第百三十八話 昔語り
「詳しく・・・・。」レンジョウはそれだけを言った。
「詳しくね。」赤い蛇はそう言って苦笑するだけだ。
「俺はこの世界に来るまでは、トラロックと言う存在について何も知らなかった。」
まばらな無精ひげを摩りながらレンジョウはそう言う。その無精ひげの先が金色に見えるのは・・・。
いや、確かに金色に見える。目の錯覚ではない様だ。
「それで、我を情報源にと思った訳かね?」
「仕方ないだろう。他に知っている者がそうそう居るとは思えないからな。親切だと思って話して欲しい。」
「ふむ・・・。親切と言う事なら多少は良いだろう。」赤い蛇は革袋を取り出して、水で割った葡萄酒を口に含んだ。
「長くなるぞ?」と言う言葉にレンジョウが頷く。心なしか、赤い蛇の片目が布越しに光を放った様に見えた。記憶にある限りでは、それはあまり良い兆候とは言えなかったのだが。
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「知ってのとおり、我等は長生きだ。我の言葉は我の主観的な経験と記憶から生じておるが、それでも我等はその時代を見て来た。そのつもりで聞いて欲しいのだ。」蛇はレンジョウを見詰めた。
レンジョウは黙って首を縦に振っただけだったが、蛇は続けて話し始めた。
「今から1800年前に世界は大きな変動の中にあった。つまり、世界は寒冷化し始めたのだ。理由は幾つかあるが、煎じ詰めれば我等が我等と言う存在に関して非常に無知だったからとしか言えぬ。」
「我等はいろいろと自分達について知らなかったのだよ。我等が様々な気象や天体の運営に大きく関わっている事をな。それを知らなかったが故に、その様な災害が巻き起こった。」
「大きな変動が世界中で起きた。日本人ならば知っておるだろう”三国志”の時代であり、地中海でも小アジアでも血腥い戦いが数々起きた。それでだ、レンジョウ。」
「我等がその様な世界の動乱を目にしてどう思ったか。わかるかな?」赤い蛇はそうレンジョウに問い掛けた。
「想像してみるにだ。あんたは喜んだのと違うか?」腕組みをしながらレンジョウはそう言った。その言葉に確信がある様に見えた。
「まあ、そうだったよ。」蛇は肩を竦めてみせた。
「我は血に飢えておった。動乱は望むところだった・・・。我等の血気盛んな者共も同じ事だった。いつもと同じ流血があり、それが終わればまた元の暮らしに逆戻り。無邪気にそう考えておった。結果、行き付く先など考えてもおらんかったわ。」自嘲が彼の顔に影を差した。
「あんたはどっちなんだ?天使か?悪魔か?」レンジョウは値踏みする様な顔で蛇をじっと見つめている。
「我も、君達が言う所の”先代様”とやらも天使であるよ。しかしな・・・。戦いを望み、死を渇望する天使とは、往々にして悪魔達よりも厄介な存在なのだよ。なにしろ、悪魔達は生まれながらの資質に気付く事で力を得るが、我等天使と呼ばれる者共の内、戦いや死に関係する者共は、揃って戦いや死を渇望する事、その在り方に疑問を呈する事で力を得た者共だ。力の質としては、より悪質と言えるな。」赤い左目が間違いなく強い光を発した。布が焦げ臭い臭いを放っている。
「3世紀に何があった?」レンジョウは直球で問い掛けた。
「我等の中で不協和音が生じた。前々からローマ人に対して敵意や怨恨を抱いていた我等の仲間達が、完全に我等と仲違いする事となったのだ。」
「我等は大きく3つの集団に分かれていると考えてくれ。」レンジョウは黙って見つめている。
「この大地に根を張り、人と共に生きる者共、これらを”地の者共”と呼ぶ。大半の天使と悪魔はこれに属しておる。」
「そして、死と再生、狂気を含む人の精神に強く関わる者共は”月の者共”と呼ばれる。」
「我は”地の者共”でありながら死を司る。そして、先代様と呼ばれる者は”月の者共”である。」
「最後が天体の運行とこの世の理を強く維持する天使と、少数の力溢れる悪魔達が属する”太陽の者共”である。この者共の中での不協和音が世界を大きく変えたのだ。」
