第百九話 管制室に霹靂が落ちる・・・・。
「なあ・・・ヴァス。」管制員の一人が困惑した顔で話し掛けて来た。
「どうしたんだい?」ヴァスは多少驚いた顔で答えている。
管制員の男は、実に言いにくそうな何かを思い付いた様だ。
「どうしたんだ?何をそんなに・・・。」
「あのさぁ。シーナのゲシュタルト内を二つのソリトンが周回しているのは間違いないって事だよな?」
「ああ・・・。イレギュラーな事態ではあるけれど・・・。そうに違いない・・んだよな?」ヴァスはチラッと革スーツの男に目を向ける。今度は無視されなかった。
「そのとおりだ。我には感知できている。」
「他はどうなんだ?特に六番目なんかは、更にゲシュタルトが拡大中だろう?そもそも、彼女については、当初の予定にすらなかったキャストだろう?」管制員が訊く。
「・・・・・。」今度は無視された。
「彼女の行動を監視しているメンツからの報告は?」ヴァスがサエに聞く。
「特になし・・・ね。ちょっと変わった行動を取っているのも、ゲシュタルトとのシンクロニティと考えて問題ない範囲内ね。」サエは即答する。
「DVDのファンタジー大作を全作視聴したとか?その程度の報告しか挙がって来ていなかったと記憶しているが?」
「エルフ族の射手の活躍をヘビーローテーションで見ていたらしいわね。でも、エルフ族のアバターを使っているんだから、当然かなぁって・・・。」
「つまり、あの六番目も五番目同様と言う事なのかな?」ヴァスが男に問い掛けるが・・・。
「もう、ここに至って、予定外の出来事にあたふたと慌てる事に意味があるとは思えぬな。」と厳しい決め付け方で迎えられた。
「そうだ。あの六番目にも二つある。しかしだ、それをどうすると言うのか?干渉ならできるが、消す事はできない。ソリトンは消せぬのよ・・・。わかっておろうが。」
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ソリトン、孤立波。
その性質は、通常の波動とは異なる。
どこが異なるのか?
皆が思い浮かべる波動とは、
池の中に石を投げ込んだ時に生じる様な同心円の波動。
あるいは、上下の振幅のある線形の波。
それらは・・・・減衰する。ところが、ソリトンは減衰しない波。
物理的にバランスの究極を極めた波がソリトンと呼ばれる異常な波動の呼び名である。
ソリトンは振幅を大きくすれば加速する。小さくすれば減速する。
それらは、ゲシュタルトの本来の持ち主と、量子論的なリンクが為されている。
ゲシュタルトのオーナーの精神的テンションによって、その振幅は変化するのだ。
我々は、電脳空間内に”大きな海”を設えた。
そこにソリトンを泳がせる。ソリトンは海の中を通り、海水の温度境界を巡りながらその運動範囲の内側に更に波形を描く。
その通過した範囲内がメモリとなり、ソリトンの通過した媒質内に変化を及ぼす。共鳴が起き、励起された運動が生じ、それらはノイマン型コンピューターとは全く違う”意味”での計算を行う。
人の脳と同様の量子コンピューターとしての動作を行うのだ。
ただし、人の脳は、その大半の活動を人体の維持と言う究極の優先順位に使用している。
さて、人体の維持とは何か?
膨大な数の細胞、駆け巡る血液、心臓と言うコマンドを行わずとも動作する動力系の中枢はさておき、新陳代謝と言う複雑極まるシステムの維持を、細分化された細胞群が半自動で行っている動作の複雑さと多様さ。それらは全て脳と言う量子コンピューターが発令するコマンドによって行われている。
想像できるだろうか?現在、2020年代の人類は、各国が躍起になってスパコンの計算速度アップを目指している。
しかし、人が行う”1秒間”の新陳代謝をスパコンが行ったとしてどの程度の時間を費やして行えるのか?
