第百二十五話 敗北者
「レンジョウ様?」
「レンジョウ?レンジョウ?」
「兄貴・・・・。」
「レンジョウさん・・・・。」
いろんな声が聞こえる。そして、通り過ぎて行く。
頭痛がする。痛みも感じる。ゲーム内の仮想世界で。そう考えると、自虐的な嗤いが込み上げて来る。
アリエルも言ってたか。”たかが造り物のわたくしに、何故創造者はこんな心と知恵を与えたのでしょうか”と。
そうだな。何故こんな造り物のゲーム世界に、痛みや悲しみがあるんだろう。そんなものは、観客であるゲームのプレイヤーだけが感じていれば良い。
そして、プレイヤー達は一つのゲームを終え、新しいゲームを消費して、当時に感じていた辛さや悲しさ、感動や喜びさえも・・・過去の中に忘れられ、それらは色も形も想いも薄まって行き、遂にフェードアウトするんだろうから。
「俺は何故ここに居るんだ・・・。ここは単なるゲームの世界だろう?何故、ここで・・・。」
「君、こちらを向きなさい。」大男の声が聞こえる。
顎の下に、籠手に包まれた太い指が添えられる。首を無理に上に向けられた。
「下を向いていてはいけない。少なくともこの場はね。」厳しい顔の隻眼の男が決め付けた。
「下を向く時は、地面に花やその他の美しい何かがある時だけだよ。あるいは、それが不思議の詰まったT型フォードの部品であるマグネットの場合もあるだろう。美しい石が見つかった場合もあるだろう。けれど、今は上を向いていなさい。」
「こう言うやり方を厳しいと思う向きもあるかも知れないがね。」
「今、君がここに居る理由については、我から言える事は更に幾つかあるんだよ。聞きたいかね?」
「ああ・・・。頼む。」自己嫌悪で一杯になった胸の中から僅かな空気が吐き出され、かすれた声が発せられる。
「覚悟を決めるためじゃないのかな?我はそう思うよ。」
「覚悟・・・・?」俺の口から、馬鹿みたいな言葉が発せられた。
「そうだよ、覚悟だ。」大男は常に真剣だ。言葉にも、拳にも、剣筋にもその真剣さが余す所なく表現されている。
「君は、我の揮う大斧からかの娘子を救うために、死の前に立ちはだかった。結果、ほぼ死んだと言って良い傷を負った。」彼はシュネッサを指し示した。シュネッサは畏まって、頭を下げた。
「我等の間では有名な事であるが、君は若き日、大事な大会を目前にして、通りすがりの女性を救うために、我が身を投げ出し、結果、試合に敗れた。」
「その後の不幸については、同情を禁じ得ないものがあるが、それらを我等が埋め合わせる事はできない。人の子の人生とは、他人に荷物を背負って貰う様にはできておらん。それは我等についても同様だがね。」
大男の声が深みを増した様に聞こえた。
「先程、我は君の業について話したが、その業と言う何かは、我等にも付きまとうものなのだよ。」
「それから自由である存在は、あるいは解脱したと言われる存在なのかも知れないが、その様な存在の魂は、人の世に輪廻して帰り来る事はない。」
「そうなんだ。君にはそんな達観した人間にはなって欲しくないのだよ。我や我の仲間達、君をずっと慕い続けて来た者達は、人間的で、考えては迷い、勝って負け、血の気が寄せては引く。そんな君が好きなんだ。自分の全知全能で考え、自分の責任で決断し、戦いに臨む君の事が好きなんだ。」
「隠棲と言うのも一つの救済方法となりえるだろうが、君には似合わない。全く似合わないんだ。我はそう思っている。」
「自分の世界に閉じ籠り、不要な何かを切り捨て、考えず、ただひたすらに自分自身の心の平穏と謙譲についてだけを考える。子供の頃に見つめていた大きな世界から、自分に関係のない何かをひたすらに切り捨てる。大人になる事は、自分を賢く守る事と割り切り、関係ない関係ない関係ないと、不要なもの、重要でないものをひたすらに捨てる。その結果は究極的には、小さな小さな自分自身だけの平穏で変化なく、何者にも煩わされる事のない世界を獲得する事となるだろう。」
