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4話

 翌朝――とすんなり言えればどれほど楽だっただろうか。


 自分にとっての翌朝は決してスムーズにはやってこなかった。原因は当然この部屋だ。

 田舎に打ち捨てられた廃屋のようなこの部屋を、宿として活用している時点で信じられない。補修どころか掃除した様子さえない。隙間風があちらこちらから吹き荒び、埃が舞い、隙間から入ってきた虫たちはひっきりなしに飛び回っている。

 異世界ものの主人公を尊敬したくなる。大抵の異世界は現代より衛生状況が悪いだろうに、初日からぐっすり寝れるなんて、大した神経である。

 しかも昼から空いていた小腹は、夜になっても空腹を訴え続けていた。これ以上金を貸してくれと言えるわけもなく、空腹のまま堅い床に寝返りも打てずに眠れるかと問われれば、俺は無理だと答えよう。


 そんな夜を過ごした後の――翌朝だ。

 

「酷い顔してるけど大丈夫?」


「それは顔の腫れのことか? それとも隈か?」


「んー両方」


 一睡もできなかった俺をしり目に、ぐっすりといびきをかいて寝ていたエミィから、こんな声をかけられるのも何ら不思議なことではない。

 大丈夫じゃないと言ったところで、絆創膏や湿布がでてくるわけでもなし、医者に行く金もない。

 エミィもそんなに興味はないのだろう、少し笑っただけでそれ以上追及することもなかった。


「チェックアウトしてくるから、先に窓から出てって。下で待ち合わせね」


 言われるままたてつけの悪い窓から外に出た。

 眩しい朝陽が顔の傷にじわりと染みて痛い。一階の屋根に足をかけると、どうにもボロい木材は不安定で、平均台から落ちるように腰から地面へと叩きつけられた。

 

「いってぇ……」


 客観的に見て泥棒が盗みに失敗したみたいだ。

 慌てて周囲を見渡すが、人はいるものの、まるでいつものことだとでも言わんばかりに、人々はすぐにこちらから興味を失くし、視線を各々の作業へと戻した。

 昨日は見る余裕がなかったが、よくみるとこの付近には似たようなボロ家が点在している。ここは貧民街らしい。その中ではよく見られる光景なのかもしれない。

 

 この街は貧民街と富裕層が住む住宅街が明確に分けられている。まあその設定を創ったのは、紛れもなく作者(おれ)なのだが。

 

「なに呆けた顔してんの?」


「落ちて腰を打ったんだよ……」


「それで動けないってわけじゃないでしょ、ほら立った立った。とっととダンジョン行くよ」


 宿から出てきたエミィは心配した様子もなく、先導して歩き出す。俺は慌ててその後を付いて行った。


 道の雰囲気は朝だというのに暗い。そしてそれは気のせいではない。明らかに無理な建築が為され、家と家の幅というものがほとんど存在していない。そんな密集地の中の道に光が届くはずもなく、光は家に遮られ朝だというのに夜のように暗い。

 明らかに野宿したであろう人間も見受けられ、道端に自分のスペースを作っているものもいる。彼らから向けられる視線は、獲物を狙うようにギラギラか、死んだようにどんよりのどちらかしかない。


 道を歩いているだけで怯みそうになる俺とは対照的に、エミィは軽やかな足取りで歩を進める。

 

「あんまりフヌケた顔してると舐められるよ。もっと堂々としてな」


 自分の設定したキャラだが、随分と肝の据わった男らしい御仁だ。主人公と喋っている時は、もう少ししおらしかったイメージなのだが。

 大体この腫れあがった顔で堂々としたところで、そんなに意味があるとは思えない。仮にこの状態の人間を俺が見たら、何でコイツはこんなにボロボロの顔で堂々と胸を張っているのだろう、早く病院に行けとしか思わない。

 見かねたようにエミィが言う。

 

「どうしてもって言うなら、近道を止めてとっとと大通りに出るけど、どうする?」


 近道を歩いているということを今初めて知ったし、できれば安全であろう大通りを通りたい気持ちもある。地図を詳細に設定していれば、現在地が分かりそうなものだが、そんなものは作っていない。

