第百十話 まさかの実名バレ
宿場町に到着した。小さな宿場町なので、ここに大きな市が建つ事はないが、次の町にはそこそこの規模の市が建つし、行商人は頻繁にやって来る。
行商人の運ぶ物資で、宿以外の周辺住民のための商店もそこそこにある。
宿場町には薬師も居ると、事前の調査でわかっている。
「マキアス、買い出しを頼む。」リストを書き出した羊皮紙を渡す。
「わかった。ところで、宿に宿泊は考えてないよな?」ひねくれ者のマキアスは答えの知れた問いをしてくる。
「お忍びの旅で、宿屋に泊まるとかはな。」
「まあな。」この男、いまだに俺の事を勇者ではなく、工兵の仲間みたいに接して来る、そんな感じの数少ない同僚だ。
カイアス元隊長なんかは、俺にヘコヘコして来るんで、俺の方が困っている位だ。
「チーフの具合は、そんなに悪いの?」マキアスの言うチーフとはシーナの事だ。こいつはシーナの事も、諜報機関のチーフとしか考えてない。実際は全てを統括するボスなんだが。
「俺は医者でも魔術師でもない。暴れてたり、取り乱したりしてた時の見てくれだけなら、随分悪そうだったが、眠る前のシーナは、それほど具合が悪そうじゃなかった。」
「ただ、凄い量の食料をペロリと平らげた。それなのに、数時間で更に痩せて来ている。この調子だと、どうなるのか見当も付かない。」
ありのままをマキアスには告げた。
「蜂蜜を小さな瓶でも一瓶呑み下したってのはね。信じがたいけど、確かにチーフには異変が起きているんだろうさ。このリスト以外に、蜂蜜かシロップを追加でごっそりと買っておくよ。」そう言うと、木箱の中からカツラや面相を変えるための道具を取り出して、服の中に詰め物をして、太鼓腹と太った手足の商人と言う感じに変装し始めた。
それに、使い古した背負い袋を背負って、銀貨と銅貨の入った袋を持った。
「行って来るね。」と手を振った彼の手もグローブみたいな年配の男の手になっており、声もそれなりに年老いた深い感じの響きになっていた。
「意外な芸を持っていたんだな。」と感心する事しきりである。
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「おうおう、凄い事やってくれたな。もう、メッチャメチャじゃないか。」クスクス笑いながらスーツ姿の逞しい男が愉しそうに言った。
「ベイリス報道官殿。本日の合衆国に対する大規模なサイバー攻撃をそんな風に面白がるなど、到底軍のアドバイザーとしては見過ごせませんな。」と同じくクスクス笑っている男は更に逞しい。
腕などは”合衆国の良く鍛えた女性の脚”と比べても太いし、長い。彼の同じく長い脚に至っては、惚れ惚れする程の代物であり、それよりも目立つのが盛り上がった肩と服を脱がせたら鎧の様に見えるだろう胸と腹だ。
虎の瞬発力とゴリラの筋力、それに灰色熊のタフネスと持久力を両立させた恐るべき肉体。
「それでカミーユ、今回の一件をどう説明すれば良いんだ?君はそれをアドバイスする為にここに来たんだろう?」ベイリス報道官は朗らかに訊ねた。
「まずは3つの説明を用意しました。1つ目は、カナダで覚醒剤を製造していたマンダリン達が、仲間同士で喧嘩を始めた結果、来るべき対米戦に備えて用意されていた決戦用ウィルスを安易に使用してしまったと。」自分でも馬鹿馬鹿しいと思っているだろうセリフを、一部の隙も無く空軍の制服を着こんだカミーユは口にして見せた。
「却下だ、ギボール君。連中がそれ程のテクノロジーレベルを備えていると喧伝してしまったら、それこそ我が国が舐められてしまう。マンダリンどもに平伏するのは、できればどっかの東方無礼の兄弟国と、毛派聖書の国の過激派くらいに収めておかないと、後々取り返しが付かない。」
ふん・・・と鼻から息を噴き出して、カミーユ・ギボール顧問は続ける。
「では次の説明ですな。連中が世界中に設置していた割れ物の不正OSとバックドアをハードワイヤードされた通信機器類が、来る日の為に用意されていた起動コマンドを一斉誤送信してしまった。」
「うーん、連中が一方的に悪者になる展開か。それも良いな。こっちの腹が一切痛まないのも良いが、それだとやはり連中の優位を認める事になる。それは癪に障るな。合衆国は舐められちゃいけないんだ。被害者の可哀想な合衆国・・・。ふん、柄にもないな。じゃあ、次だ。」
カミーユ・ギボールは頷いて、更に事態の説明(と言うか、用意されたデマゴーグの提示)を続けた。