世界第一位のスパコンでも数十分はかかる。
しかも、人の肉体を制御するシステムのAPI(簡単に言うと、細かいプログラムの集合体)は真に複雑怪奇で多種多様であり、いちいちコマンドを出しているのではなく、一気に、恐るべき頻度と速度で発令されている。
どんなスパコンでもお手上げであろう。
そして、今の我等も、完全に知悉していたと思える状況が、与り知らぬ、予期さえできぬ事々の連続が判明するに至って、同じくお手上げとなりつつあるのだ。
我としても、イレギュラーな事態の出来は覚悟していた。
しかし、ここまでの異常事態の連続に・・・嘆息するしかない。
つくづく、恐るべき事に足を踏み込んでしまったものである。
ここにある、本物の量子コンピューター。
数十年先に実用化されるだろうと、
核融合や、重力制御や、超高速航行の宇宙船と同様に、人類が妄想している代物がここにある。
その中身が、我等には制御できない。
いや、できる。我にはできる。だが・・・それをすれば・・・。
我への人類の評価は、真に失礼極まりないものである。
”善行に対して臆病である”と・・・。善行とは何であるのか?
それは、人が自身の勇気を持って、楽ではない道を選ぶ事である。
楽な道は全て悪の道であるとの覚悟を持たぬ者は多い。それ故にこの世は乱れておるのだ。
それに怒りを抱かぬ者は、全て勇気無き者、惰性で生きるだけの愚物。
生きている事と、死んでおらぬ事の区別すらつかぬ者どもであるのだ。
我に操られた人間、悪なる者を、我の力で善を行わせたとして、それは善なる行為であるのか?
我はそれを否と明言する。
我は自らの力を恐れる。自らの力を恐れぬ者が力を揮う事はすべからく悪である。
どんな小さな力であろうと、呵責なく使われる力は全て暴力なのだ。
我にはできる。この状況を変化させる事が。
しかし・・・しかし、その結果は必ず悪なのである。
煩悶し、自問し、ともすれば誘惑に駆られそうになる。
”神”は、何故我にこの様な力を与えられたのか。
歯を食いしばり、書物を読むふりをする我に、救いがもたらされたのは、しばらくしてからの事であった。
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「お久しぶりだね、君達。」
極平板で、抑制が効いていると言うより、あまり感情の起伏が感じられない声が響いた。
「お久しぶりです。」ヴァスが返答した。男の方をまた見たけれど、無視されている。
「君達が抱えている問題について、幾つかの推論と、幾つかの確信に至った解答がある。君達の意向を伺いたい。」声が再び響いた。
「我々の抱えている問題とは、複数のソリトンが複数のゲシュタルト内で周回している現象の事で間違いないでしょうか?」ヴァスが再び返答する。
「そのとおりだ。我等もその件については確認している。」
「では、推論と解答の両方をご提示願いたい。」
「了解した。」
「推論の一つについては、かのソリトンについては、時空を遡行して来た波動ではないだろうと言う事だ。つまり、君達の言う”ヘルダイブ”によって発生した波動ではないのだろう。」
「では、どこから・・・あの波動はやって来たのでしょうか?」サエが訊いた。
「確定的な事象として、あの波動は内部で生じたのだと言う事だ。」
「第5番目のヘルダイバーが、観測した、自分のものとは思えないソリトン。」
「第6番目のヘルダイバーが来訪する以前に生成されていたソリトン。」
何だと?第6番目が来る前に、既にゲシュタルトの構築が始まっていた?
