第百四十四話 敵を滅ぼすと言う事
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それがあるのとないのとでは、やる気に天と地の差が生じますので。
別れが近くなったせいなのか、蛇は以前よりもずっと饒舌になっていた。
「ローマ人が深く憂いた事は何だったのか。それは外敵が滅ぶ事で、内部での団結なり一体感が緩む事だったのだよ。」
「シーナ君の祖国でも同じ事が起きただろう?不景気が続き、レンジョウ君やマキアス君の祖国との戦争を望んだ。そして勝った。その後に何が起きたか知っているかね?」
「終わらない戦争に突入しましたね。今でもそれは続いています。」とチーフが応える。
「そうだね、けれどそれだけでは無かったんだよ。日本との戦争が終わり、朝鮮半島での戦争が終わり、兵士達は復員して故郷に帰ったんだ。だが、そこには以前とは違う故郷になっていたんだよ。」
「ローマ人もカルタゴとの戦争が終わってから同じ様な感慨を抱いたのだろう。」
何故だろう?カナコギがソワソワしている。レンジョウは興味深そうに話を聞いている。
「どんな感慨だったんだ?」
「アメリカの場合は、兵士達は出征する時に、愛する故郷の為にと思っていた。しかし、その愛する故郷は多くの場合、帰って来た兵士達が心に描いていた故郷とは別物になっていたのさ。荒廃したり、愛する人達が居なくなっていたりとかね。」
「その傷が癒えない間に、アメリカはフランスが始めた愚かな戦争に巻き込まれた。当事者のフランス人達が完全に撤退した場所を守る為にな。」暗殺者は手をプラプラと振った。無意味な何かに対する軽蔑を表現したのだろう。
「ベトナム戦争の事か?俺達が産まれる随分前の戦争だな。」レンジョウはそう言うが、決して無関心や無感動と言う仕草ではない。
「今に至るもその傷痕は残っておるな。アメリカにもベトナムにも。なによりも、共産主義と呼ばれる宗教、それも醜悪を極めた邪教に説得力を与えた罪は大きかったろうな。」
「共産主義って宗教だったんすか?」カナコギが首を捻っている。
「人間に超人的な節度を求めたり、他の宗教を否定する様に強制したりするなら宗教なんだろうさ。それが見事に失敗して、汚職と腐敗にまみれながら、一向にそれを改善できない。まあ、我が見たアステカの者共も、17世紀まで人間を生贄にしておったのだからな。宗教とは変わらぬもの、変えられぬものなのかも知れぬ。」
「それを変える事ができたルター等は信じられない位に信念が強く、自分にも他人にも厳しかった、特にユダヤ人どもにはな!」と暗殺者は危険な嗤い顔を浮かべた。
なんなんだろうな、この人のユダヤ人への反感は。かなり怖い・・・。
「ただし、彼は奥方と子供達には優しかったな。」
「あんた、ルターの傍に居たのか?」レンジョウが質した。
「いやぁ・・・。そんな事はないよ。我は楽しくルター達の行いを眺めていただけさ。そもそも、それ以前からヨーロッパやロシアでは”ボグロム”と言うユダヤ人を殺して遊ぶ娯楽は一般的だったのだからな。ペストがヨーロッパを席巻し始めていた頃には、ボグロムは伝統的な行為として定着しておったよ。」またプラプラと手を振っている。アブナイ雰囲気がヒシヒシとやって来る。
「そうなのか。とにかく、あんたがユダヤ人を嫌っている事は良くわかったさ。ところで、その一体感ってのはどうなったんだ?」
「ああ、ローマの軍隊と言うのは、武器や防具を自弁。つまり、自分達で用意する制度だったんだ。後世の日本人が着ていた甲冑みたいに数世代使える程には頑丈な代物ではなかったが、それでも鉄の薄板鎧や鎖帷子に大きな盾は強力な防備だったがね。そして、それらはそこそこに高価な買い物でもあった。」
