町に着いた!
広大な大海原から朝日が昇る。
その光景を眺める青年の胸には感激と感動が溢れていた。
「…綺麗だ。」
なんの誇張も無い。ただ一言。しかしそれ以外に言葉が見つからない。
つい昨日、異世界で目が醒めるまでは想像することの出来なかった自身の変化に感謝を込める。
徐々に水平線から現れる光の玉は世界を黄昏から七色に染め上げた。
空と海の青…
雲の白…
森の緑…
岩肌の茶…
どれもこれもが美しく、心地良く、愛おしい。
「なんじゃ、朝早くから黄昏おって。」
声のした方を振り返ると薄汚れた布を羽織った少女が立っていた。
風がふわり。少女の髪を撫でる。
彼女の髪の色の名が銀色という事を青年は知る由も無いが、これもまた今見た光景と勝るとも劣らない美しい色だった。
「すまないな、起こしたか?」
「なに、儂もちょいと朝日を拝みたくなっただけじゃ。」
そう言うとジハードは俺の隣によっこらと座った。
「ふむ、まあまあの景色だの。まあ、儂の城の方が上じゃが。」
かっかと笑うジハード。
そんな彼女を見て青年も笑顔になるのであった。
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早めに出発したのが幸いしたのか、道中魔物に襲われる事も無く2回目の休憩の後しばらく歩いた時だった。
「おっ、見えてきたの。」
湾曲した海岸線の先に町が見えた。森ももうすぐ終わりなのか、所々開けてかなり歩きやすい。
「とりあえず町に着いたら服だな。今のままなら即御用になりかねん。」
なんせボロボロの道着の男に布一枚の少女だ。
いや、これは違いますと言ってそうですかとはならないだろう。
「なんか言い訳考えとかないとな…。」
色々と手順を考えながら歩いているとあっという間に町の入り口が見えてきた。森側という事もあるのだろう。兵士達が出入りしている。
少し歩くと高見矢倉の兵士がこちらを指差している。どうやら気付かれたようだ。しばらくすると3人の兵士がこちらに向かって歩いてきた。
「お前達、あの森から来たのか?その格好といい、何者だ?」
口髭を蓄えた上官と思われる男が静かながらも少々威圧した物言いで尋ねてきた。
「私は…リュウ。彼女はジハード。気付いたら森の中で倒れていました。その前の記憶がありません。どうか町に入れて頂けませんか?」
俺は何とか道中で考えた言い訳を述べた。
記憶喪失という事にしてしまえば何を聞かれても分からない、覚えていないで済むと思ったからだ。我ながら単純だが下手に嘘を並べるよりはマシだろう。
「隊長、見るからに怪しいです。剣も持っていますし、危険です。受け入れるべきではありません。」
後ろに控えている一人のフルヘルムが隊長と呼ばれる男に進言する。声を聞く限り女だろうか?女性にしては身長が高いがどこと無しか気品を感じる振る舞いに見える。
「盗賊にでも追われたんじゃないっすか?あの森はたまに盗賊団の慰みモノが捨てられるらしいっすからね。」
カシャンとフルヘルムを開け、気だるそうにもう一人の兵士が話す。無精髭があるがそれ以上に目立つのが目元から頬にかけて縦に出来た切創だった。
「…ふむ…。」
隊長は何かを考えているようでこちらをジロジロと見つめ目を閉じた。
「お願いします。もうわたし達はクタクタで。長居はしません。どうか町に入れて下さい。」
ぺこりと頭を下げる。ちらっとジハードの方を見るとムスリとして明後日の方を向いていた。
事前に話しといて良かった。ここに来るまでにジハードには俺が下手に頼み込むから話を合わせてくれと頼んでいた。プライドが高いジハードはぶつくさ言っていたが背に腹はかえられんという事で渋々納得してもらった。
「いいだろう。ただし、剣は預からせてもらう。中で暴れられては困るのでな。それと少し話を聞かせてもらう。なに、悪い様にはしない。」
おお!と心の中でガッツポーズ。
すると隊長の声色がふと緩み、優しい口調に変わった。
「何はともあれよく生きてあの森を抜けて来たな。凶悪な魔物が潜む所だが、運が良かったのだろう。さあ、来なさい。大変だったろう。服も用意してあげよう。アマンダ!」
「ハッ!」
フルヘルムの女性兵士がガシャンと一歩前に出る。
「お嬢さんの体を拭いてあげなさい。それと支給服を。この青年は私とクリスで連れて行く。」
「了解しました!」
そう言うとアマンダと呼ばれる女性はジハードに歩み寄った。
「さあおいで、安心していいよ。さっきはああ言ったけど形式みたいなものだから。」
そう言うとアマンダはジハードに手を差し出した。
ちらちらとこちらを見るジハードに俺は頷きで返しさあと促した。
一つ間を置いて口を尖らせ、ジハードはその手を取った。
「君もだ、さあ来なさい。自己紹介は後でしよう。」
ともあれ俺達は町へ入る事を許されたのだった。
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兵舎に案内された俺達は一旦別れ、俺は兵舎横の井戸で体を拭いていた。