レンジョウの大きな目が何かを語ってはいたが、彼は相変わらず言葉としては何も発しようとはしなかった。
私はレンジョウの方に近付く気にもなれず、かと言って蛇の近くに寄り添おうとも思わなかった。
結局傍観する以外に方法はなかったのだろうけど。
「で、具体的に何がそんな災難を招いたって事なのかな?」レンジョウがそう口にすると、赤い蛇はしばらく彼を見詰めた後で口を開いた。
「この世界で最初に我等を熱狂させた発明は何だったか。それはアルファベットだった。」
「アルファベットか・・・。俺は英語しか知らないけどな。ギリシア語もあるんだったか?アルファとかシグマとかオメガとか。ローマの読み方もあるんだな。ヘブライ語だとアレフ、べス、ギメルから始まるんだったか?」レンジョウがそう言う。
「ふふん。良く知っておるな。左様、そのアルファベットじゃ。ローマ人は、そのアルファベットを発明した民族を圧迫し、遂にはその一番有力な植民都市とその勢力全てを滅ぼしたのだ。遺恨はそこから始まった。」
「その都市とはカルタゴの事か?」レンジョウの言葉はほとんど棒読みだった。眼も普段の輝きとは違う何かが映っている。
「その通りだよ。」と紅の蛇も値踏みする様にレンジョウの目を覗き込む。
「そうだろうな。ローマと大戦争をした都市や民族と言うなら、カルタゴとフェニキア人以外にはあまり思い付かない。俺は学校でそれしか学ばなかった。」
「ふむ・・・ならばコリントスと言う名前には聞き覚えがあるかな?」蛇はそう言う。
「ああ、コリントスとかコリントと言う名前の都市国家は知っている。アテネやスパルタと並ぶ隆盛の都市国家だったと記憶している。」
「その都市だな。コリントスは、カルタゴと同じ年に滅ぼされて、住民は全て奴隷として売却されたのだよ。」
「そうだったのか・・・・。」レンジョウの合いの手に合わせて、蛇が応える。
「別に偶然と言う事ではない。最初からそのつもりだったのだよ。我等もそれに気が付いた。後からな。事実を知ってからな。」
「海を支配するため?理由はそう言う事なのかな?」レンジョウは問う。
「それもあるな。だが、本当の理由は違うな。要はローマ人の内の特権階級の既得権益を守る為だった。その後のローマ人達の行動がそれを示している。”世界の強盗”と呼ばれた件だな。だが、その話は少し話の本筋からずれる事になる。歴史の講義はここまでで区切ろうじゃないか。」
レンジョウは顎に手を当てて、首を捻っている。
「だがわからないのは、何故それら一連のローマ人の行いが地球規模の気象変動をもたらしたのかだ。」
レンジョウは私の方を見たが、私は首を振るしかない。こんな事、”以前”の私の記憶にもないお話だから。
「貴方がそんな事を口にするとは思わなかった。」私はそう合いの手を入れた。
「我と先代様が現れたのだからな。将来のための知識は与えておいても良かろう。ただし、ペラペラと情報を垂れ流すつもりは決してないよ。」蛇はレンジョウを見た。
「なんとなれば、それはレンジョウ君を我等の思ったとおりに動かそうとする。そんな意図を見せる事と同じ結果になりかねないのだからね。それは許されない事だ。違うかね?」そう言い募る。
「まあ、俺としては、そう言うのは願い下げだな。」レンジョウはそう応えて、「では続きを頼む。」と蛇を促した。
「ああ・・・。我等の内で”太陽の者共”と呼ばれる一派は本当に強大な力を秘めている。それらの者共の内には、反ローマ人の有力者が居たのだ。そして、その者が原因で第一回目の気象変動が起きた。」蛇の言葉は淡々として興奮した雰囲気はなかった。時折布地を透かして光る左目以外は。
「あんた達は、昔はそんなに大っぴらに人類に干渉していたと言う事なんだな?」レンジョウは心なしか怒っている気がした。
「うむ。我等は昔は人間達と大っぴらに交流していたな。正体を隠さない者も多かった。学者達と交流したりするのも普通だったし、戦場で人を殺傷する有様から我等の正体を悟られる事もあったな。我の場合はそうだった。」
