第五十四話
ファリィラの背中を見送って、リュオクは門までの道を歩き、門が現れると躊躇いもせずにその中に消えた。
風景が一変して、見覚えのある遺跡に立っていた。崩壊した先史文明の都市の跡が草原のあちこちに散らばっている。
その中にファリィラが立っていた。こちら側に背を向けていて表情は分からないが、遺跡を眺めている姿がどこか寂しげだった。
声をかけようとして上げかけた手を止めた。何かおかしい。
ゆっくりと振り向いたファリィラの表情が、リュオクを見つけてほころんだ。その笑顔は見たこともないくらい晴れやかだった。
「ああ、あなたも来てくれましたか。やっと願いが叶います、……本当に長かった」
嬉しそうに手を打って、その手を天に差し伸べる。
「おい、何をする」
不吉な予感がする、答えを聞いてはいけない気がした。しかし、聞かずにはいられなかった。
「決まっています、この世界に復讐を。そのために故郷を捨てて、力を求めてきたのですから」
ファリィラの体から光の粒が渦巻きながら溢れ出す。その光は徐々に広がって複雑な文様を描きながらうねり続けた。
「止めろ! 自分が何をしているのか分かっているのか」
「勿論分かっていますよ、止める気もありません。母を、皆を殺した世界など存続する必要はないのです。ここできれいさっぱり滅ぼして、またやり直せばいい。今度こそ、愚か者のいない世界で皆が平和に暮らせるように」
内容とは裏腹にファリィラの声は優しかった。
呪源が密度を増し、飽和して所々で閃光を放った。心のどこかで無駄を悟りつつも話しかける。
「今すぐ止めろ。こんなことをしても何も変わらない。無駄に世界が荒れるだけだ」
答えはなかった。呪導が凶暴さを増しながら練り上げられていく。
リュオクはぎり、と歯を食いしばった。握りしめた拳が震えた。
「畜生がっ! 俺はこんなことをさせるために霊峰まで連れてきたんじゃないっ!」
大剣を構えると、ファリィラは差し伸べていた手を下ろして、剣呑な眼差しを向けてきた。
「邪魔をするのであれば、例えあなたでも容赦はしませんよ?」
その言葉が終わらないうちに、白銀に光る槍が飛んできた。まっすぐに心臓に向かって飛んでくる槍を切り払うと、甲高い音を立てて槍が霧散した。
その様を見てファリィラが暗く呟き、周囲の呪源がめまぐるしく動いた。
リュオクは苛立っていた、戦い始めてどれくらい経ったのか。ファリィラの呪導は一向に衰える様子がなく、膠着状態が続いていた。
「なあリィラ、一旦休戦しようぜ。少し頭を冷やせば、自分がどれだけ馬鹿やってるか分かるってもんだ」
苦し紛れに話しかけてみるものの、やはり無反応だった。言葉の代わりに針のように鋭く尖った光の塊が浴びせられた。
それを避けながら間合いを測る。こうしているうちにも、世界を滅ばすために発言させてた呪導は完成に近づいていく。
止めなければならない。リュオクは目の前の少女をみる。最早表情も消えていて、無表情のまま、こうるさい邪魔ものを排除することに徹していた。
言葉も拒否され、話し合うこともできない。だが、切り伏せることなどしたくない。最初は無愛想な世間ずれした呪導師だったが、近頃は言動も柔らかくなって多少は可愛げも出てきた。これから先、まだ長い人生がある少女を切りたくはなかった。
「リィラ、世界をやり直すとか馬鹿なことはやめて帰ろう、な? アマレの婆さんとかスミヤとか、お前の帰りを待ってるぞ」
慕っていた二人の名前を出しても、特に変化はなかった。リュオクは飛んできた攻撃を避けながら、完成しつつある破滅の呪導を見た。もう覚悟を決めるしかない。
「これで最後だ、今すぐその呪導を解け。さもなくばお前を殺す」
突き付けた最後通牒に
「止めたければ殺しなさい」
ファリィラは笑顔で答えた。
リュオクは剣を握り直し、飛撃を放つとその後を追うように突っ込んでいった。
飛撃は呪導によって相殺され散り散りになったが、その後の大剣はあっさりとファリィラを切り裂いた。
肉を切り骨を断つ感触と共に、刃が肩口から水落ちまで一気に通り、ファリィラの動きは止まった。
渦巻いていた呪導は急速に萎んで、辺りは静けさを取り戻したが、リュオクはその場を動けなかった。
ファリィラは慈しむように微笑むと、刃を掴んで体から引き抜いた。
震えるリュオクの手から大剣が滑り落ち、草の上で腕輪に戻った。
風に抱かれたようにゆっくりと、血塗れの体が草原に沈んだ。
絶叫が草原に響き渡った。
「畜生、何だよこれ。何でこんなことになるんだよ!」
やり場のない怒りに、地面を殴りつけながらさんざん喚き散らした。
疲れ果てて喚く気力もなくなって、彼女の弔いをしなければと起き上ってみれば、遺体が無くなっていた。
そんな馬鹿なと周囲を調べるが、遺体はおろか血の一滴すら残っていなかった。脇に落とした呪器はそのままだったにもかかわらず、ファリィラだけが忽然と消えていた。
事態に思考が追い付かず立ち尽くしていると、魔狼が現れて遺跡の上からリュオクを見降ろしていた。睨み返すリュオクを無視して長く尾を引く遠吠えをすると、草原が光に包まれた。
光が消えると、石柱が並ぶ広間に移動していた。少し離れた場所に見覚えのある女性が立っている。リュオクの怒りが再燃した。
「リィラに何をした! なんであんなことになってるんだ、おかしいだろう!」
女性は平然としていて、つかみかからんばかりに問い詰めるリュオクのことなど目に入っていないようだ。
「あれは幻影です、彼女は健在ですのでご心配なく。なぜ、あのような試練を課されるのかは後ほど分かります。もう少しすれば彼女もやってきますのでお待ちなさい」
言葉通り、足音がしてファリィラが魔狼と共に広間にやってきた。