「3番目については、以前からマンダリン国の製品について分析調査と内偵を行っていた合衆国サイバー攻撃対策チームが、既に複数のバックドアを発見していた。最近発見されたその内の一つが、バックドアに対する一斉攻撃開始命令の発信機能であり、それらが国内外に設置された違法ダウンロードサイトに仕掛けられている事を発見し、そして・・・。」カミーユ・ギボールはベイリスの方をチラリと見た。
「続けてくれ。」
「世界中の国々には申し訳ない事をしたと思うが、合衆国はその国益を防衛するために、敢えてマンダリン国が合衆国との交戦時に備えて、通信インフラの麻痺を目論んで設置した通称ゼロアワーコマンドと呼ばれるシステムを起動する事とした。なんとなれば、そのバックドアによる破壊コマンドは、正規のOSに対しては無害であり、バックドアを持たない通信機器に対しても無害であると判明したからであるのだと。このまま、合衆国の通信インフラにマンダリン製機器が増加し、その低価格攻勢でインフラ内が席巻されてしまう前に、果敢な決断が必要なのだと判断したためであると。」
「ほう・・・。」
「続けます。故に、全世界は、危険極まりないマンダリン国の通信機器、彼等がバラまいている違法OS、違法アプリケーションを廃絶し、同じくマンダリン達の支配下にある違法ダウンロードサイトを根絶しなければならないのです。・・・とね。」
「合衆国は勇気を持って、世界の通信インフラ内に発生しつつあったガン細胞に外科手術を行ったのだと喧伝する訳かね?」
「まあ、そうなりますな。問題は、もしそう喧伝するのならば、何故最低でも大統領の裁可を待たずに行ったのかと言われてしまう事でしょうか?」
「ふーん、そこらはあれだな。軍の内部で独走した馬鹿が居たと大統領には説明しようか。責任を取らせる奴等の選定も必要だろうな。」
「マンダリンの息が掛かった者達、特にサイバー攻撃防衛部門の中に故意に繰り込んでおいたマンダリンのエージェント達がおりますので、それらを不名誉除隊の上でその後いろいろと・・・・。」
「ああ、そっちは任せてくれ。こちらの手駒には、その方面の仕事に特に長けた者どもが多いから。」
「よし!3番目で行こう。良い案じゃないか。」
「無難で穏便なのは2番目であると愚考致しますがね。」
「うん?欧州その他でも手酷い被害が出た事についてかね?」
「まあ、そうです。連中も、相談をあらかじめして貰える事ではないと納得してくれるでしょうが、それでも気分穏やかでない上に、特に地方で多大な通信インフラの被害が出ており、それらの復旧が容易ではない訳・・・・。」
「イングランドはほぼ無事だったんだから問題ないよ。その他の有象無象どもが合衆国に対して不満を抱くと言う事かね?それでも良いじゃないか。飽くまでもマンダリンと一衣帯水のつもりなら、そうさせてやれば良い。」
「まあ、、そうでしょうなぁ。”貴方がた”は、場が大荒れになる展開が大好きですからなぁ。”我々”と違って。」
「全くだね。」ベイリス報道官はそう言って、カミーユ・ギボールに対してウィンクをして見せた。
カミーユ・ギボールは、こりゃ駄目だと言う風に、逞しい肩をすくめて見せ、そのバカでかい両腕とグローブの様な掌を広げて諦めのポーズを取った。
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「これだけあれば足りるかな。後はフルバートまで行くかどうかだ。チーフはまだ目覚めないの?」テキパキと変装を解きながらマキアスさんは大きな袋一杯の食料を椅子の上に置いたんです。
「寝息は穏やかだし、夢の中でうなされている風でもない。」兄貴はそう答えました。
「うん、良い顔で眠ってるね。前より美人になった感じでもある。」そう言うと、マキアスさんは兄貴に顔を向けて、ニヤっと笑ったんです。
「上司をそんな風に見てると、シーナにバラして見ようか?」兄貴もニヤリと笑って返しました。
「そいつは困るな。俺にだって怖いもんはあるんだぜ。」二人で笑ってます。
でも、マキアスさん、気が付いてますね。兄貴とシーナさんの関係に。
「誰が怖いって?」みんな、一斉に声の方を向きましたね。カキって音がするかと思うくらいに、素早く首がそっちを向きました。
「まさに”呼ぶより誹れ”だな。」兄貴がボソッと漏らしたら、マキアスさんは「俺はチーフが前より美人になったって言ってただけでしょう!」と大慌て。
「”悪魔の話をすると、翼のはためきが聞こえる”ってね、外国じゃそう言うのよ。」(。´・ω・)ん?
何気に、シーナさんちょっとだけご機嫌?
「ごめんね。みんなに心配掛けたね。」と言って、起き上がろうとしますが・・・なんと勢い余って、床につんのめりましたよ・・・。しかも、手を突いた床が、凄い音立てました。
メキメキメリ!と言う擬音が適当だったでしょうか?
