1話
すっかり陽は傾き、熱い燃えるような夕日の紅が眩しい。ようやく街らしきものに辿りついた。
森を抜けると街道もないのに、いきなり街が出現したのだ。おそらくは街道がない道なき道を通っていたのだろう。
ただ、驚いたのは街よりも自分の疲労度だ。疲れてはいるが、思ったよりマシだ。もう一歩も歩けないまでは行かない。足が棒になる手前だ。
ここで自分の書いた小説の主人公なら、感動のあまり叫んでいたところだが、人がいる中で叫ぶなんて小心者の俺には出来ない。そんなの危ない奴でしかない。
幸い道端の言語は問題なく聞き取れる。文字だってなぜか読める、とりあえず問題はない。――金がないこと以外は。
この街はお世辞にも治安が良いとは思えない。
「――昨日ぶっ殺してやったよ。あんまり喚くからよ」
「――3日前辺りもそこら辺に死体があったけど、臭かったよな」
「――ここカイナではよくあることだろ」
こんな言葉が飛び交う街の治安が良いわけはない。聞こえなければよかったとさえ思う。
だが、とりあえずそれは置いておこう。それよりも重要なことが他にある。
会話に聞き耳を立てた限りでは、この村か街か知らないがここの名前はカイナというらしい。
ぐにゃりと視界が歪んだ。吐き気がする。というより吐いた。俺がよく知っている名前だ。誰よりも俺がよく知っている名前だ。
うっすらと予感はしていた。落ち着いて、冷静になって、森の長さを飛ばして考えてみる。目が覚めた草原と、黒い狼、そして俺が使っているこの能力。全てを繋ぎ合わせて考えてみる――までもない。カチリとピースは嵌まった。
だって、だとしたらここは異世界でも何でもないんだ。異世界だけど異世界ではないんだ。
俺はこの結論を払しょくしようと、必死に駆けだした。長旅の足は悲鳴を上げているが、そんなものは無視して走り続ける。
景色が流れていく。こんなに速く走れただろうか。その疑問さえも全てを証明するピースでしかなかった。
かすかに女性の悲鳴が聞こえた。聞き覚えはないが、知っている悲鳴だった。この悲鳴が、この時間に、この街で起きることを知っている。
これは最後の望みだ。おそるおそるその悲鳴の主を探した。
そして夕暮れの影に染まる汚らしい路地裏で、それを見てしまった。この風景を俺が書くとしたらこう書くんだ。『筋骨隆々の男が少女の上に跨っていた。少女の表情には恐怖の色が浮かんでいた。これから何が起きるのかは明白に分かった』
だって俺は実際にそう書いたんだから――自分の書いた出来の悪い物語の中で。
この風景も、この悲鳴も、この状況も全部俺が書いたんだ。
膝から力が抜けた。固い、舗装もされていない地面に立ちつくし、自嘲めいた笑いが出た。
「はっ、ハハッ……」
――ここは俺が書いた物語の中の世界だ。