第百一話 アリエルの真実
それは演劇の最中に見た照明、確かスポットライトと言っただろうか。
それと同じ様に見える。暗い世界の中で、そこだけが照らされて。
シーナもザルドロンも、レンジョウ様のお友達も。世界はそこだけがクローズアップされ、そこだけしか映らない。
そう、知らなかったのだ。月の色の事を。赤、青、緑、黒、そしてわたくしの奉じる白。それらの色の意味をわたくしは知らなかった。
色が混じり合い、色が配列され、それらが世界の美の表面を彩っている事にも。
それらは知識として蓄積されて分析される。そうだった、シーナもその事を当たり前の事として理解しており、わたくしに殊更の意見もしなかった。
あるいは、シーナはわたくしが美を理解していない事を理解していなかったのかも。
”作り物”その言葉が”心”に突き刺さる。そう、作り物のわたくしにも心はあるのだろう。
知らず流していた涙。作り物のわたくしは悲しみを感じている。理解している。
とてもぼやけてしまった民達への愛。民達も作り物なのだろうか。作り物と作り物が織りなす道化芝居が、このわたくしの辿って来た悲惨な戦いの毎日の原因だったのだろうか。
正義とは、善とは・・・。そんな高尚な概念を、白々しくもわたくしが、作り物のわたくしが唱えていたと言うのだろうか。
わたくしが守ろうとしていた命の一つ一つが、異世界の娯楽、とても高度な書物の様な何かの中の創作物。
単に読まれ、消費され、それらが人々の心の中に残っても、それでも単に一つの創作物、しかも娯楽に供するためのゲームの中の記述に過ぎなかったと言う事なのだろうか。
自分でも信じられないけれど、今のわたくしは”頭痛”を感じている。
そうだ、そんな事は今までなかった。何故なら、この身体は”完全に管理された完璧な肉体”だった筈だからだ。
ふと、スポットライトがザルドロンとシーナに当たっているのを感じた。レンジョウ様のお友達にも・・・。
”わたくしの住む世界は、こんな世界だったのでしょうか。実は、わたくしはこの世界を正しく見ていなかったのでは・・・。”
”それどころか、わたくしは世界の何も見ていなかったのではないでしょうか。今の今まで、世界はこんな風だったと思い込んでいただけで。その思い込みを様々に投影していただけで。”
「アリエル・・・・。」幾分小さいですが、大きな胸から発せられる、いつもの様に力強い声が聞こえます。
「はい、レンジョウ様。」その反対に、わたくしの声はか細く、元気がない声でした。その自覚はあるのですが、こればかりはどうにもなりません・・・。
「お前ともっと話をしておくべきだった。疑問を心の中に留めておくだけではなく。もっと話をしておくべきだった。」レンジョウ様の声には、後悔ややるせなさ、わたくしに対する罪悪感。その様な感情がこもっていました。
「わたくしにはわかりませぬ。レンジョウ様のお言葉には、わたくしに対する思いやりの気持ちがたくさん込められているのがわかります。」
「善も悪も、正義も邪悪も。命の大切さを解し、避けえぬ死に対する決意も。知識も、無知も、知恵も思いやりも、愚かさも無関心である事の意味も・・・。」
「たかが作り物に対して、何故にわたくしの創造者はこんな心と知恵を与えたのでしょうか・・・。ただの人形として、オルゴールとして愛でて下されば良かったものを。」
「それが、それがお前の物語だからだろう・・・・。」レンジョウ様がその様に・・・おっしゃりました。
「わたくしの物語でございますか?」そのお言葉に、わたくしは納得ができませんでした。
「シーナをご覧下さい。」わたくしの口から発せられた言葉は、この上なく剣呑な響きでした。
「忠実な父のサイラスは刺客の刃に倒れ、気立て良く優しかった母上のラハイナも、サイラスの遺髪を継いでくれたでしょう兄のライアンも盗賊どもの姦計に堕ちて瓦礫の下で非業の死を遂げました。」
「コンスタンティンとノースポートを除く、ほぼ全ての街の議員たちも、それに従った者たちも、悲惨な末路を辿ってしまいました。わたくしに関わった者たちの多くが命を失い、財産を奪われ、その係累までが恐ろしい仕打ちを受けているのです。」
「そんな悲惨な物語を、どこのどなたが喜ばれるのですか?悩みと苦しみと、報われない努力。そして・・・そして、ようやくやって来た希望の光明である貴方様からも・・・・。」
「わたくしが作り物であると・・・・。」頭痛と眩暈と・・・胸の中で砕けるガラスの様な苦痛が。
涙が溢れる。どうしてでしょう。
どうして、作り物のわたくしにこんな悲しみや苦しみがやって来るのでしょう。
それがわたくしの物語だからですか・・・。そうなるように仕組まれているからなのでしょうか・・・・。
わたくしを・・・創造した、想像したお方はそんなに憎んでおられるのでしょうか・・・。
「そうだとしたら・・・。わたくしの”人生”には、何の意味があるのでしょうか。」
「わたくしは創り主から疎まれ、悲惨な運命を辿るように定められた不幸の申し子であるのでしょうか。わたくしの不幸に巻き込まれて、両親と兄上を失ったシーナにわたくしは一体どの様にして償いをすればよろしいのでしょうか!」
「だからこそ・・・。俺がここに来たんだろう。」レンジョウ様?
