第百三話 フラッシュバック
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小刻みに震えながら俺に抱き着いて来るシーナ。
確か、例の地下室でも同じ様な感じだった。熱にうなされながら、シーナは俺に語り掛けていた。
”死なないで”と・・・・・。
今回も、俺に対して自分を大事にしてくれと言うや、こんな有様になった。
ぐったりとして、浅い息で震えながら俺にしがみついてくる。こんな女じゃないんだが。
”こいつは何者なんだろう?俺の元の世界に居た、あるいは居る人物のアバターなのだろうか?”
そこらは良くわからない。鹿子木が仮の姿でここにいる訳だが、それでも多少信じがたい思いはある。
そもそもからして、俺はゲームだ、ネットだと言う代物に何の意味も価値も認めていなかったのだから。暇つぶしと言うが、それならば、俺はもっと違う方法を取る。
あるいは、それが他人に大きな迷惑を掛けてしまう事であってもだ。俺には臨場感のない何かは不要なのだから。
俺が求めるのは、ひたすらにリアリティだけだ。
あるいは・・・だけだった。
俺はもう誤魔化す事ができなくなって来ていた。
果てしなく善良なアリエル、女性そのものと言うべきフレイア、生命力を少女の形にした様なアローラ。
そして、狂暴そのものの剣術使いでありながら、俺の身を果てしなく案じてくれるシーナ。
そんな者たちをないがしろにして、暴力への衝動に向かえるのか?無理だろう・・・。
俺の心の中に、現実の女達よりもずっと深く、その魅力を浸透させてしまった仮想現実の女達。
実はこんな連中こそが、俺には必要だったんじゃないか。そう思えて仕方がない。
まあ、アローラの場合は、現実世界では法律的にも世間体としてもアウトだろうが。
”それにしても、これがデータとコードだけでできた電脳世界の出来事なのか?”そんな疑問が渦巻く。
そして、極強い寂寥感もある。俺は現実の世界に帰ったとしても、以前の様には振舞えないだろうと、俺はハッキリと自覚していた。
もう、ゴロついた糞餓鬼どもをぶちのめす位では到底満足できまい。
敵を求め、それを地べたに転がす事で満足した毎日。それが大方5年も続き、さりとて、その戦いでも相手を殺さない様に細心の注意を払って来た。
心の底では、少年の頃、青年の頃に受けた敗北の傷を誤魔化すだけの八つ当たりだと、もちろん気が付いていた。
けれど、この世界での悪竜や炎の蛇、あの恐るべき混沌の末裔。奴らは掛け値なしの危険な存在であり、殺さなければ殺される。そう言う存在だった。
心の底では、俺はそんな”わかりやすい脅威”の存在を喜んでさえいた。
”俺はそんなもんが居ない世界に帰るのだ・・・・。”
元の世界に帰れば、俺はどうすれば良いのだろうか。そう考えるとやりきれなかった。
”失格者”、そこに戦場がないのに戦いを求める男。スタローンのランボーもそんな奴だったっけか?
そのランボーにしても、続編以降では無理やりに国家レベルのヒーローに仕立て上げていたな。
”そりゃそうだろう。失格者を失格者として描き続けるなんて無理だからな。”そんな無様な姿の強者なんかは、誰にも需要が無いだろう。誰の胸も悲しみで圧し潰されてしまうだろう。
それにしても、勇者とは、なんと甘美な呼び名だろうとも今、この段になって思うのだ。
勇者の呼び出されたバックグラウンドには、必ず脅威があり、それに対抗し、時には単独や少人数で脅威を排除するために行動する。そんなわかりやすい存在が勇者だ。
”高校の時に習った世界史で、私掠船ってのがあったな。あれだ。天下御免で敵国の船を掠奪できる存在。時には、イギリスの大尉、オランダの中佐、ポルトガルの少尉って感じで、国すらも掛け持ちしていたんだったか。”
そこに脅威があり、そこに人間同士の闘争がある限り、少なくとも、暗闘の場では暴力の行使が御免となる場面が必ずあるのだ。
そうだ・・・あの”地下闘技場”の様な場所も・・・・。
ザルドロンが、俺が召喚されてすぐに語った言葉だが、「これは予言とは違いますぞ。ですが、儂は思うのですよ。この世界に貴殿がやって来たのは・・・存外貴殿自身の意思ではなかったのかと思うのです。」と言うくだり。
俺には、ザルドロンが何故そんな事を確信ありげに口にしたのかが理解できた気がする。
ザルドロンは、俺が自分にできる事をやりたいと言った時に、その俺が本当は戦いを、脅威の排除を心の中で期待している、渇望しているのだと悟っていたのだろう。
”ここがお主の願う場所なのじゃよ。”そう心の中で告げていたのだろうか。
そんな事を、俺は短時間で考えていた。目の前にいる、背の低い何故か”勇者”と数えられる様になった女を抱えながら。
この女をほおっては置けない。そうしてはならないと、俺の心が告げていた。呼び掛けてみよう。
「シーナ・・・。」思いの外優しい声が発せられた。
「・・・・・・。」シーナは震えながら、俺の顔を仰ぎ見る。