「武装を買う事ができる経済力が市民には必須だったと言う事なのかしら?」チーフが干した果物を呑み込んだ後にそう答えた。
「ご明察だ。共和制ローマの末期に至って、その富のほとんどは貴族達。パトリキと呼ばれる者達に独占されておったのだよ。結果として、中産階級が居なくなり、富裕層と貧困層に二極化した。それを修正しようとした者も居たが殺された。結果として、ローマを護ろうとする市民達も消えた。その後は金の為に戦う傭兵同然の正規軍のできあがりさ。」
「それが気に入らないから、ローマを離れたんだな?」レンジョウが訊く。
「そうだな。まだ、カエサルが現れた頃までは何とかなっておった。しかし、その後は坂を転がる様な有様でな。装備を自弁できない市民が増え、帝政に変わったローマの財政と市民の困窮を何とかする必要が生じた。だから、ローマは世界の強盗となり、他の国から戦利品を分捕り、市民の税金を免除して属州からのアガリだけで暮らす様になった。あれ程にローマを援けてくれた城壁も撤去されたのだな。その頃には、我はアステカに行っておったから、城壁の撤去は見ておらんが。」
「いや、あんたの場合は行っていたのではなく、漂着したの間違いだろう?」レンジョウが突っ込み、「最後はカヌーで到達したのだ。漂着したのではないよ!」と暗殺者が気色ばんで反論していたが、形勢不利な強弁をレンジョウもチーフもフーンと言う憐みすら伺える顔で流していた。
「それにしても、あんたは一体感のない国になってしまったから、ローマを離れたと言ったよな。その後に訪れた国に、そんな一体感はあったのかい?」レンジョウはそう水を向ける。
「そんな国もあったよ。例えばスイスがそうだったね。」
「スイスって言えば、アルプスの少女のイメージっすね。」とカナコギ。
「最近では家庭教師のテレビCMでも出ておるな。」と暗殺者はサラっと日本のアニメに詳しい事をゲロった。
「あの”アルムのおんじ”が元スイス傭兵だったと言うのは知っているかね?」と紅い蛇は児童文学にも知識がある事を漏洩した。
「傭兵って、ベレー帽被ってる人のイメージしかないっすね。」と無知なカナコギが続ける。
「いや、それはちょっと違うな。スイス傭兵のイメージは、バチカンに今も雇われている赤と白のフリフリのカブいた傭兵みたいな姿ではなく、ケッタイな赤や黄色の服装で、兜の代わりに派手な帽子を被っておっただけだ。とにかく、凄い奴等だった。思い起こすだけで血が騒ぐ程にな。」
「何時くらいからスイスに住んでおられたので?」俺は訊いてみた。
「13世紀の半ばくらいかな?あちこちで下らない争いに巻き込まれてな。我はかなりゲンナリしておったので、頭を冷やす為に森の奥深くに隠棲しておったのだが。」
「そこにも何かの争いがやって来て、やはり巻き込まれたと?」俺は続けた。
暗殺者は、多少恨みがましい目で俺を見た。”何故わかるのだ?”と顔に書いてある。あんたさ、俺達に人となりをガッツリ知られちまったのをわかってないのかい?
「まあ、そう言う事だ。君達の国で言えば、丁度後醍醐天皇が即位なされた頃の事だな。14世紀の初めの頃さ。かのウィルヘルム・テル。ああ、君達の国ではウィリアム・テルと言われているか?彼とも我は付き合いがあったのだよ。」
「あー。」俺はちょっと言葉に詰まった。彼は実在の人物だったんだと。
「それって、息子さんの頭の上のリンゴを弓で射抜いた人ですよね?」カナコギは心なしか嬉しそうである。
「弓ではなくて、クロスボウだったな。凄い啖呵を切る男だったよ。”谷ドイツ”からやって来た代官がスイス人全てを馬鹿にする事をしでかしたので、酷い騒ぎになったんだ。」蛇はウキウキしている。