「そうでなかった者も居るのかな?」とレンジョウ。
「我の知る者には、力を隠して戦場に立つ者も多かったな。フェアに戦い、人間と対等に戦う者も多かった。我の場合も力を封印しておったし、その際には片目となっていたのだからむしろハンデ戦だったのだがな。」と苦笑していた。
「貴方の場合、その殺しっぷりが見事過ぎて正体がバレたんでしょうね。」と私が言うと、蛇はニヤリと笑って無精ひげなど一本もない、ツルリとした顎を撫でた。
「違いないな・・・。まさにそうだった。」
「むしろな・・・。気象変動の結果として、我等は人間達と以前よりも深く付き合う様になったのだよ。以前から人間達は我等の興味の対象だった。しかし、三世紀以降、200年程の間はかなり積極的な庇護の対象となったのだ。」
「何故期間限定の付き合いになったのかな?」レンジョウはそう訊ねた。
「まあ、その頃にはローマの宗教がキリスト教化していたからな。彼等の一部は天使崇拝を強めた。そして、彼等の一部はその天使崇拝を不愉快に思ったのさ。主に天使達、あるいは悪魔達から相手にされなかった者達がそれを不愉快に思った。」蛇は口元を歪めた。
「俺はキリスト教徒は天使をありがたがるイメージしか持っていなかった。」
「まあ、かなり大っぴらに人間と交流していたとは言え、やはり建前上は秘密にしていたからな。そして、あの馬鹿馬鹿しい”ルシファー談義”が取沙汰される様になった。あれが我等の交流のとどめとなった。まあ、その頃には我は地中海付近から去っておったが。」
「何故だ?」レンジョウは再び尋ねた。かなり強い口調で。
「紀元前の事だが、ローマ人の賢者達やとあるギリシア人の賢者と我は近付く機会を得た。コリントスが滅ぼされた少し後の事だったがな。ローマ人の方は、ローマ人の結束を願う者達で、有名な将軍家の者達の取り巻きであり、ギリシア人の方は当時のギリシア人植民都市の連合の一派のリーダーの一人だったな。」蛇はレンジョウに目配せを送った。レンジョウは頷いた。話を続けろと言う意味だ。
「彼等はローマ人の結束を願っていたが、その方法は少し変わっていた。彼等は我が人外の者である事も理解しておったが、それに面倒臭い願いをして来よったのだよ。」
「面倒臭い?どう言う意味だ?」レンジョウが首を捻る。
「はは・・・。そのローマ人達は、我にローマ人結束のシンボルになって欲しいとねだったのだ。しかも、そのローマ人結束のシンボルと言うのがな・・・。」
「シンボルだと?」
「ああ、その頃を遡る事半世紀程前に、ローマは深刻な危機に見舞われたのだが、それを乗り越えて結束した。膨大な常備軍と戦時に動員可能な兵力の半数があの世に送られてしまう有様だったが、それを何とかできた。まだ、その頃にはローマ共和国の問題点はそれ程顕在化しておらなんだ。問題は、危機の後に噴出したのだよ。」
「続けてくれ・・。」
「その哀れな男は、我に言ったのだよ。”私はローマを愛しています。我が祖父が戦ったのは、単にローマと言う国の為ではなく、勇敢に戦死して行く兵士達や評議員達、つまり戦いに参加していない者達も含む全てのローマ市民達を想うが故でした。しかし、戦後に見えて来たのは、一部の既得権益の保有者つまりパトリキと呼ばれる者達が富を独占し、退役した兵士達が戦後に何の生産手段もなく、無産階級同然に没落して行く様でした。それを見て憤った我が義兄の一人はそれを正さんとして議会に入り、あろう事か議会で撲殺されてしまいました。”とな。」再び目配せと首肯。
「”私は二つの都市の陥落に居合わせました。一つは祖父が戦った雄敵としか言えぬ存在の生まれ故郷、もう一つはイベリアの地の中央にあった都市でした。それらの栄と衰を見るに付け、ますます確信は強まって行ったのです。私は義理の兄の改革にも賛成しませんでした。恵まれた身の上に生まれながら、何故他人の為に苦労し非難されるのかと思っておりましたが、そうではなかったのでしょう。義兄は正しかったのかも知れません。彼は身命を投げ捨て、ローマの為を思い、ローマの為に行った本物の愛国者だったのかも知れません。”ともな。」