「だが、君はそうではなかった。ずっと、捨ててはならない何かを切り捨てられず、それを自身に生じた傷として背負って来た。それは衣服や帽子、靴や手袋で隠せるだろう。顔だって我の肩の上で寝込んでいる盗賊の様に頭巾で隠せるだろうさ。」
「だが、裸になれば、それは衆目に晒される。君が自分の心を裸にして、共に人生を歩もうとする者はいないのかね?」
俺が目だけを動かした先には、鹿子木が居て、その後ろにはシーナとアローラが見えた。マキアスとシュネッサも、タキも。さらにその後ろにはアリエルが心配そうに水晶玉を胸の前に掲げて立っていた。
「君の傷は痛いのではなく、重いのだろう。君はその重みをずっと背負って来たし、それらは君の足枷にもなっただろう。先にも我は言ったであろう。」
「君は孤独になってはいけないのだよ・・・・。」
俺は大男の指先から顎を外した。反抗する意図からではなく・・・これ以上向き合うのが辛かったからだ。
そして・・・・そして、もう耐えられなかったからだ。もう、目の前が見えない・・・・。
そうだ、トラロックも言っていた。俺は孤独になってはいけないと。
見る人から見れば、俺はそんな男なのだろう。俺は本当は・・・・。
****
俺は呆然としていた。
俺の知っている奴は、ヒドラの背中に拳をぶち込んで心臓を抉る。
血まみれで地獄の使者みたいな獰猛そのものの男だった。
それが大男との会話と説諭の末に・・・泣いているのだ。涙を流している。身体を震わせて俯いている。
”まるで敗北者の様な姿だ・・・。”
寺院の二階の周り廊下での奴は、俺を待ち受けて嗤っていた。手の付けられない化け物じみた強打者であり、決して人を殺さない。恐るべき信念と共に戦う覚悟の権化みたいな男。
そんな奴が泣いている。しかし、俺にはその姿が女々しいなんて決して思えなかった。
”痛い傷ではなく、重い傷。”大男が言っていたレンジョウの傷とはどんなものなのだろうか?
”知りたい、もっと奴の事を。腹を割って話したい。”腹の底から、心の底からの渇望が湧き上がるのを感じた。
”つまりは、俺はこいつに惚れ込んでしまったって訳か・・・。”
何と言うかほろ苦い想いだった。その事に、俺もいつか気が付いただろう。あるいは先延ばしにしないで良かったのだろうか。
”俺達は出会った時から敵同士だったし、今もそうだ。”
俺の方としては、覚悟は決まっている。いつか、この男を打倒して、超克したい。その想いは最初から感じていた。けれど、一つの想いも抱いている。
”それができるかどうかは別にして・・・・。”
”決して、この男に勝ったのだしても、殺してしまってはいけない。”
きっと、それこそが、俺にとっての傷となるだろう。一生苦しみ、後悔し、重い何かとなって俺を苦しめ続ける。そんな傷になる。
奴が背負っているのも、同じ様な傷なんだろう。俺はそう理解したんだ。
俺の目が厳しくなっているのを感じる。腕組みをしながら、俺が考えていたのはそんな事だった。
卑怯な手も使わない。正々堂々でもなく、こいつが燃え上がる舞台で・・・・。
”タキよ。汝の望むような場面を設える事ができるやも知れぬ。予に任せるが良い。”
先程から静観していたタウロン陛下がそっと”耳打ち”して来たんだ。
”お任せ致します。それと、俺には一つの考えがございます。本国の武器庫からいろいろとお借りする事になるでしょう。”
俺の目は、その時レンジョウではなく、その隣に控えている男の方を向いていた。
”あの戦い方は使える。それに気が付いてないのは、もしかして本人だけじゃないのかい?”
