漫画らしさ
ラノベらしさはあるが、漫画らしさは無いと思う。これが問題になる時がある。物語全般で見た時にラノベらしさは漫画らしさの純化にあると分かるからだ。
じゃ漫画らしさが無いと言うのは矛盾じゃないか?何かと比較してになる。その最も良い対比されるもモノは文学に成る。文学以外の一般小説と呼ばれるものと文学を区別できる人間は適当だと思う。でもラノベなら誰でも分けられる。
漫画らしさって考えは、文学が基準になってると見てる。じゃ何故漫画らしさは無いのか?漫画はなんでもある。漫画の中で多いものを取り上げると漫画らしさが浮かび上がってくるだけで、それは無理矢理らしさを語るためにすぎない。正直言えば知的な言及とは私は言えないと思ってる。
漫画らしさとは漫画を知らない人間の言葉になる。それは漫画が子供向けで始まってるからだ。だが現代の漫画全般の内容が子供向けだと思う人は誰も居ないだろう?
一般書籍から文学の影響を一切消してしまえば漫画全般になる。実際は文学らしさがあるだけで、漫画こそが物語の土台になる。何故それがすぐには分からないのか?と言うと、文学は基本縛りがあって描かれる場合が多い。漫画ははその点ルールが無い無法地帯に似てる。御伽話しこそが私は物語の基礎で土台だと見てて、文学を特殊形態とみてて、文学の影響を受けた多くの現代の物語はその特殊形態の延長上にあると見てる。
何故文学は読まないのに、文学の影響を受けたものを読みたがるのか?と言うと多分副産物や脇役だと思う。多分文学の主の部分はマニア以外誰も好きじゃない。その矛盾に私はずっと躓いていた。それゆえ文学と非ラノベを分けることは不可能だ。主役と脇役が何か?は私は敢えて書かない。それを書くと多分いやな意味の思考のどつぼにはまるからと見てる。
作家性だ娯楽性だという言葉が独り歩きするが、文学とされないどの一般小説もラノベに較べたら文学に近い。一番簡単なのは文章だろう。私はそれだけだと思ってない。縛りをなくして自由に作ってみれば分かる。その中で失われるものがあるはずだからだ。ラノベはわざとそれを失ってる。漫画は違う。わざとじゃない最初から縛りが無いから自由に描かれるからだ。
基本的に一番重要な縛りはリアリズムだ。客観的で俯瞰的視点から批判的に見るのを否定し無い物語となると、どうしてもそうなるんだ。文学が登場する前にあった古典的な御伽話が何故文学の流れになったのか?で、現実的視点からの突っ込みと言うのがあるんだ。これが客観的批判なんだ。本来リアリズムじゃない。だが、それを突き進めれば自然とリアリズムに集約される。
これが基本の縛りだ。そんなの気にするのをやめれば良い。漫画は古典の回帰だと言ったが、それはラノベだけだ。漫画は文字じゃないが物語としては文学すら扱う。漫画は何をやっても良い。
じゃ何故違うのか?面白さってものに対して自由だ。これが漫画の土台だと思う。後はすべての漫画を扱わないで、文学と対比させて漫画だけに特化したものを選択するとラノベになると言うわけだ。だからラノベには独特の色がある。前も書いたがラノベはラノベらしい作品なんて作ってない。単に商品戦略として後付で選択されただけだ。初期のラノベは単純な漫画アニメの小説化だったから。
非ラノベと漫画に対する差別化の中でじわじわと商品戦略が選択された結果に過ぎない。多分編集もこんな形になると思ってなかっただろう。土台となる漫画をベースに売れるように作っていたらこうなっただけだ。ラノベの定義が簡単じゃないのはそのせいだ。
さてなんでもありの無法地帯で選択される過去消えてしまった御伽話しの面白さとはなんだろうか?まあライトな面白さは前語った。だが、そうじゃないすべての物語の核心に迫る面白さだ。大体分かってるがここで敢えてとめておく。
文学は所詮この上に乗っただけのものだ。だから多くの一般小説が読者受けを狙うと文学マニアからは批判されるんだ。御伽話しにならないように、御伽話のコアだけ使うからだ。批判するマニアの気持ちが凄く分かる。文学からすれば詐欺だからだ。だから文学マニアは商業主義に強烈な怒りを持ってるんだ。多くの人はそれが分かってなくて売上げ至上主義になる。詐欺がだめなわけで、それならラノベや漫画を描けよとなるわけだ。
ここに私は以前から非ラノベの大半は文学よりラノベに近い部分があると書いてるんだ。だが文学マニア以外はこれを知らない。だって詐欺紛いの部分が詐欺じゃないからだ。多分文学マニアと似非文学を好む娯楽作品を好む大衆は価値観が根本的に違う。再度書くがそれについては書かない。
一番の理由は個々の感性でそれは統一不可能だからだ。科学的な視点では答えは無いが、言語を敢えて論理的に使わずに曖昧で幅のあるように使えばそれは統一可能だ。その言葉は誰かが見つけ出してくれれば良い。私はそれほど興味が無い。一番簡単なのはリアリズムだ。だがそれですっきりするほどじゃない。次点で大人の常識。ただそれでももっと突っ込める。そういった理性的なものを超えたものだと見てる。
ラノベと文学を端的に分けるなら。情と知になる。そして文学も知に偏りすぎてるわけじゃない。だから間となる非ラノベは不可分になる。同様にラノベも全く考えないわけじゃない。情と知が入り乱れてぐちゃぐちゃでとてもまともに扱えない。これが非ラノベ私がさすものだ。
中途半端なものが一番扱いにくいんだ。同様に漫画も。ただ漫画は自由だで片付けられるが、非ラノベはそうはいかない。そこが扱いにくい。本来非ラノベは漫画的でなければならないんだ。文学が縛りが強い状態だから。
だから私は何度も真の一般人が読む物語は漫画だと書いてるんだ。一般小説が一般的だってのは、漫画を無視した出鱈目な話なんだ。そしてそれがラノベと他の物語の関係を分かりにくくしてる元なんだ。私が一般小説と言う言葉を嫌って非ラノベと書くのはこういうわけだ。あんな縛りがきついもの一般だと思って無いからだ。今の時代、ハリーポッターが児童書として区別されるのではなくて、当たり前に生まれてくる土台じゃないと一般とはいえない。
平均的に小説より売れてるならそっちが一般的だろう?