「”谷ドイツ”ってなんすか、それ?」とカナコギ。
「正式にはオーストリアと言う国だよ。当時はハプスブルグ家が支配していたな。」
「他にも何とかドイツと言われる国があるんですか?」と言ったのは俺。
「”沼ドイツ”と言うのがある。現在のオランダだな。ここには悪魔達が多く住んでいたな。」
「過去形でっすか?」とカナコギ。
「ああ、あの国はネザーランド。つまり地下の国イコール地獄と言う呼ばれ方をしていたからな。悪魔達はそれに諧謔心を刺激されたのか、かなりの数がオランダに住み着いておったよ。その中でも、最も手強い男の一人などは、海軍の下士官として海で何度も戦い、その後には宣教師に化けて、君達の国にやって来たりもしておったのだよ。」
「なるほど。でも、どうして過去形なんすか?」とカナコギ。
「その最も手強い男が、江戸時代末期から日本に住む娘と懇意にしておってな。江戸やら東京やらに居つき始めたのだよ。とどめとして、先の大戦後に開かれた東京裁判以降、オランダを本格的に見捨ててしまったのだよ。他の者共も、何やら思う所があった様でな。現在のオランダに悪魔達はほとんど住んでおらんよ。」
「ところで江戸時代末期?今はほとんど明治150年すよね?」とカナコギ。
「そうなるのかな?」
「その頃からその方と懇意にしていた人は娘さんで、今も生きてる訳なんすか?」
「そうだよ。」
「その人、人間じゃないっすよね?」
「いかにも。それがどうかしたのかね?」
「いやいやいや・・・。」カナコギはちょっと困惑している。
「そんな人が日本に居るって事っすか?」
「我も以前から普通にメキシコで暮らしておるよ。そんなに理外の者共が日本に住んでいる事が意外かね?」
「そうっすね。」何やら諦めた様子だ。
「君の国では一億を超える人間が暮らしておるのであろう?数名、数十名、数百名のオカシな者共が混じっておったとしても何ほどの事もあるまい。」との返事を得たカナコギだったが。
「いや、貴方一人でも見つかったが最後。多分大都市の警官が軒並み動員される事になると思いますが?」とだけ言い返した。それでどうなる相手とも思えなかったが。
それに対する返事は「いや、それはないよ。大半の人間達には我等を無視する習性なり本能を自然と備えておるからな。本能の壊れた者だけが我等に挑みかかる。そして、その者共は総じてその後に不幸な事故に遭い生涯を終る事になるからね。」
いや、そこはかとなく、その線なのだろうとわかってはいたけれどね・・・。
「聞き捨てならない事を言うもんだ。不幸な事故とはなんだ?」レンジョウが突っ込んだ。
「文字の通りだよ。我等や彼等にちょっかいを掛けようと言う時点で、その様な者共は運命が尽きかけているのだね。正直、哀れではあるが。例の死霊に滅ぼされた村の者共も同じだな。あんな恐ろしい何かに触れてしまうと言うだけでも危険なのに、彼等はそれを利用しようとすらした。だから滅んでしまったのさ。我等が何をする事がなくても、そう言う連中は滅ぶんだ。運命的にな。」
「運命的にですか。」理外の者が運命を語るのは、ちょっと冒涜的に思えたけれど、何となくだけど納得はした。釈然としない事は多くあるが、そんなものなのだろうと納得した。
そもそも、この”死の天使”が実は良識を備えているし、無暗と人を殺して喜ぶどころか、本当はレンジョウ同様に死すべき者達に悲嘆すら感じる男だともわかっていた。
権能や役目を考えるに、この暗殺者はある意味終わらない苦行を強いられている様なものなのだろうとも悟るに至っていた。
それにしても、俺達はどうなんだ?と言う疑問も抱いた。こんな危険な男と旅をしている俺達は、運命的にはどうなるんだろうか?