****
「二つ同時にか?」
「この時点でな・・・。まだもう一つ残っている。」
「しかし、これだけお互いを理解しているってのは、どうなんだい?」
「俺は羨ましいよ。彼がね・・・・。」
「ヴァス?」
「俺は”彼”の戦友であり、従者だった。彼は、”彼”の敵であり、最大の理解者だった。その差なんだろうな。」
「とにかく、これでラサリア統一とモルドラとの戦争が確定した。蓮條が現実世界に帰って来た際の行動基準も変化するだろう。」
「そうだ・・・。彼の方についても、予定のとおりに手を打っておこう。彼にも過去は清算して貰わなければならないだろうから。」ヴァスが提案した。
「ヴァスの意見に賛成。公証人役場の方は、私が既に手を打っておいたから。改竄の痕跡もないし、同時期に複数回提出された同じ内容の書類の一枚と摩り替えておいたので、提出した本人でも気付かないでしょう。筆跡の模倣も完璧。偽造は絶対バレないわ。」サエは言う。
「なあ、念のために、その人の保有している元本の登録に関する書類を盗み出してくれないか?」ヴァスが管制員の一人に話し掛けた。
「書類に関する諸元と、その所持者の住所を教えて欲しい。」管制員はそう答えた。
「実のところ、本人は既に死去しているの。書類を持っている可能性のある人は、その人の長男以外考えられないわね。その人の住所はわかっているわよ。書類の原本はコピーしている。」サエが答える。
「なら試してみよう。」
それで一決だった。
****
「兄貴・・・・。」俺は兄貴に呼び掛けました。けれど、兄貴はまだ涙を流し続けていました。
「兄貴、すみません。俺程度の男が兄貴に何を意見するんだって、自分でも思うんですけど。」
「兄貴、お姫様には悪いんですけどね。俺は兄貴を早く元の世界に戻すために頑張ろうって思うんですよ。」
後ろの方で、映像大写しになってるお姫様を振り返って、俺は彼女にそう言ったんですよ。
「でも、安心して下さい。兄貴は絶対に筋を通す人ですから。ちゃんと、元の世界で納得したら、お姫様の所に戻って来ますよ。俺、その件については保証できます。」
「カナコギ様・・・・。」兄貴だけじゃなくて、お姫様まで泣きそうになってます。
「おい、カナコギ。お前の兄貴、レンジョウが元の世界に帰るってのはどう言う意味だ?」タキって言う人が聞いて来ます。
俺、失言したかなって思いましたが、敢えて誤魔化そうとは思わなかったんですよ。
「俺も兄貴も、タキさんから見れば、別世界から来た旅人なんですよ。兄貴は、この世界に迷い込んでしまい、俺はそれを探して、追い掛けて、兄貴を迎えに来たんです。」
「レンジョウが旅人?お前と一緒に、元の世界に帰る・・・だと?」
その時に見せたタキさんの表情は複雑なものでした。
「兄貴が居なくなったらどうするつもりなんですか?ラサリアを襲ったりするんでしょうかね?」
俺、ちょっと自分が変な事を言ってるって自覚はしてたんですけどね。止まりませんでした。
「そう言う不埒な考え方をしてるんだとしたら、貴方許せない人ですよ。俺が言うのもおかしな話ですけどね。」
(。´・ω・)ん?俺、何言ってるんでしょうね?