 

 ただ、ここでふと思い止まった。


「それなんだが――ちょっと先に行きたいところがある」


「観光なんて言ったらこの場で売り飛ばすよ」


 怪訝そうな表情でじっとこちらを見つめてくる。思わず、やっぱりいいですと言いたくなる気持ちをぐっとこらえる。たとえこの視線を受けてでも確かめなければならないことがある。出来れば行きたくはないが。


「昨日君と出会った場所に――死体を確認しにいきたいんだ」


「……死んでるかは分かんないよ」


「それも含めて、今後の身の安全のためにね」


 俺だって死体は見たくない。しかし顔を見られているし、生きていれば何らかの報復があることは容易に想像がつく。


 それに――記憶が正しければ――彼女の死の遠因はアイツだったはずだ。


 既に作者(おれ)の書いたストーリーからは少しずれている。それはひとえに俺の弱さゆえになのだが。

 本来ならば、主人公は衝動的にアイツを殴り飛ばし、エミィを助けてそのまま宿へと向かった。この時点でストーリー上は生きている。

 だが、俺が今いるこの世界では、随分とバイオレンスな光景が繰り広げられ、頭から流血までしていた。

 殺したいわけではないが、今後のことを考えると、間接的に死んでくれていた方が気が楽ではある。

 

 歩いてみるとそんなに大した距離ではなかった。昨日は1000m走を全力で走ったくらいの気持ちだったが、1丁離れたコンビニ程度の距離しかなかったらしい。

 近付くにつれて、昨日の記憶が鮮明に蘇り、妙に顔の痛みが増してきた。次第に人気も消えていった。

 角を曲がるたびに、鉢合わせしやしないかと、警戒しながら前に進んだ。


 朝方だというのに、その路地裏はより一層暗くジメっとしていた。顔の熱さが蘇る。朝陽もろくに届かないはずなのに、今日起きてから一番の痛みが顔面を襲った。

 ゆっくりと暗闇に目を凝らして見る。人がいた今までの道と違って、ここには何の生気も感じられない。少なくともそこに人影はなかった。

 あったのは、暗闇と同化するように広がった――黒い血溜まりだけだった。


「……なあ、仮にここに死体があったとして、1日で片づけられたりするもんか?」


「そらぁ貧民街(ここ)ではあり得ないね。金目のものでもついてなきゃ、異臭を放ち始めてから、ようやく周りの住人が仕方なしにどっか持ってくもんだ」


 なるほどなるほど、と何度か頷いて、お互いの顔を見つめ、皮肉げに笑い合った。


「……大通り通ろう」


 互いに心中の警戒リストに一人加え、俺たちは大通りへと向かった。


 大通りと言っても、綺麗に整備されているわけもなく、視界の端から端までごちゃごちゃしている。

 活気があると呼べるようなものではなく、雑多な通りだった。

 見境なく腕を引き摺りこもうとする怪しげな客引きもいれば、ガラクタにしか見えないものを路上に並べ売っている露天商もいる。ルールというものがまるで無いような、各々が好き勝手なことをしている印象を受けた。

 かと言って、彼らが目立ったりしないのだ。性別も容姿も人種も、ありとあらゆる人間が存在する。どんな人間もここに混ざれば、個性というものが消えてしまい、風景の一部になり下がってしまう。人を探すという点ではウォーリーを探せより難しいかもしれない。

 

「はぐれたら置いてくよ」


 いつものことなのだろう、初めての光景にきょろきょろする俺と違って、エミィは淡々と雑踏をかき分けて進んでいく。こんなところで迷子になってはのたれ死んでしまう。

 慌てて後を付いて行くと、一際大きな人だかりが見えた。立ち止まっている暇はないが、往来の激しいここで、ど真ん中に居座られたら立ち止まるしかない。

 遠巻きに眺めると、中心には二人の男性の姿。周りはゴミに群がる蠅のように騒々しい。


 こんなイベントは書いた覚えがあるような、ないような。いや、あったか。

 本来相手が主人公であれば、エミィの対応はもう少し柔らかく、急いでダンジョンに向かおうという感じではなかった。これはダンジョンに行く途中に、街をある程度紹介するために、大通りを抜けている最中に起こるイベントだ。

