第百五話 とても長い・・・長い
あれから部長に呼び出された。
もう、この男の正体も思い出した。相手もその事を理解しているだろう。
真っ白な髪、山羊の様に長い髭、残忍さを隠せないその目と表情。吐き気を覚える。
「部長、その杖は仕込み杖なのですか?以前はその先に穂先があった様にも記憶していますが?」
我慢する必要すら頭に浮かばない。
「重畳である。君が一番早く折り返し点に到達したね。流石に仕事のできる君らしい。」
「ご満悦のところ申し訳ありませんが、私は貴方に虫唾が走るばかりなのです。早目に用件を切り出して頂けませんか?」
フォルクス部長は薄く笑ったが、その顔付きは邪悪で、目が更に危険な光を浮かべている。
「いよいよこれからだね。君の為のクエストが始まると言う訳だ。」
「それよりも、休暇の最中に濡れ仕事を挟ませる。実習にかこつけてご自分の趣味を満足させる。これって部下の権利を踏みにじった上の公私混同なんじゃありませんか?」
「ふむ、そのかどで上局に訴えてみるかね?」
「いえ、そのせいで何人かの職員が行方不明になったりしたら、組織に混乱が生じますから。」
「カカカカカカ!」およそ人間とは思えない笑い声が、悪意たっぷりの顔の大きな口から迸る。
「あんた、いい加減にしてよ。そろそろ我慢の限界よ。」自分の顔付きが変わって行くのがわかる。
「うん?ちょっと私が喜びを表現しただけで・・・そこまで怒るのかね?」糞、普段の顔に戻りやがった。
「サー・フォルクス。その称号に相応しい礼節と態度をお示し下さいますよう。庶民の私は伏して願います。部長が普段のとおりなら、私としては仕え甲斐を失わずに済むのですが。」
「極力努力してみよう。」そこには冷静な紳士が戻って来ていた。表面上だけだろうが。
「できれば一生努力し続けて下さいな。」
「無理だろうけどね。」
「それで・・・用件は何ですか?長々と盗聴の可能性のある大陸間映像通話を続けている意味は?」
「盗聴なんかありえないさ。試みただけでも下手人を全員消す理由になるだろうがね。」
「だから!ほら、用件よ、用件!よ・う・け・ん!」
「ふん。つまりは、君はもう少しアバターの様子を見た方が良いと思うんだ。今回は君のための重大な分岐点なんだから。」
「あんたの仲間は、たかだかネットゲームの出来事であれ程の得物のパーミッションを与えるって事?頭おかしいんじゃない?そもそも・・・。」
「今の時点であれが要るの?あんな豪勢な代物で何と戦うって言うのさ?」
「さあな。私にもそこらはわからないよ。」正直な顔付きだ。
「ふう・・・・。」
「紳士であり騎士である私からの忠告を聞いてくれ。私なんぞは老齢で君の目から見て男の数には数えられないものかも知れないがね。とは言え、どんな相手であれ、男の前で盛大に鼻息を吹き出すものではないだろう。」呆れた声で注意された。
「あんたが仲間達の狂気を一身に集めて浄化しているのは知っている。けど、私はそれでも、あんたが嫌いなの。」
「それもこれも全体の為だからな。それよりもだ・・・。」
「何でしょうか?」我知らず丁寧な口調になった。この糞爺が言うべき事を切り出そうとしているのが理解できたからだ。
「君の使命は非常に重い。君の存在は比類なく重要だ。君の未来を選ぶ際に間違ってはならない。」
その真剣な眼差しに思わず圧倒されてしまう。
「君は彼に対していろいろと考える事が多いと思う。彼のあの馬鹿げた自己犠牲とかに対しては特に反発を感じているのだろう?」
「・・・・さあ、どうでしょうね。」
「彼は様々な事で多くの負い目を感じている、年齢の割には多情多感な男だ。そんな彼が辿り着いた安息に至る方法が自己犠牲なのだ。それは理解してあげて欲しい。」
「そうね、そんな男だからこそ、私は彼が嫌いなの。そう、嫌いよ。」
なんて男だろう。ここまで上げておいて一気に落とす訳?