「違えぇよ!んな事ぁ、端から考えてねぇっての!」タキさん、マジで顔付変わってます。
妙に焦ってるって言うか。
「レンジョウ、フルバートが済んだら、あたしと一緒に北で戦おうよ。こいつらぶっ飛ばして、その次に南で死の軍勢を倒せば良いのよ。」アローラちゃんも乗って来ました。
「お前等、俺の話聞いてたのかよ?俺達も言ってみれば、南の死の軍勢と戦うつもりでフルバートまでの道を引いてる最中なんだってばよ!」タキさん、大声を出してます。
「後よ、エルフのお嬢ちゃん。あんたもよ、俺達にラサリアとつるんでるって公言しまくって良いのかよ?仮にも、あんたはヴァネスティの勇者なんだろう?」タキさん、ちょっと変調してますね。かなり困ってます。
「別に良いじゃないさ?どうせ、あんた達の国とは、前々から揉めてたんだし。ラサリアが統一されたら、あたし達エルフも本格参戦したって全然おかしくない流れじゃない?」アローラちゃん、完全に暴走してますね。
と、その時、俺の肩に手が置かれたのを感じたんすよ。ハッとしました。
目の前に大写しになっているお姫様も、心なしか安堵した表情で俺の後ろを見つめています。
振り向くと、そこには目は赤く腫れていて、寂し気な表情を浮かべてはいるものの。
いつもの様に気合十分の兄貴が居たんです。
「ありがとうな、鹿子木。」兄貴は短くそう言って、周囲の人々をスッと一瞥すると、「皆もありがとう。俺には勿体ない仲間達だ。それと・・・あんたにも。」
兄貴は大男さんの方を見て、「あんたの助言に感謝するよ。」と一言言って、お辞儀をしました。
「なんの。柄にもなく、いろいろと言い募ってしまったよ。」大男さんも兄貴に一礼を返したんです。この人のお辞儀、恰好良いんですよ。
何て言うんでしょうか?気品があるんです。礼儀に慣れていると言うか、丁寧なだけじゃなくて、本気で礼をしてるのがわかるんです。
「なーんかね。私も吹っ切れた感じがするのよ。あんたが死ぬんじゃないかって散々心配してたけど、ここまでの相手に打ち勝って、見事に生き残った・・・・。」シーナさんが眼鏡をクイっと直しながら、兄貴に声を掛けてます。
「見事だったわ・・・。私の悪夢は終わったのかも知れない。そう思えたのよ。あんたの勝利の瞬間を私は見た。」
「そして思い出したのよ。あんたが、必ず自分の事、生命や安全を最後の最後って考える男だったってね。そんな人をもう一度失うかも知れない。そう思ったから私の悪夢はぶり返した。けれど、あんたは死に打ち勝ち、恐るべき相手を打倒した。」シーナさんも大男さんに一礼をしました。
大男さんのまたしても素晴らしいお辞儀。
「あんたは過去に敗北したかも知れない。私は未来で敗北した。けれど、もう一度チャンスが与えられた。その事を素直に喜ぶべきなんでしょうね。」
「この戦いも、殺し合いじゃなくて、試合にしてくれたから勝てたんでしょうけど。それでも嬉しい・・・。これは本心よ。」そんな晴れ晴れとしたシーナさんの姿を、マキアスさんも嬉しそうに見ています。
「ところで、タキさん・・・・。貴方がもし今後も兄貴に挑んで来るのなら、試合の形にした方が良いですよ。」俺は、深刻な顔をしながら、兄貴を見つめているタキさんに言いました。
「余計なお世話さ。俺達の目的と、俺達が目指している仕事については話したとおりだ。けどな・・・。」
「お前等に、これだけ丁寧に情報を与えたのは何故だと思ってるんだ?」タキさんはそう言ったかと思うと、俺達から少し距離を取りました。
「お前等が、あのカーリの先代の事を保護してるのは知ってる。けどな・・・・あの女は大事な事は隠してるんだぞ。あの女は言ってたんだ。自分こそがカーリを利用しているともな。」
「俺も爺さんも、その他の仲間達も、あの女の言う事をほぼ理解できなかった。議員には、サリアベルの身代わりとして寺院の尖塔に幽閉する様に掛け合って、最前まではそうしていた訳だがな、あの女はどうやってか知らないが、自分の事をサリアベル自身だとフルバート伯爵に誤認識させてたんだぜ・・・・・。」
「お前さん達も、何か認識を操られたりしてるんじゃないかと疑うべきだと思うね。」
これって、タキさんは本気で俺達を心配してるって事なんでしょうか?