「この勝負がどうなるかはわからない。だが、俺はお前の為に全力を尽くす。信じてくれるか?」
そう俺が声を掛けると、シーナは黙って頷いた。そして、変わらず震えながら俺の服を掴んでいた。
まるで、そうすれば俺が死なないで済むと信じている様でもあったが・・・。
俺は過去のフラッシュバックと、今までのこの世界での冒険についての整理がある程度できた。
それは、今後の俺の帰還の後に、更に考えるべき事だったろう。
「兄貴・・・・。」鹿子木が俺の肩に手を置いて呼び掛けて来た。
「どうした?」
「兄貴、考え事してましたよね。フルバートの地下の事じゃない何かを。」こいつ鋭いな。
「多分ですがね。シーナさんも何か考え事してるんすよ。この人の兄貴を案じる様は、どう考えても度を越してますけどね。そして、多分ですが、兄貴を案じている内に、彼女自身の限度も超えちゃった感じに見えるんです。精神的にオーバーヒートした感じです。まあ、普通ならここまでの精神状態にはならないと思いますんで、他の理由もあるんでしょうけど。」
髪の毛を優しく梳いてやったが、シーナは相変わらず震えているままだ。
「兄貴、気が付いてましたか?」と鹿子木が言う。
「何をだ?」唐突な問いに俺は少し困惑した。
「シーナさんはお父さんを刺客によって、お母さんとお兄さんを盗賊の仕掛けた罠で失ってます。」ああ、それで間違いない。
「お姫様が難儀してらっしゃるのは、御両親が揃って寿命を迎えられたから。フレイアって言う妖精の女王様も御両親が亡くなった後に女王になったんでしょう?」
「ああ・・・。」なんでだろう、鹿子木の言う言葉から離れられない気持ちになった。
「そして、俺達もですよ。兄貴もそうですが、俺だって両親が揃って亡くなった上に、親戚が俺の家の財産を狙って、ご丁寧に生前の両親が要らない書付をしてたせいで、後見人達から財産をむしられて、それで故郷を捨てた訳です。」
「・・・・・。」
「これって偶然なんすかね?登場人物で兄貴の周りの人達、みんな孤児なのに、大きな荷物を背負って苦しんでる人達ばかりなんすよ。ザルドロンさんやアローラお嬢ちゃんも、言ってみれば家族のいない人達じゃないっすか。」
「お前・・・・。」俺にはわかった。こいつの言ってる事は何かの核心に迫る言葉なのだと。
「とりわけても、その孤児の中でもシーナさんは兄貴と何か深い関りがあるんです。きっと・・・恋人とか言うレベルじゃない関りなんだと思います・・・・。それがこの有様に至った原因の一つじゃないのかって、俺には思えるんすよ。」
俺は言葉を失った。そうか、俺達には、そんな共通点があったのだと。その事に初めて思い当たった。
そんな話をしている間にも、シーナのヘイゼルの瞳から、大きな目から、枯れないのではないかと思える程に涙がこぼれている。アリエルと言い、アローラと言い、この世界の女達はよく泣いている。しかも、声さえたてずに、震えながら泣くのだ。
元の世界の女達の多くは、涙を武器として、ヒステリックな衝動と、自己弁護の為に涙を流していた。それを俺は哀れだと思って見た事はなかった。ましてや美しいとかは思いの外だった。
「けど、こいつらの涙は美しい・・・・。」俺は我知らず、そうつぶやいていた。
「美しいんですか?」鹿子木は唐突な俺の言葉にオウム返しをする。
「ああ、この世界の女達の涙は美しい。元の世界では感じなかった事だ。」
元の世界で、本当に悲嘆に暮れて涙を流す女達を何人も見た。そして、それらの姿は揃ってただただ痛ましかった。そして、俺はそのフラッシュバックを追い払うためだけに、無益な暴力を揮っていただけだ。
「シーナ、聞いてくれ・・・・。」シーナの顔がわずかに上を向いた。俺の言葉を聞いてくれているのかも知れない。
「俺はいつだって逃げ回ってばかりだった。お前からもアリエルからも、実はフレイアやアローラ達からも逃げ回っていたのかも知れない。お前達全てと深く関わるのが怖かったからだ。俺が見殺しにしてきた沢山の慕わしい人達の事を思い出すからだ。」
「けれど、今回は俺は逃げない。お前もアリエルも、きっと守り抜いて見せる。」
シーナは小さく頷いた。けれど、その身体の震えは今も止まってはいない。
優しく両腕でシーナを抱きしめるが、それでもシーナは震え続けた。
****
この記憶は何だろう?
燃え盛る炎が見える、しかも方々に・・・。
巨大な、そう魔術師の塔ほどもある建造物がたくさんあり、それらは壁が吹き飛び、各階の基部だろう鉄板らしい代物と、瓦礫が垂れ下がり、周囲の四隅にある巨大な鉄の柱が露出している。
こんな建造物は、鉄骨と言うのか?そんな建築方法はわたし達の世界にはない。
誰かが叫び声を挙げているのか?それとも・・・剣呑そのものの風の唸りが耳を驚かす。そして、腹に響く爆轟が・・・。魔術師の火球爆発の呪文でも、ここまでの爆轟は生じまい。
目の前に何か・・・異形の金属製の何かが現れる。機械?あれは機械?
手にした50口径ハブパックガンで三点射撃する。薬室内で消尽薬莢が燃え上がり、更に銃口の超電磁コイルが弾をマッハ15の極超音速に加速する。
自己鍛造された細長い弾が目標の外殻を切り裂いて貫通し、その内部で二回目の変形を遂げて金属製のボディを粉砕してしまう。
この背中に背負っているのがハブパック弾倉、手に持っているのがコンビネーションガン、超電磁コイルとは・・・。自己鍛造とは。それらの意味が聞いた訳でもないのに何故か理解できてしまう。
でも、ここは馬車の中じゃなかったの?レンジョウはどこ?この世界はどこなの?
HUDの内部にアイコンやレチクルが多数、凄く多数表示されている。通信で成功している表示はない。全部真っ赤だ。それでも、味方のアイコンは多数見える。
「蓮條主税の現在位置を。」HUD内部のプログラムに呼び掛ける。
同時に確認する。外骨格の稼働時間は後15分。だからこそ、全員後退を始めているのだ。
「蓮條!突出し過ぎよ!」自分が叫んでいるのがわかる。通信は相変わらず誰とも成功しない。
見れば、蓮條は2個小隊程の敵中で孤立した部隊を援護しているところだ。
彼は突出していた訳ではない。味方の後退に付いて来れなかった部隊を救出しているところなのだ。
この光景自体は見慣れたと言って良い光景かも知れない。
「”月の者ども”よ!”地の者ども”や”太陽の者ども”とは変わらず連絡が取れない。各員伝令として走るのだ。取り残された部隊のすぐ近くに危険な罠が発見された。融合兵器だと推測される。場所を特定する。ここだ!」
私は血の気が引くのを感じた。蓮條が今まさに救助しようとしている部隊のすぐ近くではないか!
「蓮條!」月の者どもの長、あのいかれた女の言う通りに、私は外骨格と自分の手足の動く最大の速度で、防御姿勢など考えもせずに街路を疾駆した。
途中に発見した機械どもには、発見のその瞬間に射撃を加える。途中、ほとんどフルオート状態になり、銃身の溶融が起き、コイルの電源が過熱して不調となり、電力不足で戦闘能力は15%程度に低下した。
しかし、それがどうしたと言うのだ?蓮條の命を助けられるなら、自分の命がどうなるかなんて、度外視だ。彼は、彼こそが人類の希望なのだから。弾もまだ120発残っている!
だから間に合う!だから蓮條は助かる!だから、だから!!
そして・・・爆発は私の目の前で起きた。
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シーナの全身が、瘧の様に震えている。抱きしめた腕の中から滑り出そうな位の暴れ方だ。
「兄貴、シーナさんは大丈夫なんすか?」鹿子木が流石に異常なシーナの様子に驚いている。
俺としては、シーナが馬車の床で頭を打たない様に押さえる事をまず考えた。
鎖帷子越しにでも、シーナの全身が硬直し、わなないているのがわかる。俺はベルトを抜いて、シーナの口に噛ませた。痙攣が起きて、舌を噛んだら大事だからだ。
しばらく、シーナは俺の腕の中で暴れていたが、それが唐突におさまり、グニャリと身体が弛緩して、そのまま気を失ってしまった。
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俺、兄貴には言わなかったんすけど、良く似た有様の人を知ってたんすよ。
その人、薬物中毒で、脳内に残った法律で禁止された薬物の成分が溶け出して、それで幻覚や幻聴を見てしまうんですよね。
何人かで取り押さえて、沈静化するまで待ってたりもしましたが、その間の凄い暴れ方で、押さえてた人達、全員次の日は筋肉痛になってました。
でもって、その押さえられてた人も、程なくして車道に突然飛び出して死んじゃったそうです。
そんな現象を総じてフラッシュバックって言うんですね。でも、シーナさんの場合は薬物でそうなったんじゃない。
多分、彼女の頭の中には、何かの封印された記憶とかがあるんでしょう。
あんまり、ラノベでは出て来ないパターンです。深刻過ぎる現象ですからね・・・。
でも、あの取り乱し方を見ると、シーナさんの中の兄貴に関する記憶って、かなりヤバい代物なんでしょう。
シーナさんは、兄貴が死んでしまった時の記憶なり情報なりを、どこかにしまい込んでるんでしょう。その事は口に出しても、多分よろしくない反応しか出て来ないでしょうね。
これは、俺だけの秘密にしておきましょう。
今しばらくの間は、フルバートの地下探索に心を集中すべきなんでしょうね。
兄貴はおとなしくなったシーナさんを優しく抱きかかえてます。
その姿は、とても慈悲深い、そう優しい父親が眠っている病弱な娘を抱きかかえている様だと、俺には見えたんですよ。
優しげだけど、心の中には不安や悲しみが秘められている。そんな姿に映ったんです。