「それらは、量子コンピューターの内部、メモリの海の中で生成されていた事は確定的である。第6番目のゲシュタルトが生成されたタイムインデックスを鑑みるに間違いとは思えない。」
「分子メモリの中で、ソリトンは生成されたと?」ヴァスの問いに声は返答する。
「それよりも、コアの状態を君達は正しく確認できているかね?」
「コア・・・ですか?」サエが幾分間抜けな声でオウム返しを返す。
「左様、コアである。」
「”かの者”が、自分の記憶にある誰かのソリトンを放っていたとしてても不思議はあるまい。」
「”かの者”は、自らと強い絆を持つ者のソリトンの形を記憶している。」
「サエが特定の者と深く結びついているのと同じ事である。”かの者”が何人の者達と深く結びついているのかは不明だが・・・・。」
「相当多いのではないか?」
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「アローラは、レンジョウと出会った時点で独自のゲシュタルトを備えていたと推測される。その後に第6番目の来訪があった。これは確定的である。」
「これは推測であるが、第6番目はその事を知った上でヘルダイブして来た可能性がある。加えて、奇妙な事実が判明している。君達が”正解”と呼ぶ事象の収束点であるが、確率が急低下している。」
管制室の内部に無言の!と言う声があがった。全員が席から立ち上がったり、キーを叩き始めたり、手近な飲み物に手を伸ばした。手をわななかせている者もいる。
それはまさに霹靂が至近距離に馳せ下った様な衝撃であり・・・・。
「こちらでも、現在起きている出来事を精査しているところだが、これも推論になるが、誰か、複数の未来の者達が、計画を大きく変更しようと目論んだ結果である可能性は非常に高い。」
「これは第6番目の仕業であると?」我は尋ねたが、即座に否定された。
「その可能性は著しく低い。第6番目はその変更に関わっている事は確定的であろう。しかし、二次的な影響しか持ちえない。更に大きな影響、致命的な影響を持ちえる存在が”正解”の収束点から欠落したと考えるのが正しいと思われる。」
「それは誰なのだ?」口内がカラカラに乾いて、おかしな声が発せられる。
「”ARIEL”の存在を我等は走査している。そして、現在見つかっていない。」
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「計画自体が破綻したと言う事なのか?」流石にヴァスも青ざめている。
「・・・・・・。」革スーツの男はギョロリと目を見開いた後に、真剣な顔で考え事を始めた。
「アメリカにいる、第6番目の監視班に連絡を取るべきではないか?彼女の知っている事を聴取する事ができれば、状況を把握できるかも知れない。」
「無駄と思われる。これも推論であるが、これ程の計画に大きな影響をもたらす改変に臨んだ者達に疎漏があるとは思えない。現在の第6番目はおそらく何も知らないだろう。」
「何故こんな事が起きてしまったのかを推測できるかな?」ヴァスが問う。
「事象の規序について考察してみた。非常に確率の高い可能性が演繹された。これらの改変は”正解”と呼ばれる収束点を起点として行われている。」
「その前提として”正解”と呼ばれる収束点における”プレイヤー達”に取って、”正解”は不都合なものだったのではないかと言う仮定を提起すると、全ての必然性が充足される。」
声は迷いなく、淀みなく答えた。
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「我の推測を述べて良いだろうか?」革スーツの男が発言する。
「よろしい。」声は即答する。
「この改変をもたらした干渉が、我等の計画への単なる妨害ではなく、理由を説明できない事情が先方にあるのだが、我等の計画それ自体を利用したいと言う意図が存在した場合は・・・・。」
「左様。君達の計画は続行されるべきであろう。スケジュールのとおりに。それを改変を企んだ者達も望んでいる事だろう。そして、これ程の改変について、”正解”たる収束点に存在する”我々”が反対しなかった事についても留意すべきである。」
「この様な事は”我々”の承認なり協力なくしては為しえない。何より、向こう側の”我々”が返答しようとしない事が更に不可解であるが・・・。」
「これ程の事をしでかした者達が、君達の混乱を放置している筈もない。何等かの説明は為される事であろう。待つが良い、”隣人達”よ。”我々”は常に君達の近くに居るのだから。どんな助力も惜しまない。今まで同様に。」
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「近くか。隣人か。我は己の卑小さをつくづくと噛みしめてしまうな。だが・・・それは苦くはない。」
「休憩は終わりだ。更に多くの手の者を呼ばねばならぬ。」革スーツの男は奥の部屋にまた入って行った。
「自力ではないにせよ・・・。俺達の方が人間達より科学技術で先駆者になったのは歴史上始まって以来かも知れない。全く、記者のふりをして、南ドイツまで出向いて、ダイムラーとマイバッハが駅馬車にエンジンを仕込んで走らせたのを見た時には、俺は自分がこんなに興奮する男だったのかと驚いたもんだったが・・・・。」
「そうだったよね。お雇い外国人としてオランダ人に紛れて船員やってたのに、突然お雇い船員を辞めて、他の船に乗ってヨーロッパに帰ったかと思うと、一年後に帰って来て、私にその写真見せて大騒ぎしてたっけ。」
「人類の発明する何かは、俺達を驚かせる、興奮させる。けど、この量子コンピューターも、量子通信機も、俺を興奮させる事は無いな。ただただ、緊張と苦悩があるだけだ。」
「けど、その先には望ましい未来がある・・・筈だったのよね。」
「そこに自信が持てなくなってしまったのはかなり効いてるな。」
「お二人さん・・・・。遂に動いたぜ。あの子が。」管制員が声を掛けて来る。
「二人付いてたよな?どっちからだ?」
「ラムの方だ。繋ぐよ。」
「やあ、ヴァス。久しぶりだね。全くさ。」ラムが挨拶して来た。これは事前に決めていた符丁なのか?