「それは君が勘違いしているのだと、我は思うよ。」大男さんが発言しました。
「それはカーリ、つまりは、サリアベル自身の工作だったのだろう。」
「サリアベルはカーリに、サジタリオ王子はラジャになる。だから、当初は空っぽの尖塔にサリアベルが依然として住んでいて、サジタリオ王子は自分達が謀殺した。そうフルバート伯爵その他に思わせる。」
「そして、アリエル姫は変わらずフルバート伯爵に狙わせる。ラサリアの実権を握る様に唆し、いつか、次のカーリの苗床であり、完全なるカーリとなる子供をアリエル姫に産ませるために策動させる。当初の計画はそうだったんだろうね。」
「彼も、そう言う策動に乗せられてる訳だ。」肩の上の血まみれの小男をぶっとい指で示してます。
「これで、君の知っている事は大体の辻褄が合った事だろうと思う。」
「そもそも、カーリと言うのは、神器、それも複数の神器の集合体と言って良い。塔の中に隠れ住んでいたあの女性は、それらの幾つかを盗み、サリアベルを出し抜いたのだよ。」
「・・・・・マジかい?」タキさんが言うと「マジだよ。」と大男さんが答えます。
「あのですね・・・・。」俺は二人に問い質す事がありました。
「貴方がたは、二人揃って狂言回しって事でよろしいのでしょうか?」
「狂言回しって何だよ、それは?」タキさんは戸惑っています。
「まあね・・・。」大男さんは悪びれる風もありません。
「うーん、タキさんは聞いてなかったんですかね?この世界はゲーム世界なんすよ。つまり、異世界人が、世界を冒険して回る為の、大きな大きな舞台って事です。」俺は説明しました。
「おいおい、それじゃあ、俺達は、誰かを楽しませるためだけの存在って言いたいのか?お前はよ?」タキさん、マジ切れ寸前ですが、それを見る兄貴の生類憐みの眼差しが、シーナさんの妙に優しい眼差しが、マキアスさんの困った幼児を見る目付きが。
ちょっと可哀想でした。
「タキ様・・・・。」その時、アリエル姫が突然お声掛けしたのですよね。
それを聞いて、お姫様の映像に目線を向けたタキさんは、ドギマギしながら狼狽しています。
「は、はい、姫様。わ・・・わたくしめに、なんぞの御用でもありますのでしょうか?」
「いえ・・・。貴方様のお振る舞いが、先日のわたくしの振る舞いととても似ておりましたもので。」目を伏せて、俯くアリエル姫の様子に、タキさんはあんぐりと口を開けています。
「アリエル姫様は・・・この世界が、その様な代物だと信じておいでなのでしょうか?」
「はい。信じがたい事ですが、わたくしどもは皆造り物であり、絵本の中の登場人物同様に、どなた様かのお楽しみの為に創造されたと、今では理解しております。」アリエル姫の寂しそうな笑い顔に、タキさんはマジで驚愕していました。
「じゃあ、なんだよ!俺達の戦いは単なる茶番で、レンジョウやカナコギ、お前ぇ達みたいな連中の楽しみのための・・・。」その時のタキさんの表情と来たら・・・。
「もしかしてよ・・・・・。」悲しみを通り越して、無表情になってました。
「俺達が、お前達の楽しみの為に、精々頑張って、勝っても負けても楽しかったね。そんな見世物芝居の闘技みたいに・・・使い捨てられ、消費される存在だって言いたいのか?」
「俺はそんな事は思っていないぞ。」兄貴がしっかりした声でタキさんに話し掛けました。
「この世界に俺は迷い込んだ。その後の事は知ってるだろう。俺がどんだけ酷い目に遭って来たかの一端も知っているだろう。そこの盗賊の親玉には危うく殺され掛けた。しかも数度に亘ってだ。」
「おまけに、例のカオスノード。それよりも更に手酷い今回の彼との戦い。」
「この世界には大きな謎があるのだそうだ。そして・・・多分だが、俺以外の沢山の元の世界の人間が訪問し、その内の何人かは、記憶を操作されてこの世界の人間だと思い込まされていた。」
「ここに居る男女の内、俺と鹿子木以外の全員がそうだ。」