「それは彼が君を置いて行ったからかね?」
「あんた、いつからカウンセラーになったのさ?しかも、私をどんどんイライラさせるだけの糞の役にも立たないカウンセラーよ。あんた、本当に最低だわ!」
「そうかそうか、私の事も嫌いか?」
「大嫌いよ!で、これがあんたの言いたい事、用件なの?」
「だが、君は彼の事を嫌いだと言ったが、それならば何故彼の行動に注目しないのだ?それは嫌いではない、無関心なのか?それとも、彼の姿を見るのが怖いのか?」
「・・・・・・。」
「では命令と言う事にしようか。残りの休暇中、気が向いたならばVRヘッドセット着用の上でゲームを”楽しみ”たまえ。」
「わかってはいましたが、本当に貴方は部下の権利を蹂躙する悪い上司ですね。」
「部下の将来を案じての事さ。」穏やかな顔だ。仲間達の狂気を集めたりしなかったら、この人はどんな人格になるのだろうか。
「ところで・・・私の顔に何か付いているのかね?」
「いいえ、部長は常に完璧なお方ですから、そんな事はありませんとも。それにしても、私は部長も大嫌いです。理由があります。」
「理由を伺ってもよろしいかな?」紳士然とした口調と顔付で部長が聞いて来る。
「あんたも奴と同じよ。仲間のために無理をして、そのせいでイカれた行動ばかりを繰り返す。自分を大切にできない奴に、他人を大切になんかできるもんか!」
そんな私の罵倒をものともせず、部長は穏やかに微笑んでいる。
「それは私の中の問題さ。私の実感している仲間への貢献や、仲間が完璧に仕事をこなせた時の充実感。それらはかけがえがないものだ。私の行動は、我々が人間の幸福を研究した結果を応用しただけの事だよ。至極論理的に私は振舞っている、それだけなのさ。」
「・・・・・。」
「君も行きたまえ。彼から学ぶのだ。そして、彼を援けるのだ。」痺れる様な威厳と、確かに感じる共感があった。
「はい・・・。」
「以上だ、健闘を祈る。そして、彼の過去の調査については、こちらから部下に詳細を通知しておく。さあ、休暇を楽しみたまえ。」
それだけで通信は切れた。
ボォっとした虚脱感や酩酊感がある。強度の全く違う人格に触れたせいだろう。
要は、連中のペースで転がされてしまったと言う事なのだ。ちょっとした屈辱感がある。
しかし・・・そうだ、目を背ける訳にはいかない。
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彼女をやり込めてはみたものの、彼女の言う事にも理はあるのだと認めざるを得ない。
自分が仲間達の狂気を一身に引き受ける事を説得する時も、随分と彼等はそれに反対したものだ。
そして、その後に私は彼等とその後ほとんど顔を合わせていない。彼等が私に負い目を感じているからでもある。私自身が彼等に会いたくないからでもある。
会えないのは仕事が忙しいから。そう言い訳はしてみたものの、あの多情多感で感受性の強い面々がそんな雑な言い訳で納得する訳もない。
自己犠牲と言うのは容易いが、それは周囲の者達に違う暗さ、タブーに似た何かを生じさせるのだ。
”これも悪の一種なのだ”と認めざるを得ない。
だが、あの若い連中ならば・・・もっと違う方法で乗り越えて行けるのではないか。
それは年長者が年少者に抱き続ける、儚く残酷な期待なのだろう。
だが、年長者は常に年少者に期待し続ける。
何故ならば、若さこそが希望であり、成長こそが力である。そう人類が脈々と望み続け、年少者達が時に成功する事を、時に期待に沿えずに失敗して来た事を彼等は見続けて来たからだ。
”頼んだぞ。”年長者たるもの、年少者に対して慈悲の心で接しないでどうすると言うのか。
その意味では、彼は正しく年長者の義務を果たしていた。
しかし、道を切り開く事、その更に厳しい役目は変わらず年少者達のものなのであるが。
フォルクス部長は、その後すぐに彼の身辺調査を徹底するように日本在住の部下達に直接命令を下して行った。
ほぼ全てが伝聞による経緯を調べるのであるが、それらを彼に伝達した者達はいずれも詳細に様々な事柄を記憶していたのだから。
”それ程の時間は必要とするまい。”
