オレンジ色の土手で
日曜日が終わる。
月曜日が来る。おし、がんばろ!
オレンジ色の陽光を反射して、水面がキラキラと宝石が散りばめられているようである。あぁ、もし本当に宝石があるのだったら、今すぐに、服を放っぽり出して河に飛び込むのに。
はぁ、とため息を吐く。宝石なんて有りはしないし、僕がこの人生で宝石なるものを手に入れられるとも思えない。ちらりと、横目でボロボロになった愛車——自転車の転五郎——を見やる。小学三年生の頃に買ってもらった僕の相棒は、今日の下校途中、突然に悲鳴を上げ、壮絶な戦死を遂げた。「転五郎!」僕が叫んだ時にはもう遅かった。転五郎のチェーンは引きちぎれ、ペダルは破損した。すぐに、この河川敷の草原に寝かせ、点検をしてみたが、とても素人には修復不可能な破損であった。
「いや、でもまぁ、散々酷使したしなぁ……」
修理代は馬鹿にならない。これだけの破損なのだから、相当な代金を請求されるだろう。それだったら、仕方がない。歩いて登校するしかない。自転車で二十分くらいだから、歩いたら一時間くらい掛かるのかなぁ……うへぇ。
土手の草むらに横たわる相棒は申し訳なさそうに項垂れている。いやいや謝る必要はない。お前は十分にやったよ。ご苦労様。一輪のたんぽぽを摘ませてもらい、そっと添えながら、感謝の念を送った。
さて、辺りを見渡すと、左十数メートル先に一人、黒の革ジャケットを着た女性が被っているネイビーブルーの帽子を深々として、顔を隠している。寝ているのだろうか。細身の身体が夕陽に照らされたオレンジ色の草原に調和して、とても画になっているので、思わず見惚れて、しばらく眺めていると、その女性は大きな欠伸をしながら起き上がった。そうして、帽子を上げて、夕焼けを眩しそうに見上げる目は切れ長の美しい目であった。僕は益々見惚れてしまった。それから帽子の女性は近くのたんぽぽを一輪摘んで、自分の鼻のところへ持ってきて、匂いを嗅いでいるような仕草をしていた。
「綺麗な人だなぁ」
帽子の女性に聞こえないくらいの音量で呟く。歳は幾つくらいだろう。僕よりか五つくらいは上だろうか。憧れるな、ああいう大人な女の人。
話しかけてみたい気持ちに駆られるが、まぁ勇気は出ない。同学年の女子と、学校で話すのとは訳が違う。あぁ、こういう場面で突っ込める人間が、彼女のような綺麗な女性と恋仲になれるのだと思うと羨ましい。
…………いや、僕だって、ここで一歩踏み出せば。決心して奮い立ち、女性の元に近づく。別に、ナンパする訳じゃない。少しお話しするだけだ。『今日はいい天気ですね。明日もいい天気でしょう。良かったですね』という感じで。頑張れ、自分! 根性! 根性!
————————————ぱくり。
「えっ!?」
僕は驚きのあまり短く声を上げた。なんと、僕がいくらか近づいたところで、女性が摘んでいたたんぽぽを突然に口の中へ放り込んでしまったのだ。
「ん? なに?」
その僕の声に驚いて辺りを見回した女性が僕の方を向いた時に、ちょうど目が合った。正面から見ても、すこぶる美しい顔立ちで、クールな眼差しとふっくらとした唇が印象的である。
「こ、こんにちは」
にこりと笑ってみせて、挨拶をしてみる。すると、女性もにこりと笑ってくれた。
「こんにちは。どうしたの?」
「い、や……いい天気ですね!」
笑みを返されて、舞い上がりながら、僕は用意していた台詞を少々詰まりつつも言い切った。やった、会話ができた。
「……ん? そうだね、確かに。……あれ、その制服」
「あぁ……これは東高の」
「やっぱり。私、そこの卒業生なの」
おー、意外な共通点。
「あ、先輩なんですね!」
「うん。で、今は、近くの築大の学生」
「え、築大ですか! すごい、有名大ですね! 何を専攻してるんですか?……」
会話が弾み始めた。嬉しくてテンションが上がってくる。しばらく雑談をすると、女性が座りなよ、と微笑んでくれたので、僕は嬉々として隣に腰を下ろした。
「君、彼女いる?」
急にプライベートな質問が来たな、と思いつつも、素直に「いません」と首を横に振った。すると、女性はほぉほぉ、と妙に面白そうにするので、女の人は本当に色恋話が好きだなぁ、なんて考えていた。
「名前は?」
「初野広大です」
「広大くんか……私は、金元夢乃。よろしくね」
金元夢乃さんか。いい名前。しかし、いきなりファーストネームで呼ぶあたり、流石大学生と言ったところか。そしてここで、僕は少し気になっていたことを尋ねてみようと思った。
「金元……さん。あの、気になってたんですけど、さっき、たんぽぽを食べてましたよね……?」