水は冷たいが、べたりとした汗を落とせるのは気持ちが良い。その後用意してもらった服に着替えて小さな個室に案内された。
しばらく待っていると同じ服に着替えたジハードが、背の高い、赤い髪をした女性と入ってきた。
「えっと…。アマンダ…さん?」
「ん?ああ。そうだ。女の兵士を見るのは初めてか?と言っても記憶が無いんだったな。」
危ねぇ。思わず、『そうです』と言ってしまう所だった。そういう設定だった。気をつけよう。
アマンダが椅子を俺の横に並べてジハードを促すと、ジハードはすてんと俺の横に座るとそっぽを向いてふんと鼻を鳴らす。
「よっぽど酷い目にあったのだろうな。話しかけてもずっとむくれ顔で一言も話さない。」
アマンダはだいぶ勘違いしているようだったが、おそらくアマンダに過保護に扱われてプライドが傷ついたのだろう。
こりゃ後でフォローしないとな。
出されたお茶のようなものを飲んでいるとガチャリと先ほどの隊長が入ってきた。
「よし、だいぶマシな格好になったな。」
手に持った書類を机に起き、隊長が俺達の前に座った。
「さて、まずは自己紹介だ。私はこのシリマリの兵士長をしているバッカスという。彼女はアマンダ。先ほどもう一人いたのがクリスだ。よろしく。」
「よろしくお願いします。リュウです。こっちはジハードと言います。」
ジハードは相変わらずむくれ顔でジロリとバッカスを見た。
「おい、挨拶か会釈くらいしろ。無礼だろ。」
なぜ儂がと言わんばかりの目をこちらに向けるとため息をついてバッカスに向き直り、気持ちばかりの会釈をした。
「いやいや、よほど怖い目にあったのだろうな。それこそ男自身を拒絶していてもおかしくない。君、あー、リュウ君は信頼しているようだ。」
どうやら俺達は盗賊団に慰みモノにされ命からがら逃げ出した事になっているらしい。
慰みモノって、俺も?
「大きなショックを受けて記憶や理性が無くなるのはたまにある事だと報告はある。何よりあの凶悪な森を駆け回ったんだ。それこそこの町にたどり着いたのが奇跡なくらいな。まさに不幸中の幸いだったな。命があっただけ本当に良かった。」
心底俺たちを慈しむ口調でバッカスは目を細めた。嘘をついているのが心苦しい。
「さて、我々としては今後君達の身柄を預かり保護するつもりだ。もちろん食事と寝床を準備しよう。その代わりと言ってはなんだが君達にも少し働いてもらいたい。ここはなにぶん人手不足でな。少ないが給金も出そう。その上で君達の出所も探すよう手配しよう。」
正直驚いた。どんな奴かもしれない身元不詳の俺達を保護した上で身辺の世話までやってくれるのか?いくらなんでも無警戒すぎだろ。
「えっ…と。良いんですか?その…自分で言うのもなんですけど、そんな簡単に俺達の事信用してもらって。」
「なに、半分は俺の勘だがな。君達は悪人じゃない。もう半分はあのアダモレアの森をわざわざ潜って悪事をする程この町は魅力的じゃあないのさ。」
ぶははと豪快にバッカスは笑うが本当にそれで良いのだろうか?
ちらとアマンダの方を見ると腰に手を当て頭に手を当てている。成る程この隊長さんはこんな感じなのね。
しかし、とバッカスは続ける。
「これは強制では無い。紛いなりにも防衛の仕事だし、やりたく無いならやらなくても良い。それでも保護はするし、身元の捜索も手配しよう。正直に言うと君達に監視を付ける人員の余裕もあまり無いのだ。それならば一緒に仕事をした方が一石二鳥だろう?」
「…ああ、成る程。」
すとんと腑に落ちた。どうせ見張らなければならないなら目に届く範囲で仕事してもらった方が効率的というわけだ。
この隊長さん、機転が効くのか不用心なのか、はたまた両方なのかわからない。
「仕事といっても運搬や矢倉からの森の監視よ。危ない事はさせないわ。」
後ろで頭を抑えながらアマンダが説明する。
「ジハードさんは炊事や洗濯とかをしてもらえると助かるんだけど。」
ブッとちょうど茶を啜っていたジハードが吹き出す。
「な、なにぃ!儂に!このジハードに!炊事場に立てと申すか!」
流石に限界だったのだろう。ガタンと立ち上がりアマンダを威嚇している。
「あ、あなた、喋れるの?」
「当たり前じゃ!儂を誰だと思うておる!この世界で最強の…最強の生物の儂に!なんたる狼藉じゃ!」
竜ということは何とか黙ったがやばい。
「お、おいジハード。落ち着け。」
「貴様も貴様じゃ!先ほどからなんたる体たらくじゃ!この儂を従えて!なんたる…なんたる…。」
そこまで言ってジハードの目からポロポロと涙が溢れてきた。よっぽど悔しかったのだろう。ギリギリと歯を食いしばり、両拳を固く握り締めている。
「す、すまん。そこまで嫌がるとは…。」
しどろもどろになったバッカスがどうして良いかわからないように俺とジハードを交互に見る。
「すいませんバッカスさん。少し時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ。おいアマンダ。」
「は、はい。」
二人は一旦部屋を出て中には俺とジハード二人になった。
ジハードは未だに椅子に座らず翡翠の目から涙を流していた。