「ああ、しばらくぶりだったね。元気そうでなにより。」符丁を返した。
「積もる話は別の機会に置くとして、今日は仕事の話だ。」やはり符丁だ。
「すぐに替わってくれ。」
「ヴァスおじさま。この時点では初めまして。あたしはここではパトリシアと呼ばれています。」舌っ足らずな女児の声が聞こえた。
「用件を急ぎます。この記憶は揮発性の記憶なので、後で聞き直されても、私は覚えていないの。お願い、聞きそびれないでね。」
「わかったよ、パトリシア。じゃあ、続けてくれるかい?」
「はい、ヴァスおじさま。あたしはヴァスおじさま達がコンタクトを続けていた可能性の収束点からやって来ました。貴方がたが”隣人”の方々から、既に助言を受けている事は”知って”いるの。そして、あたしがやって来たのも”隣人”の方々からの承認済みだと言う事を覚えておいてほしいの。」
「そして、計画は予定のとおりにお願いするの。そうでないと、取り返しは付かないの、これも覚えておいてね。」
「ああ、わかったよ。」
「あたしもいずれ、そちらに行こうと思うけど、今はダメなの。みんな気が付いていなかったジョンバール分岐点が、これから34時間後。レンジョウおじさまが帰って来る直前に起きるの。」
「みんなが気が付いていなかった分岐点?それは?」
「そちらに行ってから詳しく説明するわ。人類を他の収束点では滅ぼしてしまった機械達が、ARIELみたいに自我を持っていた事は知ってるわよね?」
「ああ、パトリシア。」
「でも、その原因はわからなかったんでしょう?」
「そうだ。」
「ヴァスおじさまの今いる時点からは、誰もその原因は観測できなかったからよ。でも、”正解”の収束点からは観測できたの。」
「それは本当なのか?なら、それを阻止出来たら。」
「それを阻止したら、ARIELも完全には造られず、ソリトン量子頭脳を持たない、コマンドに従うだけの機械達になって、それらとの和解は不可能になるの。そもそも、ムーンウォーカーは現時点で製造が始まっているのよね。みんな知らなかっただけで。」
「嘘だろう?それでは何も間に合わなくなってしまう!」
「ううん。間に合うの。いずれにせよ、計画を実行し続ける事でしか、問題は解決できないのよ。それを忘れないで。最後にね・・・・。」
「RUR計画も既に始まっているのよ。機械達の創設者を一掃するのは既定の行動だし、そこは省けないけど、ラストバタリオンが動き始めるのも止められないの。」
「”正解”の未来でも、人類の被害は恐ろしいものだったのよ。シーナさんやお母さんが居た”破滅”の未来程ではないけれど。」
「これから先の未来は、それよりも随分被害を減す事ができるわ。そう判断されたの。だから、あたし達はそれに賭けるべきだと判断したの。簡単ではないけれど、もっと大きな希望に向けて進みたいのよ。」
「わかったよ、パトリシア。とにかく、ヴァスおじさんは、君の言うとおりに頑張ってみるさ。」
「うん、知ってるよ。サエおねえさんもあたしも、ヴァスおじさまがどれだけ強くて賢い人なのか知ってるもの。」
横でサエが笑っている。
「じゃあ、わたしもこちらの用事が済んだら、かならずヴァスおじさまに会いに行くね。あたしの護衛の二人なら、その手配も造作もない事だと思うの。」
「そうかい。でも、君のお父さんは心配するんじゃないかな?」
「ううん、それはないの。だって、未知のジョンバール分岐点って、あたしのパパが死んでしまう事だから。」
「・・・・・・。」
「もうすぐ、パパが帰って来るの。だから、それまでにしておかないといけない事をするわ。」
「・・・・・・。わかった。」
「じゃあね、ヴァスおじさま。サエおねえさんによろしくなの。」
「ああ・・・・。」
****
「ラミーさん、お電話ありがとうなの。あ、これ、量子通信機だったわね。」
ラミーと呼ばれた男は、真剣な顔でパトリシアに語り掛ける。
「パトリシア、君のお父さんは本当に死んでしまうのか?後1日少しで?」