 いわゆる――メインキャストの顔見せイベント。


「――お前は医者でありながら人を見殺しにする気か!?」


 モブキャラが地面に膝を付きながら、大きな声で喚き散らしている。どんな事情があったかまでは設定していないので、イマイチ分からないが。

 鬼気迫る表情をした相手と違って、なぜか白衣を着た若い男はポケットに手をつっこみながら呆れたように言った。

  

「だから、僕は君が治療の対価を払えるのであれば、治してあげようと何度も言ってるだろう? 払えないなら余所に行ってくれよ」


「もう他のやつじゃあ、どうしようもないから言ってるんだ。大体、お前のぼったにも程がある治療費を払えるわけがないだろ」


 医者と呼ばれた男は冷めた目で、相手の胸倉を掴み、ぐっと自分の元へと引き寄せる。


「なぜ、僕が君を無償で助けなきゃいけないのか分からないな。僕が君を助けたところで何の得にもならないじゃないか。僕は報酬を設定していて、それだけくれるならば助けてあげようと言って回っているのであって、報酬を貰えないのに無償で人助けなんてするわけないだろう。事前に僕が報酬について何も知らせずに、この場で無理難題を吹っ掛けているというならば、君の怒る気持ちも分からなくはないけども、そうじゃないわけだろう。個人差はあるにせよ報酬が結構なもんだってことは周知の事実だよ。それを、報酬を用意もせずに頼みこんで、断ったら罵声を浴びせるなんてのは随分と失礼な話じゃないか」

 

 淡々と、朗々と、突き放すように言い放ったその言葉は、紛れもなく作者(おれ)が書いた言葉で、どうしようもないほどに正論だった。

 金がないのに治療を受けようなんていうのは、確かにずうずうしい話であって、にも関わらず相手を糾弾するのは恥知らず以外の何物でもない。

 それを分かっているのだろう、男も何も言い返すことはない。

 

 「いいよ、お金の作り方が分からないってんなら、僕が紹介してあげようじゃないか。治療費をすぐに稼げる方法っていうと……君を奴隷商に生涯契約で売り飛ばすとかね。そんなに治療して欲しいのであれば、僕がその手筈を整えてあげるのも、やぶさかではないよ」


 ひとしきり喋った医師は、満足したのか、胸倉から手を話した。どすんと、舗装もされていない地面に男が崩れ落ちた。脱力したように顔はうつむき、ここから表情を窺うことはできない。

 

 これも、また作者(おれ)が創った悲劇の一つだ。ただの、メインキャストの顔みせのインパクトのためだけに創ったちょっとした悲劇。そのためだけに、俯く男にとって大事な誰かは死んでいくのだ。

 胸の中にずしりと何かが重くのしかかったような気がした。

 どうにかしたくても、どうにもならない。今から俺が金を工面できるわけもない。俺が医師に頼み込んだところで、きっと彼は首を縦には振らない。情にほだされるようなタイプでもない。その性格を設定したのは作者(おれ)なのだが。

 実力行使が通じるような相手でもない。医師はこの世界における最強の一角だ。おそらくこの物語を通して、医師に勝つなんてことは不可能に近い。

 この世界の全てを救うことはできない。今の俺は作者ではなく、ある意味で登場人物の一人に過ぎないのだ。


 ここで医師の機嫌を損ねるわけにはいかない。――元の世界に帰るための重要なキャストなのだから。


 打算的な考えが頭の中をぐるぐるとめぐりめぐる。自分に言い訳をするように、幾多の言葉が浮かんでは消えた。


 だが、何より嫌だったのは――喧騒の中、考えている間に、医師も男も消え去ったことに安堵する自分だった。


 

 

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