「しかも、俺はこの世界で死んだらそれまでの運命らしい。」
「俺に取っては、この世界はゲームじゃない。それにな・・・。」
「今までの俺の抱いた感触では・・・・。お前達も、別世界から来た者達なのかも知れない。あるいは、別世界との繋がりがあるのかも知れない。」ここで兄貴は俺からタキさんの武器一式をぶら下げたベルトを受け取りました。
「ほら、これを受け取れ。お前を釈放する。別世界での俺よりも随分先に釈放されるんだ。お前は運が良いぜ。」と自嘲してから。
「俺達から聞いた事を、全部仲間とタウロン陛下に復命しろ。今後の参考にすれば良い。」と言い渡しました。
「なあ、これで良いよな?」と兄貴はシーナさんに一声かけました。
「あんたの好きにすれば良いのよ。アローラも異議はないわよね?」シーナさんも反対しませんでした。
「レンジョウの思うとおりにすれば良いのよ。あたしはレンジョウの指示に常に従うのよ。」と一決されてしまいました。
「じゃあな。」と兄貴が言うと、タキさんは踵を返して、階段まで突っ走って行きました。凄い勢いで階段が踏まれる音がします。
「甘いけど、これがレンジョウって言えばそうなんだよな。工兵隊が襲われた時もレイヴィンドの時も撃退した敵を追撃とか考えもしないし。お前の頭の中って、戦いは全部喧嘩かスポーツなんだろうな。終わったらノーサイド、遺恨一切ありませんとかね。」マキアスさんも笑ってます。
「それにしても、レンジョウも気が付いてたんだ・・・。」シーナさんが兄貴の方を向いて一言そう呟いたんですね。
「・・・・・。それはアリエルの事か?」と兄貴も応じました。
「・・・・・。」
「つまり、お前も俺と同じ考えか。この世界がゲームとして、物語の中核はアリエルである事。」
「そして、アリエルも俺達同様に、元の世界に存在する。存在していた人物だろうと言う事だな。」
「流石ね・・・。」シーナさんの返事は兄貴の推理に賛成すると言う意味なのでしょう。
「それはどう言う事なのでしょう?」驚いたのは、当のアリエル姫でした。
「詳しくは帰ってから話す。その間、俺達もいろいろと情報を整理したいんだ。」兄貴はそうとだけ言って、会話に応じようとしませんでした。
しかし、短時間の間で、俺はたくさんの意外で驚くべき人々の姿を見ました。
勝利しながらも俯いて涙を流していた兄貴。
道中の大変な錯乱を乗り越えて、敗北した未来?の記憶を超克したシーナさん。
名誉ある敗北の後は、いろいろと世界の事を教えてくれ始めた大男さん。
兄貴の勝利に貢献しながらも、戦いに同行するのを許されず泣いていたアローラちゃん。
シーナさんにほのかな思いを抱いていても、兄貴との間には到底割り込めそうもないマキアスさん。
勝負にすらならない勝負で未だに流血中の盗賊さん。
この世界の真実の一端を知らされて、それをどうにも認められないタキさん。
みんな立派な人達だと思います。
そもそも、戦いに臨んだからこそ、勝ち負けがあった訳です。誰も今回の試練から逃げ出そうと思った者は居なかった。その時点で凄い事だと思います。
だって、試練に臨んだ俺達の心は一つだったって事なんですから。
そして、その戦いを生き延びたのなら、次の戦いをどうするか、戦った相手との関係をどう考えるのか。それは生き延びた者達の責任だと思うんです。
これが戦争とかなら、多分生き延びたとしても、次の選択肢は少ないでしょう。
けれど、兄貴流のやり方だと、マキアスさんの言う通り、喧嘩やスポーツと同じなんですね。
次があるんです。自分にも他人にも。俺はその事が無性に嬉しかったんです。
うん?なんでしょう?大男さんが兄貴を手招いています。
さて、どうやら次のステージが始まるみたいですね。俺も兄貴の傍に居ないといけません。
兄貴の方に駆け出します。いよいよ、今回の冒険のラストステージが訪れた。
俺はそう確信していました。