「うん、そうよ。」
「君はそれで良いのかい?私達でできる事ならば、君のお父さんを助けたいと思う。」隣の女性も頷く。
「ありがとう、優しいのね、二人とも。でも、駄目なの。それをしちゃうと、誰もが助からない恐ろしい結末が来るの。あたしも・・・パパは大好き。善良で、夢見がちで、熱心で、一本気で。」
「今回の件も、これから起こる事も、全部お母さんとやり直す許可を貰うため。それだけのために行った事なの。パパは可哀想な人よ。周囲が邪悪な人間ばかりなのに、それと縁を切ろうとしなかった。だから死んじゃうの。」
「こんな未来、知らない方が良かったに決まってる。でも、それを変えてしまう事は・・・単なる利己的なセンチメンタルなの。あたしは一生、パパに赦しを乞いながら生きて行く。この決意に干渉しないで欲しいの。」涙もろいラミーは、ハンカチを涙でボトボトにしている。
「さあ、お二人とも。あたしとパパの最後の時間を水入らずで過ごさせて欲しいのよ。」
護衛の二人はうな垂れながら去って行った。
****
あれ?さっきまで誰かとお話してた様な?それとも、お昼寝が足りなかったのかしら?
ところで、何かしないといけない事があったような?
目に付いたところに、古いDOSで動くノートパソコンが置いてある。
蓋を開き、電源を入れ、コマンドラインを次々と入力して行く。
そんなパトリシアの姿は、半目を閉じて、指先と肘から先だけが動いているようで、見様によっては夢遊病者の様にも見えた。
今は家庭内のLAN環境だけしか使っていない。その様に配線をいじったのだ。
パパのコンピューターのパスワードは”知って”いる。
膨大な数の資料やドキュメント、CADCAMのデータその他特殊なソフトが無いと読み込めないファイルもあるが、その内のどんなファイルにアクセスすれば良いのかも”覚え”ていた。
後12時間少しでパパは帰って来る。
”送信先はお母さんの会社のサーバーに。経由点は教えて貰っている。いちいちダークウェブなんか使わない。”
そして、原本についてはタイムスタンプまで誤魔化しつつ改竄する。
”これだけで半年程も対策を早められそうだわ。”
そんな事を、意識の一部で考えながら・・・・。
恐ろしい速度で行われる作業、作業、作業。
****
「ここまでいろいろと改変事項が発生して来たのだから・・・。もう一つ疑っておくべき事があると思う。」ヴァスが皆に告げた。
「蓮條自身の事だ。例の”勇者召喚”の際に、どんな情報が与えられたのか。精査してみるべきだろう。」
「わかった。手持ち無沙汰だったしな。詳しく調べてみるよ。」管制員が言う。
「ありがとう。」
「定時報告です。MOMオンラインへのサイバー攻撃が毎時200万回を超えました。被害はありません。攻撃の内訳はアメリカ国内50万件、カナダ30万件、中国70万件、韓国30万件、日本国内10万件。その他は少数です。」セキュリティ担当の管制員助手が告げる。
「報復としてケルベロスを使ってよろしい。」ヴァスが唐突な指示を出した。
そもそも、MOMオンラインはサーバーOSそのものが人類の使っている既存の代物ではないのだから、メモリも記憶媒体も市販されている製品ではないのだから。
幾ら通常のウィルスを送り付けても、何の効果もないのであるが、それにヴァスは報復すると言っている。
サイバー攻撃を受けたゲームサーバーが、報復として攻撃すると言う発想も非常に新しいと言うか、そんな暇な事をする様なゲーム業者はいない。のだが・・・。
「ケルベロス?ですか?あんな危険なウィルスを?」助手は驚いている。
「ただし、正規のOSを備え、バックドアの入ってない機材を使っている経由点及びサーバー、PCは除外してくれ。」
「理由を覗ってもよろしいでしょうか?」助手は恐る恐る尋ねた。
「単にムシャクシャしているからだ。他に大きな理由はない。それと、どれだけの被害をケルベロスが与えたかの結果報告が欲しい。」ヴァスは更にそう言う。