実際、優秀な部下達の奮闘もあって、過不足のない情報が彼の下に届くまで、実に一日程度しか要さなかったのであるが。
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画面の中の彼女はずっと昏倒したままだ。無様極まりない・・・。
気絶した時に不覚を取ったのか・・・なんと彼に”下の世話”までして貰っている。
女としてはこの上ない恥辱だ。目が覚めたらどんな反応をするのだろうか。
そして目が覚めた・・・様だ。
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「ここは何処なの?」シーナが呟いた。
「フルバートまで後二日の距離だ。お前は半日程眠っていた。」
汚れた下着とズボンは捨てるしかなかった。できたら、この話題は避けたい。
「大変な・・・粗相をしでかしたみたいね。迷惑を掛けてしまったわね。」まだ呆然とした口調だ。
「それは良いんだ。けど、お前は大丈夫なのか?」
「うん。何でこんな事になったのかもわからないけど。それでも、気持ちは切り替えるわ。」
「そうか・・・。」俺はシーナの頭を抱いて、軽く抱擁した。
「わかった事は一つだけ。」シーナはまた呟いた。
「・・・・。」
「わたしは、多分どこかであんたが死ぬ場面に出くわしたのよ。それがどこかはわからないけど。」
「・・・・。」
「今度こそは・・・やらせるもんか・・・。」それは、俺ですら怯む程に、恐ろしい決意であり、響き渡る程の殺気であり、魂から噴き出た危険な何かを感じる、そんな”力ある言葉”だった。
見れば、鹿子木(さっきの下の世話以降、臭気を我慢しながらそっぽを向いている)にすら伝わった様で、奴は身を震わせながら俺達と反対方向を向いている。
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「・・・・・。」こんな女だったろうか。わからない、覚えがない。
幸せな事に、”この女”は蓮條を失った事がないのだ。魂を叩き潰された経験がない。
そもそも、私だってそんな経験はしないで良かった筈だ。
たまたまそうなってしまっただけで。そうならなかった過去だって選び出せた筈なのに。
何故なんだろう。何故、敗残兵の私が呼ばれたのか。その意味がわからない。
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サー・フォルクスの脳裏には、白熱するような強い思念が焼き付けられて行く。
恐るべき意思の力が彼の精神を鋭い爪で引き裂き、凄まじい速度の思考の能力が白熱した光にも似た痛みを与える。生命にしがみ付く執念は精神世界への極度の重い力となって荒れ狂い、壊れた愛がもたらす終わらない痛みが彼の肺腑の働きを止めようとするかに思えた。
”難物だな。細やかな狂気の混入とかとは次元が違う。”
”彼女の精神の大きな、しかも大切な部分が蝕まれているのだろう。真に苦労を掛ける。”
”どうする?可能な限りは彼女を手助けしよう。だが、それはそうとして、今の状態でそちらに送って良いのかな?”
”そのままでよろしい。こちらで何とかしよう。”
”今のままでお願いします。彼ならば対処できると信じています。”
すぐに返事が返って来た。
”わかったよ。そちらも手抜かりなく。”
”感謝する、友よ。”
”ありがとうございます、大切な方。ご無理はなさいませぬよう。”
それだけで会話は打ち切りとなった。
さて、今の自分の有様を彼女に見せたら、見られたら・・・・。
”ますます嫌われますね。”そう思うと、いささか自虐的な快感に似た何かが心に湧き上がって来た。
とにかく、性根を据えて、ひたすらにやせ我慢をするしかない・・・。
冷や汗なのか、脂汗なのか。不明な何かが立派なデスクの上に水溜まりを作り始めている。
これが後どれくらいか続くのだ。思わず顔が引き攣るのをどうにもできない。
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いったんここで中断します。残りはまた後に。