にはとても嬉しい。では、これで妾との面会は終わりとする。数々の無礼非礼はこの者の申し出によって帳消しとしようぞ。各々の主には見たまま聞いたままを告げるが良い。」と言うと彼女の姿はかき消えました。本当にあっと言う間に彼女は居なくなりました。

後に残った儂等は呆然としていましたが、その時周囲から密かな囁きが聞こえました。誰も周囲には居ないと言うのに。

”度胸があるね””知らないって幸せだよね””堂々としたものだ””もっと正直に話せば良いのに”等々・・・。

儂等は怖くなって、脚を引き摺りながらオリンピア神殿を辞去したのですよ。


****


「とまあ、儂が今もここにおる理由はそんな経緯であったのです。」

「じゃあ、その美しい女神様がお師匠様を遣わしたの?それはそれで凄いじゃない!」姫様は大喜び。

「ところで、その過ぎたる宝と言うのは、サルディニア島なのですか?」と若君。

「若様は鋭いですな。儂も同じ意見にございますよ。」

「あそこは穀物がワンサカ獲れる島なんでしょう?それを何故手離すと言う事になるのかしら?女神様も不思議な事をおっしゃるのね。」姫様は首を捻っておられます。

「民草が没落するとも言っておられたのだな。その辺の事情を、誰かに聞いてみるべきかな。父上が生きておいでなら。きっと答えて下さっただろうけど。」若君も不可思議な託宣に考え込んでおられました。

件の先代ご当主におかれては、三年程前の事、未踏の地に遠征していた際にお亡くなりになったのです。戦役の最中の死ではあったのですが、敗死ではなく、迂回作戦の最中に川で溺死なされたのだとか。何とも不運な事でありました。

「その誰かの情報を鵜呑みにするだけではなく、それらを正しい情報に手直しするのも大将のお役目ですぞ。」

「はい、お師匠様。」

「お師匠様、他にもいろいろと教えて下さい。ギリシアの女の人の暮らしぶりをもっと!」

「はいはい。姫様には適いませんな。どんな事でもお聞き下さい。」

「今はお二人とも、たくさんの教養を備えて。そうですな、お二人の子供達に沢山ご教授をお願いしたく思えますな。」

「うん!たくさんつくろ!ね、今日も授業の後に二人で頑張ろうよ!」

若君に抱き着いて満面の笑みを浮かべる姫君と、顔を真っ赤にしている若君。

驚いた・・・。この二人、この歳でもうデキているのか!


****


「ハッ!」アローラ様が目を覚ました!

「くうくう・・・。」あ、また眠ってしまった。

「ハッ!」また目を覚ました!

「シュネッサぁ・・・。」余程疲れてたのでしょうか?

「良い夢をご覧になれましたか?」

「うーん。良い夢かどうかはわかんない。けど、夢は見たよ。」

「どんな夢でしたか?」

「ん・・・。覚えてないのよ。」

「そうですか。」ニッコリと微笑むと、アローラ様も薄っすらと微笑んだ。

「こんなに・・・。こんなに見た夢を覚えてないのが悔しいの初めてだわね。」しょんぼりとそう言った。目尻に薄く涙が見える。

そっと抱きしめて、目尻に軽くキスしてあげると、ギュッと私の事を抱きしめて来た。

「とても懐かしい夢だったのに。何で思い出せないんだろう。それが悔しいのよ・・・。」


****


「ねえ、俺達がここに隔離されているのは、転生者に余計な記憶を呼び覚まさない為ですよね。」とオペの一人がごちる。

「まあな。それと、とんでもない倍速で行われている電脳世界の出来事をリアルタイムで監視すると言うのも目的の一つだね。」

「でも、いろいろ見てると、アリエルが出会った過去の人達がシーナを皮切りに次々と転生前の出来事を思い出し始めているね。これは傾向としてはどうなの?」

「本人達が混乱しなかったら問題ないとは思うが。」

「我思うに・・・。全てのイレギュラーは六番目の来訪以来の事だ。居なくなってしまったARIEL、

明かされないスケジュールの修正、知られていなかったジョンバール分岐点。」

「そして今度の出来事も転生前の出来事のフラッシュバックでしょう?」

「あのライオンみたいな髪の毛をした、二人のお師匠様とは何度も出会っている。俺が出会った頃は髪の毛が随分抜けていたけども。」

「これはあれかな?シーナの時はシーナが特別な者だからこそ、コアが動いたと思っていた。けれど、私達は軽く考えていたのよね。でも、違っていた。」

「俺が知らなかっただけで、あのお師匠様と姫君を見るにだ・・・。六番目の前世は蓮條主税の前世の伴侶だったと言う事だな。」

「ヴァスは彼女と会った事なかったの?」

「俺が彼の下に馳せ参じたのは、彼が23歳の頃だからな。もう、その頃には二人は結婚していたし、奥方様の顔なんか拝む機会はなかったね。俺は単なる兵隊でしかなかったんだから。」


「コアは思うがままに徹底的に自分の関わった者全ての前世の記憶を垂れ流し始めていると言う事かな?それは由々しき事態ではないかな?」男が本から目を上にあげてこちらを見詰めている。