ぴくりと、金元さんの身体が突然に跳ねた。
「あー。見られちゃった?」
その後、金元さんは言って、あはは、と苦笑いする。僕は自分の心臓が少し高鳴るのを感じた。何か、運命的なものを感じた。僕はその運命を確信するために一つ問うた。
「たんぽぽ食べるの流行ってるんですか?」
「えっ? いやいや、普通は食べないよ? 私、貧乏でさー」
恥ずかしそうに笑って、金本さんは 帽子の横から流れる髪の毛を触った。僕は運命を確信した。僕の人生の最大の負い目を共通項として持つ人間との出会い、そして、その人がとても魅力的な女性であったことに胸を躍らせつつ、しかし、それを前面に出して、「運命ですね!」とはしゃぐのは、何か可笑しな話に感じたので、僕はさりげなく、
「あー……僕も貧乏です」
と言った。おまけに、へへへ、と不自然な笑みも添えた。
「……ふーん」
すると、金元さんが僕の顔をまじまじと見てくる。目を細くして、どこか疑わしげな視線だったので僕は慌てて「嘘じゃないですよ!?」被りを振る。
「あはは、疑ってないよ! ふーん、なんか、運命的じゃない。気に入っちゃった、君のこと」
「本当ですか!? 僕も運命だと思ってました!」
金元さんも、僕と同じく、運命的だと思ってくれた。それに感激し過ぎて僕は興奮気味に身を乗り出してしまう。間違いないね! 金元さんは親指を立てて頷く。それから、たんぽぽを一輪摘み、僕に差し出しながら、
「たんぽぽはね、すごいよ! ビタミンとか鉄とかの栄養満点だし! なによりタダだし!」
「へぇ……うわ、にがっ!」
受け取って、口に入れると、とてつもない苦味が舌を襲った。びっくりした。思ったよりも強烈だな。
「まぁ……生食はそこが難点。調理すればマジ美味しいよ! タダだし」
「なるほど、確かに、タダは嬉しい……! 集めれば腹にも溜まりそうだし」
「でしょ! まだまだ、食べられる野草はいっぱいあるよ。今度調べてみて!」
よっこらしょ、と立ち上がって、金元さんは両手を上に思い切り伸ばし、大きく体を反らせて伸びをした。黒のジャケットの下の、白い無地のシャツに慎ましい胸と肋骨が強調されて、正直エロい。
「じゃあ、私はここらで、お暇……うわっ!?」
あー、もう帰ってしまうのか。名残惜しさを感じたその時だった。金元さんは雑草に足をとらわれて、バランスを崩し、僕の方へ倒れこんできたのだ。
「あっ、ごめん!」
「い、いえ!」
倒れてきた金元さんを僕が支えようとして、ちょうど僕たちは互いに抱擁するような形になった。もっと的確に言えば、金元さんが僕に勢い良く抱きつくような格好になった。これは的確に言わないが、柔らかいものが押し付けられるように僕の胸に当たる。
果実でも隠し持っているのか。そう思うくらいに芳醇な香りが漂ってくる。頭がくらくらし、心臓がせわしなくなる。
「大丈夫……?」
「はい、金元さんこそ」
「私は大丈夫だよ! 広大くんのおかげで! ……ねぇ、明日、同じ時間、ここで会えるかな?」
「あ……はい。もちろん」
やった、にこりと笑って金元さんはそう言うと、今度こそ、ちゃんと立ち上がり、そうして不意に帽子を取り、僕に被せると、
「明日! 絶対だよ!」
と手を振りながら、土手を駆け上がって行ってしまった。
その姿が遠く見えなくなった頃、これを運命的な出会いだと確信しつつ、周りに誰もいないことを確認して、帽子の匂いを嗅いだのは、僕の人生史上最大の秘密だ。
***
「あはは」
いやはや、年下思春期男児という生き物は簡単過ぎて、思わず笑ってしまう。ちょっとからかってやっただけで顔が真っ赤だった。もうあのガキは、私のことで頭がいっぱいだろう。私の帽子を抱えて眠り、私の夢を見るに違いない。もしかしたら、私を『おかず』にするかもしれない。
茹でたパスタに塩をかけ、一本一本摘んで、口に運びつつ、私は今後の展開に胸を躍らせた。使いやすく、従順そうな手駒はもう手に入れたも同然だ。完全に籠絡してしまえば、私の意のままに動くだろう。あれはルックスも悪くないし、私の操り方次第で計画は十分に成功する。
「あなたとも、そろそろお別れね、塩パスタちゃん」
人の恋心ほど盲目的で操りやすいものはない。そして、それを操れば一攫千金も夢ではない。私の人生を弄んできた貧乏をようやく克服する時がきた。
あの子も、貧乏なのか。
今日の出会いを運命だと確信しつつ、最後の一本を味わって飲み込んだ。
ありがとうございました!
作者はチェリーボーイなので笑
恋愛経験豊富じゃないですけど、恋愛絡ませた小説書くのが大好きです!
温かい目で見てやってくだせぇ( ・∇・)