そして、抱き起そうとした兄貴とマキアスさん、二人とも驚いてます。
「そんなに重い?」と、下を向いたまま、シーナさんが声を発してますが・・・迫力あり過ぎです。
「何があったんだ?お前にはわかるのか?」と兄貴が尋ねますが、シーナさんは身体をゆっくりと起こして、首を振るばかりでした。
「筋力が何倍かに増えている。理由はわかるけど、今は言えない。」ボソッとそれだけを答えました。兄貴流石に黙ってます。
「でも・・・こんな程度じゃないの。本当に極限まで強化されたら。」シーナさんは続けて呟きました。
”もう、人間じゃ無くなってしまうのよ。こんなにたくさん人がいる世界で・・・独りぼっちになってしまうのよ。”そんな声が・・・何故か俺には聞こえて来ました。
シーナさんはもう取り乱してません。泣いたりもしていない。けど、俺も兄貴もマキアスさんも、何故か何かに心を打たれて・・・何も言えないまま、彼女をジッと見つめるだけだったんです。
寂しさ、辛さ、口惜しさ。そんなもののカクテルされた想いが届き、俺達の心の中に波紋を作り、静かに大きく揺らしたんです。
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”普通に食べてるけど、やっぱ、量的には凄いかな。”
道すがら、停留所で食事にした時。シーナチーフとご一緒に頂いたが、話に聞くのと、実際に見るのとでは感想が違う。
前者は”へぇ?”だが、後者は”おお!”の違いだ。
「甘く見てましたね。フルバートまで急がないとダメでしょう。」俺はチーフにそう言ってみた。
「今は手加減されてるから5人前の食料で済んでるけどね。」蜂の巣の形が残ってる堅いタイプの蜂蜜を買っておいたが、そんなのをチーフはムシャムシャと平気で口にしている。
「ところで・・・。」無言で座っているレンジョウに目を向けた。別に彼に話し掛けてるんじゃないが、言いたい事を制止されても困る。
「今は話せないって事でしたが、チーフに起きた異変って、誰が起こしたのかは言えないんですか?」とズバリ切り込んで見た。
「言えないわね。」とチーフは食事を中止しながらそれだけは答えてくれた。
「でも、そうしないといけない理由が、これをやらかした連中にはあったからでしょうね。私も詳しくは知らされてないの。」
レンジョウがもの言いたげにしているが、発言はしなかった。カナコギもだ。
「これをやらかした連中ですか・・・・。チーフの個人的なお知り合いって事でよろしいのでしょうね。深くは聞きません。チーフが言えないってのなら、言えない理由があるんでしょうし。」
そこでレンジョウが口を挟んで来た。
「シーナ、知らされてないって言ったが、お前は誰かと何かについて話したと言う事か?」
「そうね。あんたの言う”運営”の周辺とね。繰り返すけど、今は何も言えないの。」
チーフは、物憂げと言うか、少し色っぽい雰囲気を醸していた。
「察しは付いてるんでしょうね。ええ、今ここに居るのは、いつものシーナじゃないの。カナコギ同様に”あっち”から来たシーナなのよ。」
「つまり、話に聞いていた、レンジョウがやって来た世界のチーフと言う事ですか?」俺は敢えて突っ込んでみた。チーフも話に応じるつもりだろうし。
「そうね。」
「では、貴女は本当のチーフではないと言う事ですか?」
「それが、両方とも私なの。困った事にね。」
「シーナ、お前もあっち側から来たって事か?このゲームは一体何なんだ?」レンジョウが気色ばんでいる。
「レンジョウ・・・。悪いけど、私はあんたの持ち物の本。ライトノベルって言うの?あれを読んだの。面白い異世界の事がいろいろ書かれてたわね。」
「ああ、俺のラノベを読んだんすか。まあ、参考になったんでしょうか?」カナコギが口を挟んだ。
「ん・・・。参考にはならなかったかな。感想としたら、そんな都合の良い世界なんかないでしょうって事だったかも。あんた達も、現実の厳しさはよーく知ってるんだし、いい歳の大人だしね。」
「まあ、そうっすけど。ここって、どんな世界なんすか?このゲーム何が目的で作られてるんすか?俺、もうこのゲームが普通のお遊びのための道具なんて思ってないすよ。兄貴も偶然にここに入り込んだって訳ないでしょう?普通のラノベの世界とはかなり違ってても、ここは電脳世界でゲーム世界なのは間違いないんですし。」カナコギがいつになく饒舌だ。
「そうよ、そして、それが話せない事なの・・・・。それにね、私にだってわからないの。元の世界の私、この世界の私。未来の私、現在の私、過去の・・・古代の時代の私も。」
「レンジョウ、カナコギ・・・・あんた達にも、今後何かが起きるのよ。」
「アリエルについても、私はわからなくなった。彼女が何者なのかが。」
レンジョウは、自分の発言に対して、チーフがまともに答えなかった事に突っ込まなかった。
ただ、表情を見ていればわかる。こいつは、マジで頭が良い。チーフの言葉を咀嚼して、自分なりに解釈しているのだろう。
しかし、彼の相方は黙ってる事を選ばなかった。そのせいで、俺は思わぬ展開に巻き込まれる事になった。その状況に至ったのは、俺の発言も関係していたのだが。
「シーナさん、あんまりアブナイ事を口走ったら、バンされちゃいませんか?」とカナコギが意味不明な言葉を発した。
「BANG?それってどう言う意味?」
「いや、不適切な事をしたプレイヤーが、運営に消されちゃうとか、ゲーム中断されちゃうとか、そんな事っす。」
「私をゲームから外すってのはありえないのよ。」チーフは苦笑している。
「じゃあ、俺はどうなんでしょう?」と聞いてみた。
「マキアスはどうかな?うん?」とチーフは少し考え始めた。
「マキアス????え?」
「今の今まで気が付かなかったけど?あんたは・・・・。」
「藤巻明日香なの?」
「チーフ?藤巻明日香って・・・あ!」
そうだ、俺も今の今まで忘れていたと言うか、思い出す事、理解する事ができていなかったのか?