「お姫様。俺達の世界のゲームと言うのは、ザルドロンさんが本を例えて言ったのとは違うんですよ。”線形”には進まないんです。」鹿子木さんがそうおっしゃいました。
「”線形”ではない?つまり、端緒から結末までが同じではないとおっしゃるのでしょうか?」
「そのとおりです。俺達みたいな雑魚プレイヤーでも、ラサリアの中の重大ではない事件、特に武力を用いる案件に関与して、その運命を少しずつ変更しているんです。」
「そして、お前の言う希望の光明、決定的に状況を変化させる存在。それが俺だからこそ、俺はここに呼ばれたのだと思う。」レンジョウ様がそうおっしゃいますが・・・。
「そして、閉じれば終わってしまう本の様な。結果が出れば忘れ去られてしまう様なゲームの中の登場人物を貴方様は懸命に助けようとなさるのですか?」自嘲もここまで来れば、下品になってしまうとは思いました。しかし、やめようとはその時には思えなかったのです。
「お前と言う素晴らしい人物を、結果が出たからと言って俺は忘れたりはしない。多分だが、俺の生涯に亘って、お前を忘れる日が来るとは到底思えない。」そう、あのお方はおっしゃりました。
わたくしに何ができたでしょうか?ひたすらに、机に手をついて涙を流す事だけ。止まらない嗚咽に身体を震わせるだけでした。
「貴方様のお言葉を・・・。そのとおりに信じてもよろしいのでしょうか?」
「俺の言葉を信じないのか?それで、お前は幸せになれるのか?」レンジョウ様の方に恐々と目を向けると、常からそうであるように、あのお方はこちらを真っ直ぐに向いておいででした。
「いえ、そのような事は、決してありません。」
「貴方様を信じられないなら、アリエルの”人生”は真っ暗なものとなりまする。」
「俺だってそうさ。お前が何であれ、俺はお前に呼ばれ、お前の為にやって来た。その事は変わらない。そうだ、俺はザルドロンと同じく・・・・お前の為に呼ばれた、お前だけに仕える勇者なんだ。」
ザルドロンが鋭く頷いているのが見えます。
「レンジョウ殿、ありがとうございます。儂では言えぬ、儂ではおこがましい言葉を、お主自身が儂の心から愛する姫様にお伝え下さった事に、儂からは言い表せぬ感謝を捧げまする。お主こそが、真の勇者であり、アリエル姫様の運命の人なのじゃと、儂にはわかっております。」
「勇者って言う事なら・・・。」鹿子木様が何かをおっしゃろうとしておられます。
「シーナさんも、今や勇者扱いになってるって事を皆さん知ってらっしゃるんでしょうか?」
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「わたしが?わたしが勇者ですって?」シーナさんも驚いてますね。
「そうっすね。シーナさんもゲームの中では勇者って事になってます。今のハンサムショートの髪型で、眼鏡着用のすっげーイカしたスタイルの勇者っす。」
「なんなのよ、そのハンサムショートって?」
「シーナさんの今の髪型そのまんまがハンサムショートなんすけどね。ご自覚とかありませんか?」
「短剣を使って、好き勝手に髪を切っただけなんだけど?それがその呼び名になるの?」
「そこはそれ、シーナさんのセンスって事でしょうね。俺の目から見れば、その髪型はハンサムショートなんすけど?前髪はちょっと多くて、襟足は短くて。ストレートのブルネットで、前髪が透けて見えてますんで。」
「そんなつもりはなかったけど・・・・。」
「恰好良いっす!凛々しいっす!いかにも仕事できそうっす!んでもって、メチャ手強そう・・・。」凄いメデューサみたいな瞳に睨まれて・・・俺、ヘタレました。
「つまり、兄貴にお似合いって感じっす。」ハンサムショートって言葉一つでこの激烈な反応。ちょっとこの人沸点低すぎっす。
「要らない言葉で混ぜっ返すんじゃないわよ。それよりもわたしが勇者ってのはどう言う事なのよ?」詰問は終わってなかったすね。
「そんなのは運営に聞いて欲しいっす。」そう答えるしかありませんでした。
そこで突然の兄貴の質問です。
「運営ってのは、ゲームの管理者であり、シナリオライターであり、ディレクターであり・・・。要は一纏めにすれば、この世界を設定した者たちで間違いないな?」
「そうなりますね。」