「それでスイスでも大暴れしたんだよな?」レンジョウが話を元に戻した。
「ゲリラ戦法と言うのは・・・最も我の得意とするところだからね。平穏な暮らしを取り戻すためにも、是非ともオーストリア人には国外に退去して貰おうと、スイスの住民全てが努力したのだよ。その甲斐あってか、攻める苦労と占領して得られる利益が全く釣り合わない場所と言う評判を今に至るも勝ち得た訳だ。スイス独立万歳!永世中立国よ永遠なれ!」と言いながら、乾杯の動作をした。
レンジョウとチーフは露骨に呆れた顔をしていた。紅い蛇は素知らぬ顔をしていた。
「そして遂にはそのスイスも離れた訳だな?」
「まあな。スペイン人が少数の兵力でアステカを支配してしまったと聞き及んだ時に。無性にかの地が気になったのだ。それで船に便乗させて貰って今のメキシコに舞い戻ったのだよ。それ以来、ずっとかの地に居ついておるよ。」
「あの国に一体感なんか無かったでしょう?」とチーフ。
「そうだな。元から無かったが、それを差し引いても、全く別の国になっておった。返す返すも残念だったのは、アステカが滅ぶ前にかの地に帰っておくべきだったと言う事だ。トラロックは去ってしまったが、それでもかの地の者共は我に取っての及第点を楽に満たしておったからな。人間を生贄を捧げる風習を除いてだが。」
「それにしても、ローマ人がそんな事を考えていたなんてね。知らなかったわ。」チーフがまたまた話を戻した。
「敵を倒し尽くしたら、ローマが内部から崩壊すると言う件かね?」暗殺者も話題を元に戻した。
「そうね。ほら、私達の国はローマの後継者だし・・・。気になるのよ。」とチーフは続けた。
「そうだな。国旗はどうかとして、鷲の紋章を使っているのを見れば、”帝政ローマ”の後継者たる国であるとは理解できるな。しかし、我が曲がりなりにも忠誠を誓っていたのは”共和制ローマ”なのだよ。」
「”グリーンカード”を目当てに軍役に服するのではなく、市民としての自覚と愛国心に拠って自発的に志願する。そんな勇士達の護る国こそが我の愛した古代ローマであったな。それでも、古代の人間のやる事だ。無意味に血腥く、欲望丸出しだったのは頂けないところではあったが。」
「カエサルがガリア、今のフランスだね。そこを遂に征服した。そう言えば、アテネオリンピックの選手入場の際に、ギリシア人のアナウンサーがフランスの選手団の国名を”ガリア”とだみ声で読み上げていたのには笑ってしまったものだよ。」
チーフと俺とレンジョウの視線が交錯する。この人、意外に下世話な話題に通じているのだと改めて思った。
「何千年もオリンピア神殿に住んで居る、偏屈な女がおってな。その女と当時電話で話したのだが、”ギリシア人と言うのは千年一日の民族だ。そこが良いのだ”と言う結論に至ったよ。そうだ、他人がどうであろうと我が道を行く。それ位の気概があってこそ、民族としてのアイデンティティを保てると言う事さ。」
「とにかく、カエサルは日々応募不可能者が増えて行くだろうローマ軍団を率いての戦いを強いられておった。自分の人生が終わるまでに、もしかするとローマ軍は大きく数を減らしてしまうかも知れない。その様な焦りもあったかも知れない。彼は征服を急いだのだろう。そして間に合った。」
「ローマがカルタゴを殲滅するに至った理由の一つが、今のエジプト。当時はギブトと呼ばれていた大勢力の存在があった。ギブトはカルタゴを好いておらなんだ。両方が貿易立国であり、カルタゴ人の多くは一期一会の意味を、後は野となれ山となれの意味で理解しておったので、方々で貿易相手を騙したり知恵を絞ったイカサマをしたりと好きに振舞っておった。」