「なんでだ?そうだよ・・・同じ名前で外見も同じなのに。なんで、俺はチーフの事を?リアルの上司なのに・・・。」俺は目覚めた、気が付いた。
「チーフ?これはどう言う事なんですか?」
「だから説明できないって言ってるでしょう!」とチーフは少し怒っている。
「私だって意外なのよ。まさか、あんたまでこの世界に紛れ込んでるなんて。アバターで顔形が変わってるから、気が付かなかったのよ。」チーフも困惑しているみたいだ。
「あれ・・・・シーナさん、もしかして、マキアスさんのリアルでの実名をバラしちゃったんすか?それってネットのタブーっすよ?」とカナコギが言う。
「いや、実名をハンドル名に使ってる様なあんたが、そう言う事言うかな?」と俺は突っ込んでみたけど、「だって、こうしないと兄貴に俺が誰かわかって貰えなかったんですよ。俺だって、普通はこんな事しませんて。」と言われてしまったんだよ。
「いや、それにしても、このゲーム何なんだよ?それにしても・・・・。」俺は思った事を口にした。
「チーフ、このゲームの運営ってのは、プレイヤーの記憶とか認識とかを操ってるんですね。そう言う事になりますよね?」
「だから答えられないんだって。いい加減学習してよ。」と・・・にべもない返しが来ただけ。
「まあ・・・良いか。チーフがここに居るんだから、これは仕事って事で理解しました。俺も付き合いますよ。でもね・・・・。」
「何よ?そのもの言いたげな顔は?」チーフに睨まれた。
「いや、仕事って事なら、超過勤務手当とか出るのかなと。それが心配になっただけです。」
チーフの返事は「バーカ」と言う一言だけだった。
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「これが?」
「これもなんだな。」
「誰も誘導してなかったのに、スッキリと入り込んで来ましたね。」
「ヴァス!小さなもんだが、俺達の知らないジョンバール分岐点が出て来た。」管制員の一人が大きな声で注意を喚起した。
それを聞いたヴァスは、表面はポーカーフェイスを被ってはいたが、内心では憔悴してるのは誰にでもわかった。
「どこに向かう確率が上がったんだ?」彼は額を揉みながら返事をした。
「相変わらず”正解”の方向です。」
「その先に”ARIEL”が居ないのにか?」淡々と返事は返すが、彼は実は呆然としているのではないだろうか?
彼の考えている事はわかる。肝心かなめの存在が居ない世界にこれ以上向かってどうするのかと言う事だ。
しかし、それよりも・・・その世界では人類が命脈を保っており、その世界線が途切れる事無く未来に、遥かな未来に伸びていると言う事。
それが大事なのではないだろうか?
おそらく、彼もそれには思い当たっている。
彼と自分とは、おそらく同じ事を考えているのだろう。
そう、向かうべき先が未知であると言う事。それが一つ。
もう一つは、向かうべき先、それ自体が、その可能性について否定的であり、その証拠として六番目を送り込んで来た事。
ARIELが見つからない事。
”皆で見つけ出した、希望の未来だった筈なのに。”
だが、そんなのは感傷であり、実際に自分達でできる事は今と同じ事だけなのだ。
”神様・・・。本当にいらっしゃるのでしたら、今の俺達に一言だけ励ましをいただきたいと思います。”
そう、これも繰り言だ。感傷だ。頑固な形に口元を引き締めると、彼は再び自分の仕事に立ち戻った。