第五十二話
意識が広間に戻ってきた。リュオクと共に光の消えた鏡を見つめる。
「大崩壊、ですよね。あなたも見ましたか?」
「まあな。本当に数日で壊滅したんだな」
沈んだ表情になる二人。見せられた崩壊の記録はかなり衝撃的だった。
「なぜ、このような物を見せるのでしょうか?」
ファリィラは前にも口にした疑問をまた掘り返す。
「歴史の伝承だろう。正しい知識を残すためじゃないのか? 時間が経てば記憶は薄れるし、書物は書き換えられたり、散逸したりするって前に言ってただろう」
確かに巡礼しながら調べ物していたときにそのようなことを言った気がしたが、リュオクが覚えているとは意外だった。そういう細かい事は気にしない性格だと思っていた。
「あ、お前今俺のこと馬鹿にしただろう」
顔に出てしまったのか、リュオクが不機嫌になった。
「別に何も考えていないですよ。それよりも休んで明日に備えましょう」
二人は広間の端で眠った。そこにゆらりと黒い魔狼が現れ、しばらく二人を見ていたが、また煙のように揺らめいて消えた。
翌日も山道を歩く。
「いい加減飽きてきたな」
瓦礫と岩しかない単調な坂道が延々と続いているだけなので仕方ない。
「確かに疲れましたね。頂上はどこなんでしょう?」
見上げても分厚い雲に覆われていて何も見えなかった。ただひたすら歩いて上を目指すしかなかった。
「今日は魔狼が出てきませんね」
後ろを振り返ってファリィラが呟いた。
「そう言えばいないな。結局あいつ何だったんだ?」
リュオクも首を捻る。
そうして歩くこと数刻、日も中天に差し掛かったところ、麓にあった山門と同じ門が行く手に現れた。
「やっと終わり、か?」
「さあどうでしょうね」
門の手前まで来ると、例の魔狼が現れた。
――よくぞここまで来た 通るが良い――
くるりと背を向けて、門に入って行くと、その姿が消えた。
二人も門をくぐると、空気が一変した。
濃厚な呪源と、豊かな緑に囲まれた東屋が見える。そこに向かってまっすぐに延びる石畳の小道を、魔狼の後を追っていく。
東屋の中には女性が一人佇んでいた。緩やかに波打つ白金の長い髪と薄青い瞳が、薄暗い中で浮かび上がっている。
魔狼が女性に頭をすりよせ、甘えるように鼻を鳴らした。女性はかがんで魔狼の頭を抱えるようにして撫でると、魔狼はすうっと空気に溶けるように消えていった。
「ようこそ、試練の門へ」
女性が二人を東屋に迎え入れた。
「よくここまで来られました。お二人共、お若いのに随分苦労されたのですね」
優しく労われた。
「なぜ、そのようなことが分かるのですか?」
薄青の目が細められた。
「ここに来れたからですよ。安穏と過ごしてきた者に試練の門は開かれませんから。資格のないものはアルロー、さっきの狼です、が追い返してしまうので」
どうやらあの魔狼は、きっちり番犬として仕事をしているらしい。
「俺、切りかかったし、よく追い返されなかったな」
リュオクは冷や汗をかいた。
「それくらいでアルローがどうかなることはありませんから大丈夫ですよ。むしろ、いきなり現れた魔狼を無視する方が問題です」
最初に攻撃されるのは想定の内だと笑っている女性に、二人は微妙な気持ちになった。
「まあ、いつまでも選定者だと気付かずに追い回し続けると、キレたアルローに山から放り出されますけど」
過去にいたらしい。
「話が横に逸れてしまいましたね。ここからは本題です」
女性の顔から笑みが消えた。
「ここに来たということは、力を望んでいるのでしょう。そのために今まで苦労してきたのも分かりますが、それを承知で問います。
あなたは本当に力が欲しいのですか? あなたの望みは力が手に入れば叶うものですか? そのためならどのような犠牲を払っても後悔しませんか? 本当にそれでいいのですか?
もし、少しでも躊躇いがあるのなら、この先に行ってはなりません。ここで引き返してください。
行くのであれば、わたくしからこれ以上言うことはありません。あなた方の心のままに、試練に臨んでください」
そう告げると、女性の姿はかき消えた。
ファリィラは動けなかった。力を手に入れて今の呪導師のあり方を変える。その気持ちは今でも変わらない。どんなに望もうとも、力がなければ何も成せないのだ。
一方で心の隅に疑念があるのも事実だ。力があったからといって変えられるのだろうか。力づくで変えることに意味があるのか。
「どうする? 行くか、やめるか?」
リュオクの声に覚悟を決めた。
「行きます。力を手に入れて、その先へ」
「じゃあ行くか」
東屋を出ると、魔狼のアルローがいた。
――気道士は右へ、呪導師は左に進め――
それだけ告げてゆらりと消えた。
「頑張れよ、リィラ。お前ならどんな試練も越えられる」
「あなたも大丈夫だと信じています。気を抜かないでくださいね、リュオク」
彼の左手を両手で包みこむように持ち上げ、幸運を祈る。
「誰に向かって言っている。お前こそヘマすんなよ」
背中をぽんぽんと優しく叩いて、右の道へ歩きだす。
ファリィラも試練に向かって歩きだした。