「21世紀の現在に至るまで、シリアその他に住まうカルタゴの者共の子孫は嘘吐きと言う評価を払拭できておらぬ位だからな。当時だとどれ程の悪評であった事か。ともかくも、ローマの戦費を負担しておった大債権国たるギブトは以前からカルタゴ人に怒り心頭で、その破滅を真剣に願っておったからな。徹底的ではなく、程々の結末を願う者達は退けられた。カルタゴに決戦で勝利した偉大な執政官すら、カルタゴを壊滅するのは間違っていると主張して、排斥の対象となった程だったのだよ。」カナコギの様子がまたおかしくなり始めた。黙って目をギラつかせている。
「とにかく、カエサルはガリアと言う大問題を片付け、ローマの大規模な内戦の最中にギブトの問題をも解決してしまった。これは偉業だと思うね。天はローマを援けたのさ。」
「しかし、カエサルは暗殺されてしまい、彼の親族であるアウグストゥスがローマの皇帝に即位した時、我はローマを完全に見限ったのさ。理念や理想を求める者には耐えられない光景だったからね。実際、その後のローマ人は五賢帝時代に税金を払わない様になった。世界から強盗して回っていたのだからな。そして勇敢に戦場で戦う事もなくなった。勇敢なガリア人達を白兵戦で一方的に撃破していたローマ軍団は居なくなった。マケドニアのファランクスを恐れずに短い剣で立ち向かったローマ軍団は居なくなった。方々でいろんな失策で軍団を壊滅させていたローマではあったが、愛国心溢れる若者がその都度加わっては、勇ましく出征して行った。そんなローマを我は愛しておったよ。」
「今回のローマはどうなると思われますか?」チーフはなおも食い下がった。
「幸いな事に、今回のローマは、今回のカルタゴを滅ぼさなかった。」俺と暗殺者の目が合った。俺は首を縦に振った。
「流石に、戦後に日本が核攻撃を受けたと知って我は驚いたものさ。いや、我は戦後になるまで核兵器と言う代物がどんなものかはそもそも知らなかったのだがね。しかし、現代のローマ人も日本を”カルタゴの平和”状態に置いて、周辺を不安定化させようとはしたみたいだ。日本の竹島と言う小島、北方領土と言う島嶼が戦後に奪われてしまい、今も周辺との外交摩擦になっておるな。」
「けれど、本家カルタゴがアルジェリアの騎馬民族から受けた散々な侵略と比べれば随分マシだったのだよ。ヌミディアのマニシッサと言う男。我は一度だけ会った事があるが、あれ程に他人を信用しない危険な男は人間が極度に欲望に忠実だった古代でも珍しかっただろうな。当時ですら、かなりの高齢であった筈だが、目付きの狂暴な事と邪悪そのものの雰囲気が隠されもせずに発散されていた事には驚いたものだったよ。利益以外の話では絶対に動かない、そんな深刻極まりない人物であったな。そんな男が失脚せずに90歳を超えるまで長生きしたと言う事もカルタゴの不幸だったろう。」
レンジョウとカナコギが揃ってソワソワし始めている。
「どうかしたかね?レンジョウ君?」と暗殺者が言うと「わからん。」と短い返事だけが返って来た。
「とにもかくにもだ。ローマ人達の心配は杞憂では無かったのだよ。ローマに無礼を働き続けたコリントスを滅ぼし、ローマと互角に戦ったカルタゴを滅ぼし、生意気なマケドニアも併合した。時は過ぎて、散々にローマを悩ましたガリアを平定し、ローマと仮初にも友好を結んでいたギブトを併合した。残るはゲルマン人だけであったが、このラスボス相手にはローマも随分と苦労をした様だがな。」レンジョウがピクリと表情を変えた。
今度は暗殺者は何も言わなかった。レンジョウを値踏みする様な表情で眺めて、しばらく口を閉じていた。
「我の長話にお付き合い頂いて感謝する。なんぞ質問等は無いかね?」
「なんでこんな話になったのかからですね。」カナコギが不機嫌そうにつぶやいていた。
「叛乱勢力はいわば獅子身中の虫である。滅ぼさずには居られないだろう。けれど、他の国と言う事になれば違うのかも知れない。そう言う事だったのだがね。」それはフルバートとの戦いの事なのか?
