第四十八話
霊峰の麓にある小さな村に、スミヤはためらいもせず入った。
近くにいた村人に村長への取り次ぎを頼むと、すぐに村長宅へ呼ばれた。案内に来た者にジバシリを預けて向かう。
通された部屋には老人が座っていた。挨拶をして向かいに座る。
「よく来なさった。最近は霊峰に登る者もめっきり少なくなっての。いずれはここも閉じることになるかもしれん」
外部との交流もなく、紛争に明け暮れていた影響はここにも出ているようだ。
ファリィラは預かってきた帯布を老人に渡した。老人は帯布を確認すると脇に置いた。
「では、霊峰の試練について説明しようかの。といっても別に大層なことはないが。命を奪うような危険な事はないので、安心して挑むといい。
霊峰が求めるのはあくまで心の強さと正しさ、それを示した者に女神の遺産が開かれる、という言い伝えだ。なにぶんわしは行ったことがないし、帰ってきた者も、霊峰で起こったことについては口外しない誓約を立てるので、話を聞くこともできんのだ。お前さん達にもこの誓約を立ててもらう、何があっても心の中に留めておくように。
あとはひたすら頂上を目指せばいい。持って入れるのは水と食料と着替えと防寒布くらいだ。呪器なども身に着けられる分には持っていって構わない、使う機会はまずないじゃろうが。何か質問はあるかね?」
ファリィラは一つ気になった単語について尋ねた。
「女神の遺産と仰られましたが、霊峰には神が住まわれていたのですか?」
老人はふむ、と頷くと
「神ではない。が、神にも等しい力を持っていた呪師だったと聞く。先史時代の呪師の力は、今の呪師達の比ではないからの。その女性が、ここに自らの力を残した、後世の呪師達が継承出来るように。そして、二度と過ちを犯さぬように」
過ちというのは大崩壊のことだろう、ここにはやはり、先史文明の遺産がある。ファリィラは強く確信した。
「もうよいかの? であれば今日はもうゆっくり休むがいい。明日の朝に山門に案内しよう」
老人が立ち上がり、二人も後に続いた。
あれが割れた部屋で荷物を整理しながら、リュオクは今までの話を反芻していた。どうにも腑に落ちない。霊峰の試練は明らかに呪師の為にあり、道士には特に恩恵はなさそうだ。にも関わらず呪師と道士が一組でなければ試練は受けられない。最初は危険が伴うと思っていたがそうでもないようだ。
護身のための武力が要らないのであれば、道士は必要ない。試練に道士が要る理由、それが気になって仕方なかった。
「まあ、行けば分かるよな。気にしても仕様がないし、寝るか」
引っかかるものを感じはするが、進むのみだと自分に言い聞かせ、横になった。
ファリィラは寝台に腰掛けて、目を閉じた。やっと、ここまでたどり着いた。
力を手に入れて、今の呪導のあり方を変える。本当にできるかは分からないが、少なくとも近づいてはいるはずだ。
自分のような若輩者が何を言ったところで相手にされないのは分かり切っている。それならば圧倒的な力を背景に強引に通すまでだ。
「形骸化した掟も、つまらない制限も、みんな叩き壊してやるのよ」
そうしてこの世界の呪導をもっと自由にしてみせる。そうすればあんな悲劇は二度と起こらない。
「お母様、私はもう自分の無力を嘆くことは致しません。必ず、無念を晴らしてみせます」
決意も新たに窓の外を見る。霊峰はその輪郭を闇に沈めていた。
翌朝、村長に山門まで案内された。スミヤも付き添いでついてきた。
「わしが案内できるのはここまでじゃ。これ以降は二人で乗り越えていきなされ」
「頑張ってね。カナワで待ってるから」
スミヤと老人は来た道を帰って行った。姿が見えなくなるまで見送って山門を見上げた。
壮麗な彫刻を施された門が、細い山道にでんと立っている。両側はがら空きなので、脇から通れるのではないかと邪推して回り込んだリュオクは途中で跳ね返された。
「結界が張られているので無理ですよ」
門を通らずに山に入ることは出来ないようになっていた。
「地味に高度な呪導が使われているな。結界の起点はこの門か?」
ぺたぺたと門を触って確認しては、感心していた。
「あっ、そうだ、忘れてた。これやるよ」
リュオクがポケットから取り出したのは、指輪だった。
「守りの効果があるから、念のため持っとけよ」
自分の指には男物の指輪をはめた。その指輪を見て、渡された指輪を見直す。
「これは普通、夫婦でつけるものではないですか?」
意匠が揃った大小の指輪というのはそういうものである。
「ああ、両親の形見だからな」
ファリィラは速攻で指輪を返した。
「そんな大事なもの、受け取れません!」
「気にするな、そんな大した呪道具じゃないからな。いらないんなら試練が終わったら返せ」
そういう問題ではないと反論しようと思ったが、無駄そうなのでやめた。
指輪を通しながら、男性からこのような物をもらったのは初めてだと気付いた。薬指に通すのは憚られたので中指にしたが、それでも少し緩かった。落ちることはないと確認して、深いことは考えないことにした。
帯布を山門の装飾に結びつけると、門が光を放った。
二人は霊峰に足を踏み入れた。
これからしばらく二日おきの投稿になります。