「その理由も説明しよう。愚かな連中が如何なる損害を受けたのか。それを知って、多少なりとも留飲を下げる為だ。」
そう、俺達がここまでの苦労や苦悩や煩悶、努力や献身を捧げているのは、愚かな者共の救済の為ではないのだ。まともな考え方の持ち主で、賢く強く、あるいは弱く儚く、その日々を必死で送っている者達の為だ。と、彼は考えているのだろう。
「そう言う訳だ。徹底的にやってくれ。」
「了解しました。適当と思える踏み台PC及びサーバーを選定します。20台を選びました。」
各国に必ず存在する大人気の不正なファイル交換ソフトのホストサーバーに、予め用意してあった踏み台PCからケルベロスシステムがアップロードされて行く。
そして、ウィルスシステムの砲台と成り果てたサーバー達が火を吹き出す。まずは砲台のアクセスログが読み込まれ、そこから攻撃対象をズラリとリスト化して、砲撃が開始される。
その目標までの経由点の使用する機材が特定のメーカーの製品であった場合は数分間後に動作する置き土産が置かれて行く。違う場合はアクセスログにキッチリと生のIPが残留する事となる。後に、当局から愉快な問い合わせがある事だろう。
そして、PCなり携帯キャリアに送られたケルベロスに、それらのOSを調べられる。そして、不正なバックドアがある割れ物のOSであると判明した途端、そのバックドア経由で管理者権限を乗っ取られ、その挙句に・・・・。
通常型のハードディスクを使っていた場合は、ハードディスクに損傷を与える様なオーバートラックの書き込みが起きる。その他にも不良セクタが多数必ず発生する損傷を与えられた上に、内容を消去される。凄まじいガリガリと言う音をたてながら。
SSD等のメモリについては、普通に全部のデータを消して、強力なワイプソフトでデータの復活を完全に不可能とされてしまうだけだ。
経由点のルーターに、サーバー等がノードとなって繋がっていた場合はかなり悲惨だ。全ての機材がお互いに恐るべき負荷で潰し合う様に仕組まれる。プリント基板が過熱して、コンデンサが中身を吐き出すまで痛めつけられる。当然、内部のデータは復活不能になる。
等々、ヴァスの「やれ。」と言う言葉で、了解とだけ答えて、助手は起動コマンドを入力した。
その後の悲惨な経過と結果については、ここでは記述しない。
ただ、ヴァスはその戦果と生じた大混乱に満足したとだけ書いておこう。
そんな暗い満足感を得たヴァスの肩を、後ろから強い力で握る者が現れた。
「帰って来たよ。」
見るからに異相の巨漢がそこに居た。
「待っていたよ。これで、彼の負担は激減するな。」
「あいつは、僕を見るなり”後は頼む”と言い捨てて仮眠室に向かったさ。」
ニッと言う音が聞こえる様な笑い顔を浮かべながら、男は小さな目を更に細める。怖い顔だが、悪意は感じられない。
魁偉と言う言葉を形にした様な男は「じゃあ、これからは僕がやる。大丈夫だ、向こうに居る間に、随分な人数に紐付けはしておいたから。彼は手探りでやってたがな。」と言い捨てて、手を振りながら奥に姿を消す。
「これで状況が良い方に向かうのかな?」ヴァスはサエにそう言うが、サエは両手を挙げて、わからないと言う仕草をした。
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パトリシアは目をパチリと開いた。
「本当にヴァスおじさまは、ケルベロスを使ったのね。」パトリシアは呟く。
「予定のとおりだけど、本来のシナリオにはなかった行動よね・・・。」
労せずして、自分の足取りのほとんどを消す事ができた。
アメリカ国内のデータ通信量はそれ程減っていないが、カナダとアジア全域は凄い有様になっている。日本も特定の業者とその周辺だけが大変な損害を受けている。
「後少しで・・・。」
そう呟くと、また彼女は半眼となって、作業をする機械の様な姿に立ち戻った。