「マズいな。それなら、俺達がここに隔離されている意味がなくなってしまう。有害な因子になりかねないからと言う事で、俺達は運営の指示でここにいる。筈だろう?」

「その筈だったな。あれもこれも、予定外の出来事ばかりだ。」苦り切った表情で男は本を閉じた。

「それにしてもだけど、蓮條主税の前世も含む経歴を調べたのに、六番目の事はわかってなかったのよね?」

「我等が観測できる、実現可能性の高い世界では、彼女の存在はほとんど観測されていないな。少なくとも、蓮條主税の周囲には出現していなかった。けれど、”正解の世界”では出現していた。特異な存在だとは知っていた。けれど、わかっていなかったと言う事だな。」男はついつい、普段では敢えて見ない様にしている方向、上方30度の方向を見上げてしまった。


「なあ、我等も管制室ではなく、蓮條主税の居る電脳世界に出向いてはどうだ?」男が唐突にそう口にした。

「へえ・・・。君がそんなに能動的に動こうって言うのは珍しいね。」ヴァスは胸の十字架に手を伸ばした。その十字架は瞬間的に変化して、一振りの剣に姿を変えた。

「お前も同じ意見か?」ニヤリと男が笑う。


「やあやあ!僕がやって来たよ!君達に助成するためにね♪」唐突に明るい声が聞こえた。

羽帽子を被った中性的な、多分男だろうと思える者が扉を開けて入って来た。

「やあ、ヴァス!やあやあ、サエ!元気してたかい?僕は元気だよ。ところで、そこに居る名前を呼んだだけで不幸になる男はなんでここに居る訳?」

ほら始まった・・・。この二人は混ぜたら危険な化合物の好例と言える。

新参者はにこやかに笑いながら剣を抜いた。完璧なバランスの立ち方と構え方に本気が垣間見える。

「カイン、やめないか。」ヴァスが制止する。

「彼の方は抜いてないだろう?」見れば、確かに男は立ち上がったが、腰の剣に手を伸ばしてもいない。

「うう~ん!いつからそんなにノリが悪くなったんだよ!退屈だからに決まってるだろう?僕と競える剣の腕の持ち主なんか限られてるじゃないか?だから一手勝負しよう!僕達はライバルじゃないか!」と朗らかに物騒な事を言いだした。

「我はお前に最初から興味も無ければ対抗心も持っておらん。それを何度説明しても理解しない。本当に残念だよ。お前の頭の中身は。」憮然ではなく、心底呆れた声で男は新参者の言う事を却下した。

「毎回毎回、その言葉のバラエティ豊か過ぎる言葉の暴力がやって来るんだよなぁ。まあ、良いや。」と新参者は剣を鞘に戻した。顔全体に”つまんなーい”と書かれている様な表情だ。

「そもそも、やり合ったとしても決着付かないでしょうし。」サエもそう言う。

「じゃあ、僕が呼び出されたのって何でさ?」口を尖らせる新参者。

「紐づけされたのがランダムに君に当たった、そう言う事じゃないのかな?」とヴァス。

「相変わらず、シオシオ突き離し型の論理的トークだね。運命とか信じてないの?」憮然とした声を発しながらも、男はニヤニヤと笑っている。

「それよりさ、今までの経緯を話して欲しいんだ。君達困ってるんだろう?」新参者、カインと呼ばれた男はそう嘯いた。

「ほら・・・。僕なら君達が困っている何かの道筋を少しなりとも読み解けるんじゃないか?」

周囲の皆が顔を見合わせた。


****


相変わらずアローラ様の機嫌は良くない。

と言うよりもボーっとしている様だ。心ここにあらず・・・いや、まさにそれなのかも知れない。

そっとしておこう・・・。

あらら・・・アローラ様、泣き始めている。

「どうなさいましたか?」

「パトリシアと繋がらないの。どんなに呼び掛けても応えてくれないのよ。」

「そうなのですか・・・。」

「心細いの。心細いのよ・・・。もう、あたしは一人のアローラには戻れない。あの夢を思い出せたら。」そう言いながらアローラ様はポロポロと涙を流している。

外見の年齢相応か、更に幼い所作に少し慌ててしまう自分が居る。けれど、私にできる事はある。



****


夢、これは夢なのか?しかし、夢に何故”色が着いている”んだ?

「夢ではない。そう言う事なんだろうな。」

いい加減、この出鱈目な世界の常識とやらにも順応して来た様だ。

”遊ばれている”と言う怒りも多少は感じるが、大切な、何よりも大切な情報を与えてくれると言う確信もある。

まあ、完全に相手に呑まれて、思考を操られる様な無様はしない。俺は絶対に俺の意志や考えを他人に預けたりはしないのだ。


「今回はどんな用向きなんだ?」俺は問い掛ける事にした。

「今回も通じたな。チャンネルは完全に設定できた様だ。」

声がした。唸る様な、わななく様なハウリングに似た気味悪い響きが耳障りだ。


そこは、先日見た一面の星の景色のただ中だった。




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