「他の国とは貴方に取ってはどんなモノなんですか?」チーフが妙に熱い声で訊く。
「国とは文化を乗せる船の様なモノである。我はそう思っておるよ。だからこそ、どんな船であれ、海に浮かんでおっても良いと思うのだ。」
「相手が戦争を仕掛けて来た場合はどうするのでしょうか?」とまたチーフ。
「その場合は正当防衛だろうな。まさか相手が棒立ちでやられてくれるなんて状況はありえないのだし。絶望的な状況のカルタゴですら、反撃は怠ったりしなかったのだよ。」
「私の祖国は年々、そこに住む者達の価値観同志の摩擦で疲弊して行ってます。それをどう考えますか?」結構真剣な様子だ。
「守るべき最も大切な何かを思い出すしかない。あるいは、不公平を是正する様に働きかけるしかない。勝者が全てを掴むと言うのは、結局は歪みだけを増やす。しかし、貧民を救済するのも間違っておるな。」
「ではどうすれば良いのでしょうか?」
「中産階級の復活こそが正解だと我は想う。所詮、貧民を救済しても、財貨を底なしの穴に投げ込むのと同じだよ。」
「”あの頃”は・・・。一緒に戦いを繰り返すだけでした。けれど、こうして・・・。そう間に合う内に様々な事を訊く事ができる。それがとても嬉しいですね。」
”あの頃”とは、きっと未来の戦場で暗殺者とチーフが共に戦っていた頃なのだろう。
「チーフにも、そこの蛇さんにも一言質問良いですか?」俺は声を掛けてみた。
「私にも質問?良いわよ。」と言う俺の言葉にレンジョウがちょっと心配している。まあ、下らない事を言うつもりはないんだが。
「チーフや蛇さんが戦っていた戦場って、全てが手遅れになってしまった世界なんですよね。ここでは、今も彼に言ってたとおり、まだ間に合うって言う希望があるんでしょう。ですけど、俺程度の者が、チーフやレンジョウの役に立てるなんて考えられないんですよ。それをどう思いますか?」俺は正直に言ってみた。レンジョウも今のチーフもはっきり言って超人だ。俺が何か手助けをできる絵面が全く想像できなかったんだ。
「ふむ、それは難しくもあり、単純でもあるな。けれど、シーナ君から答えて貰うのが正解だろうさ。」
「そうね。貴方は、私の世界では極初期に死んでしまったメンバーの一人だった。」
その時の俺の顔を、当然ながら俺はみる事ができなかった。だが、一体どんな顔をしていたのだろう。
「やっぱ、俺って役立たずだったんですね。」と言うと、カナコギがこっちをジッと見つめて首を振っているのが見えた。
「いいえ、違うのよ。あんたは、最初から、最期まで。私を信じてくれた。信じ続けてくれた。私やレンジョウにずっと忠実だった。あんたが私達を信じて付いて来てくれた事を私は忘れなかった。」
「それが私のあんたに対する評価の全てよ。これで不足なの?」
蛇もこっちをジッと見つめている。その表情の真剣さが俺の心を打った。
「いえ、充分ですよ。でも、今回の俺はしぶとく生き延びて見せます。これで良いですか?」
「良いよ。それで・・・。」チーフが真面目な顔で頷く。
「あんたは避難民達の退避を援護しようとして死んだ。誰よりも立派で忠実で信用できる男。だから、あんたが死んで私は泣いたよ。でも、今度は私に涙を流させないで。約束よ。」
俺は胸に込み上げて来る何かを感じた。目尻が危ないとも思った。
「チーフ、約束します。俺は死にません。チーフの事も変わらず全面的に信頼しています。だから、俺に何を言いつけようと、俺はチーフの言う事にはイエス以外の返事はしません。」胸に手を当てて誓った。
不意に、文字の通り万力の様な力で俺の首は固定された。迂闊に動けばコキリと首が折れてしまいそうな力で。
しかし、次には柔らかい唇の感触を頬に感じたのだ。
チーフの顔は見えなかったが、俺を見詰めているレンジョウの瞳に暖かい何かが籠っているのがわかる。
そうなんだ。敵を滅ぼす事が大事なんじゃない。
俺に取って大事なのは、こんな俺の事を知ってくれて、認めてくれる人達なんだと。
この人達を守る為に戦う事もあるだろう。しかし、一番大事な何かを俺はきっと間違わない。
紅い蛇はこちらに優し気な、出会った時のあの恐ろしさを感じさせない眼差しで俺を見やっている。
俺は何があろうと、この人達の期待を裏切るまい。そう誓った。
”男の人生にはいろいろとあるが。女と色恋の関係になるのと、口先だけではない本物の信頼関係を女と築くのと。どっちが難しいかと言うと・・・。”
そりゃあ、後者だろうなと。
馬鹿丸出しだけど、これもまた人生なのかなと。
俺はちょっとだけ晴れ晴れとした気分になれた。
チーフ、次回は唇にキスして貰いますよ。
そんな事を想いながら、俺はレンジョウとカナコギを見やって、彼等が仲間である事に心底からの満足を感じていた。
そうだ、俺達の間にはきっと内紛の危機は生じないだろうと思いながら。