「だから我は引き受けたのだ。ローマの守護天使となる事を。”死の天使が結束させたローマと同盟都市の一体感”をもたらすためにな。そして、その男はギリシア人の雄弁な賢者には歴史書の編纂を願ったのだ。彼が死去する数か月前の事だった。最後は身内に殺されたらしいがな。自分の過ちを認められず、引くに引けなくなった挙句の無様な死に様だったさ。あるいは、富を目的として二つの都市を打ち壊した自分の行いに悖る事をしなかったのはある意味立派だったと言えるかもな。」
「そんな男の言う願いをあんたは聞き届けたのか?それにしても、守護天使とは一体何なのだ?」
「文字のとおりさ。守護天使とは、定められた都市を守護する天使であり・・・。守護の為であれば、普段は使わないだろう”力”を時として使う事もある。ほら、こんな風に・・・。」
そう言うと、彼は左目を覆う布をずらして、近くの大きな岩の方を向いた。
岩は物音も立てず、瞬時に塵と化した。膨大な熱量を発しながら・・・。
「ここで猪の丸焼きを作れって事かな?」私は少し呆れながら言った。
「ちょっとだけ遊んでみただけではないか。」と言いながら彼は布を元に戻した。
「凄く俺は手加減されてたんだな。」と言うのはレンジョウだ。危険な事を口走っている。
「レンジョウ、やめて・・・。彼に本気を出せと言えば、彼は本気を出すのよ。彼は死を願う者には死を与えるの。」意外にも、私の口から出た言葉は抑揚も口調も平板な言葉だった。もっと切羽詰まっていても良い筈なのに。どうしてだろう?
「その言葉に訂正を加えたい。いかに我とても、殺して後悔する者を殺したりはせぬよ。」妙に優しい言葉が返って来た。
「ふむ・・・。だがな、俺は敢えてこの男と戦ってみたいんだ。いや、一撃で焼き尽くされるのは御免だが・・・。あんたとどれ位立ち会えるのかは試してみたい。是非とも。」レンジョウはそう言った。何となく想像は付いていたが、やはりこの男は妥協なんかしない男だった。
「我の左目はもちろん使わないが、その他の力はどうなのだ?」赤い蛇もやる気満々だ。
「あんたの他の力とやらは知らないが・・・・。」丸っきりコースの前菜をサラダにするか生ハムにするかで悩む様な様子に呆れてしまう。
「前情報がある方がおかしいよな。これはエキジビションって訳でもないんだし。」
「我との闘いをスポーツに喩えるのかね?」
「言っておくが、我はそう言う甘い代物であった事はないよ。」と蛇が凄む。
「いや、俺との戦いではダウンの後に待ってくれてたじゃないか?」と斬り返すレンジョウは、穏やかで落ち着いた雰囲気だった。
「忘れてたね・・・。あんたってさ。凄く大事な戦いの前でも、必ず落ち着いてたよね。最初はこの人、いろいろと諦めてるのかなって思ってた。けどね・・・・。」
「・・・・。」二人の男がただ私を見詰めている。
「でも途中でわかって来た。この人は覚悟を決めているだけ。その覚悟が立派過ぎて、他人からは無関心や冷酷って見えるだけだってね。」思わず顔が赤くなった。
「じゃあ、止めないんだな?」レンジョウがそう言う。
「うん、止めない。そんな権利もないし、それが間違ってるってわかってるから。」思わず微笑んでしまった。
「頑張ってね。到底勝てないとは思うけど。もう、あんたが斬り刻まれた位でオタオタしたりしないよ。」そう言って、ズボンのポケットからハンカチを取り出した。引き抜く際に破かない様に厳重に注意しながら。
「じゃあ・・・・はじめ!」ハンカチを空中に投げ上げる。ヒラヒラと舞い落ちるハンカチが地面に落ちる前に、二人は間合いを取って構えた。正しくは、レンジョウだけが構えた。
「今後の為になる戦いである。それだけは約束するよ。」と蛇が短く淡々と口上を述べると両手に短剣を抜いて持ち、だらりと切っ先を垂らした。
二人の男の間にハンカチが舞い降りて・・・二人はそのまま驚くべき速度の戦闘を開始した。