「そいつらは、時に使命に誘い、時に謎を提示して解かせ、時にストーリーの解説を行う。それで間違いないか?」
「ええ、大筋でゲームとはそんな風になってますね。」
「なら、俺がここに招かれた理由や方法も謎として、答えが用意されていると考えるのは不自然か?」
そこで俺はちょっと考えてしまいました。
「兄貴の推理は、まず兄貴をこの世界に送り込んだのが、MOMオンラインの運営だってのが前提ですよね。たかが不人気のオンラインゲームの運営が、そんな仰天動地の異能を持った連中だとは思えないところがありますが、それでも何故このゲームに兄貴が入り込んでるのかと考えると、ゲーム運営の関係者の誰かが、兄貴を使って、この世界をどうにかしようとしている・・・。」
俺は、多少元気を取り戻したらしいお姫様をチラ見しました。
「いえ、お姫様を見てればわかりますね・・・。つまりは、その誰かはアリエル姫を援けるために兄貴を派遣したと考えるのが正しいんでしょう。」
「つまり、前のめりの姿勢で、ガツガツと俺の使命を果たし続ければ・・・。」兄貴輝いてます。
「そうっすね。何等かの謎の答えが提示される段取りになるかも知れません。」
「それに賭けるしかないだろう。どのみち、俺はそうしない事には気も済まないし、ずっとこのまま、誰かの掌の上で踊る事になりかねないのだから。」
俺は・・・兄貴の事は良く知ってたつもりでした。
けど、この時の兄貴の顔つき程、不敵で、決意に満ち、精気に溢れてて、漲る様なやる気と正義感が噴出してる姿は見た事なかったですね。
思えば、兄貴は不遇な人生の中で、随分といろいろな事を諦めていて、全力で何かに打ち込む事なんか考えてもいなかったんでしょう。
強く優しく、知性の片鱗も、その上品な生まれも、どこか隠せていなかった兄貴でしたが、それでもあの男の中の男みたいな兄貴であっても・・・・それは過去の輝いていた兄貴の抜け殻であり、その本性からすれば、影程度の代物でしかなかったんでしょう。
そこに居たのは、かつてのボクシングのリングに意気軒高として上がっていた兄貴でした。
そして、俺が見て来た兄貴は、相手のボクサーを空中に舞い上げて倒し、その後に自分の所業に恐怖し、遂には夢を諦めてしまった強くても悩みの深い、哀れな男だった訳です。
力と力の究極を競う勝負の世界ですらもはみ出すしかなかった。
人よりも二歩前にいてしまった男。自分と同等の競争相手に出会えなかった悲しい強打者。それが全力で今は何かを成し遂げようとしているんです。
「兄貴、シーナさんをフルバートに連れて行くって事ですが、俺も行きますよ。俺、もう兄貴とは離れないって決めたんです。」
「よし、ついて来い。」兄貴の返事はそれだけでした。
「なんか、女性陣やザルドロンさんにはいろいろ話すのに、俺の時だけは淡泊っすよね。」ちょっとそう思ったんです。
「いや、お前にはくどくど話す必要すらないからな。そうじゃないか?」
「違いないっす!」俺はその一言で嬉しくなってしまいました。
「ザルドロン、あんたに頼みたい事がある。」兄貴はそうザルドロンさんに告げました。
「どんな頼み事なのでしょうかな?」
「この世界のどこかには、俺が来た理由、俺が帰る方法が隠されている。そう言う筋書きで間違いないと思う。だから・・・。」
「それを探せと?なるほど、賢者である儂にぴったりの仕事ですな。」
「それとアリエル、お前にも頼み事がある。」
「なんでございましょうか。」
「お前はお前自身の記憶をもう一度思い起こして欲しい。多分だが・・・・この世界に俺を呼んだ存在はお前と繋がっている。」
「それは・・・・。」お姫様は身を縮めています。
「勇者召喚の魔術ではなく、わたくし自身の記憶をですか?」
「多分、あの女はそのために来たんだ・・・。癪に障るが、あの女が鍵に至る道を知っているんだろう。」
「あの女と申しますと、あのお方なのでしょうね・・・。」
「そうだ。」
それだけのやり取りでしたが、俺はその言葉の意味を知る事になります。その時はもうすぐだったんです。
兄貴はこの世界でいろいろな出来事に出くわしたのでしょう。そして、俺がそこに加わる事で、ループが解けていく。
その緻密な仕掛けに俺はこれから遭遇して行くんです。
本当の冒険、それが今から始まる